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2015年06月14日

コリント人への手紙第2【手紙その1】第4章第1節~第18節:壊れやすい陶器の壺の中の宝

コリント人への手紙第2 手紙その1  




(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)



Treasure in Fragile Clay Jars

壊れやすい陶器の壺の中の宝


1 Therefore, since God in his mercy has given us this new way, we never give up.

1 こうして神さまの哀れみにより、私たちにこの新しい方法が与えられたのですから、私たちは決してあきらめません。

2 We reject all shameful deeds and underhanded methods. We don’t try to trick anyone or distort the word of God. We tell the truth before God, and all who are honest know this.

2 私たちはあらゆる恥ずべき行いと、こそこそと隠れるやり方を拒絶します。私たちは人をだまそうとしたり、神さまの言葉を曲げたりしません。私たちは神さまの前で真実を話しますし、誠実な人のすべてがこのことを知っています。

3 If the Good News we preach is hidden behind a veil, it is hidden only from people who are perishing.

3 もし私たちの伝える福音がおおいの後ろに隠されているとすれば、福音はただ滅び行く人たちから隠されているのです。

4 Satan, who is the god of this world, has blinded the minds of those who don’t believe. They are unable to see the glorious light of the Good News. They don’t understand this message about the glory of Christ, who is the exact likeness of God.

4 この世の神であるサタンが信じない人たちの心をくらませたのです。その人たちには福音の栄光の光が見えません。彼らは完全に神さまに酷似するキリストの栄光に関するこの知らせを理解しないのです。

5 You see, we don’t go around preaching about ourselves. We preach that Jesus Christ is Lord, and we ourselves are your servants for Jesus’ sake.

5 ですから私たちは自分たち自身を宣べ伝えて旅行するのではありません。私たちはイエス・キリストが主であり、私たち自身はイエスさまのためにあなた方のしもべであると伝えるのです。

6 For God, who said, “Let there be light in the darkness,” has made this light shine in our hearts so we could know the glory of God that is seen in the face of Jesus Christ.

6 「闇の中に光があれ」と言った神さまが、私たちの心の中にこの光を輝かせ、イエス・キリストの顔に見える神さまの栄光を知ることができるようにしてくださったのです。

7 We now have this light shining in our hearts, but we ourselves are like fragile clay jars containing this great treasure. This makes it clear that our great power is from God, not from ourselves.

7 私たちはいま私たちの心の中に輝くこの光を持っています。しかし私たち自身はこの偉大な宝の入った壊れやすい陶器の壺のようなものです。これが私たちの偉大な力は、私たち自身ではなく神さまからのものであると明らかにします。

8 We are pressed on every side by troubles, but we are not crushed. We are perplexed, but not driven to despair.

8 私たちはあらゆる方向から問題を押しつけられます。しかし私たちは砕かれません。私たちは途方に暮れますが、絶望に追い込まれません。

9 We are hunted down, but never abandoned by God. We get knocked down, but we are not destroyed.

9 私たちは追い詰められますが、神さまから見捨てられることはありません。私たちは殴り倒されますが、滅びません。

10 Through suffering, our bodies continue to share in the death of Jesus so that the life of Jesus may also be seen in our bodies.

10 苦しみをくぐり、私たちの身体がイエスさまの死を共にするのは、イエスさまのいのちがまた私たちの身体に見えるように、なのです。

11 Yes, we live under constant danger of death because we serve Jesus, so that the life of Jesus will be evident in our dying bodies.

11 そうです。私たちが絶え間ない死の危険にさらされて生きるのは、私たちがイエスさまに仕えているからであり、そうやってイエスさまのいのちが私たちの死にゆく身体に明らかにされるためなのです。

12 So we live in the face of death, but this has resulted in eternal life for you.

12 それで私たちは死に直面して生き、それがあなた方には永遠のいのちとなるのです。

13 But we continue to preach because we have the same kind of faith the psalmist had when he said, “I believed in God, so I spoke.”

