2016年01月24日

ローマ人の道:Romans Road

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ローマ人の道:Romans Roadflower-mini
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「Romans Road(ローマンズ・ロード)」は直訳すると「ローマ人の道」です。これはクリスチャンが聖書を知らない人に「福音」を説明するために用意されたステップのことで、聖書の引用が容易なように考えられています。「Romans」というのは新約聖書に収録されている本の名前で日本語の聖書では「ローマ人への手紙」にあたります。「Romans」の中からの引用を順番に道のようにたどれば福音の意味が論理的に理解できる、ということから「Romans Road」と名付けられたのではないでしょうか。

新約聖書の「Romans(ローマ人への手紙)」は使徒パウロがローマにいるクリスチャンに宛てた手紙です。内容はパウロがローマを訪れるにあたり、日頃自分がどのような話をしているか、つまりローマに着いた際にはみなさんにこんな話をしますよと、あらかじめ伝えておくために書かれた手紙です。パウロは日々人々にイエスに関する福音を伝えていましたから、手紙の内容も福音を論理的に説明する内容になっていてそのため福音を伝えるときに引用しやすいのです。当時ローマの教会にいたクリスチャンはほとんどがユダヤ人ですが異邦人(=非ユダヤ人)も多数含まれていたのでそういう意味でもバランスのとれた本です。

このページでは私が前のページで説明した「一番大切な話」が聖書の中には実際にどのように記述されているのかを示そうと思います。前半は人が罪(Sin)を持つようになった経緯について、後半が人間に示された救済の計画の話です。後半部分の引用が「Romans Road」に近くなるのでこのページをそのように名付けました。



人間の創造

聖書は天地の創造で幕を開けます。神さまは創造の過程の最後に人間を作ります。そのときの様子を読んでみましょう。


Genesis 1:26-29 [NLT]/ 創世記第1章第26節~第29節 [新改訳]

26 Then God said, “Let us make human beings in our image, to be like us. They will reign over the fish in the sea, the birds in the sky, the livestock, all the wild animals on the earth, and the small animals that scurry along the ground.”

26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

27 So God created human beings in his own image. In the image of God he created them; male and female he created them.

27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

28 Then God blessed them and said, “Be fruitful and multiply. Fill the earth and govern it. Reign over the fish in the sea, the birds in the sky, and all the animals that scurry along the ground.”

28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

29 Then God said, "Look! I have given you every seed-bearing plant throughout the earth and all the fruit trees for your food.

29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。


神さまは人間を作るときにわざわざ「われわれに似せて」、つまり神さまご自身の姿を映して作りました。そして目的も「地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように」、つまり地上の支配者として創造したのです。


人間に与えられたルール

最初の人間はアダムです。神さまがアダムに与えたルールはひとつだけでした。後に神さまがモーゼを介して示した律法では狭義なら「十戒」の10のルール、広義なら600以上のルールがありますが一番最初のルールはたったひとつだったのです。


Genesis 2:16-17 [NLT]/ 創世記第2章第16節~第17節 [新改訳]

16 But the Lord God warned him, “You may freely eat the fruit of every tree in the garden --

16 神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

17 except the tree of the knowledge of good and evil. If you eat its fruit, you are sure to die.”

17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」


神さまは人間を創造したときに「わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる」と言って地上のすべての木をアダムに与えました。でもその中にひとつだけ例外があったのです。「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない」。ルールはこれだけです。ただしルール違反をした場合の罰則は強烈です。「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」ですので。

地上のあらゆる木の実は自分の好きなように食べて良かったのです。その中に1本だけ、その実を食べてはいけない禁断の木があるのです。どうでしょう。自分がアダムだったらこのルールは守れるでしょうか。


ルール違反

神さまは男のアダムのパートナーとして女のエバを与えました。最初のカップルです。ルール違反をしてしまったのはエバの方でした。ヘビにそそのかされてしまったのです。そのときの様子を読んでみましょう。


Genesis 3:1 [NLT]/ 創世記第3章第1節 [新改訳]

1 The serpent was the shrewdest of all the wild animals the Lord God had made. One day he asked the woman, “Did God really say you must not eat the fruit from any of the trees in the garden?”

