2015年08月14日

使徒の働き第18章第18節~第28節:パウロがシリアのアンテオケへ戻る、アポロがエペソで教えを受ける

第18章




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul Returns to Antioch of Syria

パウロがシリアのアンテオケへ戻る


18 Paul stayed in Corinth for some time after that, then said good-bye to the brothers and sisters and went to nearby Cenchrea. There he shaved his head according to Jewish custom, marking the end of a vow. Then he set sail for Syria, taking Priscilla and Aquila with him.

18 パウロはその後もしばらくコリントに滞在し、それから兄弟と姉妹に別れを告げて近くのケンクレヤへ行きました。そこでパウロはユダヤの慣習に従い、誓いの締めくくりとして髪を剃りました。それからパウロはプリスキラとアクラを連れてシリアへ向けて出帆しました。

19 They stopped first at the port of Ephesus, where Paul left the others behind. While he was there, he went to the synagogue to reason with the Jews.

19 一行は最初にエペソの港に立ち寄り、パウロは他の人たちをそこに残しました。エペソに滞在している間、パウロは会堂へ行ってユダヤ人と議論しました。

20 They asked him to stay longer, but he declined.

20 人々はパウロにもっと長くとどまるように頼みましたが、パウロは断りました。

21 As he left, however, he said, “I will come back later, God willing.” Then he set sail from Ephesus.

21 それでも発つときにパウロは言いました。「それが神さまの御心であれば、あとで戻ってきます。」 それからパウロはエペソから出帆しました。

22 The next stop was at the port of Caesarea. From there he went up and visited the church at Jerusalem and then went back to Antioch.

22 次の停泊地はカイザリヤの港でした。そこからパウロはエルサレムへ上り、教会を訪ね、それからアンテオケへ戻りました。

23 After spending some time in Antioch, Paul went back through Galatia and Phrygia, visiting and strengthening all the believers.

23 アンテオケでしばらく過ごした後、パウロはガラテヤとフルギヤを巡り、すべての信者たちを訪ねて力づけました。



Apollos Instructed at Ephesus

アポロがエペソで教えを受ける


24 Meanwhile, a Jew named Apollos, an eloquent speaker who knew the Scriptures well, had arrived in Ephesus from Alexandria in Egypt.

24 一方、雄弁な話し手で聖書に精通していたアポロというユダヤ人が、エジプトのアレキサンドリアからエペソに来ました。

25 He had been taught the way of the Lord, and he taught others about Jesus with an enthusiastic spirit and with accuracy. However, he knew only about John’s baptism.

25 アポロは主の道を教えられて、イエスさまについて熱意を持って、そして正確に他の人たちに教えました。しかしアポロはヨハネの洗礼しか知らないのでした。

26 When Priscilla and Aquila heard him preaching boldly in the synagogue, they took him aside and explained the way of God even more accurately.

26 プリスキラとアクラはアポロが会堂で大胆に伝道しているのを聞くと、アポロを横に連れ出し、神さまの道についてもっと正確に説明しました。

27 Apollos had been thinking about going to Achaia, and the brothers and sisters in Ephesus encouraged him to go. They wrote to the believers in Achaia, asking them to welcome him. When he arrived there, he proved to be of great benefit to those who, by God’s grace, had believed.

27 アポロはアカヤへ行くことをずっと考えていて、エペソの兄弟と姉妹たちはそれを励ましました。兄弟たちはアカヤの信者たちにアポロを歓迎するようにと手紙を書きました。アポロがそこに着くと、神さまの恵みにより信者になっていた人たちにとって、アポロが大きな助けとなることを証明しました。

28 He refuted the Jews with powerful arguments in public debate. Using the Scriptures, he explained to them that Jesus was the Messiah.

28 アポロは公開の討論で、力強い議論でユダヤ人たちを論破しました。聖書を用いてユダヤ人たちにイエスさまが救世主であると説明したのです。




ミニミニ解説

「使徒の働き」の第18章です。

パウロはシラスを連れて第2回目の伝道の旅に出ています。

第2回目の伝道の旅では、パウロは小アジアの西の端のトロアスの港で、幻の中でマケドニヤ人に招かれてギリシヤ北部のマケドニアに上陸しました。ピリピにしばらく滞在している間にはシラスと共に逮捕され、棒で打たれて投獄されています。

マケドニア州の州都テサロニケでは暴動が起こり、ベレヤを経由して、アテネに至りました。パウロはさらに西進してアカヤ州の州都コリントに着きます。ここでイタリヤから迫害の難を逃れてきたアクラとプリスキラのユダヤ人夫婦と出会い、おそらく資金繰りのために彼らと共に労働を余儀なくされます。やがてベレヤに残してきたシラスとテモテが、これもおそらくこれまでパウロの伝道で信者となった人たちから集めてきた活動資金を携えて合流しました。パウロはそれから一年半の間、コリントに滞在して神さまの言葉を伝えました。今回はパウロがコリントを去る場面です。

