ローマ人への手紙:第3章ローマ人への手紙第2章第1節~第16節:神さまによる罪の裁き

2015年07月30日

ローマ人への手紙第2章第17節~第29節:ユダヤ人と律法

ローマ人への手紙 第2章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Jews and the Law

ユダヤ人と律法


17 You who call yourselves Jews are relying on God’s law, and you boast about your special relationship with him.

17 自分をユダヤ人と呼ぶ人は神さまの律法に頼り、自分と神さまとの特別な関係を自慢します。

18 You know what he wants; you know what is right because you have been taught his law.

18 あなた方ユダヤ人は神さまが求める物を知っています。あなた方は神さまの律法を教えられたのですから、何が正しいかを知っています。

19 You are convinced that you are a guide for the blind and a light for people who are lost in darkness.

19 あなた方は、自分が目の不自由な人への案内人であり、暗闇の中に失われている人々への光であると確信しています。

20 You think you can instruct the ignorant and teach children the ways of God. For you are certain that God’s law gives you complete knowledge and truth.

20 あなた方は、自分は無知な人たちや子供に神さまの道を教えられると思っています。それはあなた方が、神さまの律法があなた方に完全な知識と真実を与えると確信しているからです。

21 Well then, if you teach others, why don’t you teach yourself? You tell others not to steal, but do you steal?

21 それならば、もしあなた方が他者を教えるのなら、どうして自分自身を教えないのですか。他の人たちに盗むなと言いながら、あなた方は盗むのですか。

22 You say it is wrong to commit adultery, but do you commit adultery? You condemn idolatry, but do you use items stolen from pagan temples?

22 あなた方は不義を犯すことは過ちだと言いながら、自分は不義を犯すのですか。あなた方は偶像崇拝を強く非難しながら、自分は異教の寺院から盗んできたものを使うのですか。

23 You are so proud of knowing the law, but you dishonor God by breaking it.

23 あなた方は律法を知っていることをそれほどまでに自慢しながら、それを破ることであなた方は神さまの名誉を汚しているのです。

24 No wonder the Scriptures say, “The Gentiles blaspheme the name of God because of you.”

24 聖書が言うのも不思議はありません。「あなた方のせいで異邦人がみだりに神さまの名前を言って不敬を働く。」

25 The Jewish ceremony of circumcision has value only if you obey God’s law. But if you don’t obey God’s law, you are no better off than an uncircumcised Gentile.

25 ユダヤの割礼の儀式は、あなた方が神さまの律法を守るのなら価値があります。しかしもしあなた方が神さまの律法に従わないのなら、あなた方は割礼のない異邦人と変わりません。

26 And if the Gentiles obey God’s law, won’t God declare them to be his own people?

26 もし異邦人が神さまの律法に従うのなら、神さまはその人たちが自分の民だと言わないでしょうか。

27 In fact, uncircumcised Gentiles who keep God’s law will condemn you Jews who are circumcised and possess God’s law but don’t obey it.

27 実際に、神さまの律法を守る割礼を受けていない異邦人が、割礼を受け、神さまの律法を持つあなた方ユダヤ人を裁きます。

28 For you are not a true Jew just because you were born of Jewish parents or because you have gone through the ceremony of circumcision.

28 ユダヤ人の両親から生まれたから、割礼の儀式を受けたからといって、あなた方は本当のユダヤ人ではありません。

29 No, a true Jew is one whose heart is right with God. And true circumcision is not merely obeying the letter of the law; rather, it is a change of heart produced by the Spirit. And a person with a changed heart seeks praise from God, not from people.

29 違います。本当のユダヤ人は心が神さまに対して正しい人です。本当の割礼とは単に律法の文字に従うことではありません。霊によって生まれる心の変化です。そして心が変化した人は、人からではなく、神さまからの賞賛を求めます。




ミニミニ解説

「Romans (ローマ人への手紙)」の第2章です。

第2章の前半の最後、第16節には「神さまがイエス・キリストを通じてすべての人の隠された生涯を裁く日が来るのです。」と書かれていました。第2章の前半には、ユダヤ人であるかないかは関係なく、ユダヤ人も異邦人も、生涯の行いに応じて裁かれると書かれていました。そしてその善悪の裁きの基準は、自分が神さまの目に正しく映るかどうかであり、すなわち神さまを信じて神さまの栄光を追い求める選択をするか、あるいは神さまの存在の真実を否定して自分の偶像を追い求めるという選択をするか、で決まるのです。

