ルカの福音書

2015年10月31日

ルカの福音書:はじめに

ルカの福音書





新約聖書には福音書が四つ収録されています。登場順に「Matthew(マタイ)」「Mark(マルコ)」「Luke(ルカ)」「John(ヨハネ)」です。このうち、最初の三つの福音書は内容と構成が似通っていて、並べて比較することができることから「共観福音書」と呼ばれています。三つの福音書が書かれた順序については、「マルコ」が最初に書かれて、その「マルコ」を土台にして「マタイ」と「ルカ」が書かれたという見方がほぼ確立しています。先週までの「マタイの福音書」の中では、「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の式を使いながら、福音書の平行箇所を一緒に読んで比較してきました。

「ルカの福音書」を記述したとされる「ルカ」と言う人物は、パウロを手伝って共に福音を伝える伝道の旅をしたことと、新約聖書の中では「ルカの福音書」と「Acts(使徒の働き)」の二つの本を書いたことで知られています。「ルカの福音書」と「使徒の働き」はイエスさまの十字架死~復活までを扱う「ルカの福音書」と、イエスさまが復活して天へ戻った後で使徒たちがイエスさまの福音を世の中に伝える「使徒の働き」の連続した書き物になっていて、一冊の本の前編・後編という感じで展開します。

ルカの職業は医者です。それはパウロが書いたとされる「Colossians 4:14(コロサイ人への手紙第4章第14節)」に「愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています」([新改訳])と書いているところからわかります。また福音を伝えるためにルカがパウロと共に献身的に働いた様子がパウロの書簡に記述されています。研究によるとルカはシリアのアンテオケの出身の異邦人(ユダヤ人から見た外国人)とされています。そうするとルカは新約聖書の著者として登場する唯一の異邦人ということになります。(ルカをユダヤ人だとする説もあります。)

ルカはパウロの伝道旅行の第2回と第3回、及び最後にパウロが処刑のためにローマへ護送された旅に同行しました。「使徒の働き」を読んでいると、あるところから突然書き口が「私たちは・・・」と一人称に変化する部分が三カ所あります。それはこの部分からルカがパウロ一向に合流したからだろうと考えられています。またパウロがローマへ送られる前にカイザリアで二年間牢に入れられていた期間があるのですが、おそらくこの間にルカはパウロのそばにいて後日に「ルカ」と「使徒の働き」を記述するための材料を集めたのだろうと言われています。

ルカが記述した文書の量は、「ルカの福音書」と「使徒の働き」の二つの本を合わせると、新約聖書全体の1/4を越える量になります。職業が医者ということもあって、記述は大変客観的にまた冷静に行われています。また記述内容を見るとギリシア語に精通していたことがよくわかり、他の新約聖書の著者よりも視野が広く洗練された印象を与えます。文学上の品質としては四つの福音書の中で最高と言われ、このため読者の興味を最もかき立てる福音書なのです。

「ルカの福音書」が書かれたのはおそらく西暦60~70年頃です。50~60年頃からローマ帝国のクリスチャンに対する迫害が厳しくなり、70年にはエルサレムが陥落してイスラエルが滅びます。そんな状況下で、ルカは政治や文化に影響力の強いローマ帝国の人たちに対して、クリスチャンとは何か、福音とは何かを正しく客観的に伝えようとしたのだと考えられています。記述の中ではクリスチャンが反政府的な扇動の容疑を受けながら最終的に無罪の判断が下される場面が多数記述されています。

ときにキリスト教は悪意のある迷信で、気づかれないように秘密裏に勢力を拡大したとの批判を受ける場合がありますが、ルカはイエスさまがあらゆる地位や階級の人々と触れ合い、神さまの国についての教えを民衆の前で公然と述べ伝えられたことを伝えています。




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english1982 at 23:30|Permalink

ルカの福音書第1章第1節~第4節:はじめに

第1章


 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Introduction

はじめに


1 Many people have set out to write accounts about the events that have been fulfilled among us.

1 私たちの間で完遂された出来事について、多くの人たちが説明の記事を書き始めて来ています。

2 They used the eyewitness reports circulating among us from the early disciples.

2 その人たちは、私たちの間で流布されている、初期の弟子たちによる目撃証言を用いました。

3 Having carefully investigated everything from the beginning, I also have decided to write a careful account for you, most honorable Theophilus,

3 すべての出来事について最初から注意深く調査を行いまして、私もあなた様のために念入りな報告書を書くことを決断しました。最も尊敬するテオピロ様。

4 so you can be certain of the truth of everything you were taught.

4 それであなた様も、教えられたことすべてについて、それが真実であると確証できるようにと思いまして。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の最初の部分です。

第3節の最後に[NLT]の「most honorable Theophilus」を私が「最も尊敬するテオピロ様」と訳して書いてありますが、この第1節~第4節の部分は「ルカの福音書の」書き手のルカが、「テオピロ」という人物に宛てた冒頭の言葉になっています。

このテオピロが誰なのかはわかりません。[NLT]の「most honorable Theophilus」や、[KJV]の「most excellent Theophilus」は、辞書を引くと『新和英中辞典』(研究社)に「the Most Honourable」をイギリスでは「侯爵」の所有者への敬称で用いるなどと書かれており、これはつまり、かなり高位の目上の人への呼びかけにあたる言葉なのだと思います。テオピロは恐らくローマ帝国の有力者だったのであろうとか、あるいはルカを金銭的に支援していたパトロン的な人物だったのではないか、などと考えられています。

また「Theophilus」の「Theo」が「神」を表し、「Philo」が「愛」を表す言葉であるため、「テオピロ」を「神を愛する人」と解釈することも可能で、たとえば書き手のルカは「テオピロ」という架空の人物の名前を使って「神を愛する人」全般に向けてこの福音書を記述したのではないか、という考えもあります。

ちなみに前回の紹介で新約聖書に含まれる「ルカの福音書」と「Acts(使徒の働き)」について、一冊の本の前編・後編という感じで展開しますと紹介しましたが、後編の「使徒の働き」の冒頭にもテオピロは登場します。Acts 1:1-2(使徒の働き第1章第1節~第2節)です。「1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行ない始め、教え始められたすべてのことについて書き、2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました」([新改訳])。ここに出てくる「前の書」が「ルカの福音書」のことです。ここの説明ではその「ルカの福音書」には「イエスが行ない始め、教え始められたすべてのこと」が書かれ、その範囲が最後にイエスさまが「使徒たちに聖霊によって命じて」、さらに「天に上げられた日」までだったとしています。「使徒の働き」には「ルカの福音書」の続き、その後の話が書かれているのです。

