コリント人への手紙第2【手紙その2】第12章第1節~第21節:パウロの幻と肉体のとげ、パウロのコリントの信者たちへの気遣いコリント人への手紙第2【手紙その2】第11章第1節~第15節:パウロと偽の使徒たち

2015年06月13日

コリント人への手紙第2【手紙その2】第11章第16節~第33節:パウロのたくさんの試練

コリント人への手紙第2 手紙その2  




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)



Paul’s Many Trials

パウロのたくさんの試練


16 Again I say, don’t think that I am a fool to talk like this. But even if you do, listen to me, as you would to a foolish person, while I also boast a little.

16 もう一度言います。このように話す私を愚か者と思わないでください。しかしたとえあなた方がそう思っても、あなた方が愚か者に対するのと同じように私の話を聞いてください。私も少し自慢しますので。

17 Such boasting is not from the Lord, but I am acting like a fool.

17 そういう自慢は主からのものではなく、私が愚か者を演じているのです。

18 And since others boast about their human achievements, I will, too.

18 他の人たちは人間の業績を自慢するので、私も自慢しましょう。

19 After all, you think you are so wise, but you enjoy putting up with fools!

19 結局のところ、あなた方は自分たちは賢いと思っているのに、愚か者たちと対応するのを楽しんでいます。

20 You put up with it when someone enslaves you, takes everything you have, takes advantage of you, takes control of everything, and slaps you in the face.

20 誰かがあなた方を奴隷にしても、持ち物すべてを取られても、利用されても、すべてを支配されても、顔を叩かれても、あなた方は耐えています。

21 I’m ashamed to say that we’ve been too “weak” to do that! But whatever they dare to boast about -- I’m talking like a fool again -- I dare to boast about it, too.

21 恥ずかしいことですが、私たちはそれをするには弱すぎたのです。しかしその人たちが自慢することであれば、私は愚か者のように話していますが、私もあえてそれを自慢します。

22 Are they Hebrews? So am I. Are they Israelites? So am I. Are they descendants of Abraham? So am I.

22 彼らはヘブライ人ですか。私もそうです。彼らはイスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです。

23 Are they servants of Christ? I know I sound like a madman, but I have served him far more! I have worked harder, been put in prison more often, been whipped times without number, and faced death again and again.

23 彼らはキリストのしもべですか。私が狂人の話すように聞こえていると知っていますが、私はもっとさらにキリストに仕えてきたのです。私はさらに熱心に働き、より多く牢獄に入れられ、数え切れないほどむち打たれ、何度も死に直面しました。

24 Five different times the Jewish leaders gave me thirty-nine lashes.

24 ユダヤの指導者たちが私に三十九回のむち打ち刑を与えたのは五回です。

25 Three times I was beaten with rods. Once I was stoned. Three times I was shipwrecked. Once I spent a whole night and a day adrift at sea.

25 むちで打たれたのは三回です。私は一度、石打ちにされました。船が難破したのは三回です。一晩と丸一日に渡り、私は海上を漂流しました。

26 I have traveled on many long journeys. I have faced danger from rivers and from robbers. I have faced danger from my own people, the Jews, as well as from the Gentiles. I have faced danger in the cities, in the deserts, and on the seas. And I have faced danger from men who claim to be believers but are not.

26 私はたくさんの長い旅に出ました。河川の危険、強盗の危険に遭いました。異邦人からの危険と同様に同国民であるユダヤ人からの危険にも遭いました。都市部でも、砂漠でも、海でも危険に遭いました。信者だと主張しながら、そうではない人たちからの危険にも遭いました。

27 I have worked hard and long, enduring many sleepless nights. I have been hungry and thirsty and have often gone without food. I have shivered in the cold, without enough clothing to keep me warm.

