コリント人への手紙第2

2015年06月14日

コリント人への手紙第2【手紙その1】第5章第1節~第21節:新しい身体、私たちは神さまの使節団

コリント人への手紙第2 手紙その1  




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)



New Bodies

新しい身体


1 For we know that when this earthly tent we live in is taken down (that is, when we die and leave this earthly body), we will have a house in heaven, an eternal body made for us by God himself and not by human hands.

1 私たちは、この地上のテントが取り壊されるとき(これは私たちが死んで、この地上の身体を離れるときです)、私たちは天国に家を持つ、つまり人間の手によるものではなく神さまご自身によって作られる永遠の身体を持つことを知っています。

2 We grow weary in our present bodies, and we long to put on our heavenly bodies like new clothing.

2 私たちは現在の身体にはうんざりで、天の身体を新しい着物のように着たいと望んでいます。

3 For we will put on heavenly bodies; we will not be spirits without bodies.

3 それは私たちが天の身体を着ると、私たちは身体のない霊ではなくなるからです。

4 While we live in these earthly bodies, we groan and sigh, but it’s not that we want to die and get rid of these bodies that clothe us. Rather, we want to put on our new bodies so that these dying bodies will be swallowed up by life.

4 私たちがこの地上の身体に住む間は、私たちはうめき、ため息をつきます。しかしそれは私たちが死んで私たちを包むこの身体を捨て去りたいのではありません。それよりも私たちは新しい身体を着て、それでこの死にゆく身体がいのちに飲み込まれるようにしたいのです。

5 God himself has prepared us for this, and as a guarantee he has given us his Holy Spirit.

5 神さまご自身がこれを準備してくださいました。そしてその保証として神さまは私たちに聖霊を与えて下さいました。

6 So we are always confident, even though we know that as long as we live in these bodies we are not at home with the Lord.

6 それで私たちはいつも確信しているのです。私たちがこの身体に住む限り、私たちは主と共に家にいないと知っていてもです。

7 For we live by believing and not by seeing.

7 なぜなら私たちは見ることによってではなく、信じることによって生きています。

8 Yes, we are fully confident, and we would rather be away from these earthly bodies, for then we will be at home with the Lord.

8 そうです。私たちは十分に確信しています。そして私たちはむしろこの地上の身体を離れたいと願います。そうすれば主と共に家にいられるからです。

9 So whether we are here in this body or away from this body, our goal is to please him.

9 だから私たちはこの身体の中にいても、この身体から離れようと、私たちの目的は主を喜ばせることです。

10 For we must all stand before Christ to be judged. We will each receive whatever we deserve for the good or evil we have done in this earthly body.

10 なぜなら私たちは全員、裁きのためにキリストの前に立たなければなりません。私たちはそれぞれこの地上の身体で行った善や悪について、自分にふさわしいものを受け取るのです。



We Are God’s Ambassadors

私たちは神さまの使節団


11 Because we understand our fearful responsibility to the Lord, we work hard to persuade others. God knows we are sincere, and I hope you know this, too.

11 私たちは主への恐ろしい責任を知っているので、他の人たちを説得しようと懸命に働くのです。神さまは私たちが誠実であると知っています。あなた方もこれを知っていると良いと望んでいます。

12 Are we commending ourselves to you again? No, we are giving you a reason to be proud of us, so you can answer those who brag about having a spectacular ministry rather than having a sincere heart.

12 私たちは再び自分たちをあなた方に推薦しようとしているのでしょうか。違います。私たちはあなた方が私たちを誇りに思える理由を伝えているのです。そうすればあなた方は、誠実な心を持つことよりも華々しい仕事を自慢するような人たちに答えることが出来ます。

13 If it seems we are crazy, it is to bring glory to God. And if we are in our right minds, it is for your benefit.

13 もし私たちの気が狂っているように見えるなら、それは神さまに栄光を帰すためです。もし私たちが正気なら、それはあなた方のためになります。

14 Either way, Christ’s love controls us. Since we believe that Christ died for all, we also believe that we have all died to our old life.

14 いずれにしてもキリストの愛が私たちを動かしています。私たちはキリストがすべての人のために死んだと信じるので、私たちもまた、古いいのちに対して死んだと信じます。

15 He died for everyone so that those who receive his new life will no longer live for themselves. Instead, they will live for Christ, who died and was raised for them.

15 キリストがすべての人のために死んだのは、キリストの新しいいのちを受ける人たちが自分のために生きることのないようにです。代わりにその人たちは、彼らのために死んでよみがえったキリストのために生きるのです。

16 So we have stopped evaluating others from a human point of view. At one time we thought of Christ merely from a human point of view. How differently we know him now!

16 それで私たちは人を人間的な観点で評価するのをやめました。一度は私たちはキリストを単なる人間的な観点で考えていました。しかし私たちがいまどれほど違う観点でキリストを知っていることでしょうか。

17 This means that anyone who belongs to Christ has become a new person. The old life is gone; a new life has begun!

17 これはキリストに属する人は全員が新しい人になったということです。古いいのちは去り、新しいいのちが始まったのです。

18 And all of this is a gift from God, who brought us back to himself through Christ. And God has given us this task of reconciling people to him.