1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」


ヘビがやってきてエバに話しかけますが、このときヘビは神さまの言葉をわざとねじ曲げます。神さまはアダムに「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい」と言ったのです。ところがヘビは「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか!?」と神さまの言葉を逆転させて事態を大げさにねじ曲げてふっかけます。

神さまからの命令を直接聞いたのは夫のアダムでした。エバはアダムからルールを聞かされていたはずです。神さまから直接命令を受けていないエバを狙うあたり、ヘビは巧妙です。


Genesis 3:2-3 [NLT]/ 創世記第3章第2節~第3節 [新改訳]

2 “Of course we may eat fruit from the trees in the garden,” the woman replied.

2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。

3 “It’s only the fruit from the tree in the middle of the garden that we are not allowed to eat. God said, ‘You must not eat it or even touch it; if you do, you will die.’”

3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」


エバはヘビの相手なんかしなければ良いのに誘いに乗って話し始めます。「いえいえ違いますよ。木の実はどれでも食べて良いのです・・・」という風に。ところが話の途中で禁じられた木の実について「それに触れてもいけない」とエバは言っています。神さまはそんなことは言っていません。エバの感情が少し入ったのです。ヘビは狡猾です。「あぁ、少し不満に思っているな・・・」とエバのどこを攻めれば落ちるのかに気づきます。


Genesis 3:4-5 [NLT]/ 創世記第3章第4節~第5節 [新改訳]

4 “You won’t die!” the serpent replied to the woman.

4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

5 “God knows that your eyes will be opened as soon as you eat it, and you will be like God, knowing both good and evil.”

5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」


「あなたがたは決して死にません」は嘘です。神さまははっきりと「それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ」と言いましたから。ヘビはエバの言葉の中に不満の色を感じ取ったので、嘘をついてだましにかかります。でもいったい何のためにだまそうというのでしょうか。

これに続く「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っている」は木の実に関する秘密をこっそり暴露しましょう、という感じです。本当はあの木にはこんなにすごい秘密があるんですよ、でも神さまをそれをあなたたち人間に分け与えるつもりなどないのです、神さまはずるいと思いませんか!という感じです。


Genesis 3:6a [NLT]/ 創世記第3章第6a節 [新改訳]

6a The woman was convinced. She saw that the tree was beautiful and its fruit looked delicious, and she wanted the wisdom it would give her. ...

6a そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。・・・


そう言われてエバは木の実を見ます。すると木の実は本当に食べ頃に熟れていておいしそうです(ということはエバとヘビは問題の木のすぐ近くで話していたのでしょうか)。しかも食べれば神さまのように賢くなると言うのです。そうしたら自分たちが神さまになれるのかも知れない・・・。そんなことを考えていたらエバの心の中は食べたい気持ちで一杯になります。「あぁ、食べたい」「食べたい」「食べたい」。「神さまはずるい」「ずるい」「ずるい」。こうなると人間は欲望を抑えることはできません。


Genesis 3:6b [NLT]/ 創世記第3章第6b節 [新改訳]

6b ... So she took some of the fruit and ate it. Then she gave some to her husband, who was with her, and he ate it, too.

6b それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。


結局食べてしまいます。まずエバが食べて続いてアダムも食べます。アダムはいったいいつから一緒にいたのでしょうか。きっとヘビが来たところからずっと一緒にいたのです。


Genesis 3:7[NLT]/ 創世記第3章第7節 [新改訳]

7 At that moment their eyes were opened, and they suddenly felt shame at their nakedness. So they sewed fig leaves together to cover themselves.