では今回の部分を最初から見てみましょう。第1節~第2節には「私たちの間で完遂された出来事について、多くの人たちが説明の記事を書き始めて来ています」「その人たちは、私たちの間で流布されている、初期の弟子たちによる目撃証言を用いました」と書かれています。

「私たちの間で完遂された出来事」と言うのはイエスさまが成し遂げたことについてです。それはつまりイエスさまが「十字架死」で達成したことは何だったのか、その意味についてです。

これについて「多くの人たちが説明の記事を書き始めて来ています」としています。これは「マタイの福音書」の中で、「マタイ」・「ルカ」=「マルコ」+「Q資料」+「独自の資料」の式を使って説明しましたが、まず「マルコ」が「多くの人たちが書き始めている説明の記事」の筆頭にあたると思います。新約聖書に含まれる四つの福音書のうち、「マタイ」「マルコ」「ルカ」の三冊を共観福音書と呼び、この中では「マルコ」が最初に書かれて、その「マルコ」を土台にして「マタイ」と「ルカ」が書かれたという見方がほぼ確立していると前回も書きました。

これに加えて「Q資料」があります。「マタイ」と「ルカ」は「マルコ」を元にして、そこに「追加」をする形で作成されたことがわかっていますが、実は「マタイ」と「ルカ」で追加された情報には共通点が多いのです。ここから「マタイ」と「ルカ」の編集には何かの「同じ文献」に基づく追加作業が行われたと理解されています。この文献は「マタイ」と「ルカ」の共通点を研究すると、恐らくイエスさまの言葉を集めた「語録集」のような文書だったはずで、聖書の研究分野では仮に「Q資料」と呼ばれています(「Q」はドイツ語の「資料」にあたる単語の頭文字)。実は「Q資料」そのものはこれまで一度も見つかって来なかったのです。ずっと長い間見つからなかったので、存在そのものが疑われて来ましたが、つい最近、1945年に見つかった「トマスの福音書」の内容が語録集に近い形態だったことから、このところは「Q資料」の存在を支持する説が強くなっているようです。

それにさらに加えて「使徒名の書簡」です。新約聖書には「~人への手紙」という本がたくさん収録されていますが、「ルカ」の記述者はこれらにも目を通していたはずです。これは「ルカの福音書」と「使徒の働き」がいつ成立したのか、という問題にも絡んでくるので(明確な答えは出ていません)、諸説あるのですが、「使徒の働き」にはパウロが処刑のためにローマへ送られるところまで書かれているので、「使徒名の書簡」についても「ルカ」の記述者が知っていたと考えても不自然ではありません。

第3節、「ルカ」の記述者は「すべての出来事について最初から注意深く調査を行い」、テオピロという人物のために「念入りな報告書を書くことを決断し」たと書いています。ルカ本人はどうやら医者であり、誰よりもギリシア語に精通していて、文学的品質もとても高い文章の書き手なのです。その人がイエスさまにまつわるできごとのすべてを、綿密な調査に基づいて念入りに報告しましょう、と言っています。心躍りますねぇ。

第4節にはその理由が書かれています。「それであなた様も、教えられたことすべてについて、それが真実であると確証できるようにと思いまして」。つまりルカはテオピロに、イエスさまについて言われていることが真実であると確証してもらいたいのです。イエスさまを信じてもらいたいのです。






english1982 at 22:00|Permalink

ルカの福音書第1章第5節~第25節:洗礼者ヨハネの誕生が予告される

第1章


 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Birth of John the Baptist Foretold

洗礼者ヨハネの誕生が予告される


5 When Herod was king of Judea, there was a Jewish priest named Zechariah. He was a member of the priestly order of Abijah, and his wife, Elizabeth, was also from the priestly line of Aaron.

5 ヘロデがユダヤの王だったときにザカリヤというユダヤ人の祭司がいました。ザカリヤは祭司の中ではアビヤの組に所属し、妻のエリザベツもやはり祭司のアロンの家系でした。

6 Zechariah and Elizabeth were righteous in God’s eyes, careful to obey all of the Lord’s commandments and regulations.

6 ザカリヤとエリザベツは神さま目に正しく映り、主のすべての戒めと規則を注意深く守っていました。

7 They had no children because Elizabeth was unable to conceive, and they were both very old.

7 二人には子どもがありませんでした。それはエリサベツが妊娠できなかったからです。ふたりともとても年をとっていました。

8 One day Zechariah was serving God in the Temple, for his order was on duty that week.

8 ある日ザカリヤは寺院で神さまのための仕事をしていました。それはザカリヤの組がその週の当番だったからです。

9 As was the custom of the priests, he was chosen by lot to enter the sanctuary of the Lord and burn incense.

9 祭司の習慣により、ザカリヤはくじ引きで選ばれて、主の聖域に入って香を焚くことになりました。

10 While the incense was being burned, a great crowd stood outside, praying.

10 香が焚かれる間、大ぜいの群衆が外にいて祈っていました。

11 While Zechariah was in the sanctuary, an angel of the Lord appeared to him, standing to the right of the incense altar.

11 ザカリヤが聖域の中にいると、主の天使が彼に現われて、香壇の右に立っているのでした。

12 Zechariah was shaken and overwhelmed with fear when he saw him.

12 天使を見るとザカリヤは動揺し、恐怖で圧倒されました。

13 But the angel said, “Don’t be afraid, Zechariah! God has heard your prayer. Your wife, Elizabeth, will give you a son, and you are to name him John.

13 しかし天使は言いました。「恐れてはいけません、ザカリヤ。神さまがあなたの願いを聞きました。あなたの妻のエリサベツはあなたに男の子を産みます。あなたはその子をヨハネと名付けなさい。

14 You will have great joy and gladness, and many will rejoice at his birth,

14 あなたは大きな喜びとうれしさを味わい、多くの人が男の子の誕生を喜びます。

15 for he will be great in the eyes of the Lord. He must never touch wine or other alcoholic drinks. He will be filled with the Holy Spirit, even before his birth.

15 なぜなら彼は主の目の中にすぐれた者となるからです。彼はぶどう酒にも他のアルコールにも決して触れてはいけません。彼は誕生の前から聖霊に満たされます。

16 And he will turn many Israelites to the Lord their God.

16 そして彼は多くのイスラエル人を神さまである主に向かせます。

17 He will be a man with the spirit and power of Elijah. He will prepare the people for the coming of the Lord. He will turn the hearts of the fathers to their children, and he will cause those who are rebellious to accept the wisdom of the godly.”

17 彼はエリヤの霊と力を持つ人となります。彼は主の到来のために人々を用意するのです。彼は父たちの心を子どもたちに向けさせ、反抗的な人たちには信仰の厚い人たちの知恵を受け入れさせるのです。」

18 Zechariah said to the angel, “How can I be sure this will happen? I’m an old man now, and my wife is also well along in years.”

