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2015年06月14日

コリント人への手紙第2【手紙その1】第5章第1節~第21節:新しい身体、私たちは神さまの使節団

コリント人への手紙第2 手紙その1  




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)



New Bodies

新しい身体


1 For we know that when this earthly tent we live in is taken down (that is, when we die and leave this earthly body), we will have a house in heaven, an eternal body made for us by God himself and not by human hands.

1 私たちは、この地上のテントが取り壊されるとき(これは私たちが死んで、この地上の身体を離れるときです)、私たちは天国に家を持つ、つまり人間の手によるものではなく神さまご自身によって作られる永遠の身体を持つことを知っています。

2 We grow weary in our present bodies, and we long to put on our heavenly bodies like new clothing.

2 私たちは現在の身体にはうんざりで、天の身体を新しい着物のように着たいと望んでいます。

3 For we will put on heavenly bodies; we will not be spirits without bodies.

3 それは私たちが天の身体を着ると、私たちは身体のない霊ではなくなるからです。

4 While we live in these earthly bodies, we groan and sigh, but it’s not that we want to die and get rid of these bodies that clothe us. Rather, we want to put on our new bodies so that these dying bodies will be swallowed up by life.

4 私たちがこの地上の身体に住む間は、私たちはうめき、ため息をつきます。しかしそれは私たちが死んで私たちを包むこの身体を捨て去りたいのではありません。それよりも私たちは新しい身体を着て、それでこの死にゆく身体がいのちに飲み込まれるようにしたいのです。

5 God himself has prepared us for this, and as a guarantee he has given us his Holy Spirit.

5 神さまご自身がこれを準備してくださいました。そしてその保証として神さまは私たちに聖霊を与えて下さいました。

6 So we are always confident, even though we know that as long as we live in these bodies we are not at home with the Lord.

6 それで私たちはいつも確信しているのです。私たちがこの身体に住む限り、私たちは主と共に家にいないと知っていてもです。

7 For we live by believing and not by seeing.

7 なぜなら私たちは見ることによってではなく、信じることによって生きています。

8 Yes, we are fully confident, and we would rather be away from these earthly bodies, for then we will be at home with the Lord.

8 そうです。私たちは十分に確信しています。そして私たちはむしろこの地上の身体を離れたいと願います。そうすれば主と共に家にいられるからです。

9 So whether we are here in this body or away from this body, our goal is to please him.

9 だから私たちはこの身体の中にいても、この身体から離れようと、私たちの目的は主を喜ばせることです。

10 For we must all stand before Christ to be judged. We will each receive whatever we deserve for the good or evil we have done in this earthly body.

10 なぜなら私たちは全員、裁きのためにキリストの前に立たなければなりません。私たちはそれぞれこの地上の身体で行った善や悪について、自分にふさわしいものを受け取るのです。



We Are God’s Ambassadors

私たちは神さまの使節団


11 Because we understand our fearful responsibility to the Lord, we work hard to persuade others. God knows we are sincere, and I hope you know this, too.

11 私たちは主への恐ろしい責任を知っているので、他の人たちを説得しようと懸命に働くのです。神さまは私たちが誠実であると知っています。あなた方もこれを知っていると良いと望んでいます。

12 Are we commending ourselves to you again? No, we are giving you a reason to be proud of us, so you can answer those who brag about having a spectacular ministry rather than having a sincere heart.

12 私たちは再び自分たちをあなた方に推薦しようとしているのでしょうか。違います。私たちはあなた方が私たちを誇りに思える理由を伝えているのです。そうすればあなた方は、誠実な心を持つことよりも華々しい仕事を自慢するような人たちに答えることが出来ます。

13 If it seems we are crazy, it is to bring glory to God. And if we are in our right minds, it is for your benefit.

13 もし私たちの気が狂っているように見えるなら、それは神さまに栄光を帰すためです。もし私たちが正気なら、それはあなた方のためになります。

14 Either way, Christ’s love controls us. Since we believe that Christ died for all, we also believe that we have all died to our old life.

14 いずれにしてもキリストの愛が私たちを動かしています。私たちはキリストがすべての人のために死んだと信じるので、私たちもまた、古いいのちに対して死んだと信じます。

15 He died for everyone so that those who receive his new life will no longer live for themselves. Instead, they will live for Christ, who died and was raised for them.

15 キリストがすべての人のために死んだのは、キリストの新しいいのちを受ける人たちが自分のために生きることのないようにです。代わりにその人たちは、彼らのために死んでよみがえったキリストのために生きるのです。

16 So we have stopped evaluating others from a human point of view. At one time we thought of Christ merely from a human point of view. How differently we know him now!

16 それで私たちは人を人間的な観点で評価するのをやめました。一度は私たちはキリストを単なる人間的な観点で考えていました。しかし私たちがいまどれほど違う観点でキリストを知っていることでしょうか。

17 This means that anyone who belongs to Christ has become a new person. The old life is gone; a new life has begun!

17 これはキリストに属する人は全員が新しい人になったということです。古いいのちは去り、新しいいのちが始まったのです。

18 And all of this is a gift from God, who brought us back to himself through Christ. And God has given us this task of reconciling people to him.