7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。


実を食べた二人は自分たちが裸であることに気づきます。そして恥ずかしくなってイチジクの葉をつづり合わせて腰のまわりにまといました。

聖書の中では「裸」は「罪(sin)」の象徴です。実を食べたアダムとエバは突然「恥ずかしく」なりました。何だかわからないけど裸でいることについていままでに味わったことのない、居ても立ってもいられない「不安な気持ち」になったのです。そして不安から逃れるためにイチジクの葉をまとった。そうしたら「少し安心した」のです。

どうして恥ずかしくて不安なのでしょうか。これは人間が「神さまから切り離されたこと」の自覚症状です。人間は神さまから切り離されてると不安になるのです。その不安な気持ちへの対処法は今回は「イチジクの葉」でした。これは「人間独自の知恵と努力」のことです。人間はなんとか神さま抜きでやっていこうと知恵をしぼり努力してイチジクの葉を考案したのです。

すごいですか。涙ぐましくて情けないです。これで不安は解消されたのでしょうか。ほんの一時しのぎです。神さまから切り離されている限り人間は不安です。そしてそれを紛らわすための知恵や努力はみな一時しのぎで根本的な解決にはならないのです。


罪(sin)に対する罰

アダムとエバがたったひとつのルールを破って木の実を食べたことで、神さまはまずガッカリしました。木の実を食べた人間は裸の状態が不安になり、恥ずかしくて居ても立ってもいられなくなりました。だったらその時点で神さまに謝罪すれば良かったのに二人は自分たちの知恵と努力でイチジクの葉を身につけました。これは「自分たちは神さま抜きでやっていく」という意思の表明です。神さまはさらにガッカリです。

人間に対する期待が裏切られて神さまはガッカリしました。こうして人間に「罪(sin)」が生じました。神聖で嘘のない神さまにとって「罪(sin)」は「汚れ」です。神さまはもはや人間と一緒にいることはできません。特別な愛情を注いで作った大切な人間なのに、神さまは自分の元から追放しなければならなくなりました。


Genesis 3:17-19[NLT]/ 創世記第3章第17節~第19節[新改訳]

17 And to the man he said, “Since you listened to your wife and ate from the tree whose fruit I commanded you not to eat, the ground is cursed because of you. All your life you will struggle to scratch a living from it.

17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。

18 It will grow thorns and thistles for you, though you will eat of its grains.

18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。

19 By the sweat of your brow will you have food to eat until you return to the ground from which you were made. For you were made from dust, and to dust you will return.”

19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」


この部分は神さまが人間を「呪う」場面です。神さまは神聖なので悪を見逃すことはできません。悪には必ず報いが与えられます。人間が神さまを裏切ったことで「地上」全体が呪われました。それは人間が食を得るために苦しまなければならないようにするためです。人間はそうやって苦しんで苦しんで食を得るためにがんばったあげく最後には死ぬ。これが人間にかけられた「呪い」です。

人間はどこから来てどこへ行くのだろうと考えたことがあるでしょうか。これがその答えです。人間には苦しみの中を生きて最後には死んで土に返るように神さまから呪いがかけられているのです。これが禁じられた果物を食べた罪(sin)に対する罰です。



その後どうなったか

こうして神さまはアダムとエバをエデンの園から追放しました。ですがこれは神さまが示した愛情なのです。戸棚に入れておいた大切なお菓子、絶対に触れてはいけないと言っておいたのに子供は悪いやつにそそのかされてつい食べてしまった。誰にでもあることです。ところが子供は素直にあやまることができません。「私が悪かったです」「ごめんなさい」「許してください」「もうしません」が言えません。だからお父さんは「お前はうちの子じゃない。出て行きなさい!」と子供を外に追い出します。誰にでも想像できると思います。遠い昔の最初の人間にも同じことが起こったのです。

お父さんは子供に何を期待しているでしょうか。「お前はうちの子じゃない。出て行きなさい」は本心ではありません。お父さんは心を鬼にして子供を突き放しているのです。お父さんだって心配で仕方ありません。でも悪いことは悪いと学んで欲しいのです。子供には後悔して自分の行いを改める決心をして謝罪の言葉と共に自分のところへ帰ってきて欲しいのです。

ところが聖書ではこの後の人間は神さまの期待を裏切りっぱなしです。神さまはその途中で自分のメッセージを世界へ伝える民としてユダヤ民族を選びます。その最初の人となったアブラハムこそ神さまから「信仰厚い」との言葉をいただきますが、代が進むにつれて神さま離れは甚だしくなります。本当にまれに「神さまに立ち返ろう」と信仰の復興が起こるのですが、ほとんどの時代は神さまをガッカリさせっぱなしの状態です。