18 そしてこれらすべてがキリストを通じて私たちを連れ戻した神さまからの贈り物です。そして神さまは人々と神さまを和解させる仕事を私たちに与えました。

19 For God was in Christ, reconciling the world to himself, no longer counting people’s sins against them. And he gave us this wonderful message of reconciliation.

19 なぜなら神さまはこの世を自分と和解させて人々の罪をもう勘定に入れない、そのキリストの中にいたのです。そして神さまは和解のこのすばらしい知らせを私たちにくださいました。

20 So we are Christ’s ambassadors; God is making his appeal through us. We speak for Christ when we plead, “Come back to God!”

20 それで私たちはキリストの使節団なのです。神さまは私たちを通じて懇願しているのです。私たちが「神さまに戻りなさい」と嘆願するとき、私たちはキリストのために話しているのです。

21 For God made Christ, who never sinned, to be the offering for our sin, so that we could be made right with God through Christ.

21 それは神さまが罪を犯したことのないキリストを私たちの罪への捧げ物としたからです。それは私たちがキリストを通じて神さまのに対して正しくなるためです。





ミニミニ解説

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」の第5章です。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」は、パウロの少なくとも四つの手紙が一つに編纂されているという前提に基づき、章の順ではなく、全体を分割して四つの手紙が書かれた順に読んでいきます。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在しているときに、コリントの教会はステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎました。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」はパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙でした。

パウロは「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」を送るに先駆けて、テモテをコリントに派遣しています。やがてエペソに戻って来たテモテは、パウロにコリントの緊急事態を伝えます。それはコリントにパウロが説くのとは異なる福音を説く人たちが現れ、コリントの信者たちを惑わし、さらにその人たちはパウロの使徒としての資格に疑問を投げかけていると言うのです。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」に編纂された第一の手紙は、この事態に対して、パウロが自分の資格について弁明する内容の手紙になっています。

この章の第1節~第10節は復活の身体についてです。

復活の身体については「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第15章の後半、第35節~第58節で、死者はどのようにして復活させられるのか、復活後はどのような身体になるのか、の質問にパウロが解答していました。

いま私たちが持っているのが自然の身体で、復活後に授かるのは「霊的な身体」です。それが具体的にどのような身体であるかはパウロの解答を読んでも想像の域を出ず、それは強く素晴らしい身体であるらしい、としか言えません。クリスチャンは復活の身体を持つ日を楽しみに待つだけです。パウロが最後に明かしていたのは、終わりの日にラッパが吹き鳴らされると、地上で生きているクリスチャンはその瞬間に全員が霊の身体になり、すでに死んだクリスチャンは霊の身体によみがえらされる、ということでした。

この章ではパウロは私たちの現在の身体を「テント」と呼び、復活の身体を「天国に持つ家」と呼んでいます。つまり現在私たちの魂が宿る身体はテントのような仮設の住まいで、神さまご自身によって作られる復活の身体こそが、永遠に続く本当の住み処ということです。

第2節は私は「weary」という形容詞を「私たちは現在の身体にはうんざり」と訳しましたが、[KJV]では「in this we groan」(拙訳:この身体の中で私たちはうめき苦しむ)となっています。パウロはだから復活の身体を着たいと願うのですが、その理由は第3節で、私たちが復活の身体を着るとき、「私たちは身体のない霊ではなくなる」からだとされます。これはやはり現在の身体が仮の住まいで、最終的に落ち着く本当の身体が復活の身体だということでしょうか。

第4節、パウロは復活の身体を望む理由は死にたいと言うことではなく、「新しい身体を着て、それでこの死にゆく身体がいのちに飲み込まれるようにしたい」からだと言います。これはイエスさまが再来されてラッパが吹き鳴らされる日、神さまの支配が天と地と地中にあまねく行き渡る、神さまの王国が到来する日を待ち望む気持ちの現れでしょう。そのときには死が克服されることが「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」に書かれていました。

第5節~第6節、それが起こることは神さまによて準備されていて、その保証としてクリスチャンのひとりひとりは身体に聖霊を受けています。そしてその聖霊の助けにより、クリスチャンは神さまの王国の到来に確信を持つことができるのです。

第7節、それはクリスチャンが見ることによってではなく、信じることによって生きているからです。

第9節は、「現在の身体の中にいても」と「この身体から離れようとも」と二つの場合に分けて、共にクリスチャンの目的は主を喜ばせることだと書かれています。二つ目の「この身体から離れようとも」の方は自分が死を迎えて、魂がいったん肉体を離れ、どこかでラッパが吹き鳴らされる日を待つ状態のことを言うと思います。福音書ではその場所が「パラダイス」であるように書かれていました。

