コリント人への手紙第1

2015年06月30日

コリント人への手紙第1:はじめに

コリント人への手紙第1


はじめに
第01章 第02章 第03章 第04章 第05章
第06章 第07章 第08章 第09章 第10章
第11章 第12章 第13章 第14章 第15章
第16章
全体目次




新約聖書の「Acts(使徒の働き)」は、イエスさまが十字架死から復活後に天に戻られた後、使徒たちがどのように福音を広めていったかを書いた本なのですが、その後半は特にパウロの活動を詳しく取り扱っています。

「Acts(使徒の働き)」の中で、パウロは伝道の旅を三回行った後、エルサレムでローマ帝国軍に拘束され、最後にローマへ護送されています。新約聖書にはパウロがこれらの伝道の旅の途中で自分が開いた、あるい自分が関与した教会の信者たちに宛てて送った手紙がいくつか収められています。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」もそのひとつです。コリント人(びと)への手紙には、第1と第2がありますが、これはその一つ目です。

手紙はパウロから「コリントの教会」へ宛てられています。

第二回目の伝道の旅で、パウロは小アジアの西の端、エーゲ海に面したトロアスの港に来たところで幻を見ます。幻の中ではギリシヤ北部のマケドニヤ人が、マケドニヤに来て私たちを助けてください、とパウロを招きました。おおざっぱに現ギリシヤの北部がローマ帝国支配下のマケドニヤ州で、南部がアカヤ州です。

パウロはこの招きに応じます。一行はサモトラケ島(サモトラキ島)経由でマケドニヤのネアポリスに上陸し、すぐ近くのピリピへ到着すると、ピリピにしばらく滞在します。ピリピではパウロと同行者のシラスが逮捕され、棒で打たれて投獄されてしまいます。翌日釈放されると、ふたりはマケドニヤ州の州都テサロニケ(テッサロニキ)へ向かいました。

テサロニケではパウロとシラスに嫉妬を抱くユダヤ人が現れ、暴動が起こります。難を逃れたふたりは次の町、ベレヤに向かいました。ところがテサロニケのユダヤ人はふたりをベレヤまで追いかけて来るのです。パウロはシラスとテモテ(ルステラの町で旅に加わった信者です)を残して町を脱出し、半島を南下してアカヤ州のアテネに至りました。

アテネではパウロはギリシヤの高等議会「アレオパゴス」で、エピクロス派やストア派の哲学者たちの前で福音を話す機会を得ます。議員の多くはパウロの話を聞いて笑いましたが、中には福音を受け入れて信者になった人もいました。

それからパウロはアテネの西、100キロほどのところにあるコリントへ移動します。コリントは現代の地図上では「コリントス」と表記されています。地図を見ると、ギリシヤの南端にペロポニソス半島がありますが、この半島はほとんど島のような半島で、ギリシヤ本土とはものすごく細い土地でつながっているのがわかります。コリントはその細い地峡部分にあります。

ペロポニソス半島は広大な半島ですし、コリントは地峡の南北に港を配していたので、町が交易の中心として栄えたであろうことは容易に想像できます。wikipediaで調べると、古代ギリシアではアテネやスパルタと並ぶ主要な都市国家(ポリス)のひとつで、ローマ帝国支配下ではアカヤ州の州都だったと書かれています。

パウロはコリントでイタリヤからクラウディス帝の迫害を逃れてきたアクラとプリスキラのユダヤ人夫婦と出会い、おそらく資金繰りのために彼らと共に労働を余儀なくされます。やがてベレヤに残してきたシラスとテモテが、これもおそらくこれまでパウロの伝道で信者となった人たちから集めてきた活動資金を携えて合流しました。パウロはそれから一年半という長期にわたってコリントに滞在し、人々に神さまの言葉を伝えました。

コリントは大きな町でしたのでイスラエル国外に暮らす、いわゆるディアスポラ系のユダヤ人も多くが生活しており、ということはユダヤ人の会堂があります。パウロはいつものように会堂でユダヤ人に福音を伝えるところからスタートしますが、ユダヤ人はパウロを受け入れようとしません。