18 そしてこれらすべてがキリストを通じて私たちを連れ戻した神さまからの贈り物です。そして神さまは人々と神さまを和解させる仕事を私たちに与えました。

19 For God was in Christ, reconciling the world to himself, no longer counting people’s sins against them. And he gave us this wonderful message of reconciliation.

19 なぜなら神さまはこの世を自分と和解させて人々の罪をもう勘定に入れない、そのキリストの中にいたのです。そして神さまは和解のこのすばらしい知らせを私たちにくださいました。

20 So we are Christ’s ambassadors; God is making his appeal through us. We speak for Christ when we plead, “Come back to God!”

20 それで私たちはキリストの使節団なのです。神さまは私たちを通じて懇願しているのです。私たちが「神さまに戻りなさい」と嘆願するとき、私たちはキリストのために話しているのです。

21 For God made Christ, who never sinned, to be the offering for our sin, so that we could be made right with God through Christ.

21 それは神さまが罪を犯したことのないキリストを私たちの罪への捧げ物としたからです。それは私たちがキリストを通じて神さまのに対して正しくなるためです。





ミニミニ解説

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」の第5章です。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」は、パウロの少なくとも四つの手紙が一つに編纂されているという前提に基づき、章の順ではなく、全体を分割して四つの手紙が書かれた順に読んでいきます。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在しているときに、コリントの教会はステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎました。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」はパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙でした。

パウロは「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」を送るに先駆けて、テモテをコリントに派遣しています。やがてエペソに戻って来たテモテは、パウロにコリントの緊急事態を伝えます。それはコリントにパウロが説くのとは異なる福音を説く人たちが現れ、コリントの信者たちを惑わし、さらにその人たちはパウロの使徒としての資格に疑問を投げかけていると言うのです。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」に編纂された第一の手紙は、この事態に対して、パウロが自分の資格について弁明する内容の手紙になっています。

この章の第1節~第10節は復活の身体についてです。

復活の身体については「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第15章の後半、第35節~第58節で、死者はどのようにして復活させられるのか、復活後はどのような身体になるのか、の質問にパウロが解答していました。

いま私たちが持っているのが自然の身体で、復活後に授かるのは「霊的な身体」です。それが具体的にどのような身体であるかはパウロの解答を読んでも想像の域を出ず、それは強く素晴らしい身体であるらしい、としか言えません。クリスチャンは復活の身体を持つ日を楽しみに待つだけです。パウロが最後に明かしていたのは、終わりの日にラッパが吹き鳴らされると、地上で生きているクリスチャンはその瞬間に全員が霊の身体になり、すでに死んだクリスチャンは霊の身体によみがえらされる、ということでした。

この章ではパウロは私たちの現在の身体を「テント」と呼び、復活の身体を「天国に持つ家」と呼んでいます。つまり現在私たちの魂が宿る身体はテントのような仮設の住まいで、神さまご自身によって作られる復活の身体こそが、永遠に続く本当の住み処ということです。

第2節は私は「weary」という形容詞を「私たちは現在の身体にはうんざり」と訳しましたが、[KJV]では「in this we groan」(拙訳:この身体の中で私たちはうめき苦しむ)となっています。パウロはだから復活の身体を着たいと願うのですが、その理由は第3節で、私たちが復活の身体を着るとき、「私たちは身体のない霊ではなくなる」からだとされます。これはやはり現在の身体が仮の住まいで、最終的に落ち着く本当の身体が復活の身体だということでしょうか。

第4節、パウロは復活の身体を望む理由は死にたいと言うことではなく、「新しい身体を着て、それでこの死にゆく身体がいのちに飲み込まれるようにしたい」からだと言います。これはイエスさまが再来されてラッパが吹き鳴らされる日、神さまの支配が天と地と地中にあまねく行き渡る、神さまの王国が到来する日を待ち望む気持ちの現れでしょう。そのときには死が克服されることが「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」に書かれていました。

第5節~第6節、それが起こることは神さまによて準備されていて、その保証としてクリスチャンのひとりひとりは身体に聖霊を受けています。そしてその聖霊の助けにより、クリスチャンは神さまの王国の到来に確信を持つことができるのです。

第7節、それはクリスチャンが見ることによってではなく、信じることによって生きているからです。

第9節は、「現在の身体の中にいても」と「この身体から離れようとも」と二つの場合に分けて、共にクリスチャンの目的は主を喜ばせることだと書かれています。二つ目の「この身体から離れようとも」の方は自分が死を迎えて、魂がいったん肉体を離れ、どこかでラッパが吹き鳴らされる日を待つ状態のことを言うと思います。福音書ではその場所が「パラダイス」であるように書かれていました。

パウロがこのように自分が死ぬ場合を前提とした文章を書くのは、この「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」からではないか、と思います。それまでのパウロは、イエスさまは自分が生きている間に必ず再来されると信じていたと思います。エペソでの投獄の体験が、もしかすると自分が死を迎えるかも知れないという予感をパウロに抱かせたのかも知れません。

