2015年08月17日

使徒の働き第15章第36節~第41節:パウロとバルナバが分かれる

第15章




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul and Barnabas Separate

パウロとバルナバが分かれる


36 After some time Paul said to Barnabas, “Let’s go back and visit each city where we previously preached the word of the Lord, to see how the new believers are doing.”

36 しばらく経ってパウロがバルナバに言いました。「以前に私たちが主の言葉を伝えた町のひとつひとつへ訪ねて行き、新しい信者たちがどうしているか見てきましょう。」

37 Barnabas agreed and wanted to take along John Mark.

37 バルナバは同意し、ヨハネ・マルコを連れて行きたがりました。

38 But Paul disagreed strongly, since John Mark had deserted them in Pamphylia and had not continued with them in their work.

38 しかしパウロは強く反対しました。それは以前ヨハネ・マルコがパンフリヤでふたりから去り、ふたりとの仕事を続けなかったからです。

39 Their disagreement was so sharp that they separated. Barnabas took John Mark with him and sailed for Cyprus.

39 ふたりの反目は大変激しくて、結局ふたりは別行動を取りました。バルナバはヨハネ・マルコを連れて船でキプロスに向かいました。

40 Paul chose Silas, and as he left, the believers entrusted him to the Lord’s gracious care.

40 パウロはシラスを選び、出発するときには、信者たちはパウロを主の恵み深き配慮に委ねました。

41 Then he traveled throughout Syria and Cilicia, strengthening the churches there.

41 そしてパウロはシリヤとキリキヤを通り、そこの諸教会を力づけました。




ミニミニ解説

「使徒の働き」の第15章です。

パウロとバルナバの第1回目の伝道の旅の後、シリアのアンテオケにエルサレムからユダヤ人が来て、「モーゼの律法が定めるとおりに割礼を受けなければ救われない」と教え始めました。アンテオケの教会は問題解決のためにパウロとバルナバをエルサレムに派遣し、そこで教会のリーダーであるヤコブ(イエスさまの弟)、ペテロ、ヨハネなどと会談し、ヤコブが割礼は不要であるとの結論を下しました。代わりに信者が避けるべき四つの事項が書面にしたためられ、手紙を持ってアンテオケに戻るパウロとバルナバにはエルサレムの教会からユダとシラスが同行しました。信者が避けるべき四つの事項とは、(1)偶像に供えた食物を食べることを避ける、(2)血を食べることを避ける、(3)絞め殺した動物の肉を食べることを避ける、(4)性的な不品行を避ける、です。

さて今回は、パウロの第2回目の伝道の旅の始まりの部分です。

第36節でパウロがバルナバに言っているのは、前回の第1回目の伝道の旅で回った地域を再訪して、新しい信者たちがどうしているか、見て来ようという提案です。

第37節、バルナバは賛成して、ヨハネ・マルコを連れて行きたがります。

ヨハネ・マルコは十二使徒ではありませんが、「マルコの福音書」を記したとされる人物で、新約聖書の「Colossians(コロサイ人への手紙)」によるとバルナバの従兄です。また最後の晩餐や、復活したイエスさまとの再会、聖霊の訪れなど、信者たちがエルサレムで集会を持っていた場所はヨハネ・マルコの母親のマリヤの家だった可能性が高いとされ、つまりヨハネ・マルコの母親のマリヤはイエスさまの伝道活動時代からのイエスさまの支持者です。第12章でペテロはヘロデ・アグリッパに捕らえられて牢に入れられましたが、天使により救出されました。外に出てすぐに向かった先がこの家です。Acts 12:12(使徒の働き第12章第12節)です。「こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。」([新改訳])。ペテロはこの家に住んでいた可能性もあります。「マルコの福音書」は、ヨハネ・マルコがペテロと長い時間を過ごして、ペテロから聞いたイエスさまに関する話を一冊の福音書にまとめたと考えられているので、ふたりの接点はペテロがヨハネ・マルコの母の家に滞在するところから始まっていた可能性も高いです。

第38節~第39節、パウロがバルナバが提案するヨハネ・マルコの同行に反対します。理由は前回の伝道旅行で、ヨハネ・マルコが途中で離脱して帰ってしまったからだと書かれています。Acts 13:13(使徒の働き第13章第13節)の部分です。「パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。」([新改訳])。このときのヨハネ・マルコの離脱の理由は書かれていませんが、パウロとバルナバの反目は激しくなり、結果としてパウロとバルナバは別々に出発することになります。バルナバはヨハネ・マルコを連れて出発し、前回と同様、船でキプロス島へ渡ります。キプロス島はバルナバとヨハネ・マルコの故郷でもあります。

