ピリピ人への手紙

2015年05月11日

ピリピ人への手紙第2章第1節~第18節:キリストの姿勢を持つ、キリストのために明るく輝く

ピリピ人への手紙 第2章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Have the Attitude of Christ

キリストの姿勢を持つ

1 Is there any encouragement from belonging to Christ? Any comfort from his love? Any fellowship together in the Spirit? Are your hearts tender and compassionate?

1 キリストに属することで励ましはありますか。キリストの愛の慰めはありますか。霊に於ける親交はありますか。あなた方の心は優しく情け深いですか。

2 Then make me truly happy by agreeing wholeheartedly with each other, loving one another, and working together with one mind and purpose.

2 そうであれば、互いに心から仲良くし、互いに愛し合い、心と目的を一つにして共に働いて、私を本当に幸せにしてください。

3 Don’t be selfish; don’t try to impress others. Be humble, thinking of others as better than yourselves.

3 利己的であってはいけません。他者に見栄を張ろうとしてはいけません。自分自身よりも他者を優れたものと考えて謙虚になりなさい。

4 Don’t look out only for your own interests, but take an interest in others, too.

4 自分の利害だけを追求するのではなく、他の人にも関心を持ちなさい。

5 You must have the same attitude that Christ Jesus had.

5 あなた方はイエス・キリストと同じ姿勢を持たなければなりません。

6 Though he was God, he did not think of equality with God as something to cling to.

6 イエスさまは神さまでしたが、神さまと同等であることにしがみつこうとは考えませんでした。

7 Instead, he gave up his divine privileges; he took the humble position of a slave and was born as a human being. When he appeared in human form,

7 代わりにイエスさまは神としての特権を放棄し、奴隷としての謙虚な地位を選び、人として生まれました。イエスさまが人の姿をもって現われたときには、

8 he humbled himself in obedience to God and died a criminal’s death on a cross.

8 イエスさまは神さまに従順となってかしこまり、十字架で罪人として死にました。

9 Therefore, God elevated him to the place of highest honor and gave him the name above all other names,

9 それゆえに神さまは、イエスさまを最高の名誉の場所へと引き上げ、すべての名に勝る名前を与えました。

10 that at the name of Jesus every knee should bow, in heaven and on earth and under the earth,

10 それはイエスさまの名前によって、天でも地でも地中でも、すべての存在が膝を折り、

11 and every tongue declare that Jesus Christ is Lord, to the glory of God the Father.

11 すべての口がイエス・キリストが主であると宣言して、父なる神さまに栄光を帰すためです。



Shine Brightly for Christ

キリストのために明るく輝く


12 Dear friends, you always followed my instructions when I was with you. And now that I am away, it is even more important. Work hard to show the results of your salvation, obeying God with deep reverence and fear.

12 親愛なる友人たち、あなた方は私が共に居たときにはいつも私の教えに従いました。いま私が離れているときには、それがもっと大切です。あなた方の救いの成果を示すために、深い敬意と畏れをもって神さまに従い、一生懸命働きなさい。

13 For God is working in you, giving you the desire and the power to do what pleases him.

13 なぜなら神さまはあなた方の中で働いて、神さまを喜ばせることをしたいと思う欲求と力を与えています。

14 Do everything without complaining and arguing,

14 何事も不満を言ったり、論じることなく行いなさい。

15 so that no one can criticize you. Live clean, innocent lives as children of God, shining like bright lights in a world full of crooked and perverse people.

15 そうすれば誰もあなたを批判できません。不正直でひねくれた人で一杯の世の中で、明るい光のように輝き、神さまの子供として公明に潔白に歩みなさい。

16 Hold firmly to the word of life; then, on the day of Christ’s return, I will be proud that I did not run the race in vain and that my work was not useless.

16 いのちのことばにしっかりとつかまりなさい。そうすればキリストが戻る日に、私が走ったレースは無駄ではなく、私の仕事は無益ではなかったと、私は自慢できます。

17 But I will rejoice even if I lose my life, pouring it out like a liquid offering to God, just like your faithful service is an offering to God. And I want all of you to share that joy.

