ピリピ人への手紙:第1章ガラテヤ人への手紙:全体目次

2015年05月12日

ピリピ人への手紙:はじめに

ピリピ人への手紙


はじめに
第01章  第02章  第03章  第04章
全体目次




ピリピはギリシヤと小アジアに挟まれたエーゲ海の北にある町で、イスタンブールから西へ250キロほどの場所にありました。wikipediaでは「ピリッポイ」で見つかります。20世紀に行われた発掘調査の後、遺跡は2016年に世界遺産に登録されています。

パウロがピリピを訪れたのは第二回目の伝道旅行のときでした。小アジアの西端のトロアスにいるときにパウロは幻を見て、マケドニヤ(ギリシヤの北部)へ渡るようにと招かれ、サモトラケ島を経由してネアポリスに至ります。ピリピはそのすぐ西にありました。

まず、パウロの最初のピリピ滞在時の様子を「Acts(使徒の働き)」で読んでおこうと思います。Acts 16:9-40(使徒の働き第16章第9節~第40節)です。長いですがすべて引用します。

「9 ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。11 そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。12 それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。16 私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。17 彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫び続けた。18 幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と言った。すると即座に、霊は出て行った。19 彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。20 そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、21 ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」 22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。25 真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。26 ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。27 目をさました看守は、見ると、牢のとびらがあいているので、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。28 そこでパウロは大声で、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。29 看守はあかりを取り、駆け込んで来て、パウロとシラスとの前に震えながらひれ伏した。30 そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。32 そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。33 看守は、その夜、時を移さず、ふたりを引き取り、その打ち傷を洗った。そして、そのあとですぐ、彼とその家の者全部がバプテスマを受けた。34 それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。35 夜が明けると、長官たちは警吏たちを送って、「あの人たちを釈放せよ」と言わせた。36 そこで看守は、この命令をパウロに伝えて、「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。どうぞ、ここを出て、ご無事に行ってください」と言った。37 ところが、パウロは、警吏たちにこう言った。「彼らは、ローマ人である私たちを、取り調べもせずに公衆の前でむち打ち、牢に入れてしまいました。それなのに今になって、ひそかに私たちを送り出そうとするのですか。とんでもない。彼ら自身で出向いて来て、私たちを連れ出すべきです。」 38 警吏たちは、このことばを長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人であると聞いて恐れ、39 自分で出向いて来て、わびを言い、ふたりを外に出して、町から立ち去ってくれるように頼んだ。40 牢を出たふたりは、ルデヤの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出て行った。」([新改訳])。

パウロはこの後、さらに100キロほど進んでテサロニケに行きます。最終的にはアテネ経由でギリシヤ南部のコリントに到達し、そこに一年半滞在しました。

「Philippians(ピリピ人への手紙)」は、この第二回目の伝道旅行の際にピリピの地に設立された教会に宛てられた手紙です。文面から手紙が獄中で書かれたことがわかります。パウロは上で引用した文面中、ピリピで投獄されていますが、「Acts(使徒の働き)」を読むと、その後のパウロの投獄の記録は、第三回目の伝道旅行の最後にエルサレムで拘束され、カイザリヤへ護送されてそこで監禁されたときと、ローマに移送されてそこで監禁されたときの二回だけです。

それで「Philippians(ピリピ人への手紙)」は、長い間、このどちらかの投獄の際に書かれたものとされてきましたが、近年の研究では第三回目の伝道旅行の際、パウロがエペソに滞在しているときに「Acts(使徒の働き)」に記載されていない投獄があり、「Philippians(ピリピ人への手紙)」はこのときに書かれたとする説が有力のようです。

パウロがなぜエペソで投獄されたのか、それは「Acts(使徒の働き)」に投獄の記録がないので定かではありませんが、エペソはギリシヤ神話のアルテミスという女神を奉った町で、第19章にはアルテミス神殿の模型を作っていたデメテリオという銀細工の職人がパウロを糾弾して町中を扇動し、大きな騒ぎを起こした様子が書かれています。パウロは危うく難を逃れたことになっていますが、もしかするとこのときに投獄されたのかも知れません。

手紙を読むとパウロとピリピの教会が大変強い信頼関係で結ばれていることがわかります。ピリピの教会が示す強い信仰と献身的な活動は、パウロの伝道活動を精神的にも経済的にも支えているのです。

それでは「Philippians(ピリピ人への手紙)」を読んでいきましょう。


english1982 at 23:30│ピリピ人への手紙 
ピリピ人への手紙:第1章ガラテヤ人への手紙:全体目次