みなさんのまわりを見回してみてください。天地を創造した神さまを信じている人がいるでしょうか。私たちひとりひとりは神さまが特別な愛情を注いで行う創造の産物なのです。それなのに私たちが日々の生活の中で誰も造り主のことを気にかけていないのだとしたら、さらに「自分だけが頼り、自分で何とかしよう」と思っているのだとしたら、そして「人間はどこから来てどこへ行くのだろう」「結局最後には死んでしまうのだよな」「死ぬのは嫌だな」と思い悩んでいるとしたら神さまはさぞかしガッカリでしょう。



血の購(あがな)い

神さまがモーゼを通じてユダヤ民族に与えた律法の中に「罪(sin)の代償を支払う方法」を書いた箇所が何カ所かあります。それは「血の購い」です。たとえば次のように書いてあります。


Leviticus 17:10-11[NLT]/ レビ記第17章第10節~第11節 [新改訳]

10 “And if any native Israelite or foreigner living among you eats or drinks blood in any form, I will turn against that person and cut him off from the community of your people,

10 また、イスラエルの家の者、または彼らの間の在留異国人のだれであっても、どんな血でも食べるなら、わたしはその血を食べる者から、わたしの顔をそむけ、その者をその民の間から断つ。

11 for the life of the body is in its blood. I have given you the blood on the altar to purify you, making you right with the Lord.[e] It is the blood, given in exchange for a life, that makes purification possible.

11 なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。


まず「肉のいのちは血の中にある」と書かれています。聖書によると「いのち」=「血」なのです。そしていのちである「血」は「これをあなたがたに与えた」と書かれていますから、神さまから私たち人間に与えられたものです。そしてその目的は「あなたがたのいのちを祭壇の上で贖うため」とされています。

「贖(あがな)う」は「お金や品物で罪や失敗の埋めあわせをすること」です([新明解国語辞典])。私たちが神さまをガッカリさせて背負った「罪(sin)」に対する罰は「死」でした。そしてその代償としての「いのちの購い」、つまり「代わりの埋め合わせ」は祭壇の上に血を注ぐことで行うのです。いけにえとして捧げられるいけにえの動物の血(=いのち)は、その目的で私たち人間に与えられているのです。

聖書には、地上でたった一カ所だけ定められたユダヤの神殿の祭壇で、どのような手順で動物の血を捧げるかが詳細に記されています。血の購いの儀式です。注目すべきはこの儀式は繰り返し行うことが義務づけられているということ。人間が犯した罪(sin)についての埋め合わせにいけにえの動物の血を捧げて行いますが、動物の血の効力は限定的なのです。たとえ動物の血を捧げても「恥ずかしい」「居ても立ってもいられない」不安な気持ちは一向に解消されません。それは動物の血による購いは神さまから律法で定められた儀式とは言え、結局のところ間に合わせにすぎないからです。



救世主の約束

神さまは期待を裏切り続けるユダヤ民族に対して「預言者」を次から次へと送ります。「預言(prophecy)」は「予言(prediction)」とは異なり、神さまの「言葉」を「預かる」のことを言います。預言者がユダヤ民族に繰り返し告げたメッセージは次のように要約できます:

  • 創造主である神さまに立ち返りなさい。
  • 自分の罪を認め、後悔し、行いを改めなさい。
  • もしも行いを改めなければ他民族にイスラエルを攻めさせ国外へ追放する。

預言者は神さまからの言葉としてユダヤ民族に対して厳しい勧告を行いました。王にも役人にも人々にも耳が痛い言葉なので歓迎されません。預言者は迫害され、ときには捕らえられて監禁され、挙げ句の果てには殺されたりもしました。