17 しかし、あなた方の忠実な奉仕が神さまへの捧げ物であるのと同じように、たとえ私が神さまに捧げる液体の捧げ物を注ぎ出すように自分のいのちを失うとしても私は喜びます。

18 Yes, you should rejoice, and I will share your joy.

18 そうです。あなた方も喜んでください。私はあなた方と喜びを分かち合います。




ミニミニ解説

「Philippians(ピリピ人への手紙)」の第2章です。

第2章はピリピの教会を励ます言葉から始まります。この章の前半部分は、すべてのクリスチャンを励ます素晴らしい言葉になっています。

第1節、まずパウロはピリピの教会にたずねます。イエスさまを信じることで励ましはあるか。イエスさまの愛による慰めがあるか。霊による他の信者との親交はあるか。自分たちの心は優しく情け深いか。

第2節~第5節は、パウロがピリピの教会に送る励ましの言葉です。クリスチャンは互いに心から仲良くし、互いに愛し合い、心と目的を一つにして共に働かなければなりません。

他の教会の手紙にも書かれていたように、人が集えば必ずそこには内紛が生じます。しかしもし信者たちが福音を伝えたパウロを愛し、パウロの幸せを願うならば、自分たちの教会の心と目的を一つにすることで、パウロの命がけの闘争に報いなければなりません。内紛は利己的であることや、他者に対する見栄から始まります。これは自分を謙虚にして、どのような他者も自分より優れたものと考えることで避けられるのです。自分の利害だけを追求するのではなく、他の人の視点に立ち、他者の考え方にも関心を持つことが必要なのです。つまりクリスチャンは自分の利害よりも、神さまの意志を尊重したイエスさまと同じ姿勢を持たなければならないのです。

第6節~第11節は、この手紙の中で、また新約聖書全体でも大変重要な箇所です。この部分はイエスさまが誰かを説明していますが、これはパウロ自身の筆ではなく、当時の多くのクリスチャンによって共有され、各教会の集会で声を合わせて唱えられていたような、そういう文章であることが確認されているからです。

第6節~第7節、「イエスさまは神さまでしたが、神さまと同等であることにしがみつこうとは考えませんでした。代わりにイエスさまは神としての特権を放棄し、奴隷としての謙虚な地位を選び、人として生まれました。」 

まずイエスさまは、ある日普通の人間として生まれた誰かが、自分の努力によって自分の利害よりも神さまの意志を尊重することを貫き、そうやって最後に十字架にかかったことで、神さまから選ばれ、認められた人ではありません。イエスさまはもともと神さまとして天に存在していたのです。その方が、神さまとしてのあらゆる特権を放棄して無力な人の姿をとって地上に立ったのです。それが神さまの意志だからです。人間は、自分から道を外れて神さまの庇護の下から追い出されました。そういう愚かな人間を救済して自分のところへ帰れるようにするためには、神さまの側からの犠牲が必要であると神さまが慈悲深く計画したのです。イエスさまは神でありながら、自分自身がその神さまの計画を実行しようと考え、その通りに歩んだ方なのです。

第7節~第8節、「イエスさまが人の姿をもって現われたときには、イエスさまは神さまに従順となってかしこまり、十字架で罪人として死にました。」

ひとりの人間の姿をとったイエスさまは、神さまに従順な奴隷として神さまの意志に従い、罪人としての判決を受けて十字架にかかって死にました。

第9節、「それゆえに神さまは、イエスさまを最高の名誉の場所へと引き上げ、すべての名に勝る名前を与えました。」

神さまはイエスさまの決断と行動のゆえに、イエスさまを天の自分の右にある最高の名誉の場所へと引き上げ、イエスさまの名前をすべての名に勝る名前としました。

第10節~第11節、「それはイエスさまの名前によって、天でも地でも地中でも、すべての存在が膝を折り、すべての口がイエス・キリストが主であると宣言して、父なる神さまに栄光を帰すためです。」

それはなぜか。それは「終わりの日」に王として再来するイエスさまの名前を聞くとき、天と地と地中に存在するすべての者、つまり天使と、そのときに地上に生きる人間と、死んで復活を待つ人間の全存在が、イエスさまを畏れ、ひざまずき、額を地にこすりつけ、「イエスさまこそが主です」と、自分の口で宣言することによって、すべての栄光が神さまに帰されるように、なのです。

第6節~第11節を[新改訳]でも引用しておきます。

「6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ、8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、11 すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」([新改訳]) 。