そこでパウロは活動拠点を会堂の隣にあるテテオ・ユストという異邦人の家に移し、そこで異邦人に福音を伝え始めます。多くの異邦人がパウロのメッセージを受け入れて信者となりますが、注目すべきはクリスポというユダヤ人の会堂管理者が信者となっている点です。会堂管理者は地域のユダヤ人の尊敬を集める人物ですので、そういう人が信者となっていると言うことは、少なからずユダヤ人の信者もいたと想像できます。

ガリオという人がコリントの地方総督であったときに、パウロを憎むユダヤ人たちがパウロを訴えますが、ガリオはユダヤ人の問題は裁かないと言って受け入れません。

一年半の滞在後、パウロはプリスキラとアクラを連れてコリントを去ると、船でエーゲ海を横切り、小アジアのエペソに上陸します。ここでパウロは、おそらく教会開拓の目的でプリスキラとアクラの夫婦をエペソに残し、自分はカイザリヤ経由でエルサレムに入り、それから出発地であるシリヤのアンテオケへ戻ります。

しばらくするとパウロは第三回目の伝道旅行に出発します。第三回目の旅程は第二回目の旅程と同様に陸路を辿りますが、ピシデヤのアンテオケからはそのまま西へ進んで、ラオデキヤ経由でエペソに至ります。

この間、コリントの教会では様々な問題が発生していました。まずコリントが大きな町であるが故に、そこにはアポロを始めとして様々なタイプの伝道者が訪れて伝道活動を行ったようです。これによって信者たちが分断されて派閥が形成されてしまいます。また信仰生活上でも多くの問題や疑問が発生してきます。

パウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎます。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」は、このような状況のコリントの教会に向けて書かれた指導書的な手紙ですが、文面を読むと手紙を書く前にテモテがコリントへ派遣されていることがわかります。

さてパウロはどのような指導を行うのでしょうか。






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コリント人への手紙第1第1章第1節~第17節:パウロからのあいさつ、パウロが神さまに感謝を捧げる、教会の分裂

コリント人への手紙第1 第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Greetings from Paul

パウロからのあいさつ


1 This letter is from Paul, chosen by the will of God to be an apostle of Christ Jesus, and from our brother Sosthenes.

1 この手紙は、神さまの意志によってイエス・キリストの使徒として選ばれたパウロと、私たちの兄弟ソステネからです。

2 I am writing to God’s church in Corinth, to you who have been called by God to be his own holy people. He made you holy by means of Christ Jesus, just as he did for all people everywhere who call on the name of our Lord Jesus Christ, their Lord and ours.

2 私はコリントにある神さまの教会、つまり神さまご自身の神聖な民となるべく、神さまから呼ばれたあなた方へ宛てて書いています。人々の主であり私たちの主であるイエス・キリストの名前を呼び求めるあらゆる場所の人たちに、神さまがしたのとまったく同じように、神さまはあなた方をイエス・キリストによって神聖にしました。

3 May God our Father and the Lord Jesus Christ give you grace and peace.

3 どうか父なる神さまと主イエス・キリストが恵みと平安をあなた方にもたらしますように。



Paul Gives Thanks to God

パウロが神さまに感謝を捧げる


4 I always thank my God for you and for the gracious gifts he has given you, now that you belong to Christ Jesus.

4 私はいつもあなた方について、そして神さまがあなた方に与えた恵み深い贈り物、いまあなた方がイエス・キリストに属していることについて私の神さまに感謝しています。

5 Through him, God has enriched your church in every way -- with all of your eloquent words and all of your knowledge.

5 神さまはイエス・キリストを通じてあなた方の教会を、あなた方の雄弁な言葉とあなた方の知識、そしてあらゆる意味で豊かにしてくださいました。

6 This confirms that what I told you about Christ is true.

6 これはキリストについて私があなた方に話したことが正しいと言うことです。

7 Now you have every spiritual gift you need as you eagerly wait for the return of our Lord Jesus Christ.

7 あなた方が熱心に主イエス・キリストの再来を待つ間、あなた方は必要とする霊的な贈り物のすべてを持っています。

8 He will keep you strong to the end so that you will be free from all blame on the day when our Lord Jesus Christ returns.

