2015年08月21日

使徒の働き第11章第19節~第30節:シリアのアンテオケの教会

第11章




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Church in Antioch of Syria

シリアのアンテオケの教会


19 Meanwhile, the believers who had been scattered during the persecution after Stephen’s death traveled as far as Phoenicia, Cyprus, and Antioch of Syria. They preached the word of God, but only to Jews.

19 一方、ステパノの死の後で起こった迫害の間に散らされた信者たちは、フェニキヤやキプロス、そしてシリアのアンテオケにまで到達していました。信者たちは神さまの言葉を説きましたが、それはユダヤ人に対してだけでした。

20 However, some of the believers who went to Antioch from Cyprus and Cyrene began preaching to the Gentiles about the Lord Jesus.

20 しかしキプロスとクレネからアンテオケに至った信者の中には異邦人に主イエスさまについて伝えた人たちがいました。

21 The power of the Lord was with them, and a large number of these Gentiles believed and turned to the Lord.

21 彼らには主の力が共にあり、たくさんの異邦人が信じて主へ向き直りました。

22 When the church at Jerusalem heard what had happened, they sent Barnabas to Antioch.

22 エルサレムの教会で何が起こったかを知ると、彼らはバルナバをアンテオケに派遣しました。

23 When he arrived and saw this evidence of God’s blessing, he was filled with joy, and he encouraged the believers to stay true to the Lord.

23 バルナバは到着して神さまの恵みの証拠を見ると喜びに満たされ、信者たちを主に誠実であるようにと励ましました。

24 Barnabas was a good man, full of the Holy Spirit and strong in faith. And many people were brought to the Lord.

24 バルナバは善い人物で、聖霊に満ち強い信仰を持っていました。大ぜいの人たちが主へと導かれました。

25 Then Barnabas went on to Tarsus to look for Saul.

25 それからバルナバはサウロを捜しにタルソへ行きました。

26 When he found him, he brought him back to Antioch. Both of them stayed there with the church for a full year, teaching large crowds of people. (It was at Antioch that the believers were first called Christians.)

26 バルナバはサウロを見つけてると、サウロをアンテオケに連れて来ました。両人は一年にわたってそこの教会にとどまり、たくさんの人たちに教えました。(信者たちが最初にクリスチャンと呼ばれたのはアンテオケでのことです。)

27 During this time some prophets traveled from Jerusalem to Antioch.

27 このころ預言者たちが何名かエルサレムからアンテオケに来ました。

28 One of them named Agabus stood up in one of the meetings and predicted by the Spirit that a great famine was coming upon the entire Roman world. (This was fulfilled during the reign of Claudius.)

28 ある集会でその中のひとりのアガボという人が立ち上がり、霊によって、ローマ世界の全域に大きなききんが来ると予告しました。(これはクラウデオ帝の治世の間に起こりました。)

29 So the believers in Antioch decided to send relief to the brothers and sisters in Judea, everyone giving as much as they could.

29 そこでアンテオケの信者たちはユダヤの兄弟と姉妹たちに救援物資を送ろうと決め、ひとりひとりが送れるだけの物資を送りました。

30 This they did, entrusting their gifts to Barnabas and Saul to take to the elders of the church in Jerusalem.

30 信者たちは、贈り物をバルナバとサウロに託してエルサレムの教会の長老たちに送る形で行いました。




ミニミニ解説

「使徒の働き」の第11章です。

第6章の最初のところで、エルサレムに多ギリシヤ語を話す信者たちのグループと、ヘブライ語を話す信者たちのグループの間でいざこざが生じました。ギリシヤ語を話す信者たちのグループとはイスラエル国外で地中海沿岸都市に住むユダヤ人のことで、旧約聖書の律法に定められた年次の祭りのためにエルサレムを巡礼したり、長年の夢を叶えてイスラエルに戻り、エルサレム周辺に居を構えて定住した人たちです。こういう国外に住んでいるユダヤ人は「ディアスポラ」と呼ばれ(意味は「撒き散らされたもの」で、つまり離散したユダヤ人と言うこと)、人口比率ではディアスポラ系のユダヤ人の法が圧倒的に多いのでした。

一方のヘブライ語を話す信者たちのグループとはもともとイスラエル国内にいた人たちのことで、ヘブライ語とはされていますが、この人たちが話していた原語はアラム語です。二つの言語はとてもよく似ているそうで、アラム語は当時のイスラエル住民の公用語でした。イエスさまも弟子たちもアラム語を話していました。