第12節~第13節、パウロはピリピの信者たちが自分から遠く離れているいまだからこそ、救いの結実を示すときだと言います。だから神さまを敬い、そして神さまを畏れ、一生懸命に働きなさいと言います。それは神さまがピリピの信者たちに働きかけ、神さまを喜ばせることをしたいと思う気持ちと、それを実行する力を与えているからです。

第14節~第15節、パウロは何があっても不満を言ったり、文句をブツブツと言ってはいけないと言います。不満や文句が常に災いの種なのです。否定的なことを口にしなければ、誰もその人を批判できません。世の中は不正直でひねくれた人で一杯です。その中で聖霊を宿したクリスチャンは、明るい光のように輝き、神さまの子供として公明に潔白に歩まなければなりません。

第16節、パウロは「いのちのことば」、福音にしっかりとつかまるように言います。そうすればイエスさまが再来される「終わりの日」に、パウロは自分が福音を伝えた信者たちを、これが自分が走ったレースの成果であると自慢することができます。

第17節~第18節、パウロは苦難の末に、まるで神さまに捧げられる捧げ物のように、自分のいのちが失われることになっても、それを喜ぶと言います。パウロはこのエペソでの投獄を境にして、もしかするとイエスさまは自分が生きている間には再来せず、イエスさまが再来する「終わりの日」には、自分は死者の中からよみがえるグループに入る、そういう可能性を考え始めたようです。つまりエペソの投獄はそれほど過酷だったということでしょう。






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ピリピ人への手紙:第2章第19節~第30節:パウロがテモテを推薦する、パウロがエパフロデトを推薦する

ピリピ人への手紙 第2章



Paul Commends Timothy

パウロがテモテを推薦する


19 If the Lord Jesus is willing, I hope to send Timothy to you soon for a visit. Then he can cheer me up by telling me how you are getting along.

19 もし主イエスさまが望むなら、私はテモテにあなた方を訪問させたいと望んでいます。そうすればテモテはあなた方がどうしているかを伝えて私を励ましてくれます。

20 I have no one else like Timothy, who genuinely cares about your welfare.

20 私はテモテのように心からあなた方の幸せを気にかける人を他に知りません。

21 All the others care only for themselves and not for what matters to Jesus Christ.

21 他の人たちはみな自分たち自身のことだけを気にかけて、イエス・キリストにとって何が重要であるかを気にしません。

22 But you know how Timothy has proved himself. Like a son with his father, he has served with me in preaching the Good News.

22 しかしあなた方はテモテがどのように自分自身を証明したかを知っています。父と共にいる息子のように、テモテは良い知らせを伝道する活動で私と共に働いてきました。

23 I hope to send him to you just as soon as I find out what is going to happen to me here.

23 私がここでどうなるのかがわかりしだい、私はテモテをあなた方へ送りたいと望んでいます。

24 And I have confidence from the Lord that I myself will come to see you soon.

24 そして私自身も早くにあなた方に会いに行けると、主から確信を得ています。



Paul Commends Epaphroditus

パウロがエパフロデトを推薦する


25 Meanwhile, I thought I should send Epaphroditus back to you. He is a true brother, co-worker, and fellow soldier. And he was your messenger to help me in my need.

25 それまでは私はエパフロデトをあなた方のところへ送り返そうと思いました。エパフロデトは真の兄弟であり、協力者であり、戦友です。またエパフロデトは私が必要としていたときに助けてくれたあなた方の使者でした。

26 I am sending him because he has been longing to see you, and he was very distressed that you heard he was ill.

26 私がエパフロデトを送るのは彼があなた方に会いたがっていたからです。そしてエパフロデトは彼が病気だったことがあなた方に伝わったことで大変苦しんでいました。

27 And he certainly was ill; in fact, he almost died. But God had mercy on him -- and also on me, so that I would not have one sorrow after another.

27 エパフロデトは確かに病気だったのです。実際、死にかけました。しかし神さまが彼と、そして私にも慈悲をかけてくださり、悲しみが重ならずに済みました。

28 So I am all the more anxious to send him back to you, for I know you will be glad to see him, and then I will not be so worried about you.

28 それで私はますますエパフロデトをあなた方のところへ送り返したいのです。私はあなた方が彼に会って喜ぶことを知っています。そして私もあなた方のことをそれほど心配しなくてもよくなります。

29 Welcome him in the Lord’s love and with great joy, and give him the honor that people like him deserve.

29 主の愛と大きな喜びでエパフロデトを迎えてください。そして彼のような人が受けるにふさわしい栄誉を彼に与えてください。

30 For he risked his life for the work of Christ, and he was at the point of death while doing for me what you couldn’t do from far away.

