ピリピ人への手紙第1章第20節~第30節:キリストのためのパウロの人生、天の市民として生きるピリピ人への手紙:第1章

2015年05月12日

ピリピ人への手紙第1章第1節~第19節:パウロからのあいさつ、パウロの感謝と祈り、キリストが伝道されることのパウロの喜び

ピリピ人への手紙 第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Greetings from Paul

パウロからのあいさつ

1 This letter is from Paul and Timothy, slaves of Christ Jesus. I am writing to all of God’s holy people in Philippi who belong to Christ Jesus, including the church leaders and deacons.

1 この手紙はイエス・キリストのしもべであるパウロとテモテからです。私はピリピのイエス・キリストに属する神さまの神聖なる人たちすべてに宛てて書いています。これには教会の指導者と補佐役が含まれます。

2 May God our Father and the Lord Jesus Christ give you grace and peace.

2 私たちの父なる神さまと主イエス・キリストから、あなた方への恵みと平安がありますように。



Paul’s Thanksgiving and Prayer

パウロの感謝と祈り


3 Every time I think of you, I give thanks to my God.

3 私は、あなた方のことを思うたびに私の神さまに感謝します。

4 Whenever I pray, I make my requests for all of you with joy,

4 私がお祈りをするときはいつも、あなた方すべてのために喜びをもってお願いをしています。

5 for you have been my partners in spreading the Good News about Christ from the time you first heard it until now.

5 それはあなた方が、キリストに関する良い知らせを最初に聞いた日から今に至るまで、それを広める上で、ずっと私の仲間だったからです。

6 And I am certain that God, who began the good work within you, will continue his work until it is finally finished on the day when Christ Jesus returns.

6 そして私は、あなた方の中で良い仕事を始めた神さまが、イエス・キリストが戻る日にその仕事が最終的に完了するまで、それを継続してくださることと信じています。

7 So it is right that I should feel as I do about all of you, for you have a special place in my heart. You share with me the special favor of God, both in my imprisonment and in defending and confirming the truth of the Good News.

7 私があなた方すべてについてこのように感じるのは正しいことなのです。なぜならあなた方は私の心の中の特別な場所を占めています。私が投獄されているときも、私が良い知らせの真実を守り確認しているときも、あなた方は私と共にいて神さまの特別な愛を分かち合いました。

8 God knows how much I love you and long for you with the tender compassion of Christ Jesus.

8 神さまは私がイエス・キリストの慈悲深い心をもって、どれほどあなた方を愛し、あなた方に思い焦がれているかをご存じです。

9 I pray that your love will overflow more and more, and that you will keep on growing in knowledge and understanding.

9 私はあなた方の愛がもっともっとあふれるように、そしてあなた方が知識と理解において成長を続けるように祈ります。

10 For I want you to understand what really matters, so that you may live pure and blameless lives until the day of Christ’s return.

10 それは私があなた方に何が本当に大切かを理解して欲しいからです。そうやってあなた方がキリストが戻る日まで、清純で非難されるところなく生きられるようにです。

11 May you always be filled with the fruit of your salvation -- the righteous character produced in your life by Jesus Christ -- for this will bring much glory and praise to God.

11 どうかあなた方が救いの実、つまりイエス・キリストによってあなた方の人生に生まれる正しい特質にいつも満たされていますように。それが神さまへ多くの栄光と賞賛をもたらすからです。



Paul’s Joy That Christ Is Preached

キリストが伝道されることのパウロの喜び


12 And I want you to know, my dear brothers and sisters, that everything that has happened to me here has helped to spread the Good News.

12 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、ここで私に起こったことのすべてが、良い知らせを広める助けになったことをあなた方に知ってもらいたいと思います。

13 For everyone here, including the whole palace guard, knows that I am in chains because of Christ.

13 宮殿の警備隊の全員を含むみなが、私がキリストのゆえに拘禁されていることを知っています。

14 And because of my imprisonment, most of the believers here have gained confidence and boldly speak God’s message without fear.

14 そして私の投獄により、ここの信者の多くが確信を得て恐れることなく神さまのことばを大胆に語っています。

15 It’s true that some are preaching out of jealousy and rivalry. But others preach about Christ with pure motives.

15 嫉妬や対抗心から伝道する人がいると言うのは真実ですが、他の人たちは純粋な動機からキリストを伝道しています。

16 They preach because they love me, for they know I have been appointed to defend the Good News.

16 その人たちは私を愛するが故に伝道します。それは彼らが私が良い知らせを守るために任命されたことを知っているからです。

17 Those others do not have pure motives as they preach about Christ. They preach with selfish ambition, not sincerely, intending to make my chains more painful to me.

17 他の人たちはキリストを伝道するにあたり純粋な動機を持ちません。彼らは自己中心的な野心を持ち、心からではなく、私の投獄をさらに苦しいものにしようともくろんで伝道するのです。

18 But that doesn’t matter. Whether their motives are false or genuine, the message about Christ is being preached either way, so I rejoice. And I will continue to rejoice.