この二つのグループの間で生じたいざこざに対応させるために七人のリーダーが選ばれました。ステパノ、ピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、ニコラオです。第6章にはこの七人は主に日常の雑事の管理にあたり、これによって十二使徒がお祈りや伝道の活動に集中できるようにした、と書かれていますが、その後の記述を読むと、どうやらこの七人は十二使徒と同様に伝道の活動に従事していたらしいことがわかります。つまりこの七人は、十二使徒がヘブライ語を話す信者たちのリーダーだったように、おそらくディアスポラ系のギリシヤ語を話す信者たちのリーダーとして選ばれたのだと考えた方が自然です。

七人の筆頭のステパノは第6章で逮捕され、第7章で最高議会で話し、章の終わりに石打ちの刑で殺されて最初の殉教者となりました。第8章のはじめには、このステパノの殉職をきっかけに激しい迫害の波が生じ、使徒を除く信者たちがエルサレムから地方へと散らされたと書かれていましたが、この後もエルサレムには引き続き教会が存続しているので、迫害の波が襲ったのはギリシヤ語を話す信者グループだと思われます。ディアスポラ系の信者グループはもともとエルサレムの外から来ている人たちなので、たとえエルサレムから散らされても、たどりついた地で新たに生活基盤を確保して生き延びるための能力に長けていただろうと思われます。

今回の第19節ではこうして散らされた信者たちが、フェニキヤ、キプロス、シリアのアンテオケに到達したと書かれています。フェニキヤは地中海の東岸でイスラエルのすぐ北のあたり、ほぼ現在のレバノンのあたりです。キプロスは地中海の東の端にある大きな島です。そしてアンテオケは世界史などではアンティオキアと表記され、現在はアンタキヤと呼ばれる町です。パレスチナから見るとレバノンよりもさらに北に進んだところにあり、現在はトルコ共和国に編入されています。つまりここから展開する話はエルサレムから散らされたディアスポラ系の信者のうち、北方へ逃れたグループについてと言うことになりますが、追われて命からがらそっち方面へ逃れたと言うより、このグループはもともとそのあたりに住んでいたいた人たちで、迫害を受けたために親戚や知人を頼りにして、かつて自分たちの住んでいた地域へ戻ったと考えた方が自然でしょう。親戚や知人のいる地域であれば、会堂での集会を通じて福音の伝道もやりやすかったはずです。

第20節、ここで革命的なことが起こります。エルサレムから北へ逃れた信者たちの伝道活動はユダヤ人に限定されていましたが、キプロスとクレネからアンテオケに来た信者の中に異邦人に福音を伝えた人たちがいたのです。クレネは北アフリカの都市で現在はリビアの中にあります(クレネという名前では残っていないのかも知れません)。当時北アフリカでディアスポラ系のユダヤ人が多く住んでいたのはエジプトのアレクサンドリアとクレネです。クレネはイエスさまの十字架を代わりに背負ったシモンという人の出身地でした。Mark 15:20-22(マルコの福音書第15章第20節~第22節)です。「20 彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。22 そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。」([新改訳])。

迫害を受けた信者たちがエルサレムからアンテオケへ逃れてきた頃、同じアンテオケにキプロスとクレネからアンテオケに来た信者がいて、この人たちはなんとユダヤ人ではない異邦人に福音を伝えたのでした。これは革命的な出来事です。そしてたくさんの人たちが福音を信じます。

第22節、アンテオケでたくさんの異邦人が福音を受け入れたとの知らせがエルサレムに到達し、教会はアンテオケへバルナバを派遣します。バルナバは第4章に最初に登場しました。Acts Acts 4:34-37(使徒の働き第4章第34節~第37節)です。「34 彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。36 キプロス生まれのレビ人で、使徒たちによってバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフも、37 畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。」([新改訳])。

次に登場したのは第9章で、信者迫害の急先鋒としてダマスコへ向かう途上でイエスさまと出会い、信者となって強力に伝道活動を開始したたサウロをエルサレムの使徒たちに会わせる際に仲介をしています。Acts 9:26-27(使徒の働き第9章第26節~第27節)です。「サウロはエルサレムに着いて、弟子たちの仲間に入ろうと試みたが、みなは彼を弟子だとは信じないで、恐れていた。27 ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。」([新改訳])。