30 なぜならエパフロデトはキリストの仕事のために自分のいのちを危険にさらし、遠く離れているあなた方ができないことを私のためにしているときに、死の間際にいたのです。




ミニミニ解説

「Philippians(ピリピ人への手紙)」の第2章です。


第19節~第24節、パウロはここで、投獄されている自分の代わりにテモテをピリピへ派遣すると言い、テモテを推奨します。パウロはテモテを自分の息子のように考えています。

第25節~第30節には、エパフロデトと言う人物について書かれています。

第25節には、エパフロデトは私が必要としていたときに助けてくれたあなた方の使者でした、と書かれていますから、エパフロデトはピリピから獄中のパウロを訪ねて来た信者で、パウロの必要を満たしてくれたのです。この必要とは、恐らく金銭的な必要のことだと思います。エパフロデトは真の兄弟であり、協力者であり、戦友なのです。恐らく最初にパウロがピリピを訪れたときに福音を受け入れた信者のひとりであり、そのとき以来のつきあいなのでしょう。

パウロは最初はエパフロデトを自分の使者としてピリピに送り返そうと考えていました。

第26節、ところがどうやらその計画は叶わないことになりました。エパフロデトはどうやらエペソで病気になり、またそのことがピリピに伝わって、ピリピの教会に心配を掛けたことでエパフロデトが苦しんだのです。

第27節、エパフロデトは死にかけるほどの重病だったのですが、神さまへの祈りによって奇跡的な回復をとげました。

第28節、パウロはそういう神さまの奇跡を体験して回復したエパフロデトをいよいよピリピへ送り返そうと考えています。これはピリピに大きな喜びをもたらし、心配の種を減らしてくれます。

第29節~第30節、パウロはピリピの教会に大きな愛と喜びをもってエパフロデトを迎えるようにと伝えます。






english1982 at 21:00|Permalink

ピリピ人への手紙第3章第1節~第21節:キリストを知ることの計り知れない価値、ゴールへ押し寄せる

ピリピ人への手紙 第3章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Priceless Value of Knowing Christ

キリストを知ることの計り知れない価値


1 Whatever happens, my dear brothers and sisters, rejoice in the Lord. I never get tired of telling you these things, and I do it to safeguard your faith.

1 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、何があっても主にあって喜びなさい。私はあなた方にこれを伝えることに飽きることはありません。そして私はこれをあなた方の信仰を守るために行うのです。

2 Watch out for those dogs, those people who do evil, those mutilators who say you must be circumcised to be saved.

2 犬たちに気をつけなさい。邪悪を行う人たちに気をつけなさい。救われるには割礼が必要と言う切断者たちに気をつけなさい。

3 For we who worship by the Spirit of God are the ones who are truly circumcised. We rely on what Christ Jesus has done for us. We put no confidence in human effort,

3 神さまの霊によって礼拝する我々こそが真に割礼を受けている者なのです。私たちはイエス・キリストが私たちのために成したことに頼っています。私たちは人的な努力には信頼を置きません。

4 though I could have confidence in my own effort if anyone could. Indeed, if others have reason for confidence in their own efforts, I have even more!

4 ただし、もし誰かが人的な努力に信頼を置くのなら、私は自分自身の努力に置きます。本当のところ、もし他の人たちが自分の努力に信頼を置く理由があるとしたら、私にはもっとあります。

5 I was circumcised when I was eight days old. I am a pure-blooded citizen of Israel and a member of the tribe of Benjamin -- a real Hebrew if there ever was one! I was a member of the Pharisees, who demand the strictest obedience to the Jewish law.

