2015年08月19日

使徒の働き第13章第13節~第43節:パウロがピシデヤのアンテオケで伝道する

第13章




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul Preaches in Antioch of Pisidia

パウロがピシデヤのアンテオケで伝道する


13 Paul and his companions then left Paphos by ship for Pamphylia, landing at the port town of Perga. There John Mark left them and returned to Jerusalem.

13 パウロの一行は船でパポスを出てパンフリヤへ向かい、港町のペルガに着きました。ここでヨハネ・マルコは一行から離れてエルサレムに帰りました。

14 But Paul and Barnabas traveled inland to Antioch of Pisidia. On the Sabbath they went to the synagogue for the services.

14 しかしパウロとバルナバは内陸へと進み、ピシデヤのアンテオケに着きました。安息日に二人は礼拝のために会堂へ行きました。

15 After the usual readings from the books of Moses and the prophets, those in charge of the service sent them this message: “Brothers, if you have any word of encouragement for the people, come and give it.”

15 通常のようにモーゼの本と預言者の朗読の後で、礼拝の責任者たちは二人に次のような言づてを伝えました。「兄弟たち、もし会衆のために何か励ましの言葉があれば、来て伝えてください。」

16 So Paul stood, lifted his hand to quiet them, and started speaking. “Men of Israel,” he said, “and you God-fearing Gentiles, listen to me.

16 そこでパウロは立ち上がり、手を上げて人々を静かにさせ、話し始めました。パウロは言いました。「イスラエルの人たち、そして神さまを畏れる異邦人のみなさん、私の話をよく聞いてください。

17 “The God of this nation of Israel chose our ancestors and made them multiply and grow strong during their stay in Egypt. Then with a powerful arm he led them out of their slavery.

17 このイスラエルの民の神さまは、私たちの父祖たちを選び、民がエジプトの地に滞在していた間にこれを増やし、強く育てました。そして力強い腕を用いて、彼らを奴隷状態から導き出しました。

18 He put up with them through forty years of wandering in the wilderness.

18 そして彼らが荒野を四十年間さまよった間、彼らに忍耐強く接しました。

19 Then he destroyed seven nations in Canaan and gave their land to Israel as an inheritance.

19 それから神さまはカナンで七つの民族を滅ぼし、その土地を相続財産としてイスラエルに与えました。

20 All this took about 450 years. “After that, God gave them judges to rule until the time of Samuel the prophet.

20 これには全体で約450年かかりました。その後、預言者サムエルの時代までは、神さまは統治のために士師を与えました。

21 Then the people begged for a king, and God gave them Saul son of Kish, a man of the tribe of Benjamin, who reigned for forty years.

21 それから民が王を欲しがったので、神さまは民にベニヤミン族の人で、キスの息子サウロを与え、サウロは40年間統治しました。

22 But God removed Saul and replaced him with David, a man about whom God said, ‘I have found David son of Jesse, a man after my own heart. He will do everything I want him to do.’

22 しかし神さまはサウロを退けて代わりにダビデを置きました。神さまはダビデについて言いました。『私はエッサイの息子ダビデを見つけました。私自身の心にかなう人です。ダビデは私が彼にして欲しいと思うことのすべてを実行するでしょう。』

23 “And it is one of King David’s descendants, Jesus, who is God’s promised Savior of Israel!

23 そしてイエスさまはダビデ王の子孫のひとりであり、神さまが約束されたイスラエルの救い主です。

24 Before he came, John the Baptist preached that all the people of Israel needed to repent of their sins and turn to God and be baptized.

24 イエスさまが来る前に、洗礼者ヨハネは、イスラエルのすべての民は自分たちの罪を後悔し、神さまに向き直り、洗礼を受けなければならないと説きました。

25 As John was finishing his ministry he asked, ‘Do you think I am the Messiah? No, I am not! But he is coming soon -- and I’m not even worthy to be his slave and untie the sandals on his feet.’

