テサロニケ人への手紙第1
2015年04月26日
テサロニケ人への手紙第1第5章第1節~第11節:復活の希望(続き)
テサロニケ人への手紙第1 第5章
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)
1 Now concerning how and when all this will happen, dear brothers and sisters, we don’t really need to write you.
1 さてこのすべてがどのようにいつ起こるのかについては、親愛なる兄弟たち、姉妹たち、私たちはあなた方に書く必要はありません。
2 For you know quite well that the day of the Lord’s return will come unexpectedly, like a thief in the night.
2 なぜなら主の戻る日は、まるで夜中の泥棒のように予期していないときに来るということは、あなた方がよく知っているからです。
3 When people are saying, “Everything is peaceful and secure,” then disaster will fall on them as suddenly as a pregnant woman’s labor pains begin. And there will be no escape.
3 人々が「すべてが平和で安全だ」と言っているそのとき、妊娠した女性に陣痛が始まるように突然に大惨事がその人たちに降りかかるのです。そしてそれを逃れる手段はありません。
4 But you aren’t in the dark about these things, dear brothers and sisters, and you won’t be surprised when the day of the Lord comes like a thief.
4 しかし兄弟たち、姉妹たち、あなた方はこれらのことについて暗闇の中にいません。そして主の日が泥棒のように来てもあなた方は驚きません。
5 For you are all children of the light and of the day; we don’t belong to darkness and night.
5 なぜならあなた方はみな、光の子供、昼の子供だからです。私たちは暗闇や夜には属しません。
6 So be on your guard, not asleep like the others. Stay alert and be clearheaded.
6 だから他の人のように眠らずに警戒していなさい。油断なく、頭をはっきりさせておきなさい。
7 Night is the time when people sleep and drinkers get drunk.
7 夜は人々が眠り、酒飲みが酔っ払うときです。
8 But let us who live in the light be clearheaded, protected by the armor of faith and love, and wearing as our helmet the confidence of our salvation.
8 しかし光の中に生きる私たちは信仰と愛のよろいで身を守り、救いの確信をかぶととしてかぶり、頭をはっきりさせておきましょう。
9 For God chose to save us through our Lord Jesus Christ, not to pour out his anger on us.
9 なぜなら神さまが私たちを選び、主イエス・キリストを通じて救ったのは、神さまの怒りを私たちの上に注ぐためではありません。
10 Christ died for us so that, whether we are dead or alive when he returns, we can live with him forever.
10 キリストが私たちのために死んだのは、キリストが戻るときに私たちが死んでいても生きていても、私たちがキリストと共に永遠に生きられるようにです。
11 So encourage each other and build each other up, just as you are already doing.
11 ですからあなた方がすでにしているように、互いに励まし合い、互いに高め合いなさい。
ミニミニ解説
「1 Thessalonians(テサロニケ人への手紙第1) 」の第5章、最終章です。
第1章では、テサロニケの教会の信者たちがギリシヤ中で模範となっていると書かれていて、第2章ではパウロがテサロニケに滞在したときの様子を思い出して書いていました。第3章はパウロたちが代表としてテモテをテサロニケに送り、テサロニケの信者たちの様子を確かめさせたこと、戻ってきたテモテが信者たちが強い信仰と他者への愛を示していると報告したと書かれていました。第4章は神さまを喜ばすために生きる話、そして最後のところには死んだクリスチャンはどうなるのかというテサロニケの信者たちの心配に答える形で、「終わりの日」の始めにイエスさまが再来するときの様子が書かれていました。
第5章はその続きです。
第1節、「このすべてがどのようにいつ起こるのか」の「このすべて」は第4章の終わりに書かれていたイエスさまの地球上空への再来、死んだクリスチャンの復活、そして地上のクリスチャンが合流して上空へと引き上げられ、そこでイエスさまに会うという出来事です。パウロは「このすべてがどのようにいつ起こるのか」について「私たちはあなた方に書く必要はありません」と書いています。それはその日の到来を誰も予期できないからです。
第2節~第3節の、「終わりの日」がまったく予期しないときに来るというのは福音書の中でイエスさまが言っていたこととまったく同じです。Matthew 24:36-44(マタイの福音書第24章第26節~第44節)です。