18 ザカリヤは天使に言いました。「それが起こることをどうやって私は確信できるでしょうか。私は今は一人の年老いた男です。妻もずいぶん年をとっています。」

19 Then the angel said, “I am Gabriel! I stand in the very presence of God. It was he who sent me to bring you this good news!

19 すると天使が言いました。「私はガブリエルです。私は神さまの面前に立つ者です。私を遣わして、この良い知らせをあなたに届けさせたのは神さまなのです。

20 But now, since you didn’t believe what I said, you will be silent and unable to speak until the child is born. For my words will certainly be fulfilled at the proper time.”
20 ですがいいですか、あなたは私の言ったことを信じませんでした。あなたは子どもが生まれるときまで沈黙し、話すことができなくなります。なぜなら私の言葉は時が来れば確実に実現されるからです。」

21 Meanwhile, the people were waiting for Zechariah to come out of the sanctuary, wondering why he was taking so long.

21 そうしている間、人々はザカリヤが聖域から出てくるのを待っていました。人々はなぜそんなに長くかかるのか不思議に思っていました。

22 When he finally did come out, he couldn’t speak to them. Then they realized from his gestures and his silence that he must have seen a vision in the sanctuary.

22 ザカリヤがとうとう出て来ると、彼は人々に話すことができませんでした。ザカリヤの身振りと沈黙から、彼らはザカリヤが聖域で幻を見たのだとわかりました。

23 When Zechariah’s week of service in the Temple was over, he returned home.

23 寺院でのザカリヤの務めの週が終わると、ザカリヤは家へ帰りました。

24 Soon afterward his wife, Elizabeth, became pregnant and went into seclusion for five months.

24 その後すぐに妻のエリサベツは妊娠し、五か月の引き籠もりの期間に入りました。

25 “How kind the Lord is!” she exclaimed. “He has taken away my disgrace of having no children.”

25 エリサベツは叫びました。「主はなんと思いやりのある方なのでしょうか。私に子どもがいないという不名誉を取り除いてくださいました。」




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第1章です。

第5節のヘロデは「ヘロデ大王」とも呼ばれる人物で、イエスさまが生まれた時代にローマ帝国下のイスラエルを支配していた王です。ユダヤ人ではなくて政治的に巧みに活動して、ローマ帝国からユダヤ地域の王に封じられた異邦人です。エルサレムの寺院を大改築した建築マニアとして有名で、政治的に自分の地位を確立しておくために身内を含めて多くの人を殺害したことでも知られています。

同第5節に「ザカリヤというユダヤ人の祭司がいました」とあります。「祭司」という職業はユダヤの十二氏族の中でヤコブの子レビを祖とする「レビ族」に特別に与えられた仕事のことです。旧約聖書によるとユダヤ民族は預言者モーゼに率いられて奴隷状態にあったエジプトから脱出し、40年間も砂漠をさまよった後に最終的に約束の地イスラエルに入り、先住の異民族を打ち破って建国しました。そのときに占領地の中から各氏族に対して住むべき土地が割り当てられましたが、レビ族だけはエルサレムの寺院を守る氏族として特別な仕事が与えられたのです。エジプト脱出でユダヤ人をリードしたモーゼとアロンの兄弟はレビ族の出身です。

同第5節に「ザカリヤは祭司の中ではアビヤの組に所属し」とありますが、この「組」はレビ族の中を24に分けている「組み分け」で、各組が一週間ずつ交代で寺院の仕事を行っていました。この組み分けについては旧約聖書の「1 Chronicles 24:1-19(歴代誌第1の第24章第1節~第19節)」に記述があります。「1 アロンの子らの組分け。アロンの子らは、ナダブ、アビフ、エルアザル、イタマル。2 ナダブとアビフはその父に先立って死に、彼らには子どもがなかったので、エルアザルとイタマルが祭司の務めについた。3 ダビデは、エルアザルの子孫のひとりツァドク、およびイタマルの子孫のひとりアヒメレクと協力して、彼らをそれぞれの奉仕に任命し、それぞれの組に分けた。4 エルアザルの子孫のほうが、イタマルの子孫よりも一族のかしらが多かったので、エルアザルの子孫は、父祖の家のかしらごとに十六組に、イタマルの子孫は、父祖の家ごとに八組に分けられた。5 彼らはくじを引いて互いにそれぞれの組に分かれた。聖所の組のつかさたち、神の組のつかさたちは、エルアザルの子孫の中にも、イタマルの子孫の中にもいたからである。6 レビ人の出の書記、ネタヌエルの子シェマヤが、王とつかさたち、および祭司ツァドクとエブヤタルの子アヒメレク、それに祭司とレビ人の一族のかしらたちの前で、それらを書きしるした。エルアザルの父祖の家を一つ一つ、イタマルのを一つ一つ。7 第一のくじは、エホヤリブに当たった。第二はエダヤに、8 第三はハリムに、第四はセオリムに、9 第五はマルキヤに、第六はミヤミンに、10 第七はコツに、第八はアビヤに、11 第九はヨシュアに、第十はシェカヌヤに、12 第十一はエルヤシブに、第十二はヤキムに、13 第十三はフパに、第十四はエシェブアブに、14 第十五はビルガに、第十六はイメルに、15 第十七はヘジルに、第十八はピツェツに、16 第十九はペタフヤに、第二十はエヘズケルに、17 第二十一はヤキンに、第二十二はガムルに、18 第二十三はデラヤに、第二十四はマアズヤに当たった。19 これは主の宮に入る彼らの奉仕のために登録された者たちで、彼らの先祖アロンがイスラエルの神、主の彼に命じられたところによって、定めたとおりである」([新改訳])。 ザカリヤが所属したアビヤの組は第八の組だったことがわかります。

同第5節には「妻のエリザベツもやはり祭司のアロンの家系でした」とありますように、ザカリヤの妻のエリザベツもやはりレビ族の出身で、しかもエリザベツはモーゼの兄のアロンの家系です。血縁を重んじるユダヤ人はこうして同じ氏族の中で婚姻をしていたようです。

第6節には二人について「ザカリヤとエリザベツは神さま目に正しく映り、主のすべての戒めと規則を注意深く守っていました」と書かれています。この部分はさらっと読んでしまってはいけなくて、ここでは「神さま目に正しく映り」(righteous in God’s eyes)という記述が大変重要だと思います。なぜなら「神さまの目に正しく映る人」というのは世の中にはまずいないからです。何かしらの形で神さまの期待を裏切ってしまって、神さまをガッカリさせているのが私たち人間だからです。そして二人は「主のすべての戒めと規則を注意深く守っていました」とありますから、少なくとも神さまの目に正しく映るためには聖書に定められた戒めや規則を注意深く守る必要があったことがわかります。私自身も神さまの目に正しく映りたいと願う一人ですが、実際は「あぁ、今の自分の行動は神さまの目には正し映っていないのだろうなぁ」「きっとイエスさまはガッカリしているだろうなぁ」と考えさせられる出来事が連続する毎日です。

