コリント人への手紙第2【手紙その2】第13章第1節~第14節:パウロの最後の忠告、パウロの最後のあいさつコリント人への手紙第2【手紙その2】第11章第16節~第33節:パウロのたくさんの試練

2015年06月13日

コリント人への手紙第2【手紙その2】第12章第1節~第21節:パウロの幻と肉体のとげ、パウロのコリントの信者たちへの気遣い

コリント人への手紙第2 手紙その2  




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)



Paul’s Vision and His Thorn in the Flesh

パウロの幻と肉体のとげ


1 This boasting will do no good, but I must go on. I will reluctantly tell about visions and revelations from the Lord.

1 この自慢には良いことはないでしょうが、私は続けなければなりません。不本意ながら主からの幻と啓示について話しましょう。

2 I was caught up to the third heaven fourteen years ago. Whether I was in my body or out of my body, I don’t know -- only God knows.

2 私は十四年前に第三の天まで連れていかれました。私は自分の身体の中にいたのか、外にいたのかわかりません。神さまだけが知っています。

3 Yes, only God knows whether I was in my body or outside my body. But I do know

3 そうです。私が自分の身体の中にいたのか外にいたのかは神さまだけが知っています。しかし私は知っています。

4 that I was caught up to paradise and heard things so astounding that they cannot be expressed in words, things no human is allowed to tell.

4 私はパラダイスに連れて行かれ、あまりにも驚くべきことを聞いたので、それは言葉では表現できません。人が語ることを許されない事柄です。

5 That experience is worth boasting about, but I’m not going to do it. I will boast only about my weaknesses.

5 その経験は自慢するだけの価値はありますが、私はそれをしようと思いません。私は自分の弱さだけを自慢します。

6 If I wanted to boast, I would be no fool in doing so, because I would be telling the truth. But I won’t do it, because I don’t want anyone to give me credit beyond what they can see in my life or hear in my message,

6 もし私が自慢したいと思っても、そうすることで愚か者にはなりません。なぜなら私は真実を話すからです。しかし私はしません。それは人が私の人生の中に見る物や人が私のメッセージの中で聞く物を越えては、誰からも賞賛を得たくないからです。

7 even though I have received such wonderful revelations from God. So to keep me from becoming proud, I was given a thorn in my flesh, a messenger from Satan to torment me and keep me from becoming proud.

7 私は神さまから本当に素晴らしい啓示を受けたのではありますが。それで私が高慢にならないように、私は肉体にとげを受けました。私を苦しめ、私が高慢になることを防ぐサタンからの使者です。

8 Three different times I begged the Lord to take it away.

8 私はそれを取り去ってくれるようにと主に三回、懇願しました。

9 Each time he said, “My grace is all you need. My power works best in weakness.” So now I am glad to boast about my weaknesses, so that the power of Christ can work through me.

9 しかし主はその都度言いました。「私の恵みはあなたに必要なものすべてです。私の力は弱さの中で最高の働きをするのです。」 それでキリストの力が私を通じて働くように、私はいまは喜んで自分の弱さを自慢するのです。

10 That’s why I take pleasure in my weaknesses, and in the insults, hardships, persecutions, and troubles that I suffer for Christ. For when I am weak, then I am strong.

10 これが私が自分の弱さを、侮辱を、苦難を、迫害を、そしてキリストのために被る苦労を楽しむ理由です。なぜなら私が弱いときに私は強いのです。



Paul’s Concern for the Corinthians

パウロのコリントの信者たちへの気遣い


11 You have made me act like a fool. You ought to be writing commendations for me, for I am not at all inferior to these “super apostles,” even though I am nothing at all.

11 あなた方は私を愚か者のようにさせました。あなた方は私のために推薦状を書いていて良いくらいです。なぜなら私は何者でもありませんが、この「すごい使徒」たちには何も劣りません。

12 When I was with you, I certainly gave you proof that I am an apostle. For I patiently did many signs and wonders and miracles among you.

12 私があなた方と共にいたとき、私が使徒である証拠はあなた方に確かに示しました。私はあなた方の間で根気よくたくさんのしるしや不思議や奇跡を行いましたから。

13 The only thing I failed to do, which I do in the other churches, was to become a financial burden to you. Please forgive me for this wrong!

