2016年01月28日

四つの福音書

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使徒の働きと書簡
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どうして四つあるのか

「Gospel(福音書)」はイエスの生涯と教えを記述した本です。新約聖書には「Gospel of Matthew(マタイの福音書)」「Gospel of Mark(マルコの福音書)」「Gospel of Luke(ルカの福音書)」「Gospel of John(ヨハネの福音書)」の四つの福音書が収録されています。どうして四つもあるのでしょうか。

四つの福音書のうち、「Matthew(マタイ)」「Mark(マルコ)」「Luke(ルカ)」の三つを特に「Synoptic Gospels(共観福音書)」と呼びます。この三つの福音書には共通する記述が多く同じような表現が随所に見られます。聖書学の研究過程で三つの福音書を相互比較し、どのくらいの共通点があるか一覧表に整理したものを「Synopsis(共観表)」と言い、ここからこの三つを共観福音書と呼ぶようになりました。

残る一冊の「John(ヨハネ)」だけは三つとスタイルがまったく異なるのですが、少なくとも共通点の多い三つの福音書は恐らく最初に書かれたものを後の記述者が参照して、他の情報で補いながら書かれたのだろうと考えられています。

どうして福音書が四つ存在するのか。それぞれの福音書の特徴を見てみましょう。




Gospel of Matthew(マタイの福音書)

記述者

記述者は十二使徒のひとり、Matthew Levi(マタイ・レビ)とされます。

マタイはもともと徴税人でイエスから着いて来るようにと呼ばれて弟子となり、後に十二使徒に選ばれました。ヘブライ語で「マタイ」は「主の贈り物」を意味します。

マタイはガリラヤ湖北岸の町、カペナウム周辺で徴税人をして働いていました。イエスの時代には土地と人頭に課せられる税金は直接ローマの役人が徴収しましたが、商品の移動に関わる税金の徴収は支配する国の中から徴税人を任命して任せていました。マタイはその仕事をしていた人です。

一般的にこれらの徴税人とローマ帝国との契約は、ある期間に集める予定の税金をローマに対して前払いして、自分自身の徴税人としての儲けはその後で自国民から搾り取る税金が多ければ多いほど増えるという仕組みでした。

ユダヤの人々はこれらの徴税人を大変嫌っていました。それはローマ帝国へ収める税額を上回る徴税を行って私腹を肥やし、徴税人の周辺では汚職が絶えず、そうやって自分たちを支配する敵国の手先となって働いていたからです。人々の間では徴税人は殺人犯や強盗と同じように忌み嫌わていて、ユダヤ人は徴税人に対してだけは律法で禁じられた「嘘をつくこと」さえ容認されていました。徴税人に対する人々の意識は聖書の中にも多数記述されていて、売春婦や異邦人と同格に扱われ、いつも「罪深い」存在として扱われます。ローマ帝国はこうやって人々の怒りや不満の矛先を自国の徴税人に向けさせることで帝国内の秩序を上手にコントロールしていたのです。

人々から忌み嫌われる徴税人のマタイが新約聖書の冒頭を飾るのは、血筋や伝統を重んじ汚れを嫌うユダヤ社会では大変異例で衝撃的なことです。逆に言えば新訳聖書の最初をマタイから始めることがユダヤ社会に投げかける衝撃は最初から意図されていたと考えるべきです。


本の目的

「Matthew(マタイの福音書)」は新約聖書の最初の本で聖書全体の中では旧約聖書から新約聖書への導入部にあたります。

内容はイエスが語った教えを中心に最も系統立てて書かれた本で、教会では信徒を教育するための教科書としてこの本をよく使いました。

この本はユダヤ人の読者に向けて、イエスが旧約聖書で預言され待望されて来た救世主その人であると納得させるために書かれたと思われる部分がたくさんあります。たとえば記述者はユダヤ語やユダヤの慣習をわざわざ説明していませんし、旧約聖書からの引用が多数見られます。またイエス自身が旧約聖書中で最も偉大とされる三人の人物、アブラハム、モーゼ、ダビデの血筋上のまた精神上の後継者であることを記述している点です。