第7節によると二人は老齢なのに子どもがありませんでした。理由は妻のエリサベツが妊娠できなかったからなのでした。

第8節、年に二度まわってくるアビヤの組が寺院の仕事をする当番の週に、ザカリヤはくじによって聖域に入ることになります。これは大変な名誉な仕事です。当時はイスラエル全体で2万人程度の祭司がいたとされていて、これを24の組に分けていたのですから各組には千人近い祭司がいたはずで、ザカリヤはその中から選ばれたわけです。生涯の間、一度も選ばれない祭司もたくさんいたはずです。ザカリヤ自身も高齢まで待ち続けてついに選ばれたのかも知れません。

くじで選ばれた祭司は朝夕の儀式でひとりだけ寺院の中の聖域に入り、香を焚きます。香を焚くための祭壇は、大祭司だけが入ることを許される寺院の最深部(「至聖所」(the holy of holies)などと呼ばれます)の手前の部屋にあります。

この香のための祭壇については旧約聖書のExodus  30:1-8(出エジプト記第30章第1節~第8節)に書かれています。「1 あなたは、香をたくために壇を作る。それは、アカシヤ材で作らなければならない。2 長さ一キュビト、幅一キュビトの四角形で、その高さは二キュビトでなければならない。その一部として角をつける。3 それに、上面と回りの側面と角を純金でかぶせる。その回りに、金の飾り縁を作る。4 また、その壇のために、その飾り縁の下に、二つの金環を作らなければならない。相対する両側に作らなければならない。これらは、壇をかつぐ棒を通す所となる。5 その棒はアカシヤ材で作り、それに金をかぶせる。6 それをあかしの箱をおおう垂れ幕の手前、わたしがあなたとそこで会うあかしの箱の上の『贖いのふた』の手前に置く。7 アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびを整えるときに、煙を立ち上らせなければならない。8 アロンは夕暮れにも、ともしびをともすときに、煙を立ち上らせなければならない。これは、あなたがたの代々にわたる、主の前の常供の香のささげ物である」([新改訳])。

どのような香を焚いたのか、特別な香の焚き方も旧約聖書に記載されています。Exodus  30:34-38(出エジプト記第30章第34~38節)です。「34 主はモーセに仰せられた。「あなたは香料、すなわち、ナタフ香、シェヘレテ香、ヘルベナ香、これらの香料と純粋な乳香を取れ。これはおのおの同じ量でなければならない。35 これをもって香を、調合法にしたがって、香ばしい聖なる純粋な香油を作る。36 また、そのいくぶんかを細かに砕き、その一部をわたしがあなたとそこで会う会見の天幕の中のあかしの箱の前に供える。これは、あなたがたにとって最も聖なるものでなければならない。37 あなたが作る香は、それと同じ割合で自分自身のために作ってはならない。あなたは、それを主に対して聖なるものとしなければならない。38 これと似たものを作って、これをかぐ者はだれでも、その民から断ち切られる」([新改訳])。

第10節、ザカリヤが聖域で香を焚く間、大ぜいの群衆は建物の外で静かに待っていました。外からは建物の内部で焚かれた香の煙が見えるのです。人々はその煙を見て祈ります。立ち上る煙は天の神さまの王座へ届く人々の祈りの象徴なのです。

聖域の祭壇で香を焚くザカリヤの前に天使が出現しました。「天使」というと私たちは背中に羽の生えた小さな子供の姿を思い浮かべますが、聖書の中の天使は天国にいて神さまのための仕事をする霊的な存在です。旧約聖書の中では人の姿ばかりでなく、火や光などのさまざまな姿をとって表れます。たとえば旧約聖書のIsaiah 6:2(イザヤ書第6章第2節)に登場する上位の天使「セラフィム」は人に近い形をしているようですが「彼らはそれぞれ六つの翼があり、おのおのその二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでおり」([新改訳])と書かれています。

第12節、天使を見たザカリヤは恐怖で圧倒されています。聖書の中で神さま側の存在に遭遇する人間は必ず恐怖で圧倒されます。きっとその存在の神聖さや畏れ多さがすぐに理解できて、人間としての小さくて汚れた自分が、その存在の前に立つことや近くにいること自体が怖くて仕方なくなるのです。第13節で天使は「恐れてはいけません」と話し始めます。これも聖書の中ではお決まりの言葉です。神さま側の存在は、まず「恐れるな」と言って話し始めます。

その話の内容は「神さまがあなたの願いを聞きました。あなたの妻のエリサベツはあなたに男の子を産みます」でした。ザカリヤとエリザベツの夫婦は神さまの戒めと規則を注意深く守り、神さまの目に正しく映る存在であると書かれていました。そして二人は老齢で子どもがいないとも書かれていました。天使はここで「神さまがあなたの願いを聞きました。あなたの妻のエリサベツはあなたに男の子を産みます」と言っているのですから、ザカリヤはいつも神さまに「子どもが欲しい」「子どもを授けてください」と祈っていたことになります。

ザカリヤとエリザベツの夫婦は神さまの戒めと規則を注意深く守り、神さまの目に正しく映る存在であったはずなのに、どうして「子どもが欲しい」というザカリヤの願いは長い間叶えられずに放置され続けたのでしょうか。それは多分に神さまがエリザベツの受胎の「奇跡」としての意味を、より印象的に人間に知らしめるためだったりするのです。まさかと思われている女性が妊娠して子どもを授かる、そこに神さまの「すごさ」を感じさせるのです。

老齢で子どもの産めない女性が妊娠して子どもを産む、という出来事は実は旧約聖書に登場する「奇跡」の形のひとつなのです。ユダヤ人の祖とされるアブラハムの妻のサラも高齢で子どもの産めない存在でした。旧約聖書の最初の本、「Genesis(創世記)」の第17章第15~17節は神さまがアブラハムに表れて伝えた言葉の一部です。「15 また、神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライのことだが、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。16 わたしは彼女を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、国々の民の王たちが、彼女から出て来る。」 17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか」([新改訳])。アブラハムに息子のイサクが生まれたとき、アブラハムは100歳、サラは90歳だったのです。

