コリント人への手紙第1

2015年06月29日

コリント人への手紙第1第2章第1節~第16節:パウロの知恵のことば

コリント人への手紙第1 第2章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul’s Message of Wisdom

パウロの知恵のことば


1 When I first came to you, dear brothers and sisters, I didn’t use lofty words and impressive wisdom to tell you God’s secret plan.

1 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、私が最初にあなた方のところへ行ったとき、あなた方に神さまの秘密の計画を伝えるにあたり、私は高尚な言葉や感銘を与えるような知恵を使いませんでした。

2 For I decided that while I was with you I would forget everything except Jesus Christ, the one who was crucified.

2 それは私があなた方と共にいる間、十字架にかけられたイエス・キリスト以外は、すべてを忘れようと決めたからです。

3 I came to you in weakness -- timid and trembling.

3 私があなた方のところへ行ったとき、私は弱く、臆病で震えていました。

4 And my message and my preaching were very plain. Rather than using clever and persuasive speeches, I relied only on the power of the Holy Spirit.

4 そして私のことばと私の伝道は大変平易でした。賢くて説得力のある演説よりも、私は聖霊の力に頼りました。

5 I did this so you would trust not in human wisdom but in the power of God.

5 私がそうしたのは、あなた方が人の知恵ではなく、神さまの力を信じるようにです。

6 Yet when I am among mature believers, I do speak with words of wisdom, but not the kind of wisdom that belongs to this world or to the rulers of this world, who are soon forgotten.

6 しかし成熟した信者たちといるときには、私は知恵のことばを使って話します。しかしそれはこの世や、すぐに忘れられてしまうようなこの世の支配者たちに属するタイプの知恵ではありません。

7 No, the wisdom we speak of is the mystery of God -- his plan that was previously hidden, even though he made it for our ultimate glory before the world began.

7 違います。私たちが語るのは神さまの奥義です。神さまが世が始まる前から私たちの最高の栄光のために用意され、以前は隠されていたものです。

8 But the rulers of this world have not understood it; if they had, they would not have crucified our glorious Lord.

8 しかしこの世の支配者たちはそれを理解しませんでした。もし彼らが理解していたら、私たちの栄光の主を十字架にかけなかったでしょう。

9 That is what the Scriptures mean when they say, “No eye has seen, no ear has heard, and no mind has imagined what God has prepared for those who love him.”

9 それこそが聖書が次のように言うときに意図していることなのです。「どんな目も見たことのない、どんな耳も聞いたことがない、どんな心も想像したことがないもの。神さまが神さまを愛する者のために用意してくださったもの。」

10 But it was to us that God revealed these things by his Spirit. For his Spirit searches out everything and shows us God’s deep secrets.

10 しかし神さまは霊を通じて私たちにそれを明かされたのです。なぜなら神さまの霊はすべてを探り、神さまの深い秘密を示すからです。

11 No one can know a person’s thoughts except that person’s own spirit, and no one can know God’s thoughts except God’s own Spirit.

11 誰も人の考えを知ることはできません。その人自身の霊のほかには。そして誰も神さま考えを知ることはできません。神さま自身の霊を除いては。

12 And we have received God’s Spirit (not the world’s spirit), so we can know the wonderful things God has freely given us.

12 そして私たちは神さまの霊を受けたのです(この世の霊ではありません)。それで私たちは神さまが惜しげもなく私たちにくださった素晴らしいものを知ることができるのです。

13 When we tell you these things, we do not use words that come from human wisdom. Instead, we speak words given to us by the Spirit, using the Spirit’s words to explain spiritual truths.

13 私たちがあなた方にこの贈り物について話すとき、私たちは人の知恵から来ることばは使いません。代わりに私たちは霊によって与えられたことばを話します。霊のことばをつかって霊の真実を説明するのです。

14 But people who aren’t spiritual can’t receive these truths from God’s Spirit. It all sounds foolish to them and they can’t understand it, for only those who are spiritual can understand what the Spirit means.

14 ですが霊的でない人は神さまの霊からの真実を受け取ることができません。彼らにはそれはすべて馬鹿げたことに響き、彼らはそれを理解できません。霊的である者だけが霊が意味することを理解できるのです。

15 Those who are spiritual can evaluate all things, but they themselves cannot be evaluated by others.

15 霊的である者はすべてのものを評価できます。しかし霊的である者自身は他者から評価されることはありません。

16 For, “Who can know the Lord’s thoughts? Who knows enough to teach him?” But we understand these things, for we have the mind of Christ.