パウロがこのように自分が死ぬ場合を前提とした文章を書くのは、この「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」からではないか、と思います。それまでのパウロは、イエスさまは自分が生きている間に必ず再来されると信じていたと思います。エペソでの投獄の体験が、もしかすると自分が死を迎えるかも知れないという予感をパウロに抱かせたのかも知れません。

第10節は、第9節でクリスチャンの目的は主を喜ばせることとした理由として、パウロは「なぜなら私たちは全員、裁きのためにキリストの前に立たなければなりません」と書きます。終わりの日にイエスさまはすべての人を裁く裁判官として再来し、地球が誕生した日から地上に存在したすべての人に対する「最後の裁き」が行われます。パウロは「私たちはそれぞれこの地上の身体で行った善や悪について、自分にふさわしいものを受け取る」と書きます。このときの評価基準となる善悪の判断は神さまが喜ぶか悲しむかです。聖書を読めば、神さまがイエスさまを通じた救済のプランを信じる人を喜ぶことをは明らかです。極端に言えば神さまによる善悪の判定はそれだけです。

イエスさまは神さまの言葉である聖書の教えは、「神さまを全力で愛すること」と「他者を自分のように愛すること」の二つに要約されると言っています。神さまを全力で愛すれば、神さまが人間のために用意してくれた福音を受け入れるのは当然です。その前提に立った上で、さて自分はどう生きるべきだろうかと考えるとき、神さまを全力で愛することと、他者を自分のように愛することを心がける、ということになります。


第11節からは、神さまの使節団の話になります。パウロは壮絶ですさまじい伝道の活動を繰り広げています。第11節でパウロは、それを「主への恐ろしい責任を知っているので、他の人たちを説得しようと懸命に働くのです」と表現します。旧約聖書を読むとわかりますが、神さまは大変恐ろしい方です。神さまの考える「悪」、すなわち神さまをガッカリさせる行為に対しては、神さまは大変厳しく対処します。イエスさまから福音を伝えるようにと命じられたパウロは、聖書に精通するファリサイ派の出身ですから、その責任の重さをよく知っているので「恐ろしい」と言う表現になるのでしょう。

第12節、自分が「懸命に働く」ことを書いたのは自慢のためではなく、コリントの信者がパウロを誇りに思えるようにだとパウロは書きます。コリントに現れたパウロの敵はパウロを慕う信者たちにパウロの批判を頭ごなしに山ほど浴びせているのでしょう。権威を傘にかぶって上から悪口を浴びせられる信者たちはたまったものではありません。パウロはこれについて自分は「誠実な心を持つ」使徒であり、敵は「華々しい仕事を自慢するような人たち」と表現しています。

第13節、パウロは自分が「気が狂っているように見える」と書きますが、数々の苦難を経験しても決してあきらめずに伝道に邁進するパウロは、端から見れば気が狂っているようにしか見えないかも知れません。しかしパウロは正気です。そして正気である限り、パウロの活動はコリントの信者にとっても、私たちクリスチャンにとっても益となるのです。

第14節~第15節、パウロを突き動かすのはイエスさまの愛です。パウロは「私たちはキリストがすべての人のために死んだと信じるので、私たちもまた古いいのちに対して死んだと信じます」と書きます。

前章に書かれていたように、パウロはすべての人のために十字架にかかって死に、三日後によみがえったイエスさまのいのちを、自分自身もまた同じようになぞって見せることで、自分の中にイエスさまを体現しようとしているのです。イエスさまは自分のいのちを自分から見て他者のために使い、それが神さまの目に正しいと映りました。だからイエスさまを信じるクリスチャンは自分のいのちをイエスさまのために使い、イエスさまの望む道を歩むのです。

この生き方は人間の観点から見れば「気が狂っているように見える」状態でしょう。それで第16節、パウロはもはや人間的な観点では判断していない、と書いています。イエスさまを知る次元は人間の知恵で説明できる次元をはるかに超えてしまっているからです。

第17節、パウロは これはキリストに属する人の全員が新しい人になったということだと書いています。クリスチャンの中では古いいのちが去り、新しいいのちが始まっているのです。

第18節~第19節は、人と神さまとの和解の話になります。神さまは天地を創造され、最初に人間をエデンの園に置いたとき、神さまと人間との間は完全な友愛、完全な調和の状態にありました。しかし人間がヘビにそそのかされて神さまの期待を裏切り、呪いを受けてエデンの園を追われて後は、神さまと人間の間には決して超えることのできない深い断絶ができてしまったのです。この断絶は人間の側から回復することはできません。れで神さまが人間との和解のために用意したのがイエスさまによる人類救済の計画です。これは神さまからの一方的な贈り物です。そしてイエスさまに関する良い知らせ、つまり「福音」を地球上の人たちに伝える仕事は、使徒による口頭伝承と言う方法に委ねられたのです。

第20節、そういうわけで使徒はイエスさまの使節団なのです。神さまはイエスさまの福音という手段を使節団に与え、人間に「戻ってきなさい」と呼びかけています。

第21節、神さまはイエスさまを人類全体の罪を購う捧げ物としました。人間は、この神さまの計画を信じると自分の口で表明することで、神さまに対して正しくなれるのです。






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コリント人への手紙第2【手紙その1】第6章第1節~第18節:私たちは神さまの使節団(続き)、パウロの苦難、生きる神さまの寺院

コリント人への手紙第2 手紙その1  




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


1 As God’s partners, we beg you not to accept this marvelous gift of God’s kindness and then ignore it.

1 神さまの協力者として、この神さまの素晴らしい親切を受けて、それからそれを無視するようなことをしないように私たちはあなた方に懇願します。

2 For God says, “At just the right time, I heard you. On the day of salvation, I helped you.” Indeed, the “right time” is now. Today is the day of salvation.