エリザベツに子どもができたとき、ザカリヤとエリザベツの夫婦のみならず、二人を知るすべての人々が旧約聖書に書かれたこの奇跡の物語を思い出し、神さまの実在を本当の意味で改めて確認します。サラが子どもを授かったのは90歳のときというのは、ユダヤ人なら誰でも知っている話です。しかしそれと同じことがまさか自分たちの間でも起こるとは。神さまは本当にいるのだと確信し、神さまの素晴らしさを褒め称え、神さまの祝福と喜びを仲間と存分に分かち合うのです。

第13節の最後は「あなたはその子をヨハネと名付けなさい」と書かれています。このヨハネはこの後で「洗礼者ヨハネ」と呼ばれるようになる人のことで、イエスさまに先駆けてイスラエルに表れてイエスさまのための道を整えたとされる人です。「ヨハネの福音書」を書いたヨハネとは別人です(こちらのヨハネはイエスさまの弟子で、十二使徒の一人に選ばれた人です)。

第15節、天使が生まれてくる子どもについて説明します。「彼は主の目の中にすぐれた者となるからです。彼はぶどう酒にも他のアルコールにも決して触れてはいけません。彼は誕生の前から聖霊に満たされます」。ヨハネと名付けられるその子どもは「主の目の中にすぐれた者となる」のです。すごいことです。神さまを裏切ってばかりの私たち人間の中にあって、いったいどのような人間が神さまの目の中ですぐれた者となり得るのでしょうか。それはきっとこれから私たちがヨハネについて読んでいけばわかるのでしょう。

「彼はぶどう酒にも他のアルコールにも決して触れてはいけません」は旧約聖書の「Numbers(民数記)」に登場する「ナジル人の誓願」を思い出させます。Numbers 6:1-8(民数記第6章第1~8節)です。「1 主はモーセに告げて仰せられた。2 「イスラエル人に告げて言え。男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、3 ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。4 彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。5 彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。6 主のものとして身を聖別している間は、死体に近づいてはならない。7 父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らのため身を汚してはならない。その頭には神の聖別があるからである。8 彼は、ナジル人としての聖別の期間は、主に聖なるものである」([新改訳])。「ナジル人の誓願」はこの後も第28節まで続くのですが、「ナジル人」とは特別な誓いを立てて神さまのための存在となる人のことのようで、ナジル人となるための要件がここに書かれています。ザカリヤ夫婦に生まれるヨハネも「主の目の中にすぐれた者となる」ということは神さまのために働く存在となるのでしょうから、ナジル人と同様に特別に聖別される必要があるのでしょう。

第15節の最後の「彼は誕生の前から聖霊に満たされます」もすごい記述です。「聖霊」は「父なる神さま」と「子なるイエスさま」と共に「三位一体」説を形作る要素のひとつです。「三位一体」説は「神さま」「イエスさま」「聖霊」は三つのようで一つ、一つのようでいて三つ、神さまとはそのような存在だ、という考え方です。

ヨハネは誕生の前から、そのうちのひとつ「聖霊」に満たされているのです。「聖霊」はイエスさまの十字架のイベントを境にして聖書の中で役目が変わっています。聖霊はイエスさまが十字架死~復活を経て天へ戻るとき、イエスさまがもう一度地上に戻ってくる日まで、イエスさまの代わりとして地上に降りてきて、神さまを信じる人ひとりひとりの中に宿るようになりました。が、ヨハネはイエスさまが誕生する前から聖霊に満たされるのです。何と言う特別な存在なのでしょうか。

第16節~第17節ではヨハネについて、「そして彼は多くのイスラエル人を神さまである主に向かせます。彼はエリヤの霊と力を持つ人となります。彼は主の到来のために人々を用意するのです。彼は父たちの心を子どもたちに向けさせ、反抗的な人たちには信仰の厚い人たちの知恵を受け入れさせるのです」と結ばれます。この部分は旧約聖書の最後の本、「Malachi(マラキ書)」の一番最後の部分、つまり当時のユダヤ人たちが神さまの言葉として書き留められた「預言書」の一番最後の言葉と考えている部分を想起させます。これはイエスさまの時代から約400年前に書かれた言葉です。Malachi 4:5-5(マラキ書第4章第5~6節)です。「5 見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。6 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ」([新改訳])。

マラキは「主の大いなる恐ろしい日が来る前に預言者エリヤをあなたがたに遣わす」と書いていて、ルカの第17節には「彼はエリヤの霊と力を持つ人となります」とあります。つまりヨハネは、400年前にマラキ書の最後の部分で「遣わす」と予告された「預言者エリヤ」のことなのです。エリヤは旧約聖書に登場するモーゼに並ぶ最強の預言者です。旧約聖書についてモーゼが「律法」を象徴しているとすれば、エリヤは「預言」部分を象徴しています。エリヤは数々の奇跡の業を行いましたが、最後には火の馬が引く火の戦車によって死を体験することなく天へと迎えられました。旧約聖書の中で死を体験することなく天へ迎えられたのは、預言者エリヤと、ノアの曾祖父であるエノクの二人だけです。洗礼者ヨハネは預言者エリヤ本人ではなく、エリヤの霊と力を持つ存在としてイスラエルに現れるのです。これがマラキの予告の実現となります。

なぜ洗礼者ヨハネはイスラエルに現れなければならなかったのでしょうか。それはマラキの預言によれば「それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ」ということになります。つまりもしヨハネが来なければ、最終的に「わたし=神さま」が呪いで地上を打ち滅ぼすような事態になったと言うことです。ヨハネはイエスさまの先駆者として道を整え、イエスさまが世の中に登場します。そのイエスさまは神さまの意図に沿って十字架にかかり、イエスさまの流した血によって神さまと人間の間の不和は完全に和解します。事態はまったくマラキの預言どおりに運んだのです。

第18節、ザカリヤは天使の言葉を素直に受け入れることができません。自分たち夫婦はすでに老齢で、妻のエリザベツはもう長い間子どもができなかったのです。だから天使に告げられた言葉はうれしかったのですが、ザカリヤは、何かの手段でそれを確証できないか、何か証拠のようなものはもらえないかと、ついきいてしまったのでしょう。

すると第19節、天使が言います。「私はガブリエルです。私は神さまの面前に立つ者です。私を遣わして、この良い知らせをあなたに届けさせたのは神さまなのです」。旧約聖書に個人名で登場する天使は二人だけです。共に「Daniel(ダニエル書」)に登場するミカエルとガブリエルです。ここに表れたのはそのうちのひとり、ガブリエルということになります。

ガブリエルは「私は神さまの面前に立つ者です。私を遣わして、この良い知らせをあなたに届けさせたのは神さまなのです」と言いました。神聖である神さまは嘘をつくことはできません。だから神さまの言うことはすべてそのまま実現します。神さまがこうだ、と言えば、それ以上もそれ以下もないのです。ガブリエルが告げたことは「明日の朝、日が昇ります」と言われたのと同じ位確かなことなのです。