16 それは「誰が主の考えをしることができるのか。誰が主に教えられるほど知っているのか。」 しかし私たちはこれらのことがわかります。それは私たちがキリストの心を持っているからです。




ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第2章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。これはパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙です。

第1章の前半はコリントの教会が、パウロ派、アポロ派、ペテロ派、イエス派の派閥に分裂していることを書き、後半では神さまがわざわざ賢くない者、権力のない者、富を持たない者を選んで神さまの信者にしたと書かれていました。それは終わりの日に賢い者、権力を持つ者、富を持つ者が恥ずかしい思いをするように、そしてクリスチャンが神さまの前に立つとき、誰も自分を誇ることのないようにとのことです。

第2章は「人の知恵」と「神さまの知恵」が対比されて書かれています。

第1節、パウロが二回目の伝道旅行でコリントに滞在したとき、パウロは「高尚な言葉や感銘を与えるような知恵」は使わなかったのです。これが「人の知恵」、つまり人が自分のメッセージに説得力を持たせようとして働かせる知恵です。

第2節、パウロがどうして「人の知恵」を用いなかったのか。それはパウロは「十字架にかけられたイエス・キリスト」だけを伝えようと決め、これ以外のことに価値を見いださなかったからです。

第3節、パウロがコリントに滞在したとき、パウロは「弱く、臆病で震えていた」と書かれています。これは意外な記述です。パウロと言えばあらゆる迫害に立ち向かい、力強くメッセージを伝道してきた人という印象があるからです。 新約聖書の「Acts(使徒の働き)」を読むと、コリントに到達する前、ギリシヤに入ったパウロは最初にピリピの町でシラスと共に逮捕されると棒で打たれた上に投獄され、次のテサロニケでは暴動が起こり、それを逃れてベレヤへ行くとテサロニケのユダヤ人が追いかけて来ます。これを脱出したパウロははるか南方のアテネまで行っています。 アテネでは哲学者たちを相手に福音を語りますが、何名かの信者は得たものの、人々から嘲笑を受けるなどして教会の形成までには至りませんでした。このような状態でコリントに入ったときのパウロは心身共に疲弊していて、メンタル的にかなりのダメージを受けた状態だったのかも知れません。

第4節、パウロはコリントの人たちに、賢くて説得力のある演説ではなく、聖霊の力に頼り、極力平易なことばで語りました。

第5節、それはなぜか。もしパウロが高尚な言葉などを用いて人々を説得しようとすれば、人々はパウロの知恵をほめたたえる可能性があり、それでは神さまがないがしろにされてしまいます。そして結果として人々が「神さまを信じる」というところに至らないからです。

第6節、どうやらパウロは成熟した信者と話すときには難しい話もするのです。ところがそのときに使う知恵は、世の中一般の知恵とは異なるようです。

第7節、パウロが用いるのは世の中一般の知恵ではなく、神さまの奥義です。ここで私が「奥義」と訳したところに用いられている単語は「mystery」です。英和辞典では「神秘、なぞ、奥義、秘法、秘訣」などと書かれています([新英和中辞典])。「奥義」は「おくぎ=それを会得すれば、その技芸・武術などをきわめ尽くしたとされる、大事な秘密。おうぎ。」([新明解国語辞典])です。 神さまの奥義、神さまの大事な秘密とは、神さまのされる不思議なわざのことですが、究極的には第2節でパウロがこれ以外は伝えまいと決めた「十字架にかけられたイエス・キリスト」に他なりません。

第8節、このイエスさまの十字架の意味について、この世の支配者たちは理解できません。

第9節、パウロはそれが聖書の意図どおりだと言い、聖書から「どんな目も見たことのない、どんな耳も聞いたことがない、どんな心も想像したことがないもの。神さまが神さまを愛する者のために用意してくださったもの。」と引用しますが、これはIsaiah 64:1-4(イザヤ書第64章第1節~第2節)からの引用と思われます。

「1 ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。2 火が柴に燃えつき、火が水を沸き立たせるように、あなたの御名はあなたの敵に知られ、国々は御前で震えるでしょう。3 私たちが予想もしなかった恐ろしい事をあなたが行なわれるとき、あなたが降りて来られると、山々は御前で揺れ動くでしょう。4 神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。」([新改訳])。

第10節、イエスさまの十字架の意味を、神さまは聖霊を通じて私たちクリスチャンに明かされました。ここには聖霊の仕事として「すべてを探り、神さまの深い秘密を示す」と書かれています。

第11節、まずパウロは「誰も人の考えを知ることはできません。その人自身の霊のほかには」と言います。 これは私たちの中には私たち自身も知ることのできない、自分の正体、深層心理のような部分があることを言い、それのすべてを知っている「自分自身の霊」が存在する、ということでしょうか。 そしてパウロは同じように「誰も神さま考えを知ることはできません。神さま自身の霊を除いては」と言います。これによると三位一体の中のひとつの相をなす聖霊は、「すべてを探り、神さまの深い秘密を示す」存在であり、神さまの正体、神さまの深層を知る方なのです。

第12節、クリスチャンの一人ひとりは神さまからこの聖霊を受けた存在ですから、自分の中にいる聖霊を通じて、神さまが私たちのために用意してくださったものの真実を知ることができるのです。