8 神さまはあなた方を最後まで強く保つことでしょう。それは私たちの主イエス・キリストが再来する日に、あなた方がすべての罪から自由であるためです。

9 God will do this, for he is faithful to do what he says, and he has invited you into partnership with his Son, Jesus Christ our Lord.

9 神さまがこれをしてくれるのは、神さまは自分の言うことを実行する誠実な方だからであり、神さまは息子の主イエス・キリストとの仲間としてあなた方を招いたからです。



Divisions in the Church

教会の分裂


10 I appeal to you, dear brothers and sisters, by the authority of our Lord Jesus Christ, to live in harmony with each other. Let there be no divisions in the church. Rather, be of one mind, united in thought and purpose.

10 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、互いに調和をもって暮らすように主イエス・キリストの権威によりあなた方にお願いします。教会で分裂を起こさないでください。そうではなく、一つの心で、考えと目的を一つにしてください。

11 For some members of Chloe’s household have told me about your quarrels, my dear brothers and sisters.

11 と言うのはクロエの家の何名かがあなた方の仲違いについて私に教えてくれたのです、親愛なる兄弟たち、姉妹たち。

12 Some of you are saying, “I am a follower of Paul.” Others are saying, “I follow Apollos,” or “I follow Peter,” or “I follow only Christ.”

12 あなた方の中には「私はパウロの弟子だ」と言う人たちがいて、他の人たちは「私はアポロに従う」とか「私はペテロに従う」とか「私はキリストだけに従う」と言っています。

13 Has Christ been divided into factions? Was I, Paul, crucified for you? Were any of you baptized in the name of Paul? Of course not!

13 キリストが派閥に分割されたのですか。私、パウロがあなた方のために十字架に掛けられたのですか。あなた方の誰かはパウロの名によって洗礼を受けましたか。もちろん違います。

14 I thank God that I did not baptize any of you except Crispus and Gaius,

14 私はクリスポとガイオを除いて、あなた方のだれにも洗礼を授けなかったことを神さまに感謝しています。

15 for now no one can say they were baptized in my name.

15 それはいま誰も私の名によって洗礼を受けたと言うことができないからです。

16 (Oh yes, I also baptized the household of Stephanas, but I don’t remember baptizing anyone else.)

16 (あぁ、そうでした、私はステパナの家族にも洗礼を授けました。しかし他には誰かに洗礼を授けた覚えはありません。)

17 For Christ didn’t send me to baptize, but to preach the Good News -- and not with clever speech, for fear that the cross of Christ would lose its power.

17 と言うのはキリストは洗礼を授けさせるためではなく、良い知らせを伝道するために私を遣わしたからです。それもキリストの十字架がその力を失わないよう、利口なスピーチよらずにです。




ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第1章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。教会ではどのような問題が発生し、パウロはどのような指導を行うのでしょうか。

第1節に発信人としてパウロに名前を連ねて登場するソステネは、Acts 18:17(使徒の働き第18章第17節)に名前が出ていました。Acts 18:11-17(使徒の働き第18章第11節~第17節)を引用します。パウロがコリントにいたときの話です。

「11 そこでパウロは、一年半ここに腰を据えて、彼らの間で神のことばを教え続けた。12 ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、13 「この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています」と訴えた。14 パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。「ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、15 あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。」 16 こうして、彼らを法廷から追い出した。17 そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕らえ、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。」([新改訳])。

パウロがコリントに滞在中、ガリオという人がローマ帝国から任命されたコリントの地方総督であったときに、パウロを憎むユダヤ人たちがパウロを訴えますが、ガリオはユダヤ人の問題は裁かないと言って受け入れません。 すると怒ったユダヤ人たちは代わりに会堂管理者のソステネを捕らえて打ち叩きます。おそらくこの時点でソステネはユダヤ人側でパウロを訴えたグループの一人なのだと思います。パウロの告訴がうまく行かなかったことで、ユダヤ人は怒りの矛先を会堂管理者に向けたのではないでしょうか。 しかし今回はパウロの手紙に名前を連ねていますから、その後で信者となったと言うことです。他にクリスポというユダヤの会堂管理者も信者になっていますから、ソステネはクリスポの後任なのか、あるいはコリントは大きな町ですから別の会堂の管理者なのかも知れません。