25 ヨハネが任務を終えようとする頃、次のように問いました。『あなた方は私が救世主だと思うのですか。私は違います。しかしその方はすぐに来ます。私はその方の奴隷となる価値も、サンダルのひもを解く価値もありません。』

26 “Brothers -- you sons of Abraham, and also you God-fearing Gentiles -- this message of salvation has been sent to us!

26 兄弟のみなさん、アブラハムの子孫のみなさん、そして神さまを畏れる異邦人のみなさん、この救いの言葉は私たちに送られたのです。

27 The people in Jerusalem and their leaders did not recognize Jesus as the one the prophets had spoken about. Instead, they condemned him, and in doing this they fulfilled the prophets’ words that are read every Sabbath.

27 エルサレムに住む人々とその指導者たちは、イエスさまが預言者たちが語った人だとは気づきませんでした。彼らはイエスさまを罪に定めましたが、そうすることで彼らは安息日毎に読まれる預言者の言葉を成就したのです。

28 They found no legal reason to execute him, but they asked Pilate to have him killed anyway.

28 彼らはイエスさまを処刑する法的な理由は何も見つけませんでしたが、結局彼らがピラトに頼んでイエスさまを殺させたのです。

29 “When they had done all that the prophecies said about him, they took him down from the cross and placed him in a tomb.

29 彼らがイエスさまについて預言が言ったことのすべてを成したとき、彼らはイエスさまを十字架から降ろして墓に納めました。

30 But God raised him from the dead!

30 しかし神さまはイエスさまを死者の中からよみがえらせたのです。

31 And over a period of many days he appeared to those who had gone with him from Galilee to Jerusalem. They are now his witnesses to the people of Israel.

31 そしてイエスさまは何日にもわたり、自分と共にガリラヤからエルサレムへ上った人たちに姿を現わしました。彼らはいまイスラエルの人たちに対してイエスさまの証人となっています。

32 “And now we are here to bring you this Good News. The promise was made to our ancestors,

32 そして私たちはいま、神さまのこの良い知らせをあなた方にもたらすためにここにいます。約束は私たちの父祖たちになされました。

33 and God has now fulfilled it for us, their descendants, by raising Jesus. This is what the second psalm says about Jesus: ‘You are my Son. Today I have become your Father.’

33 そして神さまはイエスさまをよみがえらせることで、その約束をいま子孫である私たちのために成就させたのです。詩篇の第二篇がイエスさまについて言っています。『あなたは私の息子。今日、私はあなたの父となった。』

34 For God had promised to raise him from the dead, not leaving him to rot in the grave. He said, ‘I will give you the sacred blessings I promised to David.’

34 なぜなら神さまはイエスさまを墓の中で朽ちるに任せず、死者の中からよみがえらせることをあらかじめ約束されていたのです。神さまは言いました。『私はダビデに約束した神聖なる祝福をあなた方に与えよう。』

35 Another psalm explains it more fully: ‘You will not allow your Holy One to rot in the grave.’

35 別の詩編がより完全に説明しています。『あなたはあなたの聖なる者が墓の中で朽ちることを許しません。』

36 This is not a reference to David, for after David had done the will of God in his own generation, he died and was buried with his ancestors, and his body decayed.

36 これはダビデについての言及ではありません。なぜならダビデは自分の時代に神さまの意志を遂行した後で死に、父祖たちと共に葬られ、その死体は朽ちました。

37 No, it was a reference to someone else -- someone whom God raised and whose body did not decay.

37 違います。これは他の誰かについての言及です。神さまがよみがえらせ、死体が朽ちることのなかった誰かです。

38 “Brothers, listen! We are here to proclaim that through this man Jesus there is forgiveness for your sins.

38 兄弟たち、聞いて下さい。私たちがここにいるのは、このイエスさまを通じてあなた方の罪への許しがあると宣言するためなのです。

39 Everyone who believes in him is declared right with God -- something the law of Moses could never do.

39 イエスさまを信じる人は誰でも神さまに対して正しいとされるのです。これはモーゼの律法では決してできなかったことです。

40 Be careful! Don’t let the prophets’ words apply to you. For they said,

40 気をつけて下さい。預言者たちの言葉があなた方に適用されないように。預言者たちは言いました。

41 ‘Look, you mockers, be amazed and die! For I am doing something in your own day, something you wouldn’t believe even if someone told you about it.’”

