2015年08月14日

使徒の働き第18章第1節~第17節:パウロがコリントでアクラとプリスキラに会う

第18章




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul Meets Priscilla and Aquila in Corinth

パウロがコリントでアクラとプリスキラに会う


1 Then Paul left Athens and went to Corinth.

1 それからパウロはアテネを後にして、コリントへ行きました。

2 There he became acquainted with a Jew named Aquila, born in Pontus, who had recently arrived from Italy with his wife, Priscilla. They had left Italy when Claudius Caesar deported all Jews from Rome.

2 そこでポントで生まれて最近妻のプリスキラと共にイタリヤから到着したアクラというユダヤ人と知り合いになりました。二人はクラウデオ帝がすべてのユダヤ人をローマから国外追放したときにイタリヤを出たのでした。

3 Paul lived and worked with them, for they were tentmakers just as he was.

3 パウロは二人と一緒に住んで働きました。というのも二人がパウロと同じ、天幕作りの仕事をしていたからです。

4 Each Sabbath found Paul at the synagogue, trying to convince the Jews and Greeks alike.

4 安息日のたびにパウロは会堂にいて、ユダヤ人もギリシヤ人も同じように納得させようと試みていました。

5 And after Silas and Timothy came down from Macedonia, Paul spent all his time preaching the word. He testified to the Jews that Jesus was the Messiah.

5 そしてシラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロは言葉を伝道することにすべての時間を費やしました。パウロはユダヤ人たちにイエスさまが救世主であると証言しました。

6 But when they opposed and insulted him, Paul shook the dust from his clothes and said, “Your blood is upon your own heads -- I am innocent. From now on I will go preach to the Gentiles.”

6 しかしユダヤ人たちが反対してパウロを侮辱したので、パウロは着物のほこりを振り払って言いました。「あなた方の血はあなた方自身の頭上にあります。私に悪意はありません。今から私は異邦人に伝道しに行きます。」

7 Then he left and went to the home of Titius Justus, a Gentile who worshiped God and lived next door to the synagogue.

7 それからパウロはそこを去ると、神さまを崇拝し、会堂の隣に住んでいたテテオ・ユストという異邦人の家へ行きました。

8 Crispus, the leader of the synagogue, and everyone in his household believed in the Lord. Many others in Corinth also heard Paul, became believers, and were baptized.

8 会堂管理者のクリスポとその家族の全員は主を信じました。他にもコリントのたくさんの人たちがパウロの話しを聞き、信者となり、洗礼を受けました。

9 One night the Lord spoke to Paul in a vision and told him, “Don’t be afraid! Speak out! Don’t be silent!

9 ある夜、主は幻の中でパウロに語りかけて言いました。「恐れてはいけません。語りなさい。黙ってはいけません。

10 For I am with you, and no one will attack and harm you, for many people in this city belong to me.”

10 なぜなら私はあなたと共にいるのです。あなたを襲い、傷つける者はひとりもいません。この町のたくさんの人が私のものだからです。」

11 So Paul stayed there for the next year and a half, teaching the word of God.

11 それでパウロは一年半の間、コリントに滞在して神さまの言葉を伝えました。

12 But when Gallio became governor of Achaia, some Jews rose up together against Paul and brought him before the governor for judgment.

12 しかしガリオがアカヤの地方総督になると、ユダヤ人の中にパウロに対して暴動を起こした者たちがいて、彼らはパウロを総督の法廷の前に連れて行きました。

13 They accused Paul of “persuading people to worship God in ways that are contrary to our law.”

13 彼らはパウロが「自分たちの律法に背く方法で神さまを崇拝するように人々に説いている」と訴えました。

14 But just as Paul started to make his defense, Gallio turned to Paul’s accusers and said, “Listen, you Jews, if this were a case involving some wrongdoing or a serious crime, I would have a reason to accept your case.

14 しかしちょうどパウロが答弁を始めると、ガリオは告発人たちの方を向いて言いました。「ユダヤ人のみなさん、聞きなさい。もしこれが悪事であるとか、深刻な犯罪に関わる事件であれば、私にはあなた方の申し立てを受ける理由があります。

15 But since it is merely a question of words and names and your Jewish law, take care of it yourselves. I refuse to judge such matters.”

15 しかしこれは単なる言葉や名称やあなた方ユダヤ人の律法の問題なので、自分たちでなんとかしなさい。私はそのようなことを裁くことのはお断りです。」

16 And he threw them out of the courtroom.

16 そしてガリオは彼らを法廷から放り出しました。

17 The crowd then grabbed Sosthenes, the leader of the synagogue, and beat him right there in the courtroom. But Gallio paid no attention.