実は神さまを信じる、信仰を持つ、というのはそういうことです。神さまが存在すること、神さまが自分を愛してくださることを「明日の朝、日が昇る」とか「月は地球を回る」のと同じレベルで信じることなのです。これができない人を見て神さまはガッカリされますから、きっと神さまは四六時中、ガッカリのし通しです。人が神さまをガッカリさせることを「罪(sin)」と言います。果たして「罪」を犯さない人が世の中にどれだけいるでしょうか。

もうひとつ。自分の信仰の弱いことを嘆く人がいます。もし神さまと自分の関係が、自分が神さまを信じる気持ちに依存するのだとしたらそれほど恐ろしいことはありません。でも聖書に書かれている「救い」や「契約」は、いつも神さまが人間に対して一方的に行うものです。全知全能であり、変わることのない神さまが、私たちを一方的に愛し、無条件で私たちに救いの手を差し伸べてくださるのです。なんとありがたいことでしょうか。神さまは私たちの信仰の弱さを、グラグラと揺れる私たちを見て悲しみ嘆くかも知れませんが、だからといってそれによって神さまとの私たちの関係が絶たれてしまうことはありません。福音書の中でも十二使徒の中のリーダー格のペテロはグラグラと不安定に揺れ動きます。イエスさまはそれを見て嘆き、ときに叱責さえしますが、それによってイエスさまの愛が失われたり、差し引かれるようなことはありません。私たちを愛し、私たちをガッチリと捕まえていてくださるのは神さまなのです。

ザカリヤは求めてはならない確証を求めたので、ガブリエルの怒りを買い、子どもが生まれるまでの間、罰としてしゃべれなくされてしまいます。

第21節、表ではたくさんの人々がザカリヤが出てくるのを待っていました。その間、人々は伝統的に旧約聖書の「Number 6:22-26(民数記第6章第22~26節)」に書かれている祝福の言葉を唱えていたようです。「22 ついで主はモーセに告げて仰せられた。23 「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。24 『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。25 主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。26 主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』」([新改訳])。

第22節でようやく出てきたザカリヤは口をきくことができません。人々はザカリヤの様子から、ザカリヤが聖域で「幻(vision)」を見たのだと考えます。「vision」を英和辞典で引いてもあまり良い訳が見つかりませんが、たとえばMerriam Websterの英英辞典を引くと一番最初の項目が「something seen in a dream, trance, or ecstasy; especially : a supernatural appearance that conveys a revelation(拙訳:夢、トランス状態、法悦状態の中で見るもの。啓示をもたらす超自然的な出現)」となっています。日本語で「幻を見た」というと「非現実的なものを見た」みたいなイメージに受け取られがちですが、英英辞典を使って解釈すると英語圏の人はここを読んで「トランス状態(=入神状態・恍惚状態)に陥って何か神がかった存在を見た」と受け取っていることになります。

ザカリヤが一週間の寺院での勤めを終えて家に帰ると、天使の予告どおりに妻のエリザベツが妊娠します。エリザベツが子どもを授かるタイミングは神さまが計画されたものです。私たちは自分に巡ってくる運命をときに「早い」とか「遅い」とか評価しますが、神さまの計画はいつも深淵で完璧なのです。早すぎることも遅すぎることもありません。

なぜ私たちは「早い」とか「遅い」とか、そういう評価をするのでしょうか。それは私たちが「期限」を決めて生きているからです。20歳になるまでにはこうしたい。学校を出るまでにはこうしたい。30歳になるまでにはこうしたい。これは全部、「死ぬ」ことを前提にした寿命の中での「期限」です。神さまは時間も空間も超越した存在です。神さまにはどんな意味に於いても始まりも終わりもありません。エリザベツが子どもを授かったタイミングは果たして「遅い」のでしょうか。もしザカリヤもエリザベツも「死なない」のだとしたらどうでしょうか。ザカリヤもエリザベツも、私たちの考える意味で、ある日「死」を迎えるのかも知れません。しかしもしそれですべてが終わりではなくて、「その後」があったらどうでしょうか。聖書には私たちが「死なない」という想定で読むと意味を持ち始めることがたくさん書かれています。聖書は「これってもしかして人間は死なないってことじゃない?」と思わされることだらけなのです。

第25節でエリサベツが言います。「主はなんと思いやりのある方なのでしょうか。私に子どもがいないという不名誉を取り除いてくださいました」。つまり子どもができない、ということは当時、いまから2000年ほど前のユダヤ人の間では「不名誉」なことだったのですね。女性の社会的な地位が確立したのはつい最近のできごとです。当時のイスラエルでは女性の立場は大変低いものでした。日本でも慣習的に長い間、不妊の原因は女性の側にあるとして長期間妊娠できない女性が夫や家族から離縁されることを容認する歴史を持っています。そのような話を本で読んだり映画で見ることは珍しいことではありませんから、2000年前のイスラエルに似たような文化があったと想像することは難しくないかも知れません。子どものできないエリザベツは社会的に差別される立場にあったのです。






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ルカの福音書第1章第26節~第38節:イエスさまの誕生が予告される

第1章


 
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Birth of Jesus Foretold

イエスさまの誕生が予告される


26 In the sixth month of Elizabeth’s pregnancy, God sent the angel Gabriel to Nazareth, a village in Galilee,

26 エリサベツが妊娠して六か月目に、神さまは天使のガブリエルをガリラヤのナザレという村に派遣しました。

27 to a virgin named Mary. She was engaged to be married to a man named Joseph, a descendant of King David.

27 マリヤという処女のところへです。マリヤはヨセフという、ダビデ王の子孫の男性と結婚する約束になっていました。

28 Gabriel appeared to her and said, “Greetings, favored woman! The Lord is with you! Blessed are you among women.”

28 ガブリエルはマリヤに現れて言いました。「こんにちは、恵まれた方。主があなたとともにおられます。あなたは女性の中で特に祝福された方です。」

29 Confused and disturbed, Mary tried to think what the angel could mean.

29 マリヤは混乱して動揺し、天使が何を言おうとしているのか考えようとしました。

30 “Don’t be afraid, Mary,” the angel told her, “for you have found favor with God!

30 天使がマリヤに言いました。「恐れることはありませんよ、マリヤ。あなたは神さまに目をかけられたのです。

31 You will conceive and give birth to a son, and you will name him Jesus.

31 あなたは妊娠し、男の子を産みます。あなたはその子をイエスと名付けます。

32 He will be very great and will be called the Son of the Most High. The Lord God will give him the throne of his ancestor David.