2 なぜなら神さまは言います。「ちょうど適切なときに私はあなたの声を聞いた。救いの日に私はあなたを助けた。」 まさにその適切な日がいまなのです。今日は救いの日です。



Paul’s Hardships

パウロの苦難


3 We live in such a way that no one will stumble because of us, and no one will find fault with our ministry.

3 私たちは、私たちを理由につまずく人がいないように、そして私たちの仕事に誤りを見つける人がいないようにして生きています。

4 In everything we do, we show that we are true ministers of God. We patiently endure troubles and hardships and calamities of every kind.

4 私たちが行うすべてのことに於いて、私たちは自分たちが神さまの真の使節であることを示しています。私たちは辛抱強くあらゆる種類の問題や苦難や不幸を堪え忍んでします。

5 We have been beaten, been put in prison, faced angry mobs, worked to exhaustion, endured sleepless nights, and gone without food.

5 私たちはむちで打たれ、牢に入れられ、怒りに満ちた暴徒に遭い、疲労困憊するまで働き、眠れない夜に耐え、食べ物のないときもありました。

6 We prove ourselves by our purity, our understanding, our patience, our kindness, by the Holy Spirit within us, and by our sincere love.

6 私たちは純潔と、知力と、忍耐と、親切と、私たちの中の聖霊と、誠実な愛によって自分たちを証明しました。

7 We faithfully preach the truth. God’s power is working in us. We use the weapons of righteousness in the right hand for attack and the left hand for defense.

7 私たちは誠実に真実を伝えます。神さまの力が私たちの中で働いています。私たちは正しさの武器を使って右手で戦い、左手で守ります。

8 We serve God whether people honor us or despise us, whether they slander us or praise us. We are honest, but they call us impostors.

8 人々が私たちを尊敬しても軽蔑しても、中傷しても褒め称えても、私たちは神さまに仕えます。私たちは正直ですが、人々は私たちを詐欺師と呼びます。

9 We are ignored, even though we are well known. We live close to death, but we are still alive. We have been beaten, but we have not been killed.

9 私たちは良く知られていますが無視されます。私たちは死の近くで生きますが、まだ生きています。私たちはむちで打たれましたが、殺されていません。

10 Our hearts ache, but we always have joy. We are poor, but we give spiritual riches to others. We own nothing, and yet we have everything.

10 私たちの心は痛みますが、常に喜びがあります。私たちは貧乏ですが、他者に霊的な富を与えます。私たちは何も持っていませんが、すべての物を持っています。

11 Oh, dear Corinthian friends! We have spoken honestly with you, and our hearts are open to you.

11 あぁ、親愛なるコリントの友人たち。私たちはあなた方に誠実に話しました。そして私たちの心は広くあなた方に開かれています。

12 There is no lack of love on our part, but you have withheld your love from us.

12 私たちの側に愛の欠如はありません。しかしあなた方は私たちに愛を与えなかったのです。

13 I am asking you to respond as if you were my own children. Open your hearts to us!

13 私はあなた方がまるで自分の子供であるかのように返事を頼んでいます。私たちに心を開いてください。



The Temple of the Living God

生きる神さまの寺院


14 Don’t team up with those who are unbelievers. How can righteousness be a partner with wickedness? How can light live with darkness?

14 不信者である人たちと組まないでください。どうして正しさが邪悪と組むことができるのでしょうか。どうやって光が闇と生きることができるのでしょうか。

15 What harmony can there be between Christ and the devil? How can a believer be a partner with an unbeliever?

15 キリストと悪魔との間にどんな調和があるのでしょうか。どうして信者が不信者と組むことができるのでしょうか。

16 And what union can there be between God’s temple and idols? For we are the temple of the living God. As God said: “I will live in them and walk among them. I will be their God, and they will be my people.

16 神さまの寺院と偶像に何の融和があるのでしょうか。私たちは生きる神さまの寺院なのです。神さまは言いました。「私は彼らの間に住み、彼らと共に歩く。私は彼らの神になり、彼らは私の民になる。

17 Therefore, come out from among unbelievers, and separate yourselves from them, says the Lord. Don’t touch their filthy things, and I will welcome you.