第5節、パウロが神さまに捧げる感謝の言葉の中に、コリントの信者たちの雄弁な言葉と知識があげられています。パウロはコリントに入る前に、アテネでエピクロス派やストア派の哲学者たちと議論しましたが、アテネに近く州都としてさらに大きな町であるコリントでも哲学の探求は幅広く行われていたのでしょう。結果として信者となった人の中にも、雄弁な言葉と知識を持つ人たちが多く存在したと想像できます。

第8節では、イエスさまが再来する日、つまり「終わりの日」への言及があり、神さまはこの日までコリントの信者を強く保つと書いてあります。そしてその理由は、そのイエスさま再来の時点で、コリントの信者があらゆる罪から自由であるため、とあります。 「あらゆる罪から自由である」というのはすなわち、福音を受け入れて「救われている」状態のことでしょう。この部分を反対に読むと、神さまがコリントの信者を強く保たなければ、信者のうちの何名かは罪から自由ではくなることになります。 これは他の書簡でも類似のことが書かれているように、信者が何かの理由で一度獲得した「救い」から脱落するケースがあるという意味ではなく、最初から信者でなかったことが明るみに出る人たちがいる、という意味だと理解します。

第10節以降は、コリントの教会で見られる最初の問題、「分裂」についてです。

第11節でこれをパウロに伝えた、「クロエの家の人たち」が誰なのかはわかりません。何かの理由、あるいはビジネスでエペソとコリントを行き来する人たちと考えられます。

第12節で教会の分裂の様子が明らかになります。つまり信者たちは「私はパウロの弟子だ」「私はアポロに従う」「私はペテロに従う」「私はキリストだけに従う」などと言って、教会の中がパウロ派、アポロ派、ペテロ派、キリスト派に分裂し、互いに口論しているのです。 パウロは第10節で、このような状況のコリントに教会に、互いに調和をもって暮らすように、一つの心で、考えと目的を一つにするようにお願いしています。

派閥のひとつに登場するアポロはActs 18(使徒の働き第18章)に登場します。パウロは第二回目の伝道旅行でコリントからエペソに来て、コリントから同行してきたプリスキラとアクラの夫婦をそこに残してエルサレムへ向かいますが、アポロはその後でエペソに来てプリスキラとアクラに会っています。Acts 18:24-19:7(使徒の働き第18章第24節~第19章第7節)です。

「24 さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。25 この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。26 彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。27 そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。28 彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。1 アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、2 「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。3 「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。4 そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。5 これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。6 パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。7 その人々は、みなで十二人ほどであった。」([新改訳])。

第27節でアポロはコリントのある「アカヤへ渡りたい」と思っていて、パウロはアポロがコリントにいるときに第三回目の伝道旅行でエペソへ来たのでした。

ペテロはもちろん十二使徒のひとりのペテロですが、ペテロがコリントへ行ったという記録は新約聖書の中にはありません。が、その可能性はあると思います。

パウロは第14節~第17節で自分が誰に洗礼を授けたかを書いています。「洗礼」と言うのは信仰を表明した信者を水中に水没させる儀式のことです。これは信仰の告白により、聖霊が信者を訪れてその中に宿り、信者が霊的にイエスさまに浸る、いわゆる「聖霊のバプテスマ」を象徴的に示す儀式です。 パウロはこの儀式をクリスポ、ガイオ、ステパナの家族に授けたと書かれています。 クリスポはコリントのユダヤ会堂の管理者で、Acts 18(使徒の働き第18章)に登場します。Acts 18:4-18:8(使徒の働き第18章第4節~第8節)です。