5 私は生後八日に割礼を受けました。私は純血のイスラエル市民であり、ベニヤミン族のひとりです。本当のヘブル人と言うのがあるとしたら、それです。私はユダヤ律法への最も厳格な服従を求めるファリサイ派の一員でした。

6 I was so zealous that I harshly persecuted the church. And as for righteousness, I obeyed the law without fault.

6 私は熱心のあまり、厳しく教会を迫害しました。正しさの面では、私は落ち度なく律法を守りました。

7 I once thought these things were valuable, but now I consider them worthless because of what Christ has done.

7 私は以前はこういうことに価値があると考えましたが、キリストが成したことによって、いまは無益だと思っています。

8 Yes, everything else is worthless when compared with the infinite value of knowing Christ Jesus my Lord. For his sake I have discarded everything else, counting it all as garbage, so that I could gain Christ

8 そうです。私の主、イエス・キリストを知ることの莫大な価値と比べれば、他のすべてに価値はありません。イエスさまのために私は他のすべてをゴミとみなして捨てました。それは私がキリストを得て、

9 and become one with him. I no longer count on my own righteousness through obeying the law; rather, I become righteous through faith in Christ. For God’s way of making us right with himself depends on faith.

9 キリストとひとつになるためです。私はもはや律法に従うことによる自分自身の正しさに頼ることはありません。それよりもキリストへの信仰を通じて私は正しくなるのです。なぜなら私たちを神さまに対して正しくする神さまの方法は信仰に依存しているからです。

10 I want to know Christ and experience the mighty power that raised him from the dead. I want to suffer with him, sharing in his death,

10 私はキリストを知り、キリストを死者から復活させた強大な力を経験したいと思っています。私はキリストの死を分かち合い、キリストと共に苦しみたいと思っています。

11 so that one way or another I will experience the resurrection from the dead!

11 そうやって何とかして死者からの復活を経験したいのです。



Pressing toward the Goal

ゴールへ押し寄せる


12 I don’t mean to say that I have already achieved these things or that I have already reached perfection. But I press on to possess that perfection for which Christ Jesus first possessed me.

12 私はこれらのことを既に達成したとか、私がすでに完全に到達したと言おうと言うのではありません。しかし私は、イエス・キリストがそのために最初に私を得てくださった、その完全を獲得するために進みます。

13 No, dear brothers and sisters, I have not achieved it, but I focus on this one thing: Forgetting the past and looking forward to what lies ahead,

13 違うのです、親愛なる兄弟たち、姉妹たち、私はまだ達成していないのです。しかし私はこのひとつのことに集中します。過去を忘れて前にあるものを見つめます。

14 I press on to reach the end of the race and receive the heavenly prize for which God, through Christ Jesus, is calling us.

14 私は競走の終わりに到達するために進み、神さまがイエス・キリストを通じて私たちを呼ぶ目的である天国の賞を受けるために進みます。

15 Let all who are spiritually mature agree on these things. If you disagree on some point, I believe God will make it plain to you.

15 霊的に成熟した人はみな、このことに合意しましょう。もし、あなた方がどこかで意見が合わないなら、私は神さまがそれをあなた方に明らかにしてくれると信じます。

16 But we must hold on to the progress we have already made.

16 しかし私たちはすでに達成した前進を手放さずにおかねばなりません。

17 Dear brothers and sisters, pattern your lives after mine, and learn from those who follow our example.

17 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、私の生き方を手本にしてください。そして私たちの例をたどる人たちから学びなさい。

18 For I have told you often before, and I say it again with tears in my eyes, that there are many whose conduct shows they are really enemies of the cross of Christ.

18 というのは私が以前しばしばあなた方に言ったように、そして目に涙をためてもう一度言いますが、本当にキリストの十字架の敵であることを、その行いが示す人たちがたくさんいるのです。

19 They are headed for destruction. Their god is their appetite, they brag about shameful things, and they think only about this life here on earth.

19 彼らは滅びに向かっています。彼らの神は欲望であり、恥ずべきことを自慢します。そして彼らはこの地上での人生だけを考えています。

20 But we are citizens of heaven, where the Lord Jesus Christ lives. And we are eagerly waiting for him to return as our Savior.

20 しかし私たちは主イエス・キリストの住む天国の市民です。そして私たちはキリストが、私たちの救世主として戻ることを心待ちにしています。

21 He will take our weak mortal bodies and change them into glorious bodies like his own, using the same power with which he will bring everything under his control.