「36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。38 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。40 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。41 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。43 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。」([新改訳])。
第4節~第5節、イエスさまの再来が突然来てもクリスチャンは驚かない、と書いてあります。そしてそれはクリスチャンが光の子供、昼の子供だからとあります。
第6節~第7節、パウロが言う光の子供、昼の子供と言うのは、人々が眠り、大酒を飲む夜を生きる側ではなく、眠らず油断せずに頭を明晰に保つ昼に生きる側に属する人たちということのようです。クリスチャンは、イエスさまがいつ来るかわからないという切迫した緊急性を互いに確認し、意識し合うことで、頭を明晰に保ち、堕落することのない日々を送ることができるのです。
第8節、クリスチャンは「よろい」として「信仰」と「愛」を身につけ、「かぶと」として「救いの確信」をかぶります。「救いの確信」とは、自分の口でイエスさまへの信仰を表明したことで自分と神さまとの関係が修復されたと言う確信、天国に入れるという確信、それはつまり死後の自分の魂の行き先に関する確信で、つまりは「希望」と言うことになります。なのでここでもポイントは「信仰」「愛」「希望」の三つです。
第9節~第10節、神さまが私たちを救ったのは怒りを注ぐためではない、と書かれているのは、「終わりの日」にクリスチャンが引き上げられて上空でイエスさまと合流した後で、クリスチャンのいなくなった地上に神さまの怒りが降り注ぐことになるからです。クリスチャンはこの神さまの怒りに遭うことなく、イエスさまと共に永遠の時を生きるように救われたのです。そしてそれが起こる時点でクリスチャンが死んでいても生きていても、それには何の関係もないと書かれています。
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テサロニケ人への手紙第1第5章第12節~第28節:パウロの最後の助言、パウロの最後のあいさつ
テサロニケ人への手紙第1 第5章
(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)
Paul’s Final Advice
パウロの最後の助言
12 Dear brothers and sisters, honor those who are your leaders in the Lord’s work. They work hard among you and give you spiritual guidance.
12 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、主の仕事であなた方のリーダーとなっている人たちを尊敬しなさい。リーダーたちはあなた方の間でよく働き、あなた方に霊的な指導をします。
13 Show them great respect and wholehearted love because of their work. And live peacefully with each other.
13 リーダーたちの仕事の故にリーダーたちに深い敬意と心からの愛を示しなさい。そして互いに平和に暮らしなさい。
14 Brothers and sisters, we urge you to warn those who are lazy. Encourage those who are timid. Take tender care of those who are weak. Be patient with everyone.
14 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、怠ける人たちに警告するように強く勧めます。内気な人たちを励ましなさい。弱い人たちを優しく助けなさい。誰に対しても辛抱強く接しなさい。
15 See that no one pays back evil for evil, but always try to do good to each other and to all people.
15 誰も悪をもって悪に報いないように気をつけなさい。逆に互いに、またすべての人に善を行なうよういつも務めなさい。
16 Always be joyful.
16 いつも喜んでいなさい。
17 Never stop praying.
17 絶えず祈りなさい。
18 Be thankful in all circumstances, for this is God’s will for you who belong to Christ Jesus.
18 すべての事について感謝しなさい。なぜならこれがキリスト・イエスに属するあなた方に神さまが望んでいることだからです。
19 Do not stifle the Holy Spirit.
19 聖霊を抑え込んではいけません。
20 Do not scoff at prophecies,
20 預言をばかにしてはいけません。
21 but test everything that is said. Hold on to what is good.
21 しかし言われることはすべて試し、良いことを続けなさい。
22 Stay away from every kind of evil.
22 あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
Paul’s Final Greetings
パウロの最後のあいさつ
23 Now may the God of peace make you holy in every way, and may your whole spirit and soul and body be kept blameless until our Lord Jesus Christ comes again.