第13節、神さまからの贈り物、イエスさまに関する福音を語るとき、このときには人の知恵は使えないのです。霊のことを語るときには霊から力を得なければなりません。

第14節、パウロはクリスチャンが霊の力を借りて語るメッセージは「霊的である者」にしか伝わらない、と言います。 福音のメッセージを聞くとき、それが馬鹿げたものだと思わず、そこに何かを感じる人、その人が「霊的な者」です。

第15節、パウロは「霊的である者はすべてのものを評価できます」と言います。これは聖霊の力を受けている人は、全知全能の神さまの助けを得ているのですから、この世のあらゆる事柄を評価し判断できるのです。 一方で「霊的である者自身は他者から評価されることはありません」と言うのは、聖霊の力を受けている人がどれほどの力を得ているのか、それを評価し判断することは不可能、と言うことでしょう。

第16節、その理由は旧約聖書に書かれています。Isaiah 40:12-17(イザヤ書第40章第12節~第17節)を引用します。

「12 だれが、手のひらで水を量り、手の幅で天を推し量り、地のちりを枡に盛り、山をてんびんで量り、丘をはかりで量ったのか。13 だれが主の霊を推し量り、主の顧問として教えたのか。14 主はだれと相談して悟りを得られたのか。だれが公正の道筋を主に教えて、知識を授け、英知の道を知らせたのか。15 見よ。国々は、手おけの一しずく、はかりの上のごみのようにみなされる。見よ。主は島々を細かいちりのように取り上げる。16 レバノンも、たきぎにするには、足りない、その獣も、全焼のいけにえにするには、足りない。17 すべての国々も主の前では無いに等しく、主にとってはむなしく形もないものとみなされる。」([新改訳])。

神さまにとっては国々さえ水の一滴、量りの上のゴミくずなのです。人間が神さまの力を推し量ることなどできません。 しかしクリスチャンが福音について理解できるのは、クリスチャンが聖霊を受け、それによってイエスさまの心を共有しているからなのです。

第2章を読んで考えさせられました。福音を知るクリスチャンが、誰かクリスチャンでない人に福音を伝えるときのことです。 教会で福音のメッセージを聞き、あるいはどこかで福音のメッセージを読み、その意味が深く心に響いたとしましょう。どこかに場所を移して、誰か他の人、クリスチャンでない人に同じメッセージを伝えようとすると、なんだか空虚に響いてしまう、自分が感じた感動や熱狂を伝えようと熱く語れば語るほど、なんだか薄っぺらく響いてしまう、そんな経験をしたことが何度もあります。これはきっと自分が「人の知恵」で語っているからなのでしょう。福音は霊的な話なのですから、聖霊の力を借りて伝えなければいけないのです。そしてそうやって伝える福音も、どうやら神さまから呼ばれた「霊的な人」にしか伝わらないのです。 しかし私たちにはどの人が「霊的な人」か、それを知る術はありません。なので福音を伝え続けることは大切なのです。






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2015年06月28日

コリント人への手紙第1:第3章

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コリント人への手紙第1第3章第1節~第23節:パウロとアポロ、キリストのしもべ

コリント人への手紙第1 第3章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul and Apollos, Servants of Christ

パウロとアポロ、キリストのしもべ


1 Dear brothers and sisters, when I was with you I couldn’t talk to you as I would to spiritual people. I had to talk as though you belonged to this world or as though you were infants in Christ.

1 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、私があなた方と共にいたとき、私はあなた方に対して霊的な人たちに話すようには話せませんでした。私はあなた方がまるでこの世に属するか、あるいはあなた方がキリストについて幼児であるかのように話さなければなりませんでした。

2 I had to feed you with milk, not with solid food, because you weren’t ready for anything stronger. And you still aren’t ready,

2 私はあなた方に、堅い食べ物ではなくて乳を与えなければなりませんでした。それはあなた方が、それより強いものに対して準備ができていなかったからです。そしてあなた方はまだ準備ができていません。

3 for you are still controlled by your sinful nature. You are jealous of one another and quarrel with each other. Doesn’t that prove you are controlled by your sinful nature? Aren’t you living like people of the world?

3 それはあなた方が、まだ罪深い本質に支配されているからです。あなた方は互いにねたみ合い、口論をしています。これはあなた方が罪深い本質に支配されていることを証明しませんか。あなた方は世の中の人たちのように生きているのですか。

4 When one of you says, “I am a follower of Paul,” and another says, “I follow Apollos,” aren’t you acting just like people of the world?

4 あなた方のひとりが「私はパウロの弟子だ」と言うと、別のひとりは「私はアポロに従う」と言います。あなた方は世の中の人たちのように振る舞っていませんか。

5 After all, who is Apollos? Who is Paul? We are only God’s servants through whom you believed the Good News. Each of us did the work the Lord gave us.