17 だから不信者の中から出て、自分を彼らから切り離しなさい、主は言います。彼らの汚い物に触れてはいけません。私はあなた方を歓迎します。

18 And I will be your Father, and you will be my sons and daughters, says the Lord Almighty.”

18 そして私はあなた方の父になり、あなた方は私の息子たち、娘たちとなります、と全能の主が言います。」





ミニミニ解説

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」の第6章です。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」は、パウロの少なくとも四つの手紙が一つに編纂されているという前提に基づき、章の順ではなく、全体を分割して四つの手紙が書かれた順に読んでいきます。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在しているときに、コリントの教会はステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎました。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」はパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙でした。

パウロは「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」を送るに先駆けて、テモテをコリントに派遣しています。やがてエペソに戻って来たテモテは、パウロにコリントの緊急事態を伝えます。それはコリントにパウロが説くのとは異なる福音を説く人たちが現れ、コリントの信者たちを惑わし、さらにその人たちはパウロの使徒としての資格に疑問を投げかけていると言うのです。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」に編纂された第一の手紙は、この事態に対して、パウロが自分の資格について弁明する内容の手紙になっています。

前章、第5章の後半はパウロが自分たちは神さまを代表する使節団として、イエスさまの愛に突き動かされ、狂ったように伝道すると書いていました。

今回の第2節にあるパウロの引用は、旧約聖書のIsaiah 49:8(イザヤ書第49章第8節)です。第49章は神さまが地上にイエスさまが立つ前に、あらかじめ救世主を準備する記述として読めます。そして救世主はイスラエルを救済するのみならず、諸国の民への光となり、福音が諸国民へと告げられる日のことを書きます。パウロは福音の伝道が預言として旧約聖書に予告されていることをここから示しています。引用はIsaiah 49:1-8(イザヤ書第49章第1節~第8節)です。

「1 島々よ。私に聞け。遠い国々の民よ。耳を傾けよ。主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいる時から私の名を呼ばれた。2 主は私の口を鋭い剣のようにし、御手の陰に私を隠し、私をとぎすました矢として、矢筒の中に私を隠した。3 そして、私に仰せられた。「あなたはわたしのしもべ、イスラエル。わたしはあなたのうちに、わたしの栄光を現わす。」 4 しかし、私は言った。「私はむだな骨折りをして、いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした。それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、私の報酬は、私の神とともにある。」 5 今、主は仰せられる。-- 主はヤコブをご自分のもとに帰らせ、イスラエルをご自分のもとに集めるために、私が母の胎内にいる時、私をご自分のしもべとして造られた。私は主に尊ばれ、私の神は私の力となられた。-- 6 主は仰せられる。「ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。」 7 イスラエルを贖う、その聖なる方、主は、人にさげすまれている者、民に忌みきらわれている者、支配者たちの奴隷に向かってこう仰せられる。「王たちは見て立ち上がり、首長たちもひれ伏す。主が真実であり、イスラエルの聖なる方があなたを選んだからである。」 8 主はこう仰せられる。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし、国を興し、荒れ果てたゆずりの地を継がせよう。」([新改訳])。

第3節~第13節はパウロが伝道活動でどのような苦難に遭っているかを綴っています。

第5節にあるように、パウロはむちで打たれ、牢に入れられ、暴徒に襲われ、眠れない夜や食べ物のない状況にも耐え、疲労困憊するまで働きます。これらの一部は、新約聖書の「Acts(使徒の働き)」の中にも記述があります。

第3節、パウロはそのような苦難を乗り越える過程でも、自分を理由に信仰につまずく人が出ないように、自分の仕事に誤りを見つける人がいないように注意して生活しています。

それは第4節にあるように、パウロが自分が神さまを代表する使節であると自覚しているからなのです。イエスさまも福音書の中で言っています。Matthew 18:6-7(マタイの福音書第18章第6節~第7節)です。

「6 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。7 つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。」([新改訳])。

第6節、パウロは純潔と知力と忍耐と親切により、また自分たちの中から自分たちを助ける聖霊の存在と、誠実な愛によって自分たちの正しさを証明するのです。

第11節~第13節でパウロはコリントの信者たちに、心を開くようにと懇願しています。パウロの切実な懇願、心の叫びです。

第14節~第18節は、一転してコリントの信者たちに投げかけられる疑問になります。聖霊を受けたクリスチャンの身体は聖霊の住む聖なる寺院であるという説明は、「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第6章でも行われました。そういう正しく神聖な状態にある自分たちが、どうして不信者と組めるのか、邪悪と組めるのか、闇と組めるのか、とパウロは問いただします。

第16節~第18節の引用箇所は正確にはどこであるか特定できませんが、パウロが自分たちが神さまを代表している使節であることの根拠として引用する、神さまが最終的に世の中にもたらす救いについて予告する預言箇所のいくつか引用しておきます。

Ezekiel 20:33-34(エゼキエル書第20章第33節~第34節)。

「33 わたしは生きている、-- 神である主の御告げ -- わたしは憤りを注ぎ、力強い手と伸ばした腕をもって、必ずあなたがたを治める。34 わたしは、力強い手と伸ばした腕、注ぎ出る憤りをもって、あなたがたを国々の民の中から連れ出し、その散らされている国々からあなたがたを集める。」([新改訳])。