「4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。5 そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。6 しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの血は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。7 そして、そこを去って、神を敬うテテオ・ユストという人の家に行った。その家は会堂の隣であった。8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。」([新改訳])。

ユダヤ人たちはパウロの伝道に暴言を吐いて反抗したので、パウロは会堂を後にしてテテオ・ユストと言う異邦人の家に移り(実は会堂の隣の家です)、ここを伝道活動の拠点としますが、会堂管理者のクリスポは福音を信じたのです。

ガイオはRomans 16:23(ローマ人への手紙第16章第23節)に名前が出て来ます。「私と全教会との家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の収入役であるエラストと兄弟クワルトもよろしくと言っています。」([新改訳])。 「Romans(ローマ人への手紙)」が書かれた場所はコリントなので、パウロと教会の全体がこのガイオという人物の家にお世話になっていることになります。ガイオはテテオ・ユストと同一人物ではないか、という説もあります。

ステパナはコリントの教会からエペソまでパウロを訪ねてやって来た三人のうちのひとりです。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の最後、1 Corinthians 16:15(コリント人への手紙第1第16章第15節)には、「兄弟たちよ。あなたがたに勧めます。ご承知のように、ステパナの家族は、アカヤの初穂であって、聖徒たちのために熱心に奉仕してくれました。」([新改訳])と書かれていますから、ステパナはアカヤ州で最初に信者となった人なのです。

第17節でパウロはイエスさまがパウロを遣わしたのは、洗礼を授けさせるためではなく、良い知らせ(福音)を伝道するためだと書いています。 つまり「洗礼を授けること」と「福音を伝道すること」、言い換えれば「伝道した福音を信じてもらうこと」「福音を信じた人が聖霊を受けること」は別なのです。洗礼は福音を信じた後で象徴的に行う儀式です。 上のアポロの箇所で引用した部分で、アポロは最初「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」と書かれていますが、この「ヨハネのバプテスマ」は洗礼者ヨハネがヨルダン川で行っていた、「悔い改め」を表明した人を水没させる「水による洗礼」のことです。アポロはエジプトのアレクサンドリアで福音を学び、それを雄弁に語っていましたが、エペソでプリスキラとアクラに教わるまでは、聖霊によるバプテスマの存在を知らず、水による洗礼だけを儀礼的に行っていたようです。






english1982 at 22:00|Permalink

コリント人への手紙第1第1章第18節~第31節:神さまの知恵

コリント人への手紙第1 第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Wisdom of God

神さまの知恵


18 The message of the cross is foolish to those who are headed for destruction! But we who are being saved know it is the very power of God.

18 十字架の言葉は滅びに向かう人々には馬鹿げています。しかし救われている私たちはそれこそが神さまの力だと知っています。

19 As the Scriptures say, “I will destroy the wisdom of the wise and discard the intelligence of the intelligent.”

19 聖書が言うとおりです。「私は賢い者の知恵を破壊し、利口者の知恵を捨て去る。」

20 So where does this leave the philosophers, the scholars, and the world’s brilliant debaters? God has made the wisdom of this world look foolish.

20 それではこれで、哲学者は、学者は、世界の才気あふれる論客はどこに行くのでしょうか。神さまはこの世の知恵を馬鹿げたものにしたのです。

21 Since God in his wisdom saw to it that the world would never know him through human wisdom, he has used our foolish preaching to save those who believe.

21 神さまはその知恵によって、世が人の知恵によって神さまを知ることのないように計らったのです。神さまは信じる者を救うために私たちの馬鹿げた伝道活動を使ったのです。

22 It is foolish to the Jews, who ask for signs from heaven. And it is foolish to the Greeks, who seek human wisdom.

22 伝道は天からのしるしを求めるユダヤ人には馬鹿げています。そして伝道は人の知恵を探求するギリシヤ人には馬鹿げています。

23 So when we preach that Christ was crucified, the Jews are offended and the Gentiles say it’s all nonsense.

23 だから私たちがキリストが十字架にかけられたと伝えるとき、ユダヤ人は腹を立て、異邦人はまったくのたわごとだと言うのです。

24 But to those called by God to salvation, both Jews and Gentiles, Christ is the power of God and the wisdom of God.

24 しかし救いのために神さまから呼ばれた人たちには、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、キリストは神さまの力であり、神さまの知恵なのです。

25 This foolish plan of God is wiser than the wisest of human plans, and God’s weakness is stronger than the greatest of human strength.