21 キリストは私たちの弱く死にゆく身体を取り、すべてを自分の支配下に置くのと同じ力を使って、キリスト自身のような、栄光ある身体へと変えてくださいます。




ミニミニ解説

「Philippians(ピリピ人への手紙)」の第3章です。

この章だけはピリピの教会へ宛てた別のタイミングの手紙がここに編入されているのではないか、と考えられているようです。この章に入ると唐突に内容が警告に変わりますし、言葉からも感情の高ぶりが感じられます。

第2節、パウロは「犬たちに気をつけなさい」と言って、「邪悪を行う人たち」と「救われるには割礼が必要と言う切断者たち」について警告します。「犬」と言う言葉は、ユダヤ人が異邦人を忌み嫌って呼ぶときに使われていましたが、パウロはここで福音の伝道に於いて自分たちの敵となる人を「犬たち」と呼んでいます。

二つ目の「救われるには割礼が必要と言う切断者たち」は、他の手紙にも登場した割礼派(ユダヤ主義者)のことと思われます。この人たちは人がクリスチャンになる前提として、まずその人はユダヤ人になる必要があると主張し、異邦人がユダヤ人になるには旧約聖書の律法が定める割礼の儀式が必要なので、クリスチャンも割礼をするべきと主張しました。

パウロは福音とは、イエスさまが流した尊い血によって実現した神さまから人に宛てた無償の贈り物であるからこそ福音、すなわち良い知らせなのであって、どんな小さなものでも福音に条件が付くことを拒み、それを主張する人たちと戦い続けました。どうやらピリピにも異なる福音を説くパウロの敵、福音の敵が現れていたようです。

「割礼」は旧約聖書のGenesis 17:9-14(創世記第17章第9節~第14節)に、神さまがアブラハムと交わした約束として書かれています。

「9 ついで、神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、あなたの後のあなたの子孫とともに、代々にわたり、わたしの契約を守らなければならない。10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」([新改訳])。

第3節、割礼は男性性器の包皮を取り除く外科手術的な儀式なのですが、パウロは割礼についてここで「神さまの霊によって礼拝する我々こそが真に割礼を受けている者なのです」と言っています。

たとえば旧約聖書でも、Jeremiah 9:25-26(エレミヤ書第9章第25節~第26節)を見ると「25 見よ。その日が来る。--主の御告げ-- その日、わたしは、すべて包皮に割礼を受けている者を罰する。26 エジプト、ユダ、エドム、アモン人、モアブ、および荒野の住人でこめかみを刈り上げているすべての者を罰する。すべての国々は無割礼であり、イスラエルの全家も心に割礼を受けていないからだ。」([新改訳])と書いてあります。

つまり割礼という自分の身体に外科手術的な儀式を受けたユダヤ人についても、ここでは「心に割礼を受けていない」、つまり心では神さまを信じていない人たちとして有罪が宣告されているのです。パウロは自分たちは割礼という外科的な儀式ではなく、イエスさまが自分たちのために成就したことに頼っていて、人的な努力は信頼しないと言います。そういう信仰を持つ人こそが、真に心に割礼を受けた人だとパウロは言うのです。

第4節~第6節、もし誰かが人的な努力を自慢すると言うのなら、パウロはそれについても誰にも負けないと言います。パウロは自分が生後八日に割礼を受けたとありますが、これは上で引用した創世記に書かれた律法に沿って、ユダヤ人として生まれて八日目に律法に沿って割礼を受けているという意味です。パウロは両親がユダヤ人の純血のユダヤ人、イスラエル市民であり、十二氏族の中のベニヤミン族に所属します。割礼派がユダヤ人であることに重きを置くのなら、自分こそが真のヘブル人だと言います。

さらに割礼派が重視する律法への服従という点では、パウロはユダヤ人の尊敬を集める最も厳格なファリサイ派の一員でした。ガマリエルというエルサレムで一、二を争う律法学者を師として長期にわたるマンツーマンの厳しい教育課程を経て、自分も律法の教師となったのです。さらにパウロは律法への服従の熱心のあまり、クリスチャンを誰よりも憎み、ファリサイ派の急先鋒となって次々と教会を襲い、信者を迫害して回りました。パウロは律法遵守に関しては、人的な努力の面でも誰にも負けない経歴の持ち主だったのです。

第7節~第8節、しかしパウロは自分が何よりも優先させ、あらゆるエネルギーを注いで達成した律法の遵守も、イエスさまが成就したこと、イエスさまを知ることに比べれば無価値でゴミだと言い、これらをすべて捨てたと言います。