5 結局ところ、アポロとは誰ですか。パウロとは誰ですか。私たちは単にあなた方が信仰に入るときに用いた神さまのしもべです。私たちの一人ひとりが主が私たちに与えた仕事をしたのです。

6 I planted the seed in your hearts, and Apollos watered it, but it was God who made it grow.

6 私があなた方の心に種を植えて、アポロがそれに水をやりました。しかしそれを成長させたのは神さまです。

7 It’s not important who does the planting, or who does the watering. What’s important is that God makes the seed grow.

7 誰が植えるか、誰が水をやるかは重要ではありません。重要なのは神さまが種を育てるということです。

8 The one who plants and the one who waters work together with the same purpose. And both will be rewarded for their own hard work.

8 植える人と水をやる人は同じ目的で共に働きます。そして両者がそれぞれの熱心な働きに対して報酬を受けるのです。

9 For we are both God’s workers. And you are God’s field. You are God’s building.

9 なぜなら私たちは共に神さまの働き手だからです。そしてあなた方は神さまの畑です。あなた方は神さまの建物です。

10 Because of God’s grace to me, I have laid the foundation like an expert builder. Now others are building on it. But whoever is building on this foundation must be very careful.

10 私に与えられた神さまの恵みによって、私は熟練した建築家のように土台を据えました。そしていま他の人たちがその上に家を建てています。しかしこの土台の上に建てる人は、とても注意深くあらねばなりません。

11 For no one can lay any foundation other than the one we already have -- Jesus Christ.

11 それは私たちがすでに持っている土台、イエス・キリストの他には、誰もどんな土台も据えることができないからです。

12 Anyone who builds on that foundation may use a variety of materials -- gold, silver, jewels, wood, hay, or straw.

12 この土台の上に建てる者は誰でもさまざまな材料を使うことができます。金、銀、宝石、木、干し草、わらなどです。

13 But on the judgment day, fire will reveal what kind of work each builder has done. The fire will show if a person’s work has any value.

13 しかし裁きの日に、それぞれの建築家がどのような働きを行ったか、火がそれを明らかにします。ある人の働きに価値があるかどうか、火が示すのです。

14 If the work survives, that builder will receive a reward.

14 その仕事が生き残れば、その建築家は報酬を受け取ります。

15 But if the work is burned up, the builder will suffer great loss. The builder will be saved, but like someone barely escaping through a wall of flames.

15 ですがその仕事が燃えてしまえば、建築家は大きな損失を被ります。それでも建築家は炎の壁をかろうじてくぐり抜けた人のように救われるでしょう。

16 Don’t you realize that all of you together are the temple of God and that the Spirit of God lives in you?

16 あなた方は、あなた方全員が一緒になって神さまの寺院なのであり、神さまの霊があなた方の中に住んでいることがわからないのですか。

17 God will destroy anyone who destroys this temple. For God’s temple is holy, and you are that temple.

17 この寺院を破壊する者は誰でも神さまが滅ぼします。それは神さまの寺院は神聖であり、あなた方がその寺院だからです。

18 Stop deceiving yourselves. If you think you are wise by this world’s standards, you need to become a fool to be truly wise.

18 自分自身を欺むくのはやめなさい。もしあなた方が自分がこの世の基準で賢いと思うのなら、真に賢くなるためにばか者になる必要があります。

19 For the wisdom of this world is foolishness to God. As the Scriptures say, “He traps the wise in the snare of their own cleverness.”

19 なぜならこの世の知恵は神さまには愚かなことだからです。聖書は言っています。「神さまは知恵者を、彼ら自身の賢さのわなで捕らえる。」

20 And again, “The Lord knows the thoughts of the wise; he knows they are worthless.”

20 そしてさらにあります。「主は知恵者の考えを知っている。神さまはそれに価値がないと知っている。」

21 So don’t boast about following a particular human leader. For everything belongs to you -- 

21 ですから特定の指導者に従っていることを自慢してはいけません。すべてはあなた方のものです。

22 whether Paul or Apollos or Peter, or the world, or life and death, or the present and the future. Everything belongs to you,

22 パウロであれ、アポロであれ、ペテロであれ、世界であれ、生死であれ、現在であれ未来であれ、すべてはあなた方のものです。

23 and you belong to Christ, and Christ belongs to God.

23 そしてあなた方はキリストのものであり、キリストは神さまのものです。




ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第3章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。これはパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙です。

第1章の前半にはコリントの教会が、パウロ派、アポロ派、ペテロ派、イエス派の派閥に分裂していることが書かれていましたが、第3章はこれについて特にパウロ派とアポロ派を用いて詳しく説明しています。 また第2章では「人の知恵」と「神さまの知恵」が対比されていました。最初にコリントの地を訪れたパウロは、聖霊にたより、できるだけ平易な言葉でイエスさまの十字架だけを伝えたと書いてありました。 後からコリントを訪れたアポロは、Acts 18:24(使徒の働き第18章第24節)に「さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。」([新改訳])と伝えられていますから、おそらくパウロとは対照的に、弁舌を駆使して言葉巧みに福音を伝えたのでしょう。想像するに、この状況から「アポロはパウロよりも優れている」などと主張する人たちが現れて、教会内が派閥に分裂したのでしょう。