25 この神さまの馬鹿げた計画は最も賢い人の計画よりも賢く、神さまの弱さはもっとも偉大な人の強さよりも強いのです。

26 Remember, dear brothers and sisters, that few of you were wise in the world’s eyes or powerful or wealthy when God called you.

26 思い出してください、親愛なる兄弟たち、姉妹たち、神さまがあなた方を呼んだとき、世の中の視点では、あなた方の中に賢い者、権力のある者、富を持つ者はほとんどいません。

27 Instead, God chose things the world considers foolish in order to shame those who think they are wise. And he chose things that are powerless to shame those who are powerful.

27 代わりに神さまは、自分が賢いと思う人たちをはずかしめるために、この世が馬鹿げていると思うものを選んだのです。神さまは権力のある人たちをはずかしめるために力のないものを選んだのです。

28 God chose things despised by the world, things counted as nothing at all, and used them to bring to nothing what the world considers important.

28 神さまは世が軽蔑するもの、まったく取るに足りないものを選び、それを使って世がまったく重要と思わないものへと運ばせたのです。

29 As a result, no one can ever boast in the presence of God.

29 結果として神さまの前では誰も誇ることはできません。

30 God has united you with Christ Jesus. For our benefit God made him to be wisdom itself. Christ made us right with God; he made us pure and holy, and he freed us from sin.

30 神さまはあなた方をイエス・キリストとひとつにしました。私たちのために神さまはイエスさまを知恵そのものとしました。キリストは神さまから見て私たちを正しくし、私たちを潔白で神聖にしました。神さまは私たちを罪から解き放ちました。

31 Therefore, as the Scriptures say, “If you want to boast, boast only about the Lord.”

31 だから聖書は言うのです。「もしあなた方が誇りたければ、主だけを誇りなさい。」



ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第1章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。これはパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙です。

第1章の前半ではコリントの教会が、パウロ派、アポロ派、ペテロ派、イエス派の派閥に分裂していることが書かれていました。パウロは教会に、一つの心で、考えと目的を一つにするようにとお願いします。

前回の最後、第17節には「キリストは洗礼を授けさせるためではなく、良い知らせを伝道するために私を遣わしたからです。それもキリストの十字架がその力を失わないよう、利口なスピーチよらずにです。」([拙訳])と書いてありました。 今回はこの言葉の後半部分、キリストの十字架がその力を失わないよう、利口なスピーチによらずに福音を伝道するという部分についてです。

第18節、パウロは「十字架の言葉は滅びに向かう人々には馬鹿げている」と言います。「滅びに向かう人々」と言うのは福音を信じないで最終的に火の池へ投げ込まれてしまう人たちのことです。私たちが人々に福音を伝えると、多くの人たちが「馬鹿げている」と考え、受け入れようとしません。 パウロは「しかし救われている私たちはそれこそが神さまの力だと知っている」と言います。クリスチャンはたった一人で全人類の罪を背負って身代わりとなった「イエスさまの十字架」こそが、神さまの力だと知っています。

第19節で引用されている旧約聖書の言葉は、Isaiah 29:13-14(イザヤ書第29章第13節~第14節)です。

「13 そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」([新改訳])。

ユダヤ人は伝えられ教えられるままに神さまを崇拝してはいるが、心は神さまの方を向いていない、神さまはこの状況を嘆き、怒ります。そして知恵ある者の知恵が滅び、悟りある者の悟りが隠されるように呪いをかけます。 ユダヤ人の間で代々守り伝えられてきたもの、それはユダヤ人の知恵や英知の集大成です。私たちも自分の学んだこと、気付いたことを他の人や後の代に伝えようと知恵を絞ります。そういう「知恵」のことです。 そんな風に人間が知恵を絞って何かを作り上げたところで、それが表面的な情報の伝達にとどまり、そこに心が伴わなければ、真の意味での理解に至らなければ意味がありません。だから神さまは呪いをかけたのです。