第10節は、第9節でクリスチャンの目的は主を喜ばせることとした理由として、パウロは「なぜなら私たちは全員、裁きのためにキリストの前に立たなければなりません」と書きます。終わりの日にイエスさまはすべての人を裁く裁判官として再来し、地球が誕生した日から地上に存在したすべての人に対する「最後の裁き」が行われます。パウロは「私たちはそれぞれこの地上の身体で行った善や悪について、自分にふさわしいものを受け取る」と書きます。このときの評価基準となる善悪の判断は神さまが喜ぶか悲しむかです。聖書を読めば、神さまがイエスさまを通じた救済のプランを信じる人を喜ぶことをは明らかです。極端に言えば神さまによる善悪の判定はそれだけです。

イエスさまは神さまの言葉である聖書の教えは、「神さまを全力で愛すること」と「他者を自分のように愛すること」の二つに要約されると言っています。神さまを全力で愛すれば、神さまが人間のために用意してくれた福音を受け入れるのは当然です。その前提に立った上で、さて自分はどう生きるべきだろうかと考えるとき、神さまを全力で愛することと、他者を自分のように愛することを心がける、ということになります。


第11節からは、神さまの使節団の話になります。パウロは壮絶ですさまじい伝道の活動を繰り広げています。第11節でパウロは、それを「主への恐ろしい責任を知っているので、他の人たちを説得しようと懸命に働くのです」と表現します。旧約聖書を読むとわかりますが、神さまは大変恐ろしい方です。神さまの考える「悪」、すなわち神さまをガッカリさせる行為に対しては、神さまは大変厳しく対処します。イエスさまから福音を伝えるようにと命じられたパウロは、聖書に精通するファリサイ派の出身ですから、その責任の重さをよく知っているので「恐ろしい」と言う表現になるのでしょう。

第12節、自分が「懸命に働く」ことを書いたのは自慢のためではなく、コリントの信者がパウロを誇りに思えるようにだとパウロは書きます。コリントに現れたパウロの敵はパウロを慕う信者たちにパウロの批判を頭ごなしに山ほど浴びせているのでしょう。権威を傘にかぶって上から悪口を浴びせられる信者たちはたまったものではありません。パウロはこれについて自分は「誠実な心を持つ」使徒であり、敵は「華々しい仕事を自慢するような人たち」と表現しています。

第13節、パウロは自分が「気が狂っているように見える」と書きますが、数々の苦難を経験しても決してあきらめずに伝道に邁進するパウロは、端から見れば気が狂っているようにしか見えないかも知れません。しかしパウロは正気です。そして正気である限り、パウロの活動はコリントの信者にとっても、私たちクリスチャンにとっても益となるのです。

第14節~第15節、パウロを突き動かすのはイエスさまの愛です。パウロは「私たちはキリストがすべての人のために死んだと信じるので、私たちもまた古いいのちに対して死んだと信じます」と書きます。

前章に書かれていたように、パウロはすべての人のために十字架にかかって死に、三日後によみがえったイエスさまのいのちを、自分自身もまた同じようになぞって見せることで、自分の中にイエスさまを体現しようとしているのです。イエスさまは自分のいのちを自分から見て他者のために使い、それが神さまの目に正しいと映りました。だからイエスさまを信じるクリスチャンは自分のいのちをイエスさまのために使い、イエスさまの望む道を歩むのです。

この生き方は人間の観点から見れば「気が狂っているように見える」状態でしょう。それで第16節、パウロはもはや人間的な観点では判断していない、と書いています。イエスさまを知る次元は人間の知恵で説明できる次元をはるかに超えてしまっているからです。

第17節、パウロは これはキリストに属する人の全員が新しい人になったということだと書いています。クリスチャンの中では古いいのちが去り、新しいいのちが始まっているのです。

第18節~第19節は、人と神さまとの和解の話になります。神さまは天地を創造され、最初に人間をエデンの園に置いたとき、神さまと人間との間は完全な友愛、完全な調和の状態にありました。しかし人間がヘビにそそのかされて神さまの期待を裏切り、呪いを受けてエデンの園を追われて後は、神さまと人間の間には決して超えることのできない深い断絶ができてしまったのです。この断絶は人間の側から回復することはできません。れで神さまが人間との和解のために用意したのがイエスさまによる人類救済の計画です。これは神さまからの一方的な贈り物です。そしてイエスさまに関する良い知らせ、つまり「福音」を地球上の人たちに伝える仕事は、使徒による口頭伝承と言う方法に委ねられたのです。

第20節、そういうわけで使徒はイエスさまの使節団なのです。神さまはイエスさまの福音という手段を使節団に与え、人間に「戻ってきなさい」と呼びかけています。

第21節、神さまはイエスさまを人類全体の罪を購う捧げ物としました。人間は、この神さまの計画を信じると自分の口で表明することで、神さまに対して正しくなれるのです。






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コリント人への手紙第2【手紙その1】第6章第1節~第18節:私たちは神さまの使節団(続き)、パウロの苦難、生きる神さまの寺院コリント人への手紙第2【手紙その1】第4章第1節~第18節:壊れやすい陶器の壺の中の宝