バルナバはギリシヤ語を話す信者グループのリーダーに選ばれた七人の中には登場せず、迫害が起こった後もエルサレムに滞在して来ていますから、おそらくヘブライ語(アラム語)を話すグループに所属する信者の一人だったと考えられます。にも関わらず、改宗したサウロを信じて使徒たちを説得したのです。新約聖書のGalatian(ガラテヤ人への手紙)の記述によると、サウロはエルサレムを訪ねた際にペテロの家に15日間滞在しています。ユダヤの律法のすべてに精通した元ファリサイ派のサウロと、イエスさまの側近としてイエスさまの伝道活動のすべてに同行し、一部始終を自分の目で見てきたペテロの二人が、15日間の合宿で互いの情報を徹底的に交換したのです。これを実現させたのがバルナバであったとしたらバルナバの功績は計り知れません。同じ新約聖書のColossians(コロサイ人への手紙)によるとバルナバは「マルコの福音書」を記したヨハネ・マルコの従兄です。

信者たちの間で信頼の厚いバルナバがアンテオケへ派遣されることとなりました。第23節~第24節、現地で異邦人が福音を信じて信者となっている様子を見たバルナバは、「イエスさまに誠実でありなさい」との励ましを送ります。そしてバルナバの伝道でたくさんの人たちがさらに信者に加わります。激動の時代ですから、新しい信者たちにはこれからも心をぐらぐらと揺さぶるような出来事が次々と起こるはずです。そのときにバルナバの激励が「教会に誠実にありなさい」ではなく、「イエスさまに誠実でありなさい」であったことが生きてくるはずです。なんという適切な激励なのだろうか、と思います。

第25節、バルナバはタルソへ向かいます。さきほど引用した第9章の続きは次のようになっていました。Acts 9:28-30(使徒の働き第9章第28節~第30節)です。「28 それからサウロは、エルサレムで弟子たちとともにいて自由に出はいりし、主の御名によって大胆に語った。29 そして、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちと語ったり、論じたりしていた。しかし、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。30 兄弟たちはそれと知って、彼をカイザリヤに連れて下り、タルソへ送り出した。」([新改訳])。 改宗後にエルサレムで使徒たちと交流し、ペテロと15日間の特別合宿をしたサウロは、根気強く伝道活動を続けていましたが、いよいよディアスポラ系のギリシヤ語を話すユダヤ人たちから命を狙われるとエルサレムを脱出し、カイザリヤ経由で故郷のタルソへと逃れたのです。 タルソはトルコ共和国内にあり、地図上はタルススと表記されています。アンテオケからはさらにパレスチナから遠ざかり、直線距離で100キロくらい北西にあります。

第26節、バルナバはタルソでサウロを見つけてると、サウロをアンテオケに連れて来て、そこで一年にわたって一緒に活動して二人で教会を立ち上げます。何とも素晴らしい人材起用です。バルナバはサウロをエルサレムで使徒たちに引き合わせたかと思えば、今度は異邦人への福音伝道と言う革命的な展開が開始されたアンテオケの教会へとサウロを招くのです。エルサレムからタルソへ逃れたサウロは、タルソの町でも強力に福音を伝えていたはずで、その活動の対象にはどうやら異邦人が含まれていたらしいことが後の書簡を見るとわかります。バルナバはそのことを伝え聞いていたのかも知れません。当時の信者たちの中では最も行動的な二人、足を動かさせたら右に出る者のない無敵のツートップという感じの二人です。二人が立ち上げるアンテオケの教会は当然大きな教会へと育っていきます。

そして第26節には、アンテオケの教会が初めて信者たちが「クリスチャン」と呼ばれた場所だとも書かれています。つまりそれまでは外部から、「ユダヤ教の中で、ある特殊な解釈をする一派」と言うようなあいまいな位置づけだった信者たちに、イエス・キリストを信仰する集団として、ユダヤ教と区別して明確に「クリスチャン」の呼称が用いられたのはアンテオケの教会が最初なのです。しかしこれはローマ帝国が支配する世界での話です。外部から「クリスチャン」と言う明確な呼称で呼ばれるようになったと言うことは、ローマ帝国から迫害対象となる危険な集団の候補として意識されるようになったということでもあります。



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