第18節、パウロはコリントを出てケンクレヤへ行きます。ケンクレヤはコリントのすぐ南にある港です。サロニカ湾から地中海へ出ることが出来ます。第18節には、パウロがユダヤの慣習に従って、誓いの締めくくりとして髪を剃ったと書かれていますが、これは「ナジル人の誓願」と呼ばれる誓いです。聖書には旧約聖書のNumbers 6:1-21(民数記第6章第1節~第21節)に詳しく書かれていて、旧約聖書の中にも登場人物がナジル人の誓いを立てる場面が何カ所か登場します。やや長いですが民数記を引用しておきます。

「1 主はモーセに告げて仰せられた。2 「イスラエル人に告げて言え。男または女が主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合、3 ぶどう酒や強い酒を断たなければならない。ぶどう酒の酢や強い酒の酢を飲んではならない。ぶどう汁をいっさい飲んではならない。ぶどうの実の生のものも干したものも食べてはならない。4 彼のナジル人としての聖別の期間には、ぶどうの木から生じるものはすべて、種も皮も食べてはならない。5 彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。6 主のものとして身を聖別している間は、死体に近づいてはならない。7 父、母、兄弟、姉妹が死んだ場合でも、彼らのため身を汚してはならない。その頭には神の聖別があるからである。8 彼は、ナジル人としての聖別の期間は、主に聖なるものである。9 もしだれかが突然、彼のそばで死んで、その聖別された頭を汚した場合、彼は、その身をきよめる日に頭をそる。すなわち七日目にそらなければならない。10 そして八日目に山鳩二羽か家鳩のひな二羽を会見の天幕の入口の祭司のところに持って来なければならない。11 祭司はその一羽を罪のためのいけにえとし、他の一羽を全焼のいけにえとしてささげ、死体によって招いた罪について彼のために贖いをし、彼はその日にその頭を聖なるものとし、12 ナジル人としての聖別の期間をあらためて主のものとして聖別する。そして一歳の雄の子羊を携えて来て、罪過のためのいけにえとする。それ以前の日数は、彼の聖別が汚されたので無効になる。13 これがナジル人についてのおしえである。ナジル人としての聖別の期間が満ちたときは、彼を会見の天幕の入口に連れて来なければならない。14 彼は主へのささげ物として、一歳の雄の子羊の傷のないもの一頭を全焼のいけにえとして、また一歳の雌の子羊の傷のないもの一頭を罪のためのいけにえとして、また傷のない雄羊一頭を和解のいけにえとして、15 また種を入れないパン一かご、油を混ぜた小麦粉の輪型のパン、油を塗った種を入れないせんべい、これらの穀物のささげ物と注ぎのささげ物を、ささげなければならない。16 祭司はこれらのものを主の前にささげ、罪のためのいけにえと全焼のいけにえとをささげる。17 雄羊を和解のいけにえとして、一かごの種を入れないパンに添えて主にささげ、さらに祭司は穀物のささげ物と注ぎのささげ物をささげる。18 ナジル人は会見の天幕の入口で、聖別した頭をそり、その聖別した頭の髪の毛を取って、和解のいけにえの下にある火にくべる。19 祭司は煮えた雄羊の肩と、かごの中の種を入れない輪型のパン一個と、種を入れないせんべい一個を取って、ナジル人がその聖別した髪の毛をそって後に、これらをその手の上に載せる。20 祭司はこれらを奉献物として主に向かって揺り動かす。これは聖なるものであって、奉献物の胸、奉納物のももとともに祭司のものとなる。その後に、このナジル人はぶどう酒を飲むことができる。21 これがナジル人についてのおしえである。ナジル人としての聖別に加えて、その人の及ぶ以上に主へのささげ物を誓う者は、ナジル人としての聖別のおしえに加えて、その誓った誓いのことばどおりにしなければならない。」」([新改訳])。

これによると第5節に「彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない。」とありますから、パウロは誓願を立てている期間、一度も髪を切ることがありませんでした。そして第13節以降は「ナジル人としての聖別の期間が満ちたときは」として、誓願の期間の終わりについて書かれていて、第18節に頭を剃る記述があります。剃った髪の毛は捧げ物と共にエルサレムの寺院で火にくべられなければなりません。パウロがエルサレムに向かった理由のひとつは寺院でナジル人の誓願の締めくくりの儀式を行うためだったと考えられます。

