2015年08月24日

使徒の働き第8章第1節~第25節:迫害が信者を四散させる、ピリポがサマリヤで伝道する

第8章




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Persecution Scatters the Believers

迫害が信者を四散させる


1 Saul was one of the witnesses, and he agreed completely with the killing of Stephen. A great wave of persecution began that day, sweeping over the church in Jerusalem; and all the believers except the apostles were scattered through the regions of Judea and Samaria.

1 サウロはステパノ殺害の目撃者のひとりで、まったくそれに賛成していました。その日に激しい迫害の波が起こってエルサレムの教会を襲い、使徒たちを除く信者たちはユダヤとサマリヤの地方に散らされました。

2 (Some devout men came and buried Stephen with great mourning.)

2 信心深い人たちが何名か、大いに悲嘆してステパノを葬りました。

3 But Saul was going everywhere to destroy the church. He went from house to house, dragging out both men and women to throw them into prison.

3 しかしサウロは教会を破壊するためにどこへでも行きました。家から家をまわって男も女も引きずり出して牢屋へ放り込みました。



Philip Preaches in Samaria

ピリポがサマリヤで伝道する


4 But the believers who were scattered preached the Good News about Jesus wherever they went.

4 しかし四散した信者たちは、行った先々でイエスさまに関する良い知らせを伝道したのでした。

5 Philip, for example, went to the city of Samaria and told the people there about the Messiah.

5 たとえばピリポはサマリヤの町に行って、そこの人たちに救世主について話しました。

6 Crowds listened intently to Philip because they were eager to hear his message and see the miraculous signs he did.

6 群衆はピリポの話を熱心に聞きました。それは彼らがピリポの話しを聞き、ピリポが行う奇跡のしるしを見たかったからです。

7 Many evil spirits were cast out, screaming as they left their victims. And many who had been paralyzed or lame were healed.

7 たくさんの邪悪な霊が追い出され、霊たちは被害に遭っている人たちから出て行くときに大声で叫びました。たくさんの身体が麻痺した人や足の不自由な人たちが癒やされました。

8 So there was great joy in that city.

8 それで町には大きな喜びがありました。

9 A man named Simon had been a sorcerer there for many years, amazing the people of Samaria and claiming to be someone great.

9 シモンという人がいて、そこでは何年にもわたって魔術師なのでした。サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大なのだと言っていました。

10 Everyone, from the least to the greatest, often spoke of him as “the Great One -- the Power of God.”

10 小さな者から大きな者まで、誰もがシモンのことを「偉大な者、神の力」と言っていました。

11 They listened closely to him because for a long time he had astounded them with his magic.

11 シモンが長い間、人々を魔術で驚かしてきたので、人々はシモンの話に一心に耳を傾けました。

12 But now the people believed Philip’s message of Good News concerning the Kingdom of God and the name of Jesus Christ. As a result, many men and women were baptized.

12 しかしいま、人々はピリポが話す神さまの王国とイエス・キリストの名前に関する良い知らせを信じました。結果としてたくさんの男性と女性が洗礼を受けました。

13 Then Simon himself believed and was baptized. He began following Philip wherever he went, and he was amazed by the signs and great miracles Philip performed.

13 シモン自身も信じて洗礼を受けました。シモンはピリポが行くところにはどこへでもついて行き、ピリポが行うしるしや偉大な奇跡を見て驚きました。

14 When the apostles in Jerusalem heard that the people of Samaria had accepted God’s message, they sent Peter and John there.

14 エルサレムの使徒たちがサマリヤの人々が神さまの言葉を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネをそこへ遣わしました。

15 As soon as they arrived, they prayed for these new believers to receive the Holy Spirit.

15 ペテロとヨハネは到着するとすぐに、これらの新しい信者たちが聖霊を受けるようにと祈りました。

16 The Holy Spirit had not yet come upon any of them, for they had only been baptized in the name of the Lord Jesus.

16 聖霊はまだ人々の誰の上にも来ていなかったのです。それは彼らが主イエスさまの名前によって洗礼を受けていただけだからです。

17 Then Peter and John laid their hands upon these believers, and they received the Holy Spirit.

17 ペテロとヨハネがこれらの信者たちの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けました。

18 When Simon saw that the Spirit was given when the apostles laid their hands on people, he offered them money to buy this power.