13 私が他の教会ではやるのに、やり損ねたのはただひとつ、あなた方の経済的な負担となることです。この間違いを許してください。

14 Now I am coming to you for the third time, and I will not be a burden to you. I don’t want what you have -- I want you. After all, children don’t provide for their parents. Rather, parents provide for their children.

14 いま私はあなた方のところへ三度目の訪問をしようとしています。私はあなた方の負担にはなりません。私はあなた方の持っているものが欲しいのではなく、あなた方が欲しいのです。結局のところ、子供は親のために食べさせることはしません。親が子供に食べさせるのです。

15 I will gladly spend myself and all I have for you, even though it seems that the more I love you, the less you love me.

15 私は喜んであなた方のために私自身と私の持てるものすべてを費やします。どうやら私があなた方を愛すれば愛するほど、あなた方は私を愛さなくなるようではありますが。

16 Some of you admit I was not a burden to you. But others still think I was sneaky and took advantage of you by trickery.

16 あなた方の中には私があなた方の負担にならなかったと認める人もいます。しかし他の人たちは私が卑劣にもあなた方をぺてんにかけてだましたと考えています。

17 But how? Did any of the men I sent to you take advantage of you?

17 でもどうやってでしょうか。私があなた方に遣わした人たちのうち、誰かがあなた方をだましましたか。

18 When I urged Titus to visit you and sent our other brother with him, did Titus take advantage of you? No! For we have the same spirit and walk in each other’s steps, doing things the same way.

18 私がテトスにあなた方を訪ねるように勧め、他の兄弟たちをテトスに同行させたとき、テトスがあなた方をだましましたか。そんなことはありません。私たちは同じ心を持ち、物事を同じように行って、お互いにならっています。

19 Perhaps you think we’re saying these things just to defend ourselves. No, we tell you this as Christ’s servants, and with God as our witness. Everything we do, dear friends, is to strengthen you.

19 恐らくあなた方は私たちがこういうことを言うのは単に自己弁護のためだろうと思っているのです。違います。私たちがこれを言うのはキリストのしもべとして、神さまを私たちの証人としてです。親愛なる友よ、私たちのすることすべては、あなた方を強くするためなのです。

20 For I am afraid that when I come I won’t like what I find, and you won’t like my response. I am afraid that I will find quarreling, jealousy, anger, selfishness, slander, gossip, arrogance, and disorderly behavior.

20 私が恐れているのは、私が行くと、私は私が見つけるような者ではなく、あなた方も私の感じているような人ではないことです。私は、口論や怒りや利己主義や中傷や噂話や傲慢や無秩序な行いを見ることになるのではないかと恐れます。

21 Yes, I am afraid that when I come again, God will humble me in your presence. And I will be grieved because many of you have not given up your old sins. You have not repented of your impurity, sexual immorality, and eagerness for lustful pleasure.

21 そうです。私がもう一度行くと、神さまがあなた方の前で私をくじくのではないかと恐れるのです。あなた方の多くが古い罪を捨てずにいて、深く悲しまされるのではないでしょうか。あなた方は不純や性的な不品行や好色の喜びの追求を悔いていません。




ミニミニ解説

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」の第12章です。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」は、パウロの少なくとも四つの手紙が一つに編纂されているという前提に基づき、章の順ではなく、全体を分割して四つの手紙が書かれた順に読んでいきます。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在しているときに、コリントの教会はステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎました。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」はパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙でした。

パウロは「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」を送るに先駆けて、テモテをコリントに派遣しています。やがてエペソに戻って来たテモテは、パウロにコリントの緊急事態を伝えます。それはコリントにパウロが説くのとは異なる福音を説く人たちが現れ、コリントの信者たちを惑わし、さらにその人たちはパウロの使徒としての資格に疑問を投げかけていると言うのです。

最初に書いた四つの手紙の概略は以下です。

  • 手紙その1:テモテの緊急事態報告を受けて。第2章第14節~第7章第4節
  • 手紙その2:コリント訪問が失敗に終わって。第10章~第13章
  • 手紙その3:テトスの事態好転の報告を受けて。第1章第1節~第2章第13節、第7章第5節~第16節
  • 手紙その4:エルサレムの教会への献金について。第8章~第9章(ここは章ごとに別々の手紙である可能性が高い)