17 それから群衆は会堂管理者のソステネを捕らえ、法廷の中で叩きました。しかしガリオはそれに注意を払いませんでした。




ミニミニ解説

「使徒の働き」の第18章です。

パウロはシラスを連れて第2回目の伝道の旅に出ています。

パウロは小アジアの西の端、エーゲ海に面したトロアスの港に来たところで幻を見ます。幻の中ではギリシヤ北部のマケドニヤ人が、マケドニヤに来て私たちを助けてください、とパウロを招きました。一行はサモトラケ島(サモトラキ島)経由でマケドニアのネアポリスに上陸し、ピリピへ到着すると、ピリピにしばらく滞在します。

ピリピではパウロとシラスは逮捕され、棒で打たれて投獄されてしまいます。翌日釈放されると、ふたりはマケドニア州の州都テサロニケ(テッサロニキ)へ向かいました。テサロニケではパウロとシラスに嫉妬を抱くユダヤ人が現れ、暴動が起こります。難を逃れたふたりは次の町、ベレヤに向かいました。ところがテサロニケのユダヤ人はふたりをベレヤまで追いかけて来て、パウロはシラスとテモテを残して町を脱出し、前回、アテネに至りました。

アテネではパウロはギリシヤの高等議会「アレオパゴス」で、エピクロス派やストア派の哲学者たちの前で福音を話す機会を得ます。議員の多くはパウロの話を聞いて笑いましたが、中には福音を受け入れて信者になった人もいました。

第1節、パウロはアテネの西、100キロほどのところにあるコリントへ移動します。コリントは現代の地図上では「コリントス」と表記されています。地図を見るとギリシヤの南端にはペロポニソス半島がありますが、この半島はほとんど島のような半島で、ギリシヤ本土とはものすごく細い土地でつながっているのがわかります。コリントはその細い地峡部分の土地にあります。ペロポニソス半島は広大な半島ですし、コリントが地峡の南北に港を配すれば、交易の中心として栄えたであろうことは容易に想像できます。wikipediaで調べると、古代ギリシアではアテネやスパルタと並ぶ主要な都市国家(ポリス)のひとつで、古代ローマ時代には属州アカヤ州の州都だったと書かれています。アカヤ州はマケドニアの南にあたります。

第2節、パウロはアクラとプリスキラのユダヤ人夫婦と知り合いになります。夫婦はクラウデオ帝がユダヤ人を国外追放したときにイタリヤを出てコリントに来たと書かれています。クラウデオ帝はwikipediaなどでは「クラウディウス」と表記され、ローマ帝国の第4代皇帝です(在位は41年~54年)。歴史文献でクラウディウスがユダヤ人を国外追放にしたのは西暦49年です。イタリヤにはローマがありますから、夫婦はローマ帝国の中心部から迫害を逃れてギリシヤへ来たことになります。

第3節には、パウロがこの夫婦と一緒に住んだことの他に、共に働いていたことが書かれています。パウロは福音を伝道する目的で旅行をしているはずですが、パウロがここで働かなければならなかったのはなぜでしょうか。夫婦に宿や食事を提供してもらう代わりに、パウロは家業を手伝ったのだろうと考えることも出来ますが、パウロを信じるユダヤ人にとって、パウロは神さまや聖書のことを教える先生(ラビ)と考えられていたはずで、そういう師のような人に仕事を手伝わせたとは思えません。パウロは働かなければならない理由があったのです。

パウロは第15章で第2回目の伝道の旅に出る際に、バルナバが提案したヨハネ・マルコの同行に反対して議論となり、結局バルナバと仲違いして別々に出発しています。パウロとバルナバが別行動を取った理由として「割礼派」の登場をあげました。福音の伝道活動は最初、ユダヤ人の中から始まったので、伝える人も聞く人もほぼ全員がユダヤ人でした。その後パウロやペテロが福音を異邦人に伝え、異邦人が福音を受け入れて信者になり始めると、ユダヤの律法に即して「清浄」であること重視するユダヤ人の中に、福音を受け入れて信者となる異邦人はユダヤの割礼の儀式を受けて、最初にまず律法上のユダヤ人となるべき、と主張する人たちが現れました。これが「割礼派」の考えで、これは一般に「ユダヤ主義」とも呼ばれます。

「福音」は「良い知らせ」の意味です。イエスさまを救世主として信じる人には天国への切符が無償で与えられるから、すなわち「良い知らせ」なのであって、ここに割礼などの儀式が条件として加えられて行くと福音が福音ではなくなってしまいます。パウロは割礼派の考えに激しく反対しましたが、教会のリーダー格のペテロが割礼派になびくとバルナバもそれに同調したのです。と言うことはつまり、パウロは第2回目の伝道の旅に出る際にバルナバと行動を別にした時点で、エルサレムやアンテオケのキリスト教会の後ろ盾を失ってしまったのではないか、と考えられます。つまりパウロは伝道旅行を続けるための費用を捻出するために自ら働かざるを得なかったのです。