第40節、パウロはエルサレムの教会から来たシラスをパートナーに選び、陸路で北に向かいます。イスラエルの北がアンテオケのあるシリアで、その北がパウロが逃れていた生まれ故郷のタルソのあるキリキヤ、さらにその先は前回の伝道旅行が行われたガラテヤです。

パウロとバルナバが別行動を取った理由のヒントとして、ここまで読んできたアンテオケの教会とエルサレムの教会の対立の構図の中に登場していない出来事が、新約聖書の「Galatians(ガラテヤ人への手紙)」に書かれています。次の引用の中に登場する「ケパ」とはペテロのことです。 Galatians 2:11-14(ガラテヤ人への手紙第2章第11節~第14節)です。

「11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。」([新改訳])。

これはパウロとペテロがアンテオケで対立したときの話です。「モーゼの律法が定めるとおりに割礼を受けなければ救われない」と教えるユダヤ人がアンテオケに現れたとき、ペテロはアンテオケにいたのです。そしてペテロは「割礼派」と呼ばれるその人たちがアンテオケに来るまでは、異邦人と交わり、一緒に食事をしていたのに、割礼派の人たちが現れると異邦人と交わらなくなります。リーダー格のペテロがそういう行動を取ると他のユダヤ人も少なからず影響を受け、ついにはバルナバまでもがペテロの側について異邦人と自分たちの間に線を引くようになってしまったのです。

ペテロは第10章で神さまの導きで異邦人のコルネリオと交わり、神さまがコルネリオに聖霊を授ける場所に居合わせました。そうやって神さまは福音を与える上で、それがユダヤ人であるか異邦人であるかを区別しないと、福音はこれからユダヤ人の枠を越えて世界の異邦人へと広く開かれていくのだと自分で経験し、そのための器にも選ばれたのです。それなのにエルサレムから「割礼派」が来て保守的な意見を言うと、これを恐れて保守思考の穴へと戻ってしまいます。実に私たちの知るペテロらしい行動とも言えます。

このときペテロの影響を受けてバルナバまでもが「割礼派」を意識し始めました。ここまでパウロとバルナバは異邦人への伝道のツートップと考えられ、バルナバはパウロとの第1回目の伝道の旅で、本当にたくさんの異邦人が割礼抜きで聖霊を受けるのを目撃してきたはずなのです。考えてみるとバルナバはもともとエルサレムから来た人ですし、ヨハネ・マルコもまたエルサレムから来た人です。心や思考の深いところにまで根付く古くからの風習や習慣や考え方、こういうマインドコントロールから抜けることがどれほど難しいことか。ついに抜けたと思っても、何かをきっかけにまたずるずるともとの穴へと戻ってしまうのです。つまり今回のパウロとバルナバの分離が、パウロ対エルサレム、パウロ対割礼派、パウロ対マインドコントロールの対立構図に発していると考えても無理ないと思います。

パウロがヨハネ・マルコの同行を拒んだ理由は、第38節には前回の伝道旅行でヨハネ・マルコが途中で離脱してしまったからと書かれていました。このときの離脱の理由も、当時は保守的な考えに支配されていたヨハネ・マルコが、パウロが次々と異邦人と交わり、食卓を共にし、割礼抜きで信者として受け入れていくやり方を目撃し、それがあまりにも急進的なので自分にはついて行けないと思ったからかも知れません。そう考えればパウロがヨハネ・マルコの同行に反対し、バルナバと激しく反目した理由もわかります。魂の救済は唯一、イエスさまの恵みにより得られるのです。神さまの与える福音に人間が勝手に条件を追加してはいけません。これはパウロにとって、クリスチャンにとって譲ることのできない一番大切なテーマのひとつなのです。反対意見を持つ人物を同行させることはできません。

そもそもパウロが今回、第1回目の伝道の旅で回った地域を再訪して新しい信者たちがどうしているか見て来たいと思ったのも、割礼派のような誤った福音伝道の危険を知ったからでしょう。だとするとパウロがパートナーに選んだシラスは、ペテロやバルナバが割礼派になびく中で、パウロの支持に回った数少ないリーダーのひとりだったのかも知れません。

ではバルナバはどうなのでしょうか。一度はペテロの影響で割礼派になびいたバルナバは、このときには真の福音の意味の理解を取り戻していたのでしょうか。これはひとりひとり別々の人間の考え方の問題です。アンテオケだから、エルサレムだから、というくくりで一枚岩のような統一を見ることはあり得ません。ここまで確実に割礼派に反対していると見えるのはパウロ、決定を書面に残したエルサレムのヤコブ、そしてもしかするとパウロが選んだエルサレムから来たシラスの三人です。残りの人たちについては、どちらと決めるのに十分な情報がありません。



english1982 at 20:00│使徒の働き