第1節ではパウロがコリントにいたときのことを回想して、自分がコリントの信者たちに話をしたときには、「この世に属する人」か、「幼児」に話すかのように話さなければならなかった、と言います。 パウロによると信者は「この世に属する人」から明確に区別されており、さらに信者は成熟した信者と、幼児のような信者にわけられています。信者は幼児のような段階から、段階を経て成熟するということです。

第2節、コリントの信者がまだ幼児のような未熟な状態だったから、パウロは何を与えるかに注意したと書かれています。堅い食べ物とミルクが比喩として用いられています。これがパウロの伝道が、アポロのように言葉巧みではなかったことの理由です。

第3節、パウロはコリントの信者が未だに未熟であると言い、それはコリントの信者たちが互いに嫉妬したり、口論したりしていることで証明される、と言います。これはパウロが重視する他者への愛の欠如した状態、罪深い本質に支配された状態であり、それでは「この世に属する人」と何も変わらないのです。

第4節、パウロは再び、コリントの教会がアポロ派とパウロ派に分裂していることを言います。

第5節、パウロはここからパウロとアポロが誰なのかを説明して行きます。まずパウロもアポロも、神さまが仕事を与えた神さまのしもべです。コリントの人たちはパウロを通じて、あるいはアポロを通じて神さまを信じるようになったのです。パウロもアポロも、コリントの人たちに福音のメッセージを運んだ神さまの道具です。

第6節、最初にコリントを訪れたパウロはコリントの人々の心に種を蒔き、後からコリントを訪れたアポロはそこに水をやりました。しかし人々を呼び、人々を導いたのは神さまご自身です。

第7節、誰が植えるか、誰が水をやるかの過程は重要ではなく、重要であり褒め称えるべきは、人を呼び、信者にして育てる神さまだけなのです。

第8節、最初に植える人も、後から育てる人も、神さまのために働く、人々に福音を届けるという目的は同じです。そして第8節には、その働き手が、それぞれの働きに応じて報酬を受け取ると書いてあります。

第9節、神さまのために福音を伝える働き手がいて、信者は働き手が労働する神さまの畑であり、神さまの建物なのです。

第10節、パウロは自分の伝道活動の力は神さまの恵みにより与えられたとし、つまり自分の活動について自身を誇らず、神さまを褒め称えます。そして神さまから得たその力によって、パウロは最初に建築の基礎となる土台を据えました。後から来るアポロのような人たちは、パウロが据えた土台の上に家を建てます。 比喩が畑に対する「種蒔き」と「水やり」から、地面に対する「土台の設置」と「建物の建築」へと移っています。

第11節、ここで注意しなければいけないのはパウロが据えた土台の重要さです。どのような家を建てるにせよ、イエス・キリスト以外の土台は存在しません。

第12節、イエス・キリストという土台の上に建てるならば、家はどのような材料で作ってもかまいません。材料の例として、金、銀、宝石、木、干し草、わらが挙げられています。建てられる家は信者なのですから、建てる人によって金の信者、銀の信者、木の信者、などが生まれることになります。 具体的にこれらの素材が何を意味するのか、これは想像の域を出ません。

第13節、ただし「裁きの日」が来ると、火が働き手の仕事を評価します。火は木や干し草やわらを燃やし尽くすでしょう。金や銀や宝石で建てた家は生き残るのかも知れません。 家は信者のたとえなのですから、「裁きの日」に行われる最後の裁きで、有罪とされて天国には入れない人は燃え尽きてしまった信者ということになります。これはパウロの書簡に沿うと、最後の裁きの場で「信仰による救い」が剥奪されるという意味ではなく、その人が最初から信者でなかったことがそこで明らかにされたということでしょう。

第14節、もし建てた家が生き残れば、つまり信者が天国入りを許されれば、建築家としての働き手は報酬を受け取るのです。

第15節、ですが建てた家が燃えてしまえば、つまり働き手として自分が育てたと信じた人たちが誰も天国に入れなければ、働き手としての建築家は、自分が熱心に行ったつもりの労働がすべて無になってしまうのですから、大変な損失です。 しかし建築家本人はそれでもかろうじて救われる、と書かれています。これはイエス・キリストを土台として正しく福音を伝えている限りは、たとえその人を通じて天国に入る人がひとりもいなくても、報酬は受け取れないにせよ、その人自身は天国に入れるという意味だと思います。これは福音を人に伝えない、福音の受け手としての一般のクリスチャンと同じです。

第16節、ここで少し論調が変わり、コリントの教会は、所属員の全員が一緒になって神さまの寺院だとパウロは言います。 エルサレムにあるユダヤの寺院は神さまが降臨する唯一の場所だったのですが、いま信者の集合体としての教会が新たに神さまの寺院であると言うことは、地上で神さまの存在する場所がエルサレムの寺院の他に宣言されたことになります。 そして神さまの寺院を構成する信者には、聖霊がその中に住んでいるのです。