いまは第二の手紙部分を読んでいます。

最終的にパウロはコリントを訪問し、おそらく西暦55年末~56年春の越冬の期間に三ヶ月間滞在して、この間にコリントで「Romans(ローマ人への手紙)」を書くのですが、今回から読む第二の手紙の部分を読むと、中に「三度目の訪問」と言う言葉が何度か出て来るので、二回目の伝道旅行時の一年半の滞在と、最後の三ヶ月の越冬滞在の間に、「二度目の訪問」がなければ筋が通らないことになります。しかしパウロの二度目の訪問の記録は、「Acts(使徒の働き)」には登場しないのです。記録者のルカには、何かこの訪問を記録したくない特別な理由が何かあったのかも知れません。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」に編纂された第二の手紙は、恐らくパウロの二度目の訪問の直後に書かれた手紙で、その二度目の訪問で、パウロと敵との対決はパウロ側の失敗に終わっており、そのためか手紙はかなり感情的な内容になっています。

第12章ではパウロはかなり感情的になっていて、書いている間に気持ちが激しく上下しているのがわかります。

第1節~第4節、パウロは「不本意ながら主からの幻と啓示について話しましょう」と言って、自分の十四年前の体験を語ります。パウロが「幻と啓示」と書いているように、これはパウロがトランス状態に陥って見た神さまからの啓示のことでしょう。

信者がトランス状態に陥る様子はたとえば、Acts 10(使徒の働き第10章)でペテロのケースを読むことができます。Acts 10:9-16(使徒の働き第10章第9節~第16節)を引用します。

「9 その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。10 すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。11 見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。12 その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。13 そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえた。14 しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」 15 すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」 16 こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。」([新改訳])。

ここでペテロは建物の屋上にいるときに「うっとりと夢ごこち」、つまり恍惚状態となり、その状態で神さまから幻を見せられています。その幻が神さまからのメッセージを示しているのです。実はパウロにもこのような体験があったことがここで明かされているのです。

第2節、パウロはそのときに「第三の天まで連れていかれました」と書かれています。この「第三の天」は、「エノク書」から来ていると思われます。ユダヤ人が共有している文献は膨大な量に及びます。旧約聖書はそのうちの一部をまとめたに過ぎません。ただし「旧約聖書」としてまとめたということは、旧約聖書に含められた書物を他の書物と正式に区別して、特別な権威を与えたと言うことになります。

「エノク書」は後に旧約聖書に収められることはなかったけれど、広くユダヤ人に読まれていた書物のようで、天国と地獄、最後の審判、天使と悪魔などの記述が多いようです。その中では天国が多層構造の場所として描かれているようで、天は七層(あるいは九層)の構造を持ち、その中の「第三の天」は死者が最後の裁きを待つ場所になっているようです。どうやらエノク書の死者が最後の裁きを待つ「第三の天」は、善人の場所と罪人の場所に分かれているようなので、それはLuke 16(ルカの福音書第16章)に書かれている金持ちとラザロの話につながります。引用はLuke 16:19-26(ルカの福音書第16章第19節~第26節)です。

「19 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。22 さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。24 彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』」([新改訳])。

ここでは死後にラザロが連れて行かれた場所が「アブラハムのふところ」、金持ちが連れて行かれた場所が「ハデス」とされていて、その二つの場所の間には誰にも超えることのできない大きな淵がある、と書かれています。この構造はエノク書の第三の天の構造と似ています。

またイエスさまがエルサレムへ勝利の入城をするMark 11(マルコの福音書第11章)では、人々がロバにまたがって入城するイエスさまに向かって叫びますが、それがMark 11:10(マルコの福音書第11章第10節)には「Blessings on the coming Kingdom of our ancestor David! Praise God in highest heaven!(祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。)」([NLT/新改訳])となっています。最後のところ、「Praise God in highest heaven!」(一番高い天に居る神さまを褒め称えよ。)の「highest(一番高い)」は、多層構造の天の中で、神さまが居る最上位の層を指していると見ることができます。

パウロはこのときの体験を「自分の身体の中にいたのか、外にいたのかわかりません」と書いていますから、まさしくトランス状態(恍惚状態)です。そしてパウロが幻の中で連れて行かれた場所は、「第三の天」の善人のいる側、Luke 16(ルカの福音書第16章)に「アブラハムのふところ」と書かれている場所ではないかと思われます。パウロは第4節でここを「パラダイス」と呼んでいます。