本の冒頭ではイエスの血筋が示されます。イエスからアブラハムまでさかのぼる家系図です。山上の説教の場面ではイエスはまるで高貴な先生のように話し、その権威はユダヤ人に律法を授けたモーゼを上回ります。そしてイエスはイスラエル史上最高の王として慕われるダビデ本人が望んだイスラエルの最高の王となるために到来したことが語られます。イエスは本の中で何度か「ダビデの子」と呼ばれますが、実際のイエスはダビデ本人が「主」と呼びかけた方だったのです。


共観福音書

「Matthew(マタイの福音書)」はイエスの行動を中心に記録した「Mark(マルコの福音書)」をマタイが読んで、上のような目的のため、そこに「イエスの話した教え」を追加して作られたのではないかと考えることができます。

この「イエスの教え」部分は独立した文献としては見つかっていないのですが、当時はそういう資料が存在したのではないかという憶測があり、この資料を「Q」と呼んでいます。Qはドイツ語で「資料」を意味する「Quelle」の頭文字です。「Q」はたとえば「イエスの教え集」で、イエスが伝道活動中に話した教えをひとつひとつ書き留めたものだったのではないかと考えられています。





Gospel of Mark(マルコの福音書)

記述者

記述者とされるマルコはJohn Mark(「マルコと呼ばれるヨハネ」などと訳される)として知られており、使徒のペテロやパウロの助手として聖書に何度か登場します。

マルコの母のマリアはエルサレムに住む裕福な女性だったようで、複数の従者を抱えて大きな屋敷を所有していました。イエスが天に戻られた後、初期の教会はマルコの母のマリアの屋敷に集まって会合を開いていました。

またパウロとバルナバ(パウロの伝道活動のパートナー)はあるときエルサレムからマルコを連れて活動拠点のアンテオケへ戻って来て、その後三人は第1回目の異邦人(ユダヤ人から見た外国人)への伝道の旅に出発します。マルコは二人の助手としておそらく旅程や食べ物、宿舎などの準備を手伝っていたと思われます。ところが一行がペルガという町まで来たときにマルコは旅を途中でやめて一人で戻って来てしまうのです。この理由は明らかにされておらず、このマルコの離脱が後にパウロとバルナバの仲違いを招きます。つまり2回目の伝道の旅でパウロはマルコを連れて行くことを嫌い、一方のバルナバはどうやら自身の従弟でもあるらしいマルコを同行することを主張して二組はバラバラに出発するのです。

この仲違い事件は西暦49~50年頃のことですが、次にマルコが聖書に登場するのはそれからおよそ10年後、マルコを嫌ったはずのパウロによる記述ですが、ここではマルコは一転して好感を持って書かれています(Colossians 4:10/ガラテヤ人への手紙第4章第10節や、Philemon 24/ピレモンへの手紙第24節)。またパウロがローマで牢に入れられるとパウロはテモテに依頼してマルコを一緒にローマへ連れてくるようにと告げます(2 Timothy 4:11/テモテへの手紙第2の第4章第11節)。

マルコが最後に登場するのはやはりローマに滞在していたペテロによる記述で、マルコを親しみを込めて「自分の息子」と書いています(1 Peter 5:13/ペテロの手紙第1の第5章第13節)。つまりマルコは一度はパウロに嫌われたものの、後年はローマで献身的にパウロとペテロと共に働きパウロとの関係は良好になったようです。

後年の文献によるとマルコはローマでペテロを手伝って翻訳や通訳をしていたらしく、このときにペテロから聞き知った情報に基づいて「Mark(マルコの福音書)」を書いたと思われます。さらにマルコはその後に最初の巡回説教者としてエジプトへ赴き、アレクサンドリアでいくつか教会を設立したとも伝えられます。