第4節、パウロは安息日(土曜日)の度に会堂へ出かけます。コリントは大きな町ですからディアスポラのユダヤ人の居住者も多く、会堂があるのです。会堂では安息日の度に礼拝の儀式が開かれますから、パウロはそれに参加して、そこでユダヤ人にも異邦人にも福音を説いたのです。

第5節、シラスとテモテが合流します。二人はパウロがベレヤを脱出したときにベレヤに残してきていて、パウロはアテネから二人に宛てて急いで合流するようにと指示を出しましたが、おそらく二人がアテネに到着したときにはパウロはすでにコリントへ移動した後で、ようやくコリントで合流できたということでしょう。二人が合流するとパウロは福音の伝道に専念することが出来るようになりました。これはつまり、ベレヤ脱出の際にシラスとテモテがパウロと行動を共にせず後方に残ったのは、二人がその時点までに設立されたピリピやテサロニケやベレヤの教会をまわり、伝道旅行を継続するための当面の資金を集めて来たからでしょう。これでようやくパウロは天幕作りの仕事から解放されたのです。

第5節~第6節、パウロはまずユダヤ人たちにイエスさまが救世主であると話しますが、ユダヤ人は容易に受け入れません。それでパウロは「あなた方の血はあなた方自身の頭上にあります。私に悪意はありません。今から私は異邦人に伝道しに行きます」と宣言します。これはパウロが怒りに任していっているのではなくて、旧約聖書の預言に沿う発言だと思います。

第7節~第8節、パウロはユダヤ人の会堂を去り、隣に住んでいた異邦人のテテオ・ユストの所へ行きます。さらに会堂管理者のクリスポとその家族が福音を受け入れたとあります。コリントのような大きな町の会堂管理者(つまりユダヤ人)が、福音を信じたと言うことは、ユダヤ人のコミュニティでは大事件だったはずで、この第2回の伝道旅行でコリントの地に形成された教会基盤は大変大きなものだったのだろうと想像させます。

第9節~第11節、パウロはある夜、幻の中でイエスさまに出会い、コリントで活動を続けるようにと激励されます。そしてパウロは結局、一年半にわたってコリントに滞在して、教会の基盤を大きくしたのでした。

第12節に総督のガリオがコリントに登場します。ガリオは総督ですから、ローマ帝国から任命を受けてアカヤ州を治めていたのです。ギリシヤではクラウデオ帝の碑文が2回に分けていくつか発見されていて、1970年に解読結果が出版されました。それを読み解くとガリオがコリントに滞在した期間は西暦52年~53年(あるいは51年~53年の可能性もあり)と考えられます。つまりパウロは、クラウデオ帝がユダヤ人を迫害した西暦49年に、この難を逃れてコリントに来たアクラとプリスキラのユダヤ人夫婦と行動を共にし、52年~53年(あるいは51年~53年)にコリントに滞在した総督ガリオとの接触が、パウロがコリントを去る時期に近かったことから、パウロが第2回目の伝道旅行でコリントに滞在した一年半の期間を西暦50年前後と推定することが出来ます。ルカの記述する文書にはこのように歴代皇帝や各地の総督の名前がところどころに登場するので、新約聖書の出来事を世界史上に配置していく上で大変有効なのです。

第12節~第13節、ユダヤ人たちがパウロを捕らえてガリオの法廷へ連れて行きます。ユダヤ人たちはパウロが「自分たちの律法に背く方法で神さまを崇拝するように人々に説いている」と訴えます。これはつまりパウロが割礼を受けていない異邦人と食事を含む生活を共にすることで、ユダヤの律法が規定する「清浄」のルールがないがしろにされていることを言っていると思われます。

第14節~第16節、ところが総督ガリオはユダヤ人の訴えて来ている内容は、深刻な犯罪でも何でもなく、ユダヤ民族内の文化上、慣習上の主張の食い違いの問題だから自分には関心がない、自分たちで解決せよ、と言って法廷から放り出してしまいます。

第17節、ガリオに相手にされたなかったユダヤ人たちは、会堂管理者のソステネを叩いたと書かれています。先ほど名前があがった会堂管理者はクリスポでした。もしこれがまた別の会堂管理者が信者となっていたという意味なのであれば、コリントの教会は本当に大きくなっていたのだと想像できます。




english1982 at 22:00│使徒の働き