第17節、この寺院、つまり神さまの教会を破壊しようとする者は、神さまが滅ぼすと言います。それは神さまの寺院は誰も犯すことが許されない神聖な聖域だからです。そして教会の構成員である信者たちが、その神聖なる聖域なのです。 第16節と第17節は、文脈上、ここだけ別のことを言っているようにも受け取れますが、パウロは教会の分裂を批判して来ているのですから、もし教会の中に分裂を推し進める者がいれば、それはすなわち聖域である神さまの教会を内部から破壊しようとする者であり、そういう者は神さまから滅ぼされることになると警告しているのでしょう。

第18節、パウロはこの節の最初に「自分自身を欺むくのはやめなさい」と言いますが、これを次に言い換えて、もし自分が賢いと思うのならそれは間違いだと諭します。そして真に賢くなるためにばか者になる必要があると謎のようなことを言います。

第19節、その理由は神さまは人の知恵を嫌うからです。人の知恵とは創造主である神さまを無視して、人が自分で何とかできる、自分自身で答えを出せると考える、つまり人の高慢やうぬぼれです。これは全知全能の神さまには愚かな行動としか映りません。 聖書の引用は珍しく旧約聖書の「Job 5:12-13(ヨブ記第5章第12節~第13節)」からです。

「12 神は悪賢い者のたくらみを打ちこわす。それで彼らの手は、何の効果ももたらさない。13 神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。」([新改訳])。

第20節、ここの引用は「Psalm 94:8-12(詩編第94章第8節~第12節)」の中の第11節です。

「8 気づけ。民のうちのまぬけ者ども。愚か者ども。おまえらは、いつになったら、わかるのか。9 耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。10 国々を戒める方が、お責めにならないだろうか。人に知識を教えるその方が。11 主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。12 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。」([新改訳])。

第21節、だから自分が誰に従っているであるとか、自分の師は優れているなどと、自慢することには意味がないのです。

第22節、パウロであれ、アポロであれ、ペテロであれ、誰に教え育てられようとそれは重要ではなく、神さまを信じ、神さまを褒め称える人が神さまの財産なのです。

第23節、クリスチャンはイエスさまのものであり、イエスさまは神さまのものです。






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2015年06月27日

コリント人への手紙第1:第4章

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コリント人への手紙第1第4章第1節~第21節:パウロとコリント人との関係

コリント人への手紙第1 第4章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul’s Relationship with the Corinthians

パウロとコリント人との関係


1 So look at Apollos and me as mere servants of Christ who have been put in charge of explaining God’s mysteries.

1 だからアポロと私は神さまの奥義を説明する仕事に割り当てられた、ただのキリストのしもべと考えなさい。

2 Now, a person who is put in charge as a manager must be faithful.

2 さて、管理者の仕事に割り当てられた人は忠実でなければなりません。

3 As for me, it matters very little how I might be evaluated by you or by any human authority. I don’t even trust my own judgment on this point.

3 私については、あなた方やどんな人間の権威者から、私がどのように評価されるかにはほとんど関係がありません。この点については私は自分自身の判断さえも信用しません。

4 My conscience is clear, but that doesn’t prove I’m right. It is the Lord himself who will examine me and decide.

4 私にはやましいことはありませんが、それで私が正しいと証明されるわけではありません。私を調べ決断を下すのは主ご自身です。

5 So don’t make judgments about anyone ahead of time -- before the Lord returns. For he will bring our darkest secrets to light and will reveal our private motives. Then God will give to each one whatever praise is due.

5 だから時が来る前に、主が戻られる前に、誰かについて決断を下していけません。と言うのは主が私たちの暗黒の秘密を明るみに出し、私たちの秘密の動機を明らかにするからです。神さまは一人ひとりに相応の賞賛を与えるのです。

6 Dear brothers and sisters, I have used Apollos and myself to illustrate what I’ve been saying. If you pay attention to what I have quoted from the Scriptures, you won’t be proud of one of your leaders at the expense of another.

6 兄弟たち、姉妹たち、私はアポロと私を用いて私が言ってきたことを説明しました。私が聖書から引用した部分を注意深く読めば、他の指導者を犠牲にして、一人の指導者を自慢することはないでしょう。

7 For what gives you the right to make such a judgment? What do you have that God hasn’t given you? And if everything you have is from God, why boast as though it were not a gift?

7 あなた方にそのような判断を下す権限を与えるのは誰ですか。あなた方は神さまがあなた方に与えなかった何を持っているというのですか。もしあなた方が持っているものすべてが神さまから来ているのなら、どうしてそれが贈り物でないかのように自慢するのですか。

8 You think you already have everything you need. You think you are already rich. You have begun to reign in God’s kingdom without us! I wish you really were reigning already, for then we would be reigning with you.