2 Samuel 7:8-14(サムエル記第2第7章第8節~第14節)。

「8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。10 わたしが、わたしの民イスラエルのために一つの場所を定め、民を住みつかせ、民がその所に住むなら、もはや民は恐れおののくことはない。不正な者たちも、初めのころのように重ねて民を苦しめることはない。11 それは、わたしが、わたしの民イスラエルの上にさばきつかさを任命したころのことである。わたしはあなたをすべての敵から守って、安息を与える。さらに主はあなたに告げる。『主はあなたのために一つの家を造る。』 12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。14 わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。」([新改訳])。

Isaiah 43:5-6(イザヤ書第43章第5節~第6節)。

「5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。6 わたしは、北に向かって『引き渡せ』と言い、南に向かって『引き止めるな』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。」([新改訳])。

Isaiah 52:11(イザヤ書第52章第11節)

「去れよ。去れよ。そこを出よ。汚れたものに触れてはならない。その中から出て、身をきよめよ。主の器をになう者たち。」([新改訳])。

Jeremiah 31:8-9(エレミヤ書第31章第8節~第9節)。

「8 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には目の見えない者も足のなえた者も、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。9 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。わたしはイスラエルの父となろう。エフライムはわたしの長子だから。」([新改訳])。






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コリント人への手紙第2【手紙その1】第7章第1節~第4節:生きる神さまの寺院(続き)

コリント人への手紙第2 手紙その1  




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


1 Because we have these promises, dear friends, let us cleanse ourselves from everything that can defile our body or spirit. And let us work toward complete holiness because we fear God.

1 親愛なる友たち、私たちはこのような約束を持っているのですから、私たちは私たちの身体や霊を汚すものあらゆるものから自分たちを洗い清めましょう。そして私たちは神さまを恐れるのですから、完全なる神聖にむかって働きましょう。

2 Please open your hearts to us. We have not done wrong to anyone, nor led anyone astray, nor taken advantage of anyone.

2 どうか私たちに心を開いてください。私たちは誰にも誤ったことをしたことがなく、誰かを迷わせたこともなく、誰かをだましたこともありません。

3 I’m not saying this to condemn you. I said before that you are in our hearts, and we live or die together with you.

3 私たちはあなた方を責めるためにこれを言っているのではありません。私は以前、あなた方が私たちの心の中にあり、私たちがあなた方と生死を共にすると言いました。

4 I have the highest confidence in you, and I take great pride in you. You have greatly encouraged me and made me happy despite all our troubles.

4 私はあなた方に最大の信頼を寄せ、大いに誇りに思っています。私たちのあらゆる問題にも関わらず、あなた方は大いに私を勇気づけ、幸せにしてくれました。




ミニミニ解説

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」の第7章です。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」は、パウロの少なくとも四つの手紙が一つに編纂されているという前提に基づき、章の順ではなく、全体を分割して四つの手紙が書かれた順に読んでいきます。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在しているときに、コリントの教会はステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎました。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」はパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙でした。

パウロは「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」を送るに先駆けて、テモテをコリントに派遣しています。やがてエペソに戻って来たテモテは、パウロにコリントの緊急事態を伝えます。それはコリントにパウロが説くのとは異なる福音を説く人たちが現れ、コリントの信者たちを惑わし、さらにその人たちはパウロの使徒としての資格に疑問を投げかけていると言うのです。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」に編纂された第一の手紙は、この事態に対して、パウロが自分の資格について弁明する内容の手紙になっています。

第7章の第1節~第4節が、パウロの第一の手紙の締めくくりです。

パウロは再び、どうか心を開くように、神さまの目に正しい道を歩むようにと懇願しています。






english1982 at 17:00|Permalink

2015年06月13日

コリント人への手紙第2:手紙その2

english1982 at 23:00|Permalink

コリント人への手紙第2【手紙その2】第10章第1節~第18節:パウロが自分の権威を擁護する

コリント人への手紙第2 手紙その2  




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)



Paul Defends His Authority

パウロが自分の権威を擁護する


1 Now I, Paul, appeal to you with the gentleness and kindness of Christ -- though I realize you think I am timid in person and bold only when I write from far away.

1 さて私パウロはキリストの寛大さと親切心をもってあなた方に訴えます。あなた方は私が実際に会うと臆病で、遠くから手紙を書くときだけ大胆だと思っていると知っていますが。

2 Well, I am begging you now so that when I come I won’t have to be bold with those who think we act from human motives.

2 そうですね。私がいまあなた方に懇願しているのは、私が行くときに、私たちが人間の動機によって振る舞うと考えている人たちに対して、大胆にならずに済むにようにです。

3 We are human, but we don’t wage war as humans do.

3 私たちは人間ですが、私たちは人間がするようには戦争をしません。

4 We use God’s mighty weapons, not worldly weapons, to knock down the strongholds of human reasoning and to destroy false arguments.