パウロがこれを言い切れるのは、パウロ自身がイエスさまに会ったからに他なりません。パウロは次に襲う教会を目指してシリアのダマスコに向かう途中で自分が迫害するイエスさま本人に会い、自分の人生の180度の方向転換を余儀なくされたのです。パウロはそのときにどうして自分が純血のユダヤ人として生まれ、最高の律法教育を受けて聖書の端から端までを誰よりも深く理解し、それを愛し、それに最高の意味と価値を与えて、律法に反対する者を迫害までしてきたのか、その意味を知ったのです。

第9節、それは自分がイエスさまに会い、身体に聖霊を受けてイエスさまとひとつになるためでした。パウロは世界の誰よりも人の努力で律法に従おうとすることの無意味さ、不可能さを正しく理解しました。そして誰よりも正しく預言書に秘められていた聖書の奥義の意味を理解しました。だからパウロはもはや律法に従うことで神さまに対して正しくなろうと考えることはありません。イエスさまへの信仰を通じて以外の道で自分が神さまに対して正しくなることはないと知っているからです。

第10節~第11節、パウロは死者の中から復活したイエスさまに会い、イエスさまを復活させた神さまの強大な力を自分も経験したいと思っています。イエスさまの福音を伝えるためであれば、自分はイエスさまと同じ死を分かち合い、イエスさまと共に苦しみたいと考えています。そうやって自分が迎える死者からの復活に、イエスさまの復活と同じような意味づけをしたいのです。

第12節でパウロが取り上げている「perfection(完全)」と言う言葉は、やはりパウロとは異なる福音を説くパウロの敵の一派による主張と関連していると思います。この後キリスト教には自身の内面の探求による悟りとか、霊的な完成を目指す思想が入り込み、そのような派閥ではイエスさまの十字架が軽視されていきます。そのような派閥は後にキリスト教から正式に「異端」として区別されるようになりますが、そのような派閥の兆しとなる人たちが、すでに活動を始めていたのでしょう。パウロは自分がそのような完全を得ていると主張するつもりはない、と言います。

第12節~第14節、パウロが守り、私たちが信じるキリスト教では、イエスさまが救世主であると自分の口で告白することで、神さまが最初に信者を自分の子として獲得してくださいます。これで自分が天国に行くことは約束されます。全知全能で宇宙の創造者であり支配者である神さまが、私たちをがっちりとつかまえるのですから、それを覆すことができる力は世の中には存在しません。

ところがそれですべてが終わりということではないのです。私たちは福音を受け入れるにあたって自分の罪を自覚します。どれほど自分が神さまをガッカリさせ、悲しませてきたかを知り、深く反省します。そして可能な限り、自分は神さまの目の中に正しく映りたい、そういう人になりたいと願い、信仰の生活をスタートします。

このプロセスは、私たちが人として地上に生きる以上、決して完成に至ることはありません。どこまで行っても私たちが神さまの目に完璧と映ることなどあり得ないのです。しかしクリスチャンはこのひとつのことに集中します。そして過去の自分の過ちにこだわることよりも、自分が最終的に到達する天を見て、神さまをそしてイエスさまを見て、神さまが自分をどう見るか、神さまの視点を意識して進みます。

第15節、クリスチャンとしての生き方に疑問や不安を抱きながら進む人はたくさんいます。パウロの言う「成熟したクリスチャン」となり、聖書に書かれていることを正しく適切に理解できるようになるには長い時間が掛かります。聖書に関する疑問や、クリスチャンとしての人生の不安は、プロセスの中で、どこかの時点で神さまが必ず明らかにして教えてくれます。またそのように信じます。

第17節、一切の妥協なくクリスチャンの道を進むパウロは私たちの手本です。パウロは「私の生き方を手本にしてください。そして私たちの例をたどる人たちから学びなさい」と言います。

第18節~第19節は、クリスチャンの敵に対する警告です。「彼らは滅びに向かっています」と言うのは天国には入れない、という意味です。敵は欲望で自分たちの心を満たし、自慢はどこまでも世俗的です。敵は地上での人生だけを考えていて、自分の死の先に待っているものを意識することがありません。

第20節~第21節、未熟でも成熟していても、イエスさまを救世主として受け入れた人は全員がイエスさまの住む天国の市民なのです。そしてクリスチャンはイエスさまの再来を心待ちにしています。イエスさまが再来される日は、クリスチャンの肉体がイエスさまのような栄光の身体へと生まれ変わる日です。






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