マルコの福音書
2015年11月30日
マルコの福音書:はじめに
はじめに
第01章|第02章|第03章|第04章|第05章
第06章|第07章|第08章|第09章|第10章
第11章|第12章|第13章|第14章|第15章
第16章
全体目次
新約聖書にはイエスさまの生涯を描いた「福音書」のタイトルを持つ本が四つ、「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」の順に収録されています。同じイエスさまの生涯を描いた本であるのに内容が少しずつ異なります。「マルコ」は最初から二番目、四つの中では一番短い本で、聖書研究によると四つのうち一番最初に書かれた福音書とされています。
四冊を比較すると「マルコ」はイエスさまが「言ったこと」よりも、イエスさまが「行ったこと」を中心に記述し、イエスさまの奇跡や活動に重点を置いて、イエスさまがどのように自分の言葉を行動で裏付けたかを描いた福音書です。また生き生きと直接的に物語を読み聞かせるような記述が特徴で、イエスさまの伝道活動の間に起こった出来事を知るには最適の本です。
記述者がマルコと言う人物であることについては、本の中にマルコの名前が書いてあるわけではありませんが、初期の教会の文献がこの本の記述者を、当時ペテロの通訳をしていたマルコであると記述しています。マルコはイエスさまの伝道活動そのものには参加していなかったのですが、後日にペテロから聞いた回想録を記述したのだとされます。ということは「マルコの福音書」は実質「ペテロの福音書」をマルコが代筆したということになるでしょうか。
実際のところ「マルコ」には、ペテロの目を通して書かれたと解釈する方が自然な部分がたくさんあり、その点でも著者をペテロの伝道を手伝っていたマルコだ、とする文献の信憑性を支持します。またイエスさまの伝道活動に直接参加しておらず、使徒でもなかったマルコがこの福音書を記述したのであれば、そういう成り立ちの本を正式な福音書として新約聖書に組み込むのは当時の教会のやり方としては不自然なことです。これは当時ペテロの口述をマルコが記録して本にしたことが信徒たちの間で広く知られていたから、初期の教会でもマルコの記述が正当な作業と認められていた、と考えられています。
「マルコ」は異邦人(=ユダヤ人から見た外国人)に向けて、特にローマ人を読者に想定した本と考えられています。それはユダヤ人が使っていたアラム語やヘブライ語、あるいはラテン語をローマ人向けにギリシア語に翻訳して書き直している部分がたくさんあることからです。またローマ人を中立的、ときには好意的に描いている面もあります。当時ローマ皇帝の迫害に苦しむローマ在住の信徒たちを勇気づける目的で描かれた福音書なのかも知れません。
「マルコ」を書いたマルコは、ヨハネ・マルコの名前で知られており、ルカが記述した「Acts(使徒の働き)」にもペテロやパウロの助手として何度か登場します。実はマルコよりも母親のマリヤの方が有名な女性だったようです。マリヤはエルサレムで大変影響力を持った女性らしく、複数の従者を抱えて大きな屋敷を所有していました。イエスさまが天に戻られた後の初期の教会は、よくこの屋敷に集まって会合を開いていました。
「Acts(使徒の働き)」の中ではバルナバ(信徒の指導者のひとりでマルコの従兄弟にあたる人)とパウロが、エルサレムからマルコを連れてパウロの活動拠点であるアンテオケへ戻って来て、その後三人は第一回目の異邦人への伝道の旅に出かけます。助手のマルコはおそらく旅程や食べ物、宿舎等の手配を手伝っていたはずなのに、一行がペルガまで来たときにマルコは旅を途中でやめて一人で戻ってきてしまいます。この離脱の理由は聖書の中では明らかにされていないのですが、パウロの書簡からそれが福音の教義であることがうかがい知れます。このマルコの離脱事件は後にパウロとバルナバの間の仲違いを招きます。二回目の伝道の旅でパウロはマルコを連れて行きたくないと言い、バルナバはマルコを連れて行くのだと主張して二組はバラバラに出発するのです。