本の目的

「Mark(マルコの福音書)」は新約聖書の2番目の本で、四つの福音書のうち一番最初に書かれた福音書とされています。四つの福音書の中では一番短い本です。

内容は「イエスが語ったこと」よりも「イエスが行ったこと」を記述し、イエスの奇跡や活動に重点を置いてイエスがどのように自分の言葉を行動で裏付けたかを描いています。生き生きとまた直接的に物語を読み聞かせるような記述が特徴で、イエスの周辺で起こった出来事を知るのに最適な本です。

初期の頃の教会の文献ではこの本の著者をペテロの通訳をしているマルコであると記述し、またマルコはイエスの伝道活動そのものには参加していなかったものの、後日にペテロの回想録を記述して書いたとしています。このような経緯からか回想は必ずしも物事が起こった時系列の順には記述されていません。

「Mark(マルコの福音書)」にはペテロの目を通して書かれたと解釈する方が自然な部分があるので、ペテロを手伝っていたマルコが書いたのだという解釈を支持します。またイエスの伝道活動に参加しておらず使徒でもなかったマルコがこの福音書を単独で記述したのだとすると、その本を正式な福音書として採用するのは当時の教会としては不自然なことで、ペテロの口述をマルコが記録したことが知られていたからこそ初期の教会でも認められていたのだろうと考えます。

「Mark(マルコの福音書)」は異邦人(ユダヤ人から見た外国人)のため、特にローマ人を読者として書かれた本と考えられます。それはアラム語やヘブライ語、ラテン語をギリシア語に訳して書き直している部分がたくさんあることからそのように類推されています。また異邦人であるローマ人を中立的ときには好意的に描いている部分もあります。イエスの苦難についての記述はローマ皇帝の迫害に苦しむローマの信徒たちを力づけようとして描かれたのかも知れません。


共観福音書

「Mark(マルコの福音書)」は共観福音書三冊のうち一番最初に書かれた福音書と考えられていて、つまりマタイもルカも「Mark(マルコの福音書)」を読んでから自分の目的に沿った福音書を記述したのだろうということです。

「Mark(マルコの福音書)」が書かれるまでの間、初期の信徒たちが回し読みをしていたのはイエスに関する単発の話やイエスが話したたとえ話集(「Q」と呼ばれる)、あるいはイエスの苦難を記述した長めの物語(「Passion」と呼ばれる)と考えられています。

マルコはこれらを「Mark(マルコの福音書)」として最初にまとめ上げ、イエスの生涯と十字架死~復活の意味を一冊の本として確立させたということです。なんと画期的なプロジェクトでしょうか。





Gospel of Luke(ルカの福音書)

記述者

記述者のルカはパウロを手伝って共に福音を伝える伝道の旅をしたことと、「Gospel of Luke(ルカの福音書)」と「Acts(使徒の働き)」の二つの本を書いたことで知られています。「Gospel of Luke(ルカの福音書)」と「Acts(使徒の働き)」はイエスの十字架死~復活までの話と、イエスが復活して天へ戻った後の話の連続した書き物になっていて、前編・後編という感じで展開します。

ルカの職業は医者です(Colossians 4:14/コロサイ人への手紙第4章第14節に記述あり)。福音を伝えるためにルカがパウロと共に献身的に働いたことはパウロの書簡に記述されています。研究によるとルカはシリアのアンテオケの出身の異邦人(ユダヤ人から見た外国人)で、新約聖書の著者の中ではルカだけが異邦人です。一節によるとルカはTitus(テトス)の兄弟だったとする節もありますがこれは憶測の域を出ません。

ルカはパウロの第2回、第3回、及び最後にパウロがローマへ護送された旅に同行しました。「Acts(使徒の働き)」を読んでいると、あるところから突然書き口が「私たちは・・・」と一人称に変化する部分が三カ所あり、この部分からルカがパウロ一向に同行したのだろうと考えられています。

パウロがローマへ送られる前にカイザリアで二年間牢に入れられていた期間があり、おそらくこの間にルカはパウロのそばにいて後日の記述のための材料を集めたと思われます。

ルカが記述した文書の量は二つの本を合わせると、新約聖書全体の1/4を越えます。職業が医者ということもあり、記述は大変客観的で冷静に行われていて、自分自身のことを記述する部分は一カ所もありません。また記述内容を見るとギリシア語に精通していたことがよくわかり、他の新約聖書の著者よりも視野が広く洗練された印象を与えます。


