ローマ人への手紙:第1章使徒の働き:全体目次

2015年07月31日

ローマ人への手紙:はじめに

ローマ人への手紙


はじめに
第01章  第02章  第03章  第04章  第05章
第06章  第07章  第08章  第09章  第10章
第11章  第12章  第13章  第14章  第15章
第16章
全体目次




「Romans (ローマ人への手紙)」は新約聖書の六番目の本で、パウロによって書かれています。

パウロはユダヤ人の両親を持つ純血のユダヤ人で、キリキヤ州のタルソという、現在はトルコ共和国にある町で生まれました。イスラエルの国外に住んでいたいわゆるディアスポラ系のユダヤ人です。

パウロはエルサレムで1、2を争うガマリエルという高名な教師の下でマンツーマンの厳しい宗教教育を経て聖書の教師となり、ファリサイ派に所属しました。ファリサイ派は主に聖書の教師によって構成され、厳格に旧約聖書の律法を守ることで知られた保守派閥でした。ファリサイ派は同胞のユダヤ人たちから広く尊敬を集め、サンヘドリンというユダヤの最高議決機関に議席も持っていました。

さてこの時代、イスラエルはローマ帝国に支配されていました。ローマ帝国は、帝国に対する反逆罪に対しては、十字架刑という歴史上もっとも残酷な死刑を課して見せしめとしていましたが、当時、この十字架刑に処されて殺されたイエス・キリストという人物が、死者の中から復活したと主張し、このイエス・キリストを救世主として崇める人たちが現れて、エルサレムのみならず、ユダヤ人の住む大きな町で信者を増やしつつありました。

旧約聖書の律法に最高の権威を与えるファリサイ派は、律法を軽視するような発言をするイエス・キリストの信者たちを弾圧する立場にありました。パウロはファリサイ派の急先鋒として、この道の信者の迫害に燃え、教会を次々と襲っては信者に鎖を掛けてエルサレムの宗教裁判へと引き立てていました。

ところがある日、次の襲撃の標的に定めたシリアのダマスコの教会を目指して進んでいるとき、パウロは当のイエス・キリストに遭遇するのです。パウロはキリストに出会った瞬間、キリストこそが主であると悟ります。律法の教師として旧約聖書に精通するパウロは、死者の中から復活して自分の前に現れたキリストに出会って、旧約聖書の律法書や預言書の聖句の数々が、ことごとくキリストを救世主として指し示すこと、キリストこそが旧約聖書に秘められた奥義であると理解したのです。パウロはキリスト本人から、福音を伝える使徒して指名されると、立場を180度反転させ、直ちに福音伝道の活動を開始します。

パウロは合計で三回、現在のトルコ共和国とギリシヤを巡る伝道旅行を行い、町々でキリストを通じた神さまによる救済の計画、すなわち「福音」を伝えました。各町で信者を獲得すると、その地のリーダーを指名して教会を設立して行きます。

パウロには敵が大勢いました。まずはパウロが元々所属していたファリサイ派の人たち。この人たちはかつてのパウロがキリスト教の教会を襲撃したのと同じように、クリスチャンとなったパウロを殺害しようといのちを狙いました。それからトルコ共和国やギリシヤの各地で、ギリシヤ神話の宗教を種に商売をしていた人たち。この人たちから見ればパウロは自分たちの商売を邪魔する存在でした。

それからクリスチャンと自称しながら、実はパウロとは異なる種類の福音を伝えていた人たち。この人たちが一番厄介なのです。まず、「割礼派」とか「ユダヤ主義者」と呼ばれた人たちは、ユダヤ人ではない外国人(異邦人)がクリスチャンになるためには、最初にユダヤ人になる必要があると主張して、旧約聖書の律法が定める「割礼」の儀式を受けることを異邦人に強要しました。それからキリスト教に修養的な考えを持ち込み、キリスト教からキリストの十字架を切り離して、信仰を霊的な悟りのようなものに置き換えようとする人たちも現れ始めていました。

神さまによる人類救済の計画は、神さまが人類に無償で与えたものです。それを受け入れるために必要な条件はひとつもありません。最初にユダヤ人になる必要があるとか、修養を積んで悟りを開く必要があるとか、そういう考えは福音を歪めてしまいます。パウロはこういう主張をする人たちと徹底的に戦い、そのためにいのちも狙われました。パウロはキリストから受けた使命を全うすることに自身を捧げ、主に異邦人に福音を伝えると共に、福音を正しい形のままに守るために戦い続けました。パウロが信じ伝えた福音が、今日、新約聖書の中に「パウロ書簡」として編纂されたおかげで、私たちクリスチャンは福音を正しく理解することができるのです。

さて「Romans (ローマ人への手紙)」はパウロが第三回目の伝道旅行の最後に、三ヶ月にわたってコリントに滞在したときに書かれたとされます。西暦55年の暮れから56年にかけての冬のことです。

パウロは長く、ローマに行きたいと切望していました。西暦41年~54年まで第四代のローマ皇帝だったクラウディウスは、西暦49年にユダヤ人をローマから追放しました。パウロは、この迫害を逃れてローマからコリントへ来ていたアクラとプリスキラの夫婦と第二回目の伝道旅行のときに出会い、以来、親交を深めます。西暦54年にクラウディウスが暗殺されて皇帝がネロに代わると、クラウディウス帝のユダヤ人追放令は解除され、アクラとプリスキラの夫婦も含めてユダヤ人たちは徐々にローマに戻りつつありました。

パウロはこの手紙を書いている日までローマに行ったことはありません。「Romans (ローマ人への手紙)」を除く他のパウロの書簡は、自分が過去の伝道旅行で設立した教会の信者たちに宛てて、信者たちを励まし、教え、そしてパウロの敵たちが説く「異なる福音」から信者たちを守る目的で書かれていますが、「Romans (ローマ人への手紙)」は自分が一度も行ったことのない土地の信者に向けて書かれます。

そのため、「Romans (ローマ人への手紙)」はパウロがいのちをかけて伝え守ってきたキリストに関する福音の集大成になっています。ローマは自分の行ったことのない土地、自分が福音を説いたことのない土地ですから、ローマの信者たちには、自分がいつも伝道旅行で説いて教えているように、福音とは何であるかを文章で丁寧に伝えなければなりません。そして福音を正しく理解してもらうことで、これからローマへと容赦なく入り込むであろうパウロの敵たちが説く嘘の福音から、なんとしてもローマの信者たちを守りたいのです。

注目すべきはこの手紙が書かれた西暦55年は、新約聖書の中のどの福音書の記述年よりも前だと言うことです。新約聖書の構成は、キリストの生涯を描く四つの福音書から始まり、次にキリスト復活後を描く「使徒の働き」へと続きます。「使徒の働き」の後半ではパウロの伝道活動が語られて、その次に登場するのが今回の「Romans (ローマ人への手紙)」です。新約聖書を最初から順番に読み進めていくと、「Romans (ローマ人への手紙)」は時間軸として一番最後に書かれたものと言う印象を持ってしまいがちです。しかしパウロがローマの信者たちに宛てて、キリストの真実を論理的に説明する「Romans (ローマ人への手紙)」は、実は一番最初に書かれた文書であり、内容はずばり、「パウロによる福音書」になっているのです。

全体の構成は、第1章~第8章がパウロによる福音書、第9章~第11章はユダヤ人について、第12章~第15章前半はクリスチャンの生き方、クリスチャンの心得のような話、第15章後半~第16章が手紙の結びになります。

それでは「Romans (ローマ人への手紙)」を読んでいきましょう。


english1982 at 23:30│ローマ人への手紙 
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