第20節、それで哲学者、学者、論客などと言う、世の中で頭の良いとされる人たちの知恵は、何の役にも立たないことにされてしまいました。

第21節、その結果、世の中は人の知恵では神さまに到達できない状態になりました。どれだけ自分で一生懸命探求しても、人間の英知や科学を結集しても、人はそれで神さまを知ることはできないのです。 ではどうやって人は神さまを知ることができるのか。神さまが選んだ手段は「馬鹿げた伝道活動」です。人が人へと伝える地味で地道な伝道の活動です。なんて非科学的で、非効率な方法でしょうか。

第22節、イエスさまの十字架を伝える伝道は、救世主をイスラエルを窮地から救い出す英雄に位置づけるユダヤ人には馬鹿げています。十字架にかかって殺されてしまう救世主などばかばかしくて受け入れられません。 同様にイエスさまの十字架を伝える伝道は、幅広く哲学を行い、人とは何か、人生とは何かを探求し続けるギリシヤ人にも馬鹿げています。ひとりの人間の十字架での死が、神さまと永遠のいのちへ至る唯一の道であるなどという考えは、まったくのナンセンスです。

第23節、だから十字架の福音が伝えられるとき、ユダヤ人は腹を立て、異邦人は戯れ言だと言うのです。

第24節、パウロはここで福音を信じて受け入れた人を「神さまから呼ばれた人たち」と読んでいます。つまりクリスチャンは自分で神さまを選んだ人ではなく、神さまに選ばれ、呼び出された人たちということになります。 そういう神さまに呼ばれた人たちにとっては、ユダヤ人もギリシヤ人も関係なく、イエスさまの十字架こそが神さまの力であり、神さまの崇高で偉大な計画、神さまの知恵そのものです。

第25節、パウロは「この神さまの計画は最も賢い人の計画よりも賢い」と言います。世の中で最も頭が良いとされる人たちは、その賢さが障壁となって福音を受け入れることができないでしょう。神さまの知恵は世の知恵よりも勝っているのです。 またパウロは「神さまの弱さはもっとも偉大な人の強さよりも強い」と言います。イエス・キリストというひとりの人間が、裏切られ、捕らえられ、むち打たれ、十字架にかけられて殺されてしまう、そういう「弱さ」によって貫かれたイベントの成就が全人類を救うのです。この「弱さ」は世の中のあらゆる「強さ」に勝っているのです。

第26節、パウロは自分たち信者の教会の中に、賢い者、権力のある者、富を持つ者がほとんどいないことを思い起こさせます。

第27節、それはどうしてなのか。それは最後の最後に、自分が賢いと自負する人たちをはずかしめるため、自分には富や権力があると自負する人たちをはずかしめるためだと言います。そのためにわざわざ馬鹿な者、弱い者、貧しい者を選んだと言うことです。

第28節、神さまは世の中で蔑視されている者、軽視されている者を選んで信者とし、その信者を使って福音のメッセージを、これまた世の中でまったく重要とされていない人たちへと、伝道という馬鹿げた手段を使って運ばせるのです。

第29節、それはなぜか。そうすればクリスチャンが神さまの前に立つとき、そこでは誰も自分の知恵や権力や富を誇ることができません。

第30節、神さまは私たちの考える知恵の代わりに、イエス・キリストの十字架を知恵そのものにしたのです。イエスさまの十字架が私たちを神さまから見て正しくし、私たちの罪の汚れを洗い流して清廉で神聖な状態とし、神さまは私たちを罪の呪縛から解放したのです。

第31節の聖書の引用は、Jeremiah 9:23-24(エレミヤ書第9章第23節~第24節)です。

「23 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。24 誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。--主の御告げ--」([新改訳])。

誇る者はただこれを誇れ、悟りを得て神さまを知っていることを、です。神さまはそれを喜ばれます。






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