18 シモンは使徒たちが人々に手を置くと聖霊が与えられたのを見て、使徒たちにお金を払ってこの力を買おうとしました。

19 “Let me have this power, too,” he exclaimed, “so that when I lay my hands on people, they will receive the Holy Spirit!”

19 シモンは言いました。「私にもこの力をください。私が人々の上に私の手を置くと、彼らが聖霊を受けられるように。」

20 But Peter replied, “May your money be destroyed with you for thinking God’s gift can be bought!

20 しかしペテロは答えました。「神さまの贈り物が金で買えると考えたことで、あなたの金はあなたと共に滅びてしまいますように。

21 You can have no part in this, for your heart is not right with God.

21 あなたはこのことについては何の関わりも持てません。あなたの心が神さまの前に正しくないからです。

22 Repent of your wickedness and pray to the Lord. Perhaps he will forgive your evil thoughts,

22 あなたの邪悪を悔いて主に祈りなさい。たぶん主はあなたの邪悪な考えを許してくださるでしょう。

23 for I can see that you are full of bitter jealousy and are held captive by sin.”

23 私にはあなたが激しい嫉妬で満ちていて、罪に捕らわれていることがわかります。」

24 “Pray to the Lord for me,” Simon exclaimed, “that these terrible things you’ve said won’t happen to me!”

24 シモンは大きな声で言いました。「私のために主に祈ってください。あなたの言った恐ろしいことが私に起こらないように。」

25 After testifying and preaching the word of the Lord in Samaria, Peter and John returned to Jerusalem. And they stopped in many Samaritan villages along the way to preach the Good News.

25 サマリヤで証しをして主の言葉を伝えた後、ペテロとヨハネはエルサレムへ戻りました。途中、たくさんのサマリヤの村に立ち寄り、良い知らせを伝えました。




ミニミニ解説

「使徒の働き」の第8章です。

第6章の最初のところで、ギリシヤ語を話す信者たちのグループと、ヘブライ語を話す信者たちのグループの間でいざこざが生じました。ギリシヤ語を話す信者たちのグループとはイスラエル国外で地中海沿岸都市に住むユダヤ人のことで、旧約聖書の律法に定められた年次の祭りのためにエルサレムを巡礼したり、長年の夢を叶えてイスラエルに戻り、エルサレム周辺に居を構えて定住した人たちだろうと説明しました。こういう国外に住んでいるユダヤ人を「ディアスポラ」と呼びます。意味は「撒き散らされたもの」で、つまり離散したユダヤ人と言うことです。人口比率ではディアスポラ系のユダヤ人の法が圧倒的に多いのです。

一方のヘブライ語を話す信者たちのグループとはもともとイスラエル国内にいた人たちのことで、ヘブライ語とはされていますが、この人たちが話していた原語はアラム語です。二つの言語はとてもよく似ているそうで、アラム語は当時のイスラエル住民の公用語でした。イエスさまも弟子たちもアラム語を話していました。旧約聖書はヘブライ語とアラム語で記述されていて、当時ディアスポラのユダヤ人たちによってギリシヤ語への翻訳作業が進み、ギリシア語訳の旧約聖書が作成されました。新約聖書はギリシヤ語で書かれています。

二つのグループの間で生じたいざこざに対応させるため、七人のリーダーが選ばれました。ステパノ、ピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、ニコラオです。「Acts(使徒の働き)」ではこの七人は主に日常の雑事の管理にあたり、これによって十二使徒がお祈りや伝道の活動に集中できるようにしたと書かれていますが、その後の記述を読むと、どうやらこの七人は十二使徒と同様に伝道の活動に従事していたらしいことがわかります。ここからこの七人は、十二使徒がヘブライ語を話す信者たちのリーダーだったように、おそらくディアスポラ系のグループの信者たちのために選ばれたリーダーだったと考えた方が自然だと書きました。

第6章~第7章は七人の筆頭に名前が挙げられていたステパノが逮捕されて石打ちの刑で殺されてしまうまでを伝えました。ステパノは最初の殉教者です。今回はこの続きになります。