41 『見なさい、あざける者たち、驚き、そして死になさい。なぜなら私はあなた方の時代に何かをします。それは誰かがあなた方に説明したとしても、あなた方が信じようとしない何かです。』」

42 As Paul and Barnabas left the synagogue that day, the people begged them to speak about these things again the next week.

42 その日、パウロとバルナバが会堂を去ろうとすると、人々は翌週にも再びこのことについて話してくれるようにと頼みました。

43 Many Jews and devout converts to Judaism followed Paul and Barnabas, and the two men urged them to continue to rely on the grace of God.

43 多くのユダヤ人と信心深いユダヤ教への改宗者たちがパウロとバルナバに着いていきました。二人は彼らに神さまの恵みに頼り続けるように勧めました。




ミニミニ解説

「使徒の働き」の第13章です。

最初の伝道旅行に出発したパウロ(前回よりサウロ改め)とバルナバは、船でキプロス島へ渡り、東から西へ町から町へ、会堂から会堂へとまわり、福音を伝えて最終的に島の西端、ローマ帝国の総督府が置かれていたパポスの町に到着しました。そこで総督のセルギオ・パウロの家に招かれて福音を説き、セルギオ・パウロはイエスさまを信じました。

第13節、パウロの一行は再び船に乗ってパンフリヤへ向かい、港町のペルガに着きます。

現在のトルコ共和国はボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側に分かれ、圧倒的に広いアジア側には黒海と地中海に挟まれた古くからアナトリアと呼ばれる半島があります。この地域は「小アジア」とも呼ばれます。私たちにとって「アジア」と言うと中国や日本のあるあたりを思い浮かべるので、地中海にアジアがあるのには違和感がありますが、当時のヨーロッパから見ると中国や日本のあたりはまったく未知の領域で、いまのトルコのあたりがせいぜいアジアだったと言うことです。アジアの語源は「東」とか「日の出」にあるようです。

パウロの一行が到着したパンフリヤはこの小アジアの南岸の地域で、ペルガは現在のアンタルヤの東方のあたり、河口をかなりさかのぼった場所にあります。Googleなどで「ペルゲ遺跡」と入力すると観光情報がヒットします。画像を見るとかなり大きな町だったことがわかります。

同第13節、この時点で同行していたヨハネ・マルコ(マルコの福音書の記述者)は、伝道旅行から離脱してエルサレムに戻ります。なぜヨハネ・マルコだけひとりで戻ってしまったのか、理由はここでは明らかにされないのですが、パウロがこの離脱を好ましく思っていなかったことは第15章に書かれていて、ここではそれを理由にパウロとバルナバが仲違いしてしまいます。Acts 15:36-39(使徒の働き第15章第36節~第39節)です。

「36 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」 37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。」([新改訳])。

新約聖書のColossians(コロサイ人への手紙)の記述によるとバルナバとヨハネ・マルコは従兄同士なので、バルナバが身内のヨハネ・マルコ側に立ったことは説明がつきますが、果たしてこのときヨハネ・マルコはどうしてひとりで帰ってしまったのでしょうか。このヨハネ・マルコの離脱とパウロとバルナバの仲違いの理由は「使徒の働き」を読み進め、パウロの書簡を読んでいくと次第に明らかになります。ちなみにActs 4:36-37(使徒の働き第4章第36節~第37節)によるとバルナバはキプロス島の出身でした。ということは従兄のヨハネ・マルコもキプロス島の出身である可能性が高いです。