第19節、プリスキラとアクラを連れて出帆したパウロの船は、小アジアのエペソに立ち寄り、ここにプリスキラとアクラを残します。

第20節で人々はパウロに長くとどまるように頼みますが、パウロはこれを断って出発してしまいます。しかしプリスキラとアクラをエペソに残しているということは、パウロが不在となっても、二人が信者を獲得するための伝道の活動を指示したのであろうと思われ、パウロはこのすぐ後の第3回目の伝道旅行でエペソに戻って来るのです。

第22節、パウロの船はイスラエルのカイザリヤに着き、パウロはそこからエルサレムへ上ります。エルサレムに滞在中、パウロは上に記したナジル人の誓願を締めくくる儀式を行ったであろう他、ここには簡単に「教会を訪ね」とだけ書かれていますが、教会を訪ねれば、伝道旅行の期間中ずっとパウロを苦しめてきた割礼派(ユダヤ主義)との対立について、教会のリーダーたちと激しく議論したはずです。

第23節、パウロはしばらくシリアのアンテオケに滞在すると、すぐに第3回目の伝道旅行に出発します。「パウロはガラテヤとフルギヤを巡り、すべての信者たちを訪ねて力づけました」と書かれていますから、パウロは第2回目と同様、陸路を北から西へ向かい、キリキヤのタルソを抜けてデルベへ至り、そこからルステラ、イコニウム、ピシディアのアンテオケへと進んでいったと考えられます。

第24節、この頃エペソにアポロが現れます。アポロはエジプトのアレキサンドリアから来たディアスポラのユダヤ人です。アレキサンドリアはwikipediaでは「アレクサンドリア」で登録されています。現在もカイロに次ぐエジプト第二の都市で、人口は400万人を越えています。マケドニアのアレクサンドロス大王が紀元前332年に建設した都市で、その後古代エジプト最後の王朝のプトレマイオス朝の首都になりました。イエスさまの福音が伝道された頃のアレキサンドリアは世界最大規模のディアスポラが暮らす町で、ユダヤ人哲学者のフィロンが出るなど神学の中心地でした。そのような町から来たのですから、アポロが雄弁な話し手となり、旧約聖書に精通できるための場所や環境があったことも十分に納得できます。

第25節、驚くべきことにアポロはすでに「主の道」、つまりイエスさまに関する福音を知っていて、イエスさまについて伝えることに熱意があり、しかもそれを正確に伝えているのでした。ところがアポロは「ヨハネの洗礼しか知らなかった」と書かれています。これは洗礼者ヨハネによる悔い改めの洗礼のことで、イエスさまも受けましたが、ヨルダン川などの水にヨハネが人を水没させる形の儀式で行った洗礼のことでしょう。

ではアポロが知らなかった、これとは別の洗礼とは何のことでしょうか。Luke 3:16-17(ルカの福音書第3章第16節~第17節)でヨハネ自身が次のように言っています。「16 ヨハネはみなに答えて言った。「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。17 また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」」([新改訳])。 ここでヨハネが「私よりもさらに力のある方」と言っているのがイエスさまで、ヨハネはイエスさまが「聖霊と火とのバプテスマ」を授けると言っています。

「聖霊による洗礼」は、イエスさまが天へ戻った直後、「Acts(使徒の働き)」の第2章から開始されました。Acts 2:1-4(使徒の働き第2章第1~4節)です。「1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした」([新改訳])。この時以降、イエスさまについての信仰を告白した信者のひとりひとりには聖霊が訪れ、その人の中に宿り、封印されるようになりました。これが「聖霊による洗礼」です。

「火の洗礼」とは、この世の「終わりの日」に起こる出来事で、ヨハネはこれを「小麦」と「もみ殻」を類別する話でわかりやすく説明しています。イエスさまは「終わりの日」に「小麦」から「もみ殻」を選び分け、「小麦」は大切に納屋にしまいますが、「もみ殻」は「消えない炎」で焼き尽くすのです。

第26節にはプリスキラとアクラが、アポロに福音についてもっと正確に説明したと書かれていますから、これらのことを含めてアポロが知らなかった情報を説明したのだと思われます。パウロが不在の間にエペソに現れたアポロに、イエスさまの福音について自分の知らなかった情報を正確に補完してくれるプリスキラとアクラが用意されていました。このようにピッタリのタイミングでピッタリの準備が整えられていくところは神さまの意志の働きを強く感じさせます。

第27節~第28節、アポロはアカヤ州へ渡りたいと考えていたのでした。アカヤ州はギリシヤ南部の州で、アテネやコリントがある地域です。アポロは信者の兄弟たちに励まされて出発し、アカヤ州でも大いに活躍します。



english1982 at 21:00│使徒の働き