第2章の後半はユダヤ人についてです。

第17節、「自分をユダヤ人と呼ぶ人は神さまの律法に頼り、自分と神さまとの特別な関係を自慢します。」

「自分をユダヤ人と呼ぶ人」と言うのはは「自称ユダヤ人」、本当はユダヤ人ではないのに自分のことを自分でユダヤ人だと言う人のことです。パウロはそういう自称ユダヤ人と言うのは、旧約聖書の律法を根拠にして自分と神さまとの特別な関係を自慢する、そういう人たちだと言います。

第18節、「あなた方ユダヤ人は神さまが求める物を知っています。あなた方は神さまの律法を教えられたのですから、何が正しいかを知っています。」

ユダヤ人は神さまが求める物を知っている人たちです。ユダヤ人は神さまがモーゼを通じて授けた律法についての教育を受けているのですから、神さまが何を正しいとするかを知っているのです。

第19節、「あなた方は、自分が目の不自由な人への案内人であり、暗闇の中に失われている人々への光であると確信しています。」

これは比喩です。目が不自由であるとか、暗闇の中に失われていると言うのは、神さまという光を知らない異邦人のことです。ユダヤ人は、神さまの祝福を受けて世の中で光り輝くような存在となり、異邦人に希望を与え、暗闇の中にいる異邦人を神さまの光へと導く、そういう立場にあります。

第20節、「あなた方は、自分は無知な人たちや子供に神さまの道を教えられると思っています。それはあなた方が、神さまの律法があなた方に完全な知識と真実を与えると確信しているからです。」

「無知な人たちや子供」と言うのもやはり異邦人のことでしょう。ユダヤ人は自分たちは異邦人に神さまの道を教えられると思っています。それは自分たちが習い親しんできた旧約聖書の律法こそが世の中で最高の権威を持つものであり、律法が人に完全な知識と真実を与える力を持つと確信しているからです。

第21節、「それならば、もしあなた方が他者を教えるのなら、どうして自分自身を教えないのですか。他の人たちに盗むなと言いながら、あなた方は盗むのですか。」

パウロは「それならば」と言い、どうして自分が他者を教えられると信じながら、自分自身には教えないのか、とユダヤ人を批判します。完全な知識と真実を与える律法に親しみながら、ユダヤ人は、それを守るという行動を起こしていないからです。

またパウロは「他の人たちに盗むなと言いながら、あなた方は盗むのですか。」と言います。律法の十戒には「盗んではならない。」と書いてあります。Exodus 20:15(出エジプト記第20章第15節)です。ユダヤ人は誰でもこれをよく知っていて、「たとえば十戒には盗んではならないと書いてある」と異邦人に自慢げに教えるのでしょう。そうやって他の人たちに「盗むな」と教えながら、ユダヤ人はたとえばちょっとしたごまかし程度の盗みなら誰でもするのです。何が盗みにあたり、何が盗みにあたらないかは誰が決めるのでしょうか。

第22節、「あなた方は不義を犯すことは過ちだと言いながら、自分は不義を犯すのですか。あなた方は偶像崇拝を強く非難しながら、自分は異教の寺院から盗んできたものを使うのですか。」

パウロは「あなた方は不義を犯すことは過ちだと言いながら、自分は不義を犯すのですか。」と責めます。同じく十戒には「姦淫してはならない。」と書いてあります。Exodus 20:14(出エジプト記第20章第14節)です。ユダヤ人は姦淫の罪は死罪にあたると知っています。しかしユダヤ人の間でも不倫の話は後を絶ちません。

偶像崇拝についても十戒に「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。」と書いてあります。Exodus 20:4(出エジプト記第20章第4節)です。しかしイスラエルの国外に暮らすディアスポラ系のユダヤ人たちは、自分たちの住む町で、ギリシヤ神話やローマ神話の神々を偶像にして奉る寺院に捧げられた食物を何のためらいもなく食べているのです。

第23節、「あなた方は律法を知っていることをそれほどまでに自慢しながら、それを破ることであなた方は神さまの名誉を汚しているのです。」

ユダヤ人は「神さまの律法」「神さまの律法」と偉そうに自慢しながら、それを行動に移して実践して示すことがありません。この一貫性の欠如は異邦人の目にも明白なはずで、異邦人はユダヤ人を冷笑するでしょう。そうやってユダヤ人は神さまの名誉を汚(けが)しているとパウロは言います。