32 彼はとても偉大な存在となり、最も高き方の息子と呼ばれます。主である神さまは彼に祖先のダビデの王位を与えるのです。

33 And he will reign over Israel forever; his Kingdom will never end!”

33 そして彼は永遠にイスラエルを治めるのです。彼の王国は終わることがありません。」

34 Mary asked the angel, “But how can this happen? I am a virgin.”

34 マリヤは天使にたずねました。「ですがどのようにしてそんなことが起こるのでしょうか。私は処女なのです。」

35 The angel replied, “The Holy Spirit will come upon you, and the power of the Most High will overshadow you. So the baby to be born will be holy, and he will be called the Son of God.

35 天使は答えました。「聖霊があなたの上に来て、最も高き方の力があなたに投げかけられます。ですから生まれる赤子は神聖であり、彼は神の子と呼ばれるのです。

36 What’s more, your relative Elizabeth has become pregnant in her old age! People used to say she was barren, but she has conceived a son and is now in her sixth month.

36 いいですか。あなたの親類のエリサベツは老齢で妊娠しました。人々は不妊だと言っていたのに、彼女は息子を妊娠し、もう六か月です。

37 For nothing is impossible with God.”

37 なぜなら神さまに不可能なことはひとつもないのです。」

38 Mary responded, “I am the Lord’s servant. May everything you have said about me come true.” And then the angel left her.

38 マリヤは答えました。「私は主のしもべです。あなたが私について言ったことすべてが本当になりますように。」 そして天使はマリヤの元を去りました。




ミニミニ解説

「ルカの福音書」の第1章です。

前回、天使ガブリエルが聖域の中にいたザカリヤに現れ、妻のエリザベツに洗礼者ヨハネが生まれると予告しました。エリザベツは老齢で、それまで不妊でしたが、天使の予告どおりに妊娠しました。

今回、同じ天使のガブリエルはガリラヤのナザレに住むマリヤの元へ派遣されました。ガリラヤは南北に長いイスラエルの北部の地方で、ガリラヤ湖の南西15キロのあたりにあります。当時の人口はせいぜい数百人程度の村だと思われます。

第28節のガブリエルの言葉は[新改訳]では「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。あなたはどの女よりも祝福された方です」となっていますが、[NLT]では「Greetings, favored woman! The Lord is with you! Blessed are you among women.」です。私が一番最初に英語で聖書を読んだとき、ガブリエルのこの言葉が心に残りました。日本語で書くと重々しい言葉が、英語で書かれるとなんとも軽やかで、とにかくわかり易かったからです。私にこれが聖書なのか、この福音書を最後まで英語で読んでみたい、と思わせた言葉のひとつです。

第27節、「マリヤはヨセフという、ダビデ王の子孫の男性と結婚する約束になっていました」とあります。新約聖書には家系図が二カ所、登場します。最初の家系図は新約聖書の冒頭、Matthew 1:1-17(マタイの福音書第1章第1~17節)で、ここにはユダヤ人の祖、アブラハムからイエスさまに至る家系図が書かれています。

「1 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。2 アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、3 ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ、パレスにエスロンが生まれ、エスロンにアラムが生まれ、4 アラムにアミナダブが生まれ、アミナダブにナアソンが生まれ、ナアソンにサルモンが生まれ、5 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、6 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、7 ソロモンにレハブアムが生まれ、レハブアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ、8 アサにヨサパテが生まれ、ヨサパテにヨラムが生まれ、ヨラムにウジヤが生まれ、9 ウジヤにヨタムが生まれ、ヨタムにアハズが生まれ、アハズにヒゼキヤが生まれ、10 ヒゼキヤにマナセが生まれ、マナセにアモンが生まれ、アモンにヨシヤが生まれ、11 ヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。12 バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、13 ゾロバベルにアビウデが生まれ、アビウデにエリヤキムが生まれ、エリヤキムにアゾルが生まれ、14 アゾルにサドクが生まれ、サドクにアキムが生まれ、アキムにエリウデが生まれ、15 エリウデにエレアザルが生まれ、エレアザルにマタンが生まれ、マタンにヤコブが生まれ、16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。17 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる」([新改訳])。 途中、第6節に「エッサイにダビデ王が生まれた」と書かれている部分があり、第16節には「ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた」とありますから、マリヤの婚約者のヨセフはダビデ王の家系であることが分かります。

もう一つの家系図は、Luke 3:23-38(ルカの福音書第3章第23~38節)です。こちらはイエスさまから一番最初の人間であるアダムまで遡る形の家系図になっています。 「23 教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、24 マタテの子、レビの子、メルキの子、ヤンナイの子、ヨセフの子、25 マタテヤの子、アモスの子、ナホムの子、エスリの子、ナンガイの子、26 マハテの子、マタテヤの子、シメイの子、ヨセクの子、ヨダの子、27 ヨハナンの子、レサの子、ゾロバベルの子、サラテルの子、ネリの子、28 メルキの子、アデイの子、コサムの子、エルマダムの子、エルの子、29 ヨシュアの子、エリエゼルの子、ヨリムの子、マタテの子、レビの子、30 シメオンの子、ユダの子、ヨセフの子、ヨナムの子、エリヤキムの子、31 メレヤの子、メナの子、マタタの子、ナタンの子、ダビデの子、 32 エッサイの子、オベデの子、ボアズの子、サラの子、ナアソンの子、33 アミナダブの子、アデミンの子、アルニの子、エスロンの子、パレスの子、ユダの子、34 ヤコブの子、イサクの子、アブラハムの子、テラの子、ナホルの子、35 セルグの子、レウの子、ペレグの子、エベルの子、サラの子、36 カイナンの子、アルパクサデの子、セムの子、ノアの子、ラメクの子、37 メトセラの子、エノクの子、ヤレデの子、マハラレルの子、カイナンの子、38 エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である」([新改訳])。途中の第31節の終わりに「ダビデの子」とあるのがダビデ王です。マタイの家系図ではダビデ王の血筋はソロモンから続きますが、ルカの家系図では第31節の「ダビデの子」の前にあるのは「ナタンの子」となっていて血筋はナタンから続いています(ソロモンとナタンが兄弟と言うことです)。 これについては第23節の終わりにある「このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって」の「ヘリ」はヨセフの義父、つまりマリヤの父親のことであり、これはマリヤ側の家系図なのだろうと考えられています。

マリヤとヨセフは結婚する約束になっていた、と書かれていますが、家系や血筋を重んじるユダヤ人の婚約や結婚は、今日の私たちが考えるそれとはまったく意味が異なります。ユダヤ民族の婚約は法的な拘束力を持ちましたので、今日の結婚と同等ですし、もし婚約しているマリヤが妊娠すれば、それは「不義」と解釈されます。