23 平和の神さまがあなた方をすべての点で神聖にしてくださいますように。そして私たちの主イエス・キリストが再来されるときまで、あなた方の霊と魂と肉体の全体が罪なく保たれますように。
24 God will make this happen, for he who calls you is faithful.
24 神さまはこれをしてくれます。なぜならあなた方を呼ぶ神さまは誠実だからです。
25 Dear brothers and sisters, pray for us.
25 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、私たちのために祈ってください。
26 Greet all the brothers and sisters with a sacred kiss.
26 すべての兄弟たち、姉妹たちに聖なる口づけであいさつしてください。
27 I command you in the name of the Lord to read this letter to all the brothers and sisters.
27 すべての兄弟たち、姉妹たちにこの手紙を読み聞かせるように主の名前によって命じます。
28 May the grace of our Lord Jesus Christ be with you.
28 私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなた方と共にありますように。
ミニミニ解説
「1 Thessalonians(テサロニケ人への手紙第1) 」の第5章、最終章です。
第1章では、テサロニケの教会の信者たちがギリシヤ中で模範となっていると書かれていて、第2章ではパウロがテサロニケに滞在したときの様子を思い出して書いていました。第3章はパウロたちが代表としてテモテをテサロニケに送り、テサロニケの信者たちの様子を確かめさせたこと、戻ってきたテモテが信者たちが強い信仰と他者への愛を示していると報告したと書かれていました。第4章は神さまを喜ばすために生きる話、そして最後のところには死んだクリスチャンはどうなるのかというテサロニケの信者たちの心配に答える形で、「終わりの日」の始めにイエスさまが再来するときの様子が書かれていました。
第5章はその続きで、前半部分にはクリスチャンは、イエスさまがいつ来るかわからないという切迫した緊急性を互いに意識し合うことで、頭を明晰に保ち、堕落することのない日々を送ることができると書かれていました。
後半はパウロがテサロニケの信者たちに送る助言です。これはそのまますべてのクリスチャンへ向けた助言として受け取ることができます。
第12節~第13節は、信者たちを世話し、指導するリーダーたちに敬意を払いなさい、と言う助言です。
第14節は、怠ける人たちに警告し、内気な人たちを励まし、弱い人たちを優しく助けなさい、誰に対しても辛抱強く接しなさい、とあります。友愛の助言の中に怠け者を許さない助言が含まれているのは新鮮ですが、とても良いことですね。特定の人たちが忙しく働く中で、仕事に参加しようとしない人と言うのは必ずいるものです。リーダーの人たちは、その人が内気で参加できないようなら励まして参加させ、意図的に怠けようとしているのなら咎めなければなりません。
第15節、悪をもって悪に報復しないこと、そしてすべての人に善を行おうとする気持ちが大切です。
第16節、いつも喜んでいること。とても大切です。これは裏返せば悲しむことがない状態ということになります。これは第18節があるからできることなのです。
第17節、絶えず祈ること。私はこの「絶えず」と言うのは、「Never stop praying」の訳なので、眠っていないとき、つまり意識があるときには常に神さまと会話していなさい、と言う意味だと思っています。
第18節、すべてのことに感謝すること。