「悔い改めよ」と告げる預言者がもうひとつ伝えたメッセージがあります。それが救世主の約束です。神さまは預言者を通じて次のように約束します。

  • だが自分はユダヤ民族を最後まで捨て置くことはしない。必ず救世主を送る。

救世主の到来はどのように預言されていたのでしょうか。旧約聖書の「イザヤ書」には救世主がどのように人間の罪を購うかまでが具体的に書かれていますので、やや長いですがここから引用して読んでみます。イザヤはイエスの時代から700年も前の預言者です。


Idaiah 53:1-12[NLT]/ イザヤ書第53章第1節~第12節 [新改訳]

1 Who has believed our message? To whom has the Lord revealed his powerful arm?

1 私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。

2 My servant grew up in the Lord’s presence like a tender green shoot, like a root in dry ground. There was nothing beautiful or majestic about his appearance, nothing to attract us to him.

2 彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

3 He was despised and rejected -- a man of sorrows, acquainted with deepest grief. We turned our backs on him and looked the other way. He was despised, and we did not care.

3 彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

4 Yet it was our weaknesses he carried; it was our sorrows that weighed him down. And we thought his troubles were a punishment from God, a punishment for his own sins!

4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

5 But he was pierced for our rebellion, crushed for our sins. He was beaten so we could be whole. He was whipped so we could be healed.

5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

6 All of us, like sheep, have strayed away. We have left God’s paths to follow our own. Yet the Lord laid on him the sins of us all.

6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

7 He was oppressed and treated harshly, yet he never said a word. He was led like a lamb to the slaughter. And as a sheep is silent before the shearers, he did not open his mouth.

7 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

8 Unjustly condemned, he was led away. No one cared that he died without descendants, that his life was cut short in midstream. But he was struck down for the rebellion of my people.

8 しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

9 He had done no wrong and had never deceived anyone. But he was buried like a criminal; he was put in a rich man’s grave.

9 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。

10 But it was the Lord’s good plan to crush him and cause him grief. Yet when his life is made an offering for sin, he will have many descendants. He will enjoy a long life, and the Lord’s good plan will prosper in his hands.

10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

11 When he sees all that is accomplished by his anguish, he will be satisfied. And because of his experience, my righteous servant will make it possible for many to be counted righteous, for he will bear all their sins.

11 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

12 I will give him the honors of a victorious soldier, because he exposed himself to death. He was counted among the rebels. He bore the sins of many and interceded for rebels.

12 それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


これによると「彼」と訳された救世主は:

  • 私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない(つまり救世主は華々しく王のように出現するわけではない)。
  • さげすまれ人々からのけ者にされ悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ私たちも彼を尊ばなかった(逆に迫害を受け苦難の道を歩む) 。
  • 私たちの病を負い私たちの痛みをになった。だが私たちは彼は罰せられ神に打たれ苦しめられたのだと思った(救世主は人々に代わって痛みを担うが、人々は彼の苦難の理由は彼自身に罪があるのだと誤解する)。
  • しかし彼は私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって私たちはいやされた。
  • 私たちはみな羊のようにさまよいおのおの自分かってな道に向かって行った(自分たちは自分勝手な道を歩み神さまをさんざんガッカリさせたのに)。しかし主は私たちのすべての咎を彼に負わせた(神さまはそんな人間の罪をすべて救世主に背負わせて身代わりにした)。
  • 彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。
  • 彼の時代の者でだれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ生ける者の地から絶たれたことを(救世主を見ている人たちは救世主が自分たちの身代わりになっていることに気づかない)。
  • 彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが(彼自身は悪いことをすることもなかったし嘘の証言もなかったが、他の悪者と共に裁かれて葬られた)。
  • しかし彼を砕いて痛めることは主のみこころであった。もし彼が自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く子孫を見ることができ主のみこころは彼によって成し遂げられる(だが救世主を裁くことが神さまの意図だった。救世主が自分のいのちを犠牲にして捧げることで、その子供となる人間はいのちを得る。こうして神さまの意志が成就する)。



救世主の到来

いまから約2000年前、神さまの約束通りに救世主イエスが地上に現れました。イエスは人々の前で奇跡の技を行い、数百年以上も前の預言を次々と成就して自分が神さまのもとから来た神さまのひとり子、待望の救世主であることを証明しました。

ですがやはりこれも預言のとおり人々はイエスが救世主であることに気づかずイエスを十字架にかけて殺してしまいます。次の聖書の引用は聖書全体を要約した句として、聖書の中で最も有名な部分です。


John 3:16[NLT]/ ヨハネの福音書第3章第16節 [新改訳]

16 “For God loved the world so much that he gave his one and only Son, so that everyone who believes in him will not perish but have eternal life.