18 ですがそれはどうでも良いのです。彼らの動機が偽物であろうと本物であろうと、いずれにしてもキリストに関する言葉が伝道されるのですから、それで私は喜びます。私は喜び続けます。

19 For I know that as you pray for me and the Spirit of Jesus Christ helps me, this will lead to my deliverance.

19 それはあなた方が私のために祈り、イエス・キリストの霊が私を助けると、それが私の釈放につながることを私は知っているからです。




ミニミニ解説

「Philippians(ピリピ人への手紙)」の第1章です。

第1節、手紙はパウロとテモテから、ピリピの教会の信者に宛てて書かれています。

第3節~第5節、パウロはピリピの教会を思う度に神さまに感謝し、お祈りをするときには喜びを感じています。それはパウロがピリピの人たちに最初に福音を伝えた日から、ずっとパウロの伝道活動の仲間だったからだと書かれています。パウロはあちらこちらへの町から町へと旅行をしますが、パウロはその間ずっとピリピの教会を伝道活動上の仲間だと思っていたということです。

第6節、パウロは神さまが自分とピリピの教会との素晴らしい関係を、イエスさまが再来して伝道の仕事が最終的に完了するまで継続してくれると信じています。クリスチャンが福音を伝道する仕事は、イエスさまが再来して「終わりの日」がスタートする日をもって完了すると言うことです。

第7節、パウロがピリピの教会に寄せる特別な思いは「正しいこと」であり、ピリピの教会はパウロの心の中の特別な場所を占めている、と書かれています。パウロはピリピの教会との絆を、自分が投獄されているときにも、福音の真実を守っているときにも感じているとあります。

第9節~第10節、パウロはピリピの教会の愛がもっと豊かにあふれるように、そしてピリピの信者たちが知識と理解において成長を続けるようにと祈っています。その理由はパウロはピリピの教会に「何が本当に大切か」を理解して欲しいから、とあります。つまり固い絆で結ばれ、パウロが伝道活動上の仲間だとまで言うピリピの教会の信者たちも、パウロから見れば、もっと大きな愛を示すことができるし、知識と理解においての成長の余地もたくさんあるのです。

第10節には、パウロがそのように祈る理由として「そうやってあなた方がキリストが戻る日まで、清純で非難されるところなく生きられるように」と書かれています。クリスチャンは福音を受け入れた時点で、あらゆる罪がイエスさまの血で洗い流されたはずで、そういう意味では清純で非難されるところのない状態のはずです。パウロが言っているのはそれとは別の話だと思います。

私自身、自分がクリスチャンだという自覚があり、自分は「終わりの日」に天国に行くと確信しますが、そうであっても、日々、自分は神さまをガッカリさせてばかりだと思っていて、お祈りの中では神さまに謝罪することも多々あります。パウロがここで言っているのは、クリスチャンには霊的な成長の余地がたくさんあると言うことでしょう。たとえば私のようなダメダメな信者でも、神さまをガッカリさせるような言動や心のありようが少しずつ改善されていって、清純で非難されるところのない状態に少しでも近づくことがきたら、それは素晴らしいことだと思います。

第11節、そういう神さまの目から見て善いクリスチャンであることを示すものが、この節に書かれている「救いの実」、イエスさまを受け入れたことから生じる結実なのではないかと想像します。自分が霊的な成長を遂げ、「救いの実」に満たされれば満たされるほど、それが神さまに栄光と賞賛をもたらすのです。

第12節、パウロは「ここで私に起こったことのすべて」が福音を広めるのに役立ったと言い、続く文面を読むと、この「ここで私に起こったことのすべて」とはパウロの投獄のことを言っているのです。

第13節~第14節、パウロは恐らく町中を巻き込む大騒ぎの後に投獄されたため、宮殿の警備隊全員を含む町中のみなが、パウロがイエスさまに関する福音の伝道のゆえに投獄されていると知っているのです。そしてパウロの投獄によって、エペソの信者の多くが確信を持って恐れることなく大胆に福音を伝えているのです。

これはパウロの投獄が福音の伝道と言う観点では追い風になっている、と言うことです。いまエペソの町中の人がパウロとは誰なのか、パウロは何を伝えていて投獄されたのか、パウロが自分の主と呼んで賛美するイエスさまとは誰のことなのか、大きな興味を抱いています。パウロは町の話題の中心なのです。町中の人が福音について知りたくて知りたくて仕方がないのです。そういう空気の中で、信者たちは恐れることなく大胆に福音を語っています。

第15節、そうやって福音を語るクリスチャンの中には、パウロに対する嫉妬や対抗心を持って福音を語る人もいます。

第16節~第17節、一方で、パウロが福音の真実を、偽りの教えから守る正しい使徒であると認め、パウロを愛するが故に福音を伝える人も居ます。

第17節、パウロを憎み、抹殺したいとまで思う人たちは、パウロの投獄をさらに過酷なものとしようと、パウロが伝える福音と言うのは実はこれほど酷い教えなのだと、ねじ曲がった動機で福音を語るでしょう。

第18節、パウロはこのことについて、それはどちらでも良いのだと言います。どのような動機に基づいて語られようと、福音が伝えられるのであればそれは喜ばしいと言います。実際のところ、何がきっかけになって人が福音に興味を持つかはわかりません。福音を攻撃する宣伝をきっかけにして、最終的に福音を信じる人が現れても何の不思議もありません。パウロ自身が最初は福音を攻撃するファリサイ派の急先鋒だったのですから。

第19節、ピリピの教会がパウロのために祈り、イエスさまの霊がパウロを助ければ、パウロはいずれ釈放されると知っている、とパウロは書きますが、「コリントの手紙」を読むとパウロがこの投獄で自分の死を意識し始めたことがうかがえますから、それほど生やさしい投獄生活ではなかっただろうと想像します。






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