4 私たちは人間の論法の要塞を打ち破り、偽の論点を破壊するために、この世の武器ではなく神さまの強力な武器を使います。

5 We destroy every proud obstacle that keeps people from knowing God. We capture their rebellious thoughts and teach them to obey Christ.

5 私たちは神さまを知ることから人を遠ざける高慢な障壁をひとつ残らず破壊します。私たちはその人たちの反逆心のある思想をとらえ、キリストに従うよう教育します。

6 And after you have become fully obedient, we will punish everyone who remains disobedient.

6 そしてあなた方が完全に従順になったとき、私たちは引き続き反抗する人たち全員を懲らしめます。

7 Look at the obvious facts. Those who say they belong to Christ must recognize that we belong to Christ as much as they do.

7 明白なる事実をご覧なさい。自分たちがキリストに属すると言う人たちは、彼らと同様に私たちもキリストに属すると知らなければなりません。

8 I may seem to be boasting too much about the authority given to us by the Lord. But our authority builds you up; it doesn’t tear you down. So I will not be ashamed of using my authority.

8 私たちが主からいただいた権威について、私は自慢しすぎていると映るのかも知れません。しかし私たちの権威があなた方を築くのです。あなた方を破壊することはありません。だから私は自分の権威を使うことを恥じることはありません。

9 I’m not trying to frighten you by my letters.

9 私は手紙であなた方を怖がらせようとしているのではありません。

10 For some say, “Paul’s letters are demanding and forceful, but in person he is weak, and his speeches are worthless!”

10 「パウロの手紙は要求がきつくて力強いが、実際に会うとパウロは弱々しくて、話しぶりもなっていない」 と言う人たちがいます。

11 Those people should realize that our actions when we arrive in person will be as forceful as what we say in our letters from far away.

11 そういう人たちは私たちが実際に行くときの行動が、私たちが遠くから書く手紙で言うのと同じくらい力強いものとなると承知しておくべきです。

12 Oh, don’t worry; we wouldn’t dare say that we are as wonderful as these other men who tell you how important they are! But they are only comparing themselves with each other, using themselves as the standard of measurement. How ignorant!

12 心配しないでください。私たちは、自分たちがどれほど重要であるかをあなた方に言う人たちと同じくらい自分たちが素晴らしいなどと言おうとは思いません。しかしその人たちは自分たちを量りの基準として、自分たちを互いに比べているだけなのです。なんと無学なことでしょう。

13 We will not boast about things done outside our area of authority. We will boast only about what has happened within the boundaries of the work God has given us, which includes our working with you.

13 私たちは自分たちの権威の範囲の外側で行われたことについて誇ることはありません。私たちは神さまが私たちに与えてくれた仕事、ここには私たちがあなた方と行う仕事が含まれますが、その境界の内側で起こったことについてだけ誇ります。

14 We are not reaching beyond these boundaries when we claim authority over you, as if we had never visited you. For we were the first to travel all the way to Corinth with the Good News of Christ.

14 私たちがあなた方への権威について主張するとき、私たちは、まるで私たちがあなた方を一度も訪ねたことがないかのように、境界を越えて手を伸ばそうとはしているのではありません。なぜなら私たちはキリストの良い知らせを持って、はるばるコリントまで旅行をした最初の者だからです。

15 Nor do we boast and claim credit for the work someone else has done. Instead, we hope that your faith will grow so that the boundaries of our work among you will be extended.

15 あるいは私たちは誰か他の人が行った仕事について自慢し、賞賛を求めているのでもありません。代わりに私たちはあなた方の信仰が育ち、あなた方の間で行った私たちの仕事の境界が拡げられることを願っています。

16 Then we will be able to go and preach the Good News in other places far beyond you, where no one else is working. Then there will be no question of our boasting about work done in someone else’s territory.

16 そうしたら私たちがあなた方をさらに越えて、他には誰も働いていないような遠くの他の土地へ行き、良い知らせを伝道することができます。そうすれば誰か他の人の縄張りで行われた仕事について私たちが自慢することに何の問題もなくなるでしょう。

17 As the Scriptures say, “If you want to boast, boast only about the Lord.”

17 「誇りたいのなら、主についてだけ誇りなさい。」と聖書が言うとおりです。

18 When people commend themselves, it doesn’t count for much. The important thing is for the Lord to commend them.

18 人が自分自身をほめるのなら、それほど価値はありません。大切なのは主がその人たちをほめることなのです。




ミニミニ解説

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」の第10章です。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」は、パウロの少なくとも四つの手紙が一つに編纂されているという前提に基づき、章の順ではなく、全体を分割して四つの手紙が書かれた順に読んでいきます。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在しているときに、コリントの教会はステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎました。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」はパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙でした。

パウロは「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」を送るに先駆けて、テモテをコリントに派遣しています。やがてエペソに戻って来たテモテは、パウロにコリントの緊急事態を伝えます。それはコリントにパウロが説くのとは異なる福音を説く人たちが現れ、コリントの信者たちを惑わし、さらにその人たちはパウロの使徒としての資格に疑問を投げかけていると言うのです。