本の目的

「Gospel of Luke(ルカの福音書)」は新約聖書に収められた三番目の福音書です。ルカは福音の教えそのものよりも苦難に遭う人々のことを重点的に書いています。大変上手な書き手で、文学上の品質としては四つの福音書の中では最高と言われます。このため読者の興味を最もかき立てる福音書です。またルカは医者であり歴史家でもあるので、イエスの周辺で起こった出来事を正確に世界史の中に位置づけて記述しました(たとえば個々の出来事がローマ帝国のどの皇帝の何年目の年の出来事であったかなど)。

ルカは福音書の中で自分を紹介していませんが、冒頭の書き出しなどからこれをルカが記述したと知ることは容易です。またルカは必ずしも最初から最後までのすべての出来事を自分の目で見たわけではありませんが、綿密な取材と研究に基づく客観的な書き口で出来事を時系列順(発生順)に記述しています。

ルカはおそらく高度の教育を受けた人で、新約聖書の著者の中では最もギリシア語に精通しています。ルカ自身が異邦人(ユダヤ人から見た外国人)であることから異邦人に焦点を当てた記述が目立ち、逆に純粋にユダヤのことに関わる出来事はあまり記述されていません。

この福音書が書かれたのはおそらく西暦60~70年頃です。50~60年頃からローマ帝国のクリスチャンに対する迫害は大変厳しくなり、ルカは影響力の強いローマ人に対してクリスチャンとは何かを正しく客観的に伝えようとしたのだと思われます。記述の中ではクリスチャンが反政府的な扇動の容疑を受けながら最終的には無罪との判断が下される場面が多数記述されています。

ときにキリスト教は悪意のある迷信で、気づかれないように秘密裏に勢力を拡大したとの批判を受ける場合がありますが、ルカはイエスがあらゆる地位や階級の人々と触れ合い福音が民衆の前で公然と述べ伝えられたことを書いています。


共観福音書

「Luke(ルカの福音書)」はイエスの行動を中心に記録した「Mark(マルコの福音書)」をルカが読んで、上のような目的のため、そこに自分が行った独自の調査や研究の成果を追加して作られたのではないかと考えることができます。





Gospel of John(ヨハネの福音書)

記述者

記述者とされるヨハネは十二使徒の一人で、やはり十二使徒であるヤコブ(James)の兄弟です。二人はゼベダイの息子と呼ばれています。イエスさまに着いてくるようにと呼ばれるまではガリラヤ湖で父と兄と漁師をしていました。つまり漁師の書いた福音書です。

ヨハネは「The Gospel of John(ヨハネの福音書)」の他に、「1 John(ヨハネの手紙第1)」「2 John(ヨハネの手紙第2)」「3 John(ヨハネの手紙第3)」、そして「Revelation(ヨハネの黙示録)」、合わせて5冊の本を記述しています。

母親はおそらく「サロメ(Salome)」であるとされていて、サロメはイエスさまの母親マリアの姉妹という説があります。だとするとヤコブとヨハネの兄弟はイエスから見れば従兄弟にあたることになります。聖書にはサロメが二人の息子を特別に取り立ててくれるようにとイエスに頼む記述があり、もし二人がイエスの従兄弟なのであればこれが理由なののかも知れません。

ヨハネの父親ゼベダイの一家はイスラエル北部のガリラヤ湖北岸にある町カペナウムに住んでいて、どうやら裕福な家だったようです。聖書には船や召し使いを所有していたという記述があります。またサロメはイエスのためにいろいろと支援も行っています。

ヨハネとヤコブのどちらが兄でどちらが弟かについては明確な記述はありませんが、ヨハネは弟であるとの考え方が支配的です。これは福音書の中でヨハネがいつもヤコブの後に記述されていることに基づいています。