27 私は熱心に長時間働き、多くの眠れぬ夜に耐えました。私は空腹でのどが渇いていて、しばしば食料なしで過ごしました。私は暖を取るのに十分な衣類がなくて、寒さに震えました。

28 Then, besides all this, I have the daily burden of my concern for all the churches.

28 それからこれらすべての他に、私にはすべての教会への毎日の気遣いの苦しみがあります。

29 Who is weak without my feeling that weakness? Who is led astray, and I do not burn with anger?

29 誰が弱くて、私がその弱さを感じないでしょうか。誰が迷わされて、私が怒りに燃えないでいられましょうか。

30 If I must boast, I would rather boast about the things that show how weak I am.

30 もし私が自慢しなければならないのなら、私がどれほど弱いかを示す事柄についてあえて自慢します。

31 God, the Father of our Lord Jesus, who is worthy of eternal praise, knows I am not lying.

31 主イエスさまの父である神さまは、永遠の賞賛に値し、私が嘘をついていないと知っています。

32 When I was in Damascus, the governor under King Aretas kept guards at the city gates to catch me.

32 私がダマスコにいたとき、アレタ王の下の長官が、私を捕らえようとして市の門を見張りました。

33 I had to be lowered in a basket through a window in the city wall to escape from him.

33 私は長官から逃れるため、市の城壁の窓からかごに入って降ろされなければなりませんでした。




ミニミニ解説

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」の第11章です。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」は、パウロの少なくとも四つの手紙が一つに編纂されているという前提に基づき、章の順ではなく、全体を分割して四つの手紙が書かれた順に読んでいきます。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在しているときに、コリントの教会はステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎました。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」はパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙でした。

パウロは「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」を送るに先駆けて、テモテをコリントに派遣しています。やがてエペソに戻って来たテモテは、パウロにコリントの緊急事態を伝えます。それはコリントにパウロが説くのとは異なる福音を説く人たちが現れ、コリントの信者たちを惑わし、さらにその人たちはパウロの使徒としての資格に疑問を投げかけていると言うのです。

最初に書いた四つの手紙の概略は以下です。

  • 手紙その1:テモテの緊急事態報告を受けて。第2章第14節~第7章第4節
  • 手紙その2:コリント訪問が失敗に終わって。第10章~第13章
  • 手紙その3:テトスの事態好転の報告を受けて。第1章第1節~第2章第13節、第7章第5節~第16節
  • 手紙その4:エルサレムの教会への献金について。第8章~第9章(ここは章ごとに別々の手紙である可能性が高い)

いまは第二の手紙部分を読んでいます。

最終的にパウロはコリントを訪問し、おそらく西暦55年末~56年春の越冬の期間に三ヶ月間滞在して、この間にコリントで「Romans(ローマ人への手紙)」を書くのですが、今回から読む第二の手紙の部分を読むと、中に「三度目の訪問」と言う言葉が何度か出て来るので、二回目の伝道旅行時の一年半の滞在と、最後の三ヶ月の越冬滞在の間に、「二度目の訪問」がなければ筋が通らないことになります。しかしパウロの二度目の訪問の記録は、「Acts(使徒の働き)」には登場しないのです。記録者のルカには、何かこの訪問を記録したくない特別な理由が何かあったのかも知れません。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」に編纂された第二の手紙は、恐らくパウロの二度目の訪問の直後に書かれた手紙で、その二度目の訪問で、パウロと敵との対決はパウロ側の失敗に終わっており、そのためか手紙はかなり感情的な内容になっています。

第16節、パウロは私の話を聞いてください、少し自慢しますと、パウロらしからぬことを言って、自分の使徒としての正当性を自分がくぐり抜けてきた苦難を例に挙げて説明していきます。

第22節~第23節、パウロは敵について「彼らはヘブライ人ですか」「彼らはイスラエル人ですか」「彼らはアブラハムの子孫ですか」「彼らはキリストのしもべですか」とたずねますから、これで敵がパウロと同じユダヤ人でクリスチャンだと自称していることがわかります。

第23節以降、パウロは自分が狂人の話すように聞こえるかも知れないが、と断った上で、自分がどれほどイエスさまに仕えてきたか、苦難を例に挙げていきます。

第24節の「ユダヤの指導者たちが私に三十九回のむち打ち刑を与えたのは五回」と、第25節の「むちで打たれたのは三回」が区別されているのは、ユダヤの宗教裁判によるむち打ちとローマ帝国によるむち打ちを別に数えているからでしょう。