「パラダイス」と言う単語は、Luke 23(ルカの福音書第23章)に登場します。イエスさまが十字架に掛けられたときに、イエスさまの左右に一人ずつ罪人が同じように十字架に掛けられました。パラダイスは十字架上のイエスさまがそのうちの一人と会話をする場面に登場します。引用はLuke 23:39-43(ルカの福音書第23章第39節~第43節)です。

「39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」([新改訳])。

イエスさまは正しいことをした罪人に「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」と告げていますから、この人が死後、イエスさまと共に「第三の天」の善人の居る側、「アブラハムのふところ」へ行くことがここで約束されたのだとわかります。

パウロはこのパラダイスで、驚くべき事を聞いています。パウロによればそれは人が語ることを許されないような話です。この内容は明かされません。これについてパウロは第5節で「その経験は自慢するだけの価値はありますが、私はそれをしようと思いません。私は自分の弱さだけを自慢します」とだけ書きます。

私は個人的にパウロはこのとき本当に驚くべき光景を見て、神さまから驚くべき秘密を明かされたのだと思っています。そしてそれがパウロが信じられないほどの数の苦難をくぐり抜けることができる根拠、理由になっているのだと思います。パウロはそれを語ることを潔しとせず、自分の弱さだけを語ると言うのですが、こうやって決して人には言うまいと決めて来たはずの自分のトランス体験を、少しだけでも語ってしまっているあたりは、やはりパウロの感情が激しく揺れ動いている証拠だと思います。

第7節、パウロは「私は神さまから本当に素晴らしい啓示を受けたのではありますが」と再び自分のトランス体験に言及した後、「それで私が高慢にならないように、私は肉体にとげを受けました」と書いてあります。パウロが自分の身体に受けた「とげ」がなんであるかは説明されません。恐らくコリントの信者にはこの部分を読めばそれが何を言っているかはすぐにわかったのでしょう。いろいろと推測の議論があります。目の病気、不治の病、言語障害、身体のどこかが不自由、などです。

パウロは神さまにそのとげを取り去ってくれるように三回懇願しましたが、第9節、イエスさまはその都度、パウロに言います。「私の恵みはあなたに必要なものすべてです。私の力は弱さの中で最高の働きをするのです。」

「私の恵みはあなたに必要なものすべてです」は旧約聖書から通じる教えです。全知全能で過去から未来までを見通す神さまは、ひとりひとりの人間に対して個別のプランを用意しています。神さまを信じる人、神さまを褒め称えると告白する信者に対して、人間を愛する神さまが自分の持てる力を行使しないわけがありません。だからいま神さまから自分に与えられているもの、それはその信者に必要なものすべてなのです。また必要なときにその都度、必要な分だけを与えるというのも神さまが用いる方法です。神さまの計画は深淵なのです。小説や映画ではこういうとき「God moves in a mysterious way.(神さまのすることは不可思議でわからない)」とよく言います。

そしてイエスさまの言葉は「私の力は弱さの中で最高の働きをするのです」と続きます。苦しいとき、辛いとき、神さまからの恵みや支援が足りないと思うとき、そのときに自分がどのように振る舞えるか、そのときこそが信者の中にある光が明らかになるときなのです。

なのでパウロは、第10節で、これが私が自分の弱さを、侮辱を、苦難を、迫害を、そしてキリストのために被る苦労を楽しむ理由です。なぜなら私が弱いときに私は強いのです、と書いています。本当に苦しいとき、本当に辛いとき、私はとてもそれをイエスさまのために被る苦労だとして楽しむ余裕はありません。そういうとき私はずっと「助けてください。助けてください」と神さまに祈り続けます。そして事態が好転したときには、まず神さまにお礼を言うことを忘れないように心がけています。

第11節以降、パウロは気を取り直して、コリントの信者たちと自分の関係について書いていきます。その中で第14節に「いま私はあなた方のところへ三度目の訪問をしようとしています」とあるのが、パウロが「Acts(使徒の働き)」には記述されていない二度目のコリント訪問を済ましている、という根拠のひとつです。

第16節~第18節には、パウロの敵がコリントの信者たちに、パウロはコリントの人たちをぺてんにかけてだましたと思わせようとしていることが書かれています。

第19節、パウロは自分は自己弁護のために書いているのではなく、すべてはコリントの信者を強くするためだと言います。パウロはコリントの信者がパウロへの信頼を回復し、敵を敵と見抜き、敵と戦うだけの強さや根拠を持って欲しい、信者として成熟して欲しいと願っているのです。






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