第14節、パウロとバルナバは港町のペルガから小アジアを150キロほど北上し、ピシデヤのアンテオケに到着します。簡単に書いてありますが、この旅程は険しい山道だったはずで、イスラエルの山岳地帯同様、山賊などが頻繁に出ますから、ほぼ命がけの旅行だったと思います。さてもともとアンテオケから出発したはずなのに、またまたアンテオケに着いてしまいました。実は当時、アンテオケという同じ名前の町があちこちにあったのです。セレウコス朝シリアのセレウコス1世は父のアンティオコスを記念して各地にアンテオケの町を作ったとのことです。ややこしいのでシリアのアンテオケ、ピシデヤのアンテオケなどと区別して表記されています。

パウロとバルナバは安息日にさっそく会堂を訪ね、乞われるままに福音のメッセージを伝えます。第16節~第41節がパウロが伝えた福音のメッセージで、大変長い引用になっており、当時キリスト教の伝道活動で何が伝えられていたかを知る上で大変参考になります。

パウロはまず旧約聖書に記されたユダヤ民族の歴史から話し始めます。こうして会衆が良く知っている情報から話を始めるのは、上手なコミュニケーションの大切なテクニックです。この歴史の説明では預言上で大切な役割を果たすダビデ王に至る流れが簡潔に語られます。

そして第23節で福音の主題であるイエスさまがダビデの家系から出いていることにつなげます。旧約聖書の預言では救世主はダビデ王の家系から出るとされていて、ユダヤ人はこのことを良く知っていたからです。

さらにイエスさまの先駆けとして現れた洗礼者ヨハネに触れ、ヨハネは自分が救世主であることを否定し、やはりイエスさまを指し示したと付け加えます。洗礼者ヨハネは多数の弟子や支持者を持った有名な人物で、イエスさまの福音が伝えられた時代にもまだ多数の信者があちこちで存続していたので、ヨハネについても一度触れておくのが良いという判断でしょう。

続いて語られるのはイエスさまの死と復活です。イエスさまは罪もないのに、ローマ帝国の死刑である十字架刑に処されて死に、墓に埋葬されています。しかし死んだはずのイエスさまは死者の中から復活し、大勢の信者たちの前に姿を現すのです。そしてこのイエスさまの死と復活が、実は神さまがユダヤ人に与えた約束の成就だったとのだ説明します。引用されている詩篇の第二篇の部分を含むPsalm 2:1-9(詩編第2章第1節~第9節)です。

「1 なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」 4 天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」 7 「わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」([新改訳])。

パウロはこの中の「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」の部分がイエスさまの復活によって成就したと説明しています。イエスさまが死を克服して復活したことで、イエスさまが聖書に登場する神さまの子であることが証明されたと言うことでしょう。

墓に納められたイエスさまが復活するとの預言は、Psalm 16:8-11(詩編第16章第8節~第11節)にあるとします。

「8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。10 まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。」([新改訳])。

第10節の「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。」の言葉はダビデについて言われた預言ではなく(なぜならダビデの死体は墓の中で朽ちたから)、イエスさまについての預言であって、これが実現したのだと説明します。

そして最後に第38節から、イエスさまの死と復活の意味が説明されます。イエスさまの死と復活の中には神さまの許しの計画があり、イエスさまを信じる者は誰でも神さまの目に正しいと映る、というメッセージです。

第39節では「これはモーゼの律法では決してできなかったことです」の言葉が付け加えられていて、当時のユダヤ人が一般的に信じていた、旧約聖書の律法を守ることが神さまの求めることであり、そうすることで天国への道が開くという信仰を否定します。

第41節の警告の句の引用はHabakkuk 1:5(ハバクク書第1章第5節)です。「異邦の民を見、目を留めよ。驚き、驚け。わたしは一つの事をあなたがたの時代にする。それが告げられても、あなたがたは信じまい。」([新改訳])。たとえ律法を守っていてもそれでは神さまの目に正しいと映らない、というメッセージは当時のユダヤ人には衝撃的だったはずで、ユダヤ人がこれを受け入れるためには自身の信仰の角度を大きく転換しなければなりません。その方向転換がどれほど困難なもになるかについても預言書は書いている、とパウロは言いたいのでしょう。



english1982 at 21:00│使徒の働き