8 あなた方は自分たちが必要とする物すべてをすでに持っていると考えています。あなた方は自分たちがすでに裕福だと考えています。あなた方は私たちを抜きにして、神さまの王国での支配を開始しているのです。あなた方がすでに支配をしていたら良いのにと思います。そうすれば私たちもあなた方と共に支配していることでしょうから。

9 Instead, I sometimes think God has put us apostles on display, like prisoners of war at the end of a victor’s parade, condemned to die. We have become a spectacle to the entire world -- to people and angels alike.

9 代わりに私はときどき考えます。神さまは私たち使徒を、戦勝者の行進の最後尾に、死刑を宣告された戦争の捕虜のように展示したのではないかと。私たちは全世界に対して、人に対しても天使に対しても見世物になりました。

10 Our dedication to Christ makes us look like fools, but you claim to be so wise in Christ! We are weak, but you are so powerful! You are honored, but we are ridiculed.

10 私たちのキリストに対する献身は私たちを愚かな者に見せます。しかしあなた方はキリストにあってとても賢いと主張しています。私たちは弱いですが、あなた方は強いのです。あなた方は栄誉を受けていますが、私たちは笑いものにされています。

11 Even now we go hungry and thirsty, and we don’t have enough clothes to keep warm. We are often beaten and have no home.

11 今でも私たちは飢え、渇き、暖を取るための着物も十分にありません。私たちはしばしば打たれ、家もありません。

12 We work wearily with our own hands to earn our living. We bless those who curse us. We are patient with those who abuse us.

12 私たちは疲弊しながら自分の手で働いて生計を立てています。私たちは私たちを呪う人たちを祝福します。私たちは私たちを口汚くののしる人たちに辛抱します。

13 We appeal gently when evil things are said about us. Yet we are treated like the world’s garbage, like everybody’s trash -- right up to the present moment.

13 私たちに邪悪なことが言われるときには、私たちは穏やかに懇願します。それでも私たちは今日という日まで世のゴミのように、みなのくずのように扱われています。

14 I am not writing these things to shame you, but to warn you as my beloved children.

14 私がこのことを書くのは、あなた方を恥じさせるためではなく、私の愛する子どもとして、あなた方に注意を与えるためです。

15 For even if you had ten thousand others to teach you about Christ, you have only one spiritual father. For I became your father in Christ Jesus when I preached the Good News to you.

15 たとえあなた方にキリストについて教える人が他に一万人いても、霊的な父は一人だけです。それは私があなた方に良い知らせを伝えたとき、私がイエス・キリストにあってあなた方の父になったからです。

16 So I urge you to imitate me.

16 ですから私はあなた方に私を手本にするように勧めます。

17 That’s why I have sent Timothy, my beloved and faithful child in the Lord. He will remind you of how I follow Christ Jesus, just as I teach in all the churches wherever I go.

17 だから私はあなた方のところへ、私の愛する忠実な主の子供、テモテを送ったのです。テモテがあなた方に私がどのようにイエス・キリストに従っているかを思い起こさせるでしょう。私が訪れるすべての教会で私が教えているとおりにです。

18 Some of you have become arrogant, thinking I will not visit you again.

18 あなた方の中には私があなた方を再び訪れることはないだろうと考えて尊大になっている人がいます。

19 But I will come -- and soon -- if the Lord lets me, and then I’ll find out whether these arrogant people just give pretentious speeches or whether they really have God’s power.

19 しかし主が私にそうさせれば、私はすぐにでも行きます。そして私はその尊大な人たちがうぬぼれた説教をするかどうか、本当に神さまの力を持っているのかどうか、見極めるでしょう。

20 For the Kingdom of God is not just a lot of talk; it is living by God’s power.

20 なぜなら神さまの王国は単なる多くのことばではなく、神さまの力によって生きているからです。

21 Which do you choose? Should I come with a rod to punish you, or should I come with love and a gentle spirit?

21 あなた方はどちらを選びますか。私はむちを持ってあなた方を懲らしめに行くべきですか。あるいは愛と優しい心を持って行きましょうか。




ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第4章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。これはパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙です。

第1章の前半にはコリントの教会が、パウロ派、アポロ派、ペテロ派、イエス派の派閥に分裂していることが書かれており、第3章はこれについて特にパウロ派とアポロ派を用いて詳しく説明しました。 パウロが最初に平易な言葉で福音を伝えたのとは対照的に、後から来たアポロは弁舌を駆使して言葉巧みに伝道したと思われ、おそらくここから「アポロはパウロよりも優れている」などと主張する人たちが現れて、教会が派閥に分裂したのです。 第3章はパウロとアポロの役目を説明した後で、自分が誰に教えられるかは重要ではなく、自分が神さまの子供として神さまをを信じ、神さまを褒め称える人となることが重要と結びました。

第1節、パウロもアポロも福音を運ぶ器として神さまから選ばれた道具なのです。

第2節~第4節、神さまから仕事を割り当てられた人は忠実な働き手でなければなりませんが、果たして自分が忠実であるか、パウロは人の評判はもちろんのこと、自分の判断さえ信頼しません。最後に結論を出すのは神さまだからです。