第1節、まず「サウロはステパノ殺害の目撃者のひとりで、まったくそれに賛成していました」とあります。サウロとは新約聖書の多数の書簡を記述したパウロのことです。サウロがイエスさまと出会ってイエスさまを信じるようになるイベントは次章の第9章に登場します。

第1節の続きには「その日に激しい迫害の波が起こってエルサレムの教会を襲い、使徒たちを除く信者たちはユダヤとサマリヤの地方に散らされました」とあります。ステパノの処刑をきっかけに、エルサレムに激しい迫害の動きが生じて、これによって十二使徒を除く信者たちがエルサレムから地方へ散らされた、と書かれています。この記述は「Acts(使徒の働き)」の続きや、パウロの書簡を読むと、このまま理解するには少し奇妙です。と言うのは引き続きエルサレムには教会が存続しているように読め、そこにはあきらかに十二使徒以外の信者たちもいるからです。これはどのように理解するのが良いでしょうか。

おそらくステパノの処刑をきっかけに始まった迫害の波が襲ったのは、ディアスポラ系の信者グループであり、ディアスポラ系の信者たちがユダヤやサマリヤへ散らされた、と考えるのが自然だと思います。そしてエルサレムにはヘブライ語(アラム語)を話す、十二使徒を中心とした信者グループがいままでどおり残ったのです。ディアスポラ系の信者グループはもともとエルサレムの外から来ている人たちなので、たとえエルサレムから散らされたとしても、たどりついた地で新たに生活基盤を確保して生き延びるための能力は強かったのではないかと思います。

第2節、殉教したステパノは埋葬されます。ステパノを埋葬したのが迫害を受けて散らされて行くディアスポラ系の信者たちだったのか、あるいはエルサレムに残ったヘブライ語系の信者たちが埋葬を行ったのか、ここからはわかりません。

第3節、「しかしサウロは教会を破壊するためにどこへでも行きました。家から家をまわって男も女も引きずり出して牢屋へ放り込みました」。恐ろしい話です。サウロこそがこの迫害を行う急先鋒だったのです。サウロはディアスポラ系のユダヤ人でファリサイ派に所属していましたから、サウロが荒らした教会が、ディアスポラ系の教会だったと想定するのも自然です。サウロによって牢屋へ放り込まれた男女は、おそらく宗教裁判にかけられて処罰されたのだと思います。

第4節、散らされた信者たちは逃げ落ちた先々で何をしたのか。なんとそこでイエスさまに関する福音を伝道したのです。これは迫害がキリスト教を広めるきっかけとなった最初の例ですが、キリスト教は各国で迫害を受けるたびに逃げ延びた信者たちが先々で福音を伝える形で世界各地へ拡がっていきます。すべての出来事の裏には神さまの遠大な計画が敷かれていることが感じられます。

第5節に登場するのはピリポです。ピリポはディアスポラ系の教会のリーダーとして選ばれた七人の中で二人目に名前が書かれていました。ピリポはサマリヤの町で福音を伝えたと書かれています。このサマリヤは特殊な場所なのです。

イスラエルは南北に長い国で西岸は地中海に面し、国土の中央を北から南へヨルダン川が流れています。首都のエルサレムがり、ヨルダン川の終着点である死海がある南部はユダヤ地方です。イエスさまの福音活動の最初の舞台として登場するガリラヤ湖はヨルダン川の途中が深くえぐれて水がたまってできている湖ですが、このガリラヤ湖があるのは北部のガリラヤ地方です。イエスさまの故郷のナザレも北部のガリラヤ地方にあります。そしてピリポが福音を伝えたサマリヤ地方は、ユダヤ地方とガリラヤ地方に挟まれた部分、ヨルダン川の西側にあります。