「むち打ち」刑については福音書でイエスさまが受けたむち打ち刑について説明しました。刑を科せられた受刑者は上半身を裸にされて両手を自分の前にある一本の柱に結びつられます。刑に使われる「むち」は先端部分が三つに分かれており、そこには鉛が編み込んであります。受刑者を打つ回数は、刑の重さにより異なりますが、ユダヤの律法が許す回数は最大で40回です(パウロの言う「三十九回のむち打ち刑」は「四十にひとつ足りないむち打ち刑」と呼ばれているものです)。

先端に鉛を埋め込んだむちで打たれると、数回目で背中から腰の皮膚が引き裂けて筋肉がむき出しになり、その上をさらにむちで打つと、えぐり出された筋肉の繊維がリボンのように何本も垂れ下がり、ときには骨が露出することもあると言います。裂傷の上を繰り返し打たれることで、おびただしい出血で血圧が急速に低下し、心拍数が増えて意識障害に陥ります。むち打ち刑で絶命する受刑者は珍しくありません。

パウロはこのような刑を合計八回も経験しているのです。私はそれだけの回数を経験して死なないで済むわけがないし、少なくとも相当なレベルの後遺症が残ると思うのです。しかし「Acts(使徒の働き)」にもパウロの書簡にもそのような記述はありません。

「石打ち」については「Acts(使徒の働き)」の第14章に記載がありました。ルステラの町にいるときに、アンテオケとイコニウムからパウロの殺害を狙うユダヤ人たちが追いかけてきてパウロを石打ちにしています。

Acts 14:19-20(使徒の働き第14章第19節~第20節)です。

「19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。20 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。」([新改訳])。

「石打ち」は旧約聖書の律法が定めたユダヤ人同胞の集団による死刑執行の方法ですから、私はパウロはこのときは一度殺され、神さまがよみがえらせたのだと思っています。なにしろ死ぬほどまでに集団に石を打ちつけられたはずなのに、パウロは立ち上がって自分で歩いていますので。

他に書かれているのはまず船の難破です。最後にパウロがローマに護送される船が難破した様子は「Acts(使徒の働き)」に書かれていますが、パウロはそれまでも何度も海路を旅していますから、船の難破に遭遇しても不思議はありません。

長い旅の途中には、川の難、強盗、迫害、詐欺など様々な苦難に遭ったことでしょう。それに加えてパウロは前回読んだように自分の費用を捻出するために労働し、眠れぬ夜に耐え、空腹やのどの渇きは日常茶飯事、冬期には十分な衣類がなくて寒さに震えていました。

投獄されたことも複数回。第23節にあるように数え切れないほどむち打たれて、何度も死に直面しているのです。

さらに第28節にはパウロがそれまでに設立してきたすべての教会への毎日の気遣いがあると書きます。弱さに苦しむ信者の弱さを分かち合い、迷わされる信者がいれば迷わす人に怒りを燃やします。これらがパウロが誇る誰も真似することのできない使徒の証明なのです。

パウロは第30節で、「もし私が自慢しなければならないのなら、私がどれほど弱いかを示す事柄についてあえて自慢します」と言って、ダマスコでの出来事を書きます。これはパウロがイエスさまに会って直後、まだサウロと名乗っていたときのことです。Acts 9:23-25(使徒の働き第9章第23節~第25節)です。

「23 多くの日数がたって後、ユダヤ人たちはサウロを殺す相談をしたが、24 その陰謀はサウロに知られてしまった。彼らはサウロを殺してしまおうと、昼も夜も町の門を全部見張っていた。25 そこで、彼の弟子たちは、夜中に彼をかごに乗せ、町の城壁伝いにつり降ろした。」([新改訳])。

弱さを自慢すると言ってこの話を出しているのですから、自分を迫害する敵と直接対決せずにダマスコから逃げたことを言っているのかも知れませんが、パウロがくぐってきた苦難の数々を知って、パウロを弱いと言える人はいないでしょう。パウロがあまり語らない「強さ」の部分というのはイエスさまとの遭遇の体験のようで、これについては次章で少し語られます。






english1982 at 20:00│コリント人への手紙第2 
コリント人への手紙第2【手紙その2】第12章第1節~第21節:パウロの幻と肉体のとげ、パウロのコリントの信者たちへの気遣いコリント人への手紙第2【手紙その2】第11章第1節~第15節:パウロと偽の使徒たち