この仲違い事件はおそらく西暦49~50年頃のことなのですが、次にマルコが聖書に登場するのはそれから約10年後、パウロの書簡(「コロサイ人への手紙」)になります。ここではマルコは一転して好感を持って書かれています。またパウロがローマで牢に入れられるとパウロは愛弟子のテモテにマルコを一緒にローマへ連れてくるようにと告げたりもします。マルコは最初の頃にはパウロとの衝突こそ起こしたものの、後年はローマで献身的にパウロと共に働き、とても信頼されるようになったようです。
マルコが最後に聖書に登場するのは当時ローマにいたペテロによる記述で、手紙の中でマルコを「自分の息子」と書いています(「ペテロの手紙一」)。
「マルコ」が書かれたのは西暦55~65年頃、ローマ帝国の支配下で地中海一帯の言語が統一され、交通と通信も整備されてイエスさまの福音を伝える状況が整った時期でした。
「マタイ」「マルコ」「ルカ」の三冊を合わせて「共観福音書」と呼びます。これはマタイとルカが最初に書かれた「マルコ」を読んで参考にし、そこに自分たち集めた情報をそれぞれ追加して完成させたから、とされるからです。
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マルコの福音書:第1章
はじめに
第01章|第02章|第03章|第04章|第05章
第06章|第07章|第08章|第09章|第10章
第11章|第12章|第13章|第14章|第15章
第16章
全体目次
第1章
- マルコの福音書第1章第1節~第8節:洗礼者ヨハネが道を整える
- マルコの福音書第1章第9節~第15節:イエスさまの洗礼と誘惑
- マルコの福音書第1章第16節~第20節:最初の弟子たち
- マルコの福音書第1章第21節~第28節:イエスさまが邪悪な霊を追い出す
- マルコの福音書第1章第29節~第39節:イエスさまがたくさんの人々を癒す、イエスさまがガリラヤ地方で教える
- マルコの福音書第1章第40節~第45節:イエスさまがハンセン病の人を癒す
マルコの福音書第1章第1節~第8節:洗礼者ヨハネが道を整える
- マルコの福音書第1章第1節~第8節:洗礼者ヨハネが道を整える
- マルコの福音書第1章第9節~第15節:イエスさまの洗礼と誘惑
- マルコの福音書第1章第16節~第20節:最初の弟子たち
- マルコの福音書第1章第21節~第28節:イエスさまが邪悪な霊を追い出す
- マルコの福音書第1章第29節~第39節:イエスさまがたくさんの人々を癒す、イエスさまがガリラヤ地方で教える
- マルコの福音書第1章第40節~第45節:イエスさまがハンセン病の人を癒す
マルコの福音書第1章第9節~第15節:イエスさまの洗礼と誘惑
- マルコの福音書第1章第1節~第8節:洗礼者ヨハネが道を整える
- マルコの福音書第1章第9節~第15節:イエスさまの洗礼と誘惑
- マルコの福音書第1章第16節~第20節:最初の弟子たち
- マルコの福音書第1章第21節~第28節:イエスさまが邪悪な霊を追い出す
- マルコの福音書第1章第29節~第39節:イエスさまがたくさんの人々を癒す、イエスさまがガリラヤ地方で教える
- マルコの福音書第1章第40節~第45節:イエスさまがハンセン病の人を癒す
人に聖霊が降りる現象はイエスさま自身が弟子たちに予告した出来事なのです。自分はやがて天へ帰るが、そのときには自分と入れ替わりに聖霊が訪れて助け主となるとイエスさまは弟子たちに伝えました。やがてイエスさまを信じる人に起こることが、ひとりの人間として地上に立ったイエスさまにも起こっているのです。聖霊を受けたイエスさまはここから神さまの助けを得ることになるのですが、それを裏付ける形で天から声が聞こえたのです。
マルコの福音書第1章第16節~第20節:最初の弟子たち
- マルコの福音書第1章第1節~第8節:洗礼者ヨハネが道を整える
- マルコの福音書第1章第9節~第15節:イエスさまの洗礼と誘惑
- マルコの福音書第1章第16節~第20節:最初の弟子たち
- マルコの福音書第1章第21節~第28節:イエスさまが邪悪な霊を追い出す
- マルコの福音書第1章第29節~第39節:イエスさまがたくさんの人々を癒す、イエスさまがガリラヤ地方で教える
- マルコの福音書第1章第40節~第45節:イエスさまがハンセン病の人を癒す