以下が、最初に書いた四つの手紙の概略です。

  • 手紙その1:テモテの緊急事態報告を受けて。第2章第14節~第7章第4節
  • 手紙その2:コリント訪問が失敗に終わって。第10章~第13章
  • 手紙その3:テトスの事態好転の報告を受けて。第1章第1節~第2章第13節、第7章第5節~第16節
  • 手紙その4:エルサレムの教会への献金について。第8章~第9章(ここは章ごとに別々の手紙である可能性が高い)

ここからは第二の手紙部分を読んでいきます。第10章~第13章です。

最終的にパウロはコリントを訪問し、おそらく西暦55年末~56年春の越冬の期間に三ヶ月間滞在して、この間にコリントで「Romans(ローマ人への手紙)」を書くのですが、今回から読む第二の手紙の部分を読むと、手紙の中に「三度目の訪問」と言う言葉が何度か出て来ます。そうなると二回目の伝道旅行時に最初にコリントを訪れた一年半の滞在と、最後の三ヶ月の越冬の滞在の間に、「二度目の訪問」がなければ筋が通らないことになります。しかしパウロの二度目の訪問の記録は、「Acts(使徒の働き)」には登場しないのです。記録者のルカには、何かこの訪問を記録したくない特別な理由があったのかも知れません。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」に編纂された第二の手紙は、恐らくパウロの二度目の訪問の直後に書かれた手紙で、その二度目の訪問で、パウロと敵との対決はパウロ側の失敗に終わっており、そのためか手紙はかなり感情的な内容になっています。

今回の部分の第1節、パウロは自分の評判について「実際に会うと臆病で、遠くから手紙を書くときだけ大胆」と書きます。これがコリントでパウロの敵が言っていることなのでしょう。

第2節、第二の手紙でパウロがコリントの信徒たちに必死に懇願を行う理由が書かれています。それは「私たちが人間の動機によって振る舞うと考えている人たちに対して、大胆にならずに済むにように」だとあります。これはこの後で出てきますが、次の三度目の訪問時には、今度こそ敵を容赦しないという前振りです。

第3節~第5節は、パウロは神さまの武器を使って戦争をすると書きます。その武器によって神さまを知ろうとすることを阻む人たちを破壊し、イエスさまに従うように教育する、と言います。

第6節、そしてパウロが教えた信者たちが従順になったら、パウロは反抗する人たち全員を懲らしめると言います。

第7節、パウロは「自分たちがキリストに属すると言う人たちは、彼らと同様に私たちもキリストに属すると知らなければなりません」と書きますから、敵もまた、キリストに属するクリスチャンであると主張しているのです。ちなみにパウロの敵が誰で、コリントでどのような主張をしていたのかは、手紙を最後まで読んでも明らかにはされません。

第8節、パウロは「私たちが主からいただいた権威について、私は自慢しすぎていると映るのかも知れません」と書き、自分の権威を感情的に擁護します。恐らくコリントではパウロの権威が激しく攻撃され、コリントの信者たちは少なからずその影響を受けて、パウロの権威を疑問視し始めているのです。

第9節、パウロは「私は手紙であなた方を怖がらせようとしているのではありません」と書きますが、第二の手紙は感情的なので、読み手をかなり怖がらせる内容になっています。

第10節~第11節、コリントではパウロの敵が「パウロの手紙は要求がきつくて力強いが、実際に会うとパウロは弱々しくて、話しぶりもなっていない」 と言っています。これに対してパウロは次回の訪問時には、その敵に思い知らせると言います。

第12節には敵に関するヒントが書かれています。敵は「自分たちがどれほど重要であるかを主張する人たち」であり、「自分たちを量りの基準として、自分たちを互いに比べているだけ」の人たちです。

第13節~第14節、パウロはコリントの信者たちに思い出させます。パウロは「キリストの良い知らせを持って、はるばるコリントまで旅行をした最初の者」なのです。自分がコリントの人たちに最初に福音を伝えた使徒であることは紛れもない事実であり、それを自慢することには何も問題はないはずだと言います。

第15節~第16節、パウロは自分の行った伝道について自慢しているのであり、さらにはコリントがパウロの伝えた福音を信じる教会の拠点として育ち、そうすることでパウロはさらにコリントの先へと伝道の範囲が拡げられるようになれば良いと言います。

第17節の「誇りたいのなら、主についてだけ誇りなさい。」の引用は旧約聖書のJeremiah 9:23-24(エレミヤ書第9章第23節~第24節)です。

「23 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。24 誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。」([新改訳])。

第18節、「人が自分自身をほめるのなら、それほど価値はありません。大切なのは主がその人たちをほめることなのです。」 その通りです。自分が神さまの目に正しく映るか否か、自分は神さまを喜ばせているのか悲しませているのか、常にそれだけが大切なのです。






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