イスラエルの歴史上、ひとつだった王国はサウル王、ダビデ王、ソロモン王と三代の王が続いた後で、南北の二つの王朝に分かれることになりました。南朝がユダヤで北朝がイスラエルです。そして北朝イスラエルの首都がサマリヤでした(南朝ユダヤの首都はもちろんエルサレムです)。北朝は後にアッシリア帝国に滅ぼされるのですが、アッシリアはこのときに上流階級、中流階級のユダヤ人を国外へ連れ去り、サマリヤへは代わりに外国人(異邦人)を入植させて支配させました。この結果、時が経つとサマリヤは下流層のユダヤ人と異邦人との混血種のユダヤ人の住む土地となりました。ユダヤ人は純血を尊びますので、混血種となったサマリヤ人は忌み嫌われました。サマリヤ人と接触すると宗教的な汚れを生じると考えられ、ユダヤ人はサマリヤ人との物理的な接触を嫌いました。このためユダヤ人がユダヤ地方からガリラヤ地方へ旅をするときには、サマリヤ地方を通ることを避けて、わざわざヨルダン川を東へ渡ってから北上するのが常でした。

南朝のユダヤはバビロニアに滅ぼされます。南朝のユダヤ人はバビロニアへと連れ去られるのですが(バビロン捕囚)、紀元前530年頃に帰国することを許され、帰還したユダヤ人はエルサレムに神殿を再建します。このときサマリヤ人も神殿の再建に協力したいと申し出るのですが、ユダヤ人は汚れを嫌ってこれを拒否します。結果としてサマリヤ人は聖地エルサレムから閉め出されてしまいます。するとサマリヤ人は、ユダヤ人に対抗してサマリヤのゲリジム山に神殿を建設して、ゲリジム山でユダヤ人と同様の礼拝を行うサマリヤ教が成立します。つまり「サマリヤ」は地方の名であり、南朝時代の首都の名であり、またユダヤ教から区別された別の宗教としてのサマリヤ教の意味も持つのです。

ピリポはエルサレムで迫害が始まると北へ逃れ、サマリヤの町で福音を伝えます。これはディアスポラ系の信者だったからこそできたことではないかと思います。イスラエル国外に住んだことがあるディアスポラ系のユダヤ人は、異国の文化や宗教にさらされる経験をしています。異国の文化や宗教が、ユダヤ人のそれとどのように違うのか、日々それを感じながら生きてきた経験があるのです。つまりイスラエルにずっと住んでヘブライ語を話してきた信者たちに比べると、視点も発想もずっとグローバルなのです。ですからピリポは通常のユダヤ人なら最初に躊躇するはずのヨルダン川の西側を北上する旅路を選択し、さらに到着した先のサマリヤの町では、サマリヤ人との接触についてとやかく言うことよりも、サマリヤ人を神さまに関する真実を知らない人たちととらえ、その人たちにイエスさまの福音を伝えることを最優先と考え、大胆に伝道活動を開始するのです。

第6節~第8節、ピリポの行う奇跡のしるしを目にし、ピリポが伝える救世主イエスさまの話をきいて、サマリヤの人たちは大いに喜びます。 John 4(ヨハネの福音書第4章)にはイエスさまがサマリヤの村スカルで福音を伝えた様子を伝えていますが、ここでイエスさまは礼拝の形態として、ユダヤ人がエルサレムで、サマリヤ人がゲリジム山で礼拝をすることについて、これからはどこで礼拝するかは問題ではなく、神さまは霊であるので、霊と真実によって礼拝する人が求められるようになると話しています。もしピリポの伝える福音がこのメッセージを含んでいたとしたら、サマリヤ人がこれをユダヤ人の口から聞くのは驚きのはずで、これもまた歓迎されたのかも知れません。

ピリポが訪れていたサマリヤの村にシモンという人がいて、この人はサマリヤの地で長い間、魔術を行って人々から偉大な者と見なされていました。第10節にある「小さな者から大きな者まで」と言うのは、子供から大人までみんなという意味でしょう。この時代には魔術師や魔法使いと呼ばれる人たちがたくさんいて、不思議なしるしを見せたり、人の病気を癒したり、悪霊を追い出したり、あるいは占星術などを行って人々の関心を集めていたのです。