16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。


イエスはすべての人間の罪を背負って身代わりとして死にます。そうすることで罪(sin)に対する支払いは完了します。こうして人間が神さまのもとへ戻る道が用意されたのです。

任務を達成したイエスは人間が死から解放されたことの証として十字架の三日後に復活します。弟子たちは復活したイエスと出会いイエスが救世主であると確信します。そしてイエスがかねてから約束していたとおり、イエスが天へ戻った後でイエスを信じる人ひとりひとりに「Holy Spirit(聖霊)」が訪れます。弟子たちは聖霊を受けとると力強くイエスに関わる良い知らせ(=福音)を伝え始めます。

「ユダヤ人」「ユダヤ人」と書いてきましたが弟子たちが福音を伝えていく過程で福音が異邦人(=ユダヤ人以外の人)にも開かれていることがわかります。これは旧約聖書の中にも預言されていたことです。



ローマ人の道

ここまでの話を新約聖書の「Romans(ローマ人への手紙)」の中から引用したものが「Romans Road(ローマ人への道)」です。


Romans 3:23[NLT]/ローマ人への手紙第3章第23節 [新改訳]

23 For everyone has sinned; we all fall short of God’s glorious standard.

23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず・・・


すべての人は例外なく罪(sin)を犯し神さまをガッカリさせています。神さまの善の基準に到達できる人はひとりもいません。


Romans 6:23a[NLT]/ローマ人への手紙第6章第23節前半 [新改訳]

23a For the wages of sin is death,

23a 罪から来る報酬は死です。


罪(sin)に対する罰は死です。人間は神さまをガッカリさせたので、その罰として死ななければなりません。


Romans 6:23b[NLT]/ローマ人への手紙第6章第23節後半 [新改訳]

23b but the free gift of God is eternal life through Christ Jesus our Lord.

23b しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。


ですが良い知らせがあります。神さまはプレゼントとしてイエス・キリストを通じた永遠のいのちを私たちに用意してくださっています。


Romans 5:8[NLT]/ローマ人への手紙第5章第8節 [新改訳]

8 But God showed his great love for us by sending Christ to die for us while we were still sinners.

8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。


神さまは私たち人間のためにわざわざ自分のひとり息子であるイエスを地上に送り私たちの身代わりのいけにえとして捧げてくださいました。これが神さまが人間に示した愛なのです。


Romans 10:13[NLT]/ローマ人への手紙第10章第13節 [新改訳]

13 For “Everyone who calls on the name of the Lord will be saved.”

13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。


イエスさまを救い主として呼び求める人には誰にでもいのちが与えられます。


Romans 10:9-10[NLT]/ローマ人への手紙第10章第9節~第10節 [新改訳]

9 If you confess with your mouth that Jesus is Lord and believe in your heart that God raised him from the dead, you will be saved.

9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

10 For it is by believing in your heart that you are made right with God, and it is by confessing with your mouth that you are saved.

10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。


イエスさまに関する福音を信じそれを自分の口で告白することで神さまからの福音の贈り物を受け取ることができます。心で信じることで神さまはその人を正しいと認め、その人が自分の口で告白をするのを聞いて永遠のいのちを授けるのです。


Revelation 3:20[NLT]/ヨハネの黙示録第3章第20節 [新改訳]

20 “Look! I stand at the door and knock. If you hear my voice and open the door, I will come in, and we will share a meal together as friends.

20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。


イエスさまから招かれていると感じる人は告白をして戸を開けばイエスさまがその人の中に入ります。イエスさまは神さまですから約束を破ることができません。イエスさまがあなたから離れることは決してありません。




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