第24節、「聖書が言うのも不思議はありません。「あなた方のせいで異邦人がみだりに神さまの名前を言って不敬を働く。」」

パウロの引用は、Isaiah 52:5(イザヤ書第52章第5節)ですが、ここでは、Isaiah 52:1-5(イザヤ書第52章第1節~第5節)を引用します。

「1 さめよ。さめよ。力をまとえ。シオン。あなたの美しい衣を着よ。聖なる都エルサレム。無割礼の汚れた者が、もう、あなたの中に入って来ることはない。2 ちりを払い落として立ち上がり、もとの座に着け、エルサレム。あなたの首からかせをふりほどけ、捕囚のシオンの娘よ。3 まことに主はこう仰せられる。「あなたがたは、ただで売られた。だから、金を払わずに買い戻される。」 4 まことに神である主がこう仰せられる。「わたしの民は昔、エジプトに下って行ってそこに寄留した。またアッシリヤ人がゆえなく彼らを苦しめた。5 さあ、今、ここでわたしは何をしよう。-- 主の御告げ -- わたしの民はただで奪い取られ、彼らを支配する者たちはわめいている。-- 主の御告げ -- また、わたしの名は一日中絶えず侮られている。」([新改訳])。

第25節以降は「割礼」の話になります。割礼は男性器の包皮を切除する外科手術の儀式です。旧約聖書の「Genesis(創世記)」に定められています。引用はGenesis 17:10-14(創世記第17章第10節~第14節)です。

「10 次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい。11 あなたがたは、あなたがたの包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたの間の契約のしるしである。12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。13 あなたの家で生まれたしもべも、あなたが金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉の上にしるされなければならない。 14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」([新改訳])。

第25節、「ユダヤの割礼の儀式は、あなた方が神さまの律法を守るのなら価値があります。しかしもしあなた方が神さまの律法に従わないのなら、あなた方は割礼のない異邦人と変わりません。」

割礼の儀式は外科手術的な儀式により肉の上の印となって残ります。ユダヤ人はその印によって自分がユダヤ人であることの証とし、その印によって神さまの祝福を受け、天国に迎えられると信じています。しかしパウロは肉の上の割礼の印は律法を守るのであれば価値があるが、たとえば盗みを働いたり、不義をしたり、偶像に捧げられた肉を平気で食べたりして、そうやって律法に従っていないのなら、割礼のない異邦人と何も変わらないと言います。

第26節~第27節、「もし異邦人が神さまの律法に従うのなら、神さまはその人たちが自分の民だと言わないでしょうか。実際に、神さまの律法を守る割礼を受けていない異邦人が、割礼を受け、神さまの律法を持つあなた方ユダヤ人を裁きます。」

逆に異邦人でも、神さまを信じて律法に従うことを行動に移している人がいたら、神さまはその人たちこそが自分の民だと言う、とパウロは言います。そして実際に最後の裁きの場では、神さまの律法を守る割礼を受けていない異邦人が、肉体に割礼を受け、神さまの律法を持つユダヤ人を裁くのだ、と言います。最後の裁きで裁判官を務めるのは再来するイエス・キリストですが、福音を信じる異邦人は、この裁判の席でイエス・キリストのいる裁判官の側に座る、そういう意味でしょう。

第28節、パウロは「ユダヤ人の両親から生まれたから、割礼の儀式を受けたからといって、あなた方は本当のユダヤ人ではありません。」と言います。これが当時のユダヤ人が信じていたことです。自分を確実にユダヤ人にする物、それによって神さまからの祝福と天国行きを約束する物、それは血筋と割礼の儀式の印なのです。

第29節、「違います。本当のユダヤ人は心が神さまに対して正しい人です。本当の割礼とは単に律法の文字に従うことではありません。霊によって生まれる心の変化です。そして心が変化した人は、人からではなく、神さまからの賞賛を求めます。」

パウロは「本当のユダヤ人」と言うのは、血筋や割礼の有無が決めるものではなく、「心が神さまに対して正しいかどうか」だと言います。そして「割礼」もまた、律法として書かれた文字に従って受ける外科手術のことではなく、「霊によって生まれる心の変化」だと言います。聖霊の働きで心が変化した本当のユダヤ人は、血筋や表面的な遵法によって人からの称賛を求めるのではなく、神さまを信じ、褒め称え、従うことで神さまからの賞賛を求めるようになるのです。

割礼が肉の上の印を言うのではなく、神さまを信じる信仰の有無が心に刻む印となったものを指すと言うのは、ここでパウロが言い出したことではなく、旧約聖書にも最初から何カ所かに登場しています。

たとえばDeuteronomy 10:15-16(申命記第10章第15節~第16節)はモーゼの律法そのものですが、「15 主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである。16 あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。」([新改訳])と、「心の包皮を切り捨てなさい」と表現されています。

あるいはJeremiah 4:3-4(エレミヤ書第4章第3節~第4節)には、「3 まことに主は、ユダの人とエルサレムとに、こう仰せられる。「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。4 ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」([新改訳])と書かれています。






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