ヨハネとヤコブがイエスに呼ばれたのはイエス自身が洗礼を受けたあとで、やはりカペナウムで漁師をしていたシモン・ペテロとアンデレの兄弟を呼んだ直後です。この四人の中からペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人は最もイエスさまに近い使徒となり、三人はイエスがヤイロの娘を死からよみがえらせるところに立ち会ったり、イエスが山上で変貌する様子を目撃したり、逮捕の直前、ゲッセマネでのイエスの苦悩の際にも共にいました。

ヤコブとヨハネの兄弟はイエスの一行の中では強気で頑固な一派だったようで、イエスからは「雷の息子たち」(Sons of Thunder)のニックネームで呼ばれています。あるサマリヤの村がイエスを受け入れるのを拒んだとき二人はイエスに天から火を降らして村を滅ぼすことを提案しました。

イエスが十字架死から復活して天に戻った後、初期の教会でリーダー的な役割を果たしたのは十二使徒のヨハネとペテロ、イエスの弟のヤコブ(使徒のヤコブとは別人でエルサレムの教会で牧師を務めた人)、それからパウロです。ヨハネはEphesus(エフェソ)の教会の牧師を務めました。後にローマ帝国のドミティアヌス帝の迫害にあってパトモス島に流され、そこで記述したのが新約聖書最後の本の「Revelation(ヨハネの黙示録)」です。


本の目的

「The Gospel of John(ヨハネの福音書)」は四つの福音書の中の最後の福音書で、書かれた年代も他の福音書やパウロの手紙などに比べるとずっと後のことです。つまりヨハネが福音書を書いた頃にはパウロのたくさんの手紙や三つの福音書が信者の間を広く流布されて各地の教会ではテキストになっていました。ヨハネはこれらすべてに目を通した上で、それまでに書かれなかったこと、これだけは書かれなければいけないこと、つまり「福音の核心部分」を書いたように思われます。

「John(ヨハネの福音書)」は四つの福音書の中では最も神学的で、ヨハネはイエスを通じて知った「神とは何か」を記述しました。他の三つの福音書がすでにイエスの行動や教えを書いたので、ヨハネはそれらの背景にある創造者である神さまの視点による意味付けを書きました。行動や教えの記述を最小にとどめて、それらを話のきっかけにして救世主イエスに関する真実や、イエスが誰なのか、どうしたら人は神さまを知ることができるのかを記述します。

この福音書が誰に宛てて書かれたのかを言うのは大変難しいです。明確な宛名もなく福音書の中にはユダヤ的な思想もギリシア的な思想も見られます。イエスとユダヤ指導層との対立は他の福音書よりも激しく描かれています。イエスが語る言葉が対象としている相手はどこかひとつの国家や民族に宛ててというよりも、人類全体に向けられているように見えます。一世紀も終盤にさしかかった頃、福音は遠くの地域にまで伝えられ、だからこそヨハネは可能な限りの広範な読者を想定して書いたのではないかと思われます。

一方この福音書を書いた目的は、福音書の中に明確に書かれています。「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(John 20:31/ヨハネの福音書第20章第31節)。

「John(ヨハネの福音書)」には「信じる」「愛」「真実」「世界」「光」「闇」「上」「下」「名前」「目撃の証」「罪」「裁き」「永遠の命」「栄光」「パン」「水」「時間」などの象徴的なキーワードが多用されます。他の福音書で記述されたイエスによる「たとえ話」はひとつも登場しません。それよりもヨハネは自分が見た実際の出来事を記述します。たとえばファリサイ派議員のニコデモとの遭遇の場面、サマリアの井戸にいた女性の話、ラザロが死からよみがえる話、イエスが使徒の足を洗う話などです。ヨハネはこれらの象徴的な言葉や出来事から始めて救世主としてのイエスの姿を明らかにしていきます。

結果として「The Gospel of John(ヨハネの福音書)」は他の福音書とはまったく異なる救世主イエスの姿を描き出し、人々の心を深く揺り動かすような言葉でつづられた福音書になりました。これが何世紀もの間、クリスチャンの間で「最も読まれ、最も愛された福音書」となった理由です。








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