第5節、だから「終わりの日」の神さまの裁きの前に、人が人の視点で誰かを裁くことには意味がないのです。神さまは最後の裁きのときに一人ひとりのの暗黒の秘密をすべて明るみに出し、一人ひとりの動機、真の目的を明らかにするのです。そして神さまは一人ひとりの働きに相応の賞賛を与えるのです。 うわべだけ忠実に神さまの仕事をやっているように見えても、その人の心の裏に隠された真の動機が何なのかはわかりません。もしかすると本人でさえ、自分の真の目的に気付いていないのかも知れません。

第6節からはコリントの人たちに向けられた厳しい批判となります。第6節はまず、ここまでの旧約聖書の引用をよく読むようにとさとします。 第1章では「Isaiah 29:13-14(イザヤ書第29章第13節~第14節)」が引用され、神さまが世の知恵者に知恵を滅ぼし、悟りある者の悟りを隠すとの呪いをかけたことを示しました。また「Jeremiah 9:23-24(エレミヤ書第9章第23節~第24節)」を引用し、知恵ある者は自分の知恵を誇るな、強者は自分の強さを誇るな、裕福な者は自分の富を誇るな、ただひとつ神さまを知っていることだけを誇れ、と示しました。

第2章では「Isaiah 64:1-4(イザヤ書第64章第1節~第2節)」を引用し、予想もしなかった恐ろしい事をするのは、神さまだけで他にはいないとします。 また「Isaiah 40:12-17(イザヤ書第40章第12節~第17節)」を引用し、ちっぽけな人間が神さまの力を推し量ることなどできない、神さまにとっては国々さえ水の一滴、ゴミくずに過ぎないとします。第3章では「Job 5:12-13(ヨブ記第5章第12節~第13節)」を引用し、 神さまが人の知恵を嫌い、神さまが知恵者をこらしめると警告します。そして「Psalm 94:8-12(詩編第94章第8節~第12節)」の引用では、神さまは人の知恵がどれほど空しいかを知っていると言います。

第7節~第8節、しかしコリントの信者たちの中には、自分たちがすべてを知っているかのような発言をする人がいるらしく、その人たちは神さまも、指導者である使徒も無視して横柄に振る舞っているのです。

第9節からパウロは使徒の苦難を語ります。第9節でパウロは使徒が、戦勝者の凱旋の行進で、最後尾に戦勝国の人たちに見世物として展示される捕虜のようだと言います。捕虜はやがて処刑されるのです。

第10節、使徒は自分の私的な部分をすべて犠牲にして福音の伝道に努めます。これは人々の目には馬鹿げた行動としか映りません。人々はそんな使徒を見て冷笑します。

第11節、使徒たちは食べ物に困り、着る物も十分になく、住む家もありません。ときに逮捕されれば公衆の面前でむち打たれ、投獄もされます。

第12節、使徒は生きていくために自分で働いて生計を立てなければなりません。自分たちをののしる人たちを堪え忍び、ときにはその人たちのためにお祈りします。

第13節、そうやって生きても、使徒は世の中のゴミのように扱われるのです。

第14節、パウロはどうしてコリントの信者たちにこんな話をするのでしょうか。パウロはコリントの人たちに使徒の境遇を示すことで恥じ入らせて反省させ、自分の自尊心を守りたいのではありません。

第15節、パウロはコリントの信者たちにとって自分だけが特別な存在なのだと告げます。自分が最初にコリントの地を訪れて福音を伝えたとき、自分はコリントの信者たちの父になったのだと言います。パウロは自分が開いた教会の信者たちを自分の子供のように大切に思っているのです。

第16節、パウロはコリントの信者たちに自分をお手本にするようにと言います。信仰と愛と希望に生きるパウロはクリスチャンのお手本です。神さまの賛美、神さまの賞賛を第一に置き、それ以外の自分のすべてを捨て去り、自慢したり、何かを必要以上に求めることがありません。 これに対してコリントの一部の信者は明らかに自分の知恵を誇り、自分自身を特別視し、それを他の信者たちにも求めているのです。

第17節、パウロは自分がコリントへ行けない代わりに、この手紙を書くのに先立ってテモテを送っていたのです。

第18節~第19節、コリントの教会の一部の信者、横柄に振る舞う人たちは、パウロ自身がコリントを再び訪れることを恐れています。パウロは神さまの意志であれば、すぐにでもコリントを訪れてその人たちを吟味すると言います。

第20節、パウロは「神さまの王国は単なる多くのことばではなく、神さまの力によって生きている」と書きますが、ここからもコリントの一部の信者が知恵と弁舌を用いて横柄に振る舞っていることがうかがえます。

第21節、パウロは自分がコリントを再び訪れる際には、「むち」を持っていくべきか、あるいは「愛と優しい心」を持って行くべきか、と問いかけます。






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