日々を暮らしていると理不尽に思えること、頭に来ること、悲しくなることにもたくさん出会います。しかしすべての出来事の後ろには神さまの意志が働いています。神さまは全知全能です。「全知全能」と言うのは、神さまはいまこの瞬間、世の中の、全宇宙の「すべて」を知っていて、さらに「永遠」という時間軸の上で過去も未来も含めて全部を見ています。そして「在(あ)れ」の言葉一つであらゆる細部に至るまでの天地創造が実現できるほどの力を持っていて、その力で宇宙のすべてをコントロールしています。神さまに知らないこと、神さまにできないことはないのです。すべてを知っていて、なんでもできる、その神さまが、クリスチャンに良かれと言う意図を持ってすべての出来事を計画し、起こしています。神さまが計画や実行の判断をくだすために用いる情報の量はあまりにも膨大で、また神さまが判断に用いるその英知も、私たち人間には想像や理解の不可能なレベルにあります。つまり神さまの計画はあまりにも深淵なので、とても私たちの理解が及ぶわけがありません。しかし神さまは人を愛しています。その愛は見返りを求めない一方的に与える愛です。神さまはすべてを人に良い結果がもたらされるように準備し、実行しているはずですから、私たちには神さまを賛美し、褒め称え、そして感謝する以外にすることはありません。
第19節、聖霊を抑え込まないこと。
ここで「抑え込む」に使われている「stifle」という単語は、何かが発動したり大きくならないように邪魔するという意味を持ちます。「聖霊」は三位一体の中の一つ、父なる神さま、子なるイエスさま、聖霊という神さまの三つの位相のひとつで、クリスチャンひとりひとりの内部に封印されています。聖霊は神さまなのですから、神さまが良い、正しいと思う方向へ内部からクリスチャンを招き、導き、教えようとします。そういう存在が自分の中にいるのですから、聖霊には大いに発動し、働いてもらうべきです。聖霊がクリスチャンの中で邪魔されることなく自由に活動できる状態が神さまの求める状態だからです。
Galatians 5:19-23(ガラテヤ人への手紙第5章第19節~第23節)には人間の「罪深い本質」に導かれた悪の生活の例があげられていました。それは性的な不品行、不純、好色の喜び、偶像崇拝、魔術、敵意、口論、嫉妬、怒りの爆発、わがままな野心、意見の衝突、分裂、ねたみ、酩酊、乱れた集まり、そしてこれらに類する他の罪とされていました。もしこれらの感情が心の中に生じれば、それは聖霊がクリスチャンに求める方向とは逆なのですから、聖霊の活動を邪魔することになります。これらの中には極端な例も多く含まれているので、ざっと読んできっと自分は大丈夫などと思いがちですが、他にもたとえばちょっとした不安や不満、悲しみだって、それが神さまがすべてをコントロールしている状態への疑いから生じていると考えれば、聖霊の求める方向とは逆になります。自分の中の聖霊と完全に調和して生きる、と言うのはとても難しいことなのですが、求めるべき状態でもあります。ときには自分の中の聖霊に呼びかけてお祈りする、と言うのも良いことだと思います。
第20節~第21節、預言をばかにしないこと。
預言者というのは職業とか専門職ではありません。神さまからの言葉を預かったら、どんな人でもその場で預言者になります。これは自分の周囲で誰かが「預言らしき言葉」を言ったら、それをばかにしたり、軽々しく扱ってはいけない、という教えです。しかしすべての「預言らしき言葉」に盲従するのではなくて、第21節にあるように、ひとつひとつの「預言らしき言葉」はテストして試し、その中から「良い」と判断されたものを実行しなさい、と言うことです。
第22節、あらゆる悪から遠ざかること。
人は自分の心の中で欲望を育ててしまうとそれに勝つことはできません。欲望を育てれば、ある日、その欲望を実行に移す日が来てしまいます。これを避けるためには邪悪な欲望は小さなうちに摘み取ってしまうことです。そのためには邪悪なものに近づかないこと、邪悪な想念を生みそうなものから目をそらすこと、邪悪なものから全速力で逃げることです。
第23節以降は手紙の結びのあいさつです。
第23節~第24節、パウロは神さまが信者をすべての点で神聖にしてくれるように、信者の霊と魂と肉体のすべてが罪のない状態に保たれるように、と祈ります。そしてパウロは神さまが必ずこれをしてくれると言い、それは神さまが「faithful」だからと書きます。「faithful」と言うのは「忠実」「誠実」「貞節」などの意味を持ち、つまり人の期待を絶対に裏切らない、そういう性質を言います。神さまは性質として完全に「faithful」なのです。意地悪はしません。神さまは私たちが常に神聖であるように、罪のない状態にあるように、神さまをガッカリさせるようなことをしないようにと意図して動きます。だから私たちはその意図に沿えるように心がけて日々を歩まなければなりません。
第25節~第28節が最後のあいさつです。
これで「1 Thessalonians(テサロニケ人への手紙第1) 」は終了です。
english1982 at 21:00|Permalink