旧約聖書の律法によれば不義は死刑です。Deuteronomy 22:22-23(申命記第22章第22節~第23節)です。「22 夫のある女と寝ている男が見つかった場合は、その女と寝ていた男もその女も、ふたりとも死ななければならない。あなたはイスラエルのうちから悪を除き去りなさい。23 ある人と婚約中の処女の女がおり、他の男が町で彼女を見かけて、これといっしょに寝た場合は、24 あなたがたは、そのふたりをその町の門のところに連れ出し、石で彼らを打たなければならない。彼らは死ななければならない。これはその女が町の中におりながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい」([新改訳])。 ですからマリヤが最後の第38節で、「私は主のしもべです。あなたが私について言ったことすべてが本当になりますように」と告げたときの覚悟は大変な決心を伴ったのです。

ガブリエルがマリヤに告げます。第28節では「こんにちは、恵まれた方。主があなたとともにおられます。あなたは女性の中で特に祝福された方です」と言い、第30節では「恐れることはありませんよ、マリヤ。あなたは神さまに目をかけられたのです」と言っています。 マリヤは神さまから特別な祝福を受け、目をかけられているのですね。ところがこれから後のマリヤの人生はどうなるでしょうか。まずは妊娠について不義の疑いをかけられ、親戚や知り合いからは白い目で見られます。イエスさまが30歳になるまではどのような様子であったかはほとんど書かれていませんが、30歳になると伝道の活動で家を空けるようになります。マリヤがこのことをよく思っていなかったことは、伝道の現場へイエスさまを連れ戻しに現れることからわかります。そしてイエスさまは最終的には反逆罪の判決を受け、人々前に十字架にはりつけにされて、苦しみもがき、殺されてしまうのです。これを目撃する母親の気持ちとはどういうものなのでしょうか。

神さまから特別な祝福を受けて目をかけられることは、必ずしも私たちの目で見たときに安定した生活とか、裕福な暮らしとか、平安な毎日とか、そういうことに直結するわけではないようです。マリヤはイエスさまの十字架の後に立ち上がった初期の教会に参加していたことが書かれていますから、最後にはイエスさまの十字架の意味を理解したのかも知れません。また自分がイエスさまの母親として神さまから選ばれたことの意味を考えたのかも知れません。

いずれにしても神さまの祝福の意味はとても深淵なので私たちにはそうそう理解できるものではないようです。またよく考えてみると、私たちがどれほどの祝福や加護を神さまから受けて毎日を過ごせているか、私たちはそれらを当たり前のように受け取っていて特別に意識することもありません。神さまは私たちを愛し、私たちのことを考え、私たちの知らないところで本当にたくさんのことをされているのだと思います(もちろん全知全能の方なのですから、それを何の苦労もなく、さらりとされているのでしょうが)。 私たちに求められているのは、神さまの存在を信じ、神さまが私たちのことを考えてすべてをコントロールされていることを信じ、毎日どころか、いつも四六時中神さまを褒め称え賛美し、神さまに祝福と加護を頼み感謝して、その一方で自分がどれほどそれらを受ける資格がないかを自覚して、素直に真摯に謝罪する、そういう姿勢なのだと思います。

第31節、ガブリエルは「あなたはその子をイエスと名付けます」と言います。この「イエス」という名前は特別な名前ではなくて、ユダヤ人の間ではありふれた名前なのだそうです。また「イエス」はギリシア語表記で、同じ名前をヘブライ語で表記すると「ヨシュア」となります。旧約聖書ではモーゼを引き継いでユダヤ人のリーダーとなり、最終的にユダヤ民族をパレスチナに到達させたヒーローがヨシュアです。 「イエス」「ヨシュア」の言葉は「主は救う」と言う意味だそうで、ヨシュアが最終的にユダヤ人を約束の地に到達させたように、イエスさまは私たち人間を最終的に天国に到達させてくださいます。聖書はこのように同じイベントが繰り返す形で形成されているようで、先に起こったイベントを音から起こったイベントの「型」と呼ぶようです。

第32節、神さまはイエスさまに「ダビデの王位」を与える、とあります。神さまは預言者ナタンを通じてダビデ王に次の言葉を伝えています。2 Samuel 7:12-14(サムエル記第2第7章第12~14節)です。「12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。14 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。15 しかし、わたしは、あなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。16 あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」([新改訳])。 ここはダビデの王座が永遠に続くことを神さまが約束した箇所とされています。イスラエルはダビデの跡継ぎのソロモンの時代に史上最大の栄華を誇りますが、王座は永遠には続きませんでした。だとすると「とこしえまでも堅く立つ」と約束された王座は、ソロモンの王座とは別のものだったと解釈されるのです。

第34節で、マリヤがガブリエルに「どうして自分は処女なのに妊娠できるのか」とたずねると、ガブリエルは第37節で「なぜなら神さまに不可能なことはひとつもない」と答えます。神さまはどんなことでも実現できます。私たちが不可能と考えることでも実現できるのです。

同じことは別の箇所でも言われます。たとえばMatthew 19:23-26(マタイの福音書第19章第23~26節)では、イエスさまが「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」と言うので、弟子たちはそれでは誰が救われるのか、とたずねる場面です。「23 それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。25 弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるのでしょう。」 26 イエスは彼らをじっと見て言われた。「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」([新改訳])。

アブラハムの妻サラが、90歳で妊娠するときにも同じことが言われます。Genesis 18:914(創世記第18章第9~14節)です。ここに登場する「彼ら」は神さまの使い、つまり天使です。「9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます」と答えた。10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」 13 そこで、主がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。14 主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている」([新改訳])。

第36節ではガブリエルが「あなたの親類のエリサベツは老齢で妊娠しました」と言っています。マリヤとエリザベツは親類なのです。ということはイエスさまと洗礼者ヨハネも親類と言うことになります。

第38節でマリヤは大変な決心でガブリエルの言葉を受け入れます。「私は主のしもべです。あなたが私について言ったことすべてが本当になりますように」。このように声に出して神さまに対して忠誠を誓うことはとても大切なことです。

実はガブリエルはマリヤの夫、ヨセフのところにも現れているのです。その様子はMatthew 1:18-25(マタイの福音書第1章第18~25節)に書かれています。「18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) 24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた」([新改訳])。 マリヤの夫のヨセフはマリヤの妊娠を知ると、それは自分には身に覚えのない妊娠だったので、マリヤを訴えて死罪にすることもできたのですが、マリヤのことを考えて秘密裏に去らせようと考えていたのです。そこに現れてヨセフにイエスさまのことを告げた天使は、マリヤのところに現れたのと同じガブリエルと考えるのが自然でしょう。






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