ところがエルサレムから来たピリポの行う奇跡のしるしはシモンのそれよりもずっと偉大だったし、ピリポが伝えた福音のメッセージは旧約聖書の教えと合わせて首尾一貫していたので、人々の関心は一気にピリポへと向かい、たくさんの男女がピリポの教えを信じて洗礼を受けました。シモンはピリポの行う奇跡のしるしに驚き、信仰を表明して洗礼を受けます。そしてピリポの行くところへはどこへでもついて行くようになります。しかしシモンは後に奇跡を行う力を金で買いたいと申し出てペテロにたしなめられていますから、表明した信仰は本当に福音を理解して行ったものではなくて、ピリポと同行したいがために行った信仰の表明だったのだと思います。

第14節で、エルサレムの教会、つまりヘブライ語を話す教会が、ペテロとヨハネをサマリヤにいるピリポのところへ遣わしますが、これにはやや違和感があります。この後の新約聖書では、ギリシヤ語を話すディアスポラ系の信者たちの活動がエルサレム外へと展開し、やがてエルサレムに残ったヘブライ語を話す十二使徒たちの教会と対立を生むようになります。そして最終的に二つの教会は和解するのです。ですがキリスト教の拡大はいま始まったばかりで、それはまだ先の話です。

違和感があるのは、ペテロとヨハネが躊躇なく異邦人の地であるサマリヤ地方へ出向いたところと、帰途につくときにもたくさんのサマリヤの村に立ち寄ってそこで福音を伝えたと書かれているところです。最初に異邦人へ積極的に福音を伝えていくのは、過去にイスラエル国外に住んでいた経験からグローバルな感覚を持っていたギリシヤ語を話す教会です。ヘブライ語を話すエルサレムの教会までもが、福音は異邦人にも等しく開かれていると理解し、異邦人への伝道を躊躇なく行えるようになるのはまだ先のことで、この時点ではまだ、エルサレムの教会には異邦人に対する嫌悪が存在していたはずなのです。

ではなぜここにペテロとヨハネがサマリヤへ派遣された話が織り込まれて来るのでしょうか。それはギリシヤ語系の教会とヘブライ語系の教会で、どちらが上であるとか下であるとか、どちらが優位であるとか劣位であるとか、そういう考え方が存在したからではないかと思います。ルカが記述する「Acts(使途の働き)」は、イエスさまの十字架と復活を経て、イエスさまが天へ戻った後、最初にエルサレムで、それからエルサレムの外へ、さらにはイスラエルの外へ、どのように福音が広がっていったか、信者たちがどのように活動したかを書いており、その中でギリシヤ語系のディアスポラのユダヤ人の教会が果たした役割は否定できません。しかしルカはあくまでもイエスさまが直接指名した十二使徒をリーダーとする、エルサレムの教会を正統派の上位の教会として描く必要を感じて書いていたのではないかと思います。

第15節~第17節ではペテロとヨハネが到着してお祈りをしたことで、初めて聖霊がサマリヤの人々に降りたように記述されています。この箇所は今日の私たちの福音の理解と大きく異なっていて聖書を読む人を困らせます。私たちの理解は、人が福音の意味を理解し、それを信じて受け入れると自分の口で告白したら、告白のその瞬間に、その人と神さまの間に和解が成立し、すべての罪が許されて、身体に聖霊を受けると言うものです。サマリヤの人々がピリポの説教を信じて信仰を告白したのなら、聖霊はその時点で降りていたはずなのに、この部分の記述ではペテロとヨハネが到着してお祈りをするまで聖霊が降りなかったことになります。ペテロとヨハネだけに特別な権威があるような描かれ方で、エルサレムの教会の十二使徒を特別扱いにする描き方になっています。

第18節~第24節はペテロとシモンのやりとりです。シモンはペテロとヨハネが信者たちの上に手を置いてお祈りをしたことでサマリヤの人々に聖霊が降りたのを見て、この力を金で買いたいと申し出て、ペテロから叱責を受けます。第24節でシモンは「私のために主に祈ってください。あなたの言った恐ろしいことが私に起こらないように」と言っていますが、果たしてこれはシモンが改心して神さまを信じたのか、あるいはペテロの怒りを買ってしまったので、ペテロが言った「あなたの金はあなたと共に滅びてしまいますように」という呪いの言葉が自分を滅ぼすことを恐れて、なんとか取りなそうとしているだけなのか、それはわかりません。




english1982 at 22:00│使徒の働き