13 私たちが伝え続けるのは、詩編の記述者が「私は神さまを信じた。だから私は語った」と書いたのと同じ種類の信仰を持つからです。

14 We know that God, who raised the Lord Jesus, will also raise us with Jesus and present us to himself together with you.

14 私たちは、主イエスをよみがえらせた神さまが、イエスさまと共に私たちをもよみがえらせ、あなた方と一緒にイエスさまに会わせてくださると知っています。

15 All of this is for your benefit. And as God’s grace reaches more and more people, there will be great thanksgiving, and God will receive more and more glory.

15 これらすべてはあなた方のためです。そして神さまの恵みはより多くの人々に及ぶので、大いなる感謝があり、神さまはさらなる栄光を受けるのです。

16 That is why we never give up. Though our bodies are dying, our spirits are being renewed every day.

16 だから私たちは決してあきらめないのです。私たちの身体は死んで行きますが、私たちの霊は日々新しくされています。

17 For our present troubles are small and won’t last very long. Yet they produce for us a glory that vastly outweighs them and will last forever!

17 私たちの今の問題は小さなもので、長くは続きません。しかし霊が私たちにもたらす栄光は、その小さな問題を膨大にしのぐ重さを持ち、永遠に続くのです。

18 So we don’t look at the troubles we can see now; rather, we fix our gaze on things that cannot be seen. For the things we see now will soon be gone, but the things we cannot see will last forever.

18 だから私たちはいま見える問題には目もくれません。それよりも私たちは見えないものに視線を向けます。なぜなら私たちにいま見えるものはすぐに消え失せます。私たちに見えないものが永遠に続くのです。




ミニミニ解説

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」の第4章です。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」は、パウロの少なくとも四つの手紙が一つに編纂されているという前提に基づき、章の順ではなく、全体を分割して四つの手紙が書かれた順に読んでいきます。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在しているときに、コリントの教会はステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎました。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」はパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙でした。

パウロは「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」を送るに先駆けて、テモテをコリントに派遣しています。やがてエペソに戻って来たテモテは、パウロにコリントの緊急事態を伝えます。それはコリントにパウロが説くのとは異なる福音を説く人たちが現れ、コリントの信者たちを惑わし、さらにその人たちはパウロの使徒としての資格に疑問を投げかけていると言うのです。

「2 Corinthians(コリント人への手紙第2) 」に編纂された第一の手紙は、この事態に対して、パウロが自分の資格について弁明する内容の手紙になっています。

この章の第2節にある「恥ずべき行い」「こそこそと隠れるやり方」「人をだますやり方」「聖書の曲解」は、おそらくコリントに現れたパウロの敵が取る伝道の方法のことです。これに対してパウロの方法は、シンプルに「神さまの前で真実を話す」ことだと言い、それについては誠実な人たちが証言してくれる、と言います。

第3節、パウロが「もし私たちの伝える福音がおおいの後ろに隠されているとすれば」と言うのは、おそらくパウロの敵がパウロについて、そのように批判しているからでしょう。パウロは自分の伝える福音が隠されているのは、福音を信じずに滅び行く人たちに対してだけだと言います。

第4節、パウロは福音の真実が見えない人の心は、この世の支配者であるサタンによってくらまされていると言います。パウロを否定し、パウロの伝える福音を認めない方向へとコリントの信者を惑わすパウロの敵を、パウロはサタンの手先だと言っているのです。パウロの知る福音とは、旧約聖書の神さまを熟知したファリサイ派のパウロに、その神さまの完全なる似姿として示された主イエスさまに関する知らせなのです。

第5節、パウロがわざわざ「私たちは自分たち自身を宣べ伝えて旅行するのではありません」と言うのは、パウロの敵はイエスさまを説くのではなく、自分たち自身や、自分たちの英知の素晴らしさを説いているからでしょう。パウロは自分を誇ることはありません。パウロはイエスさまこそが自分の主であり、自分は主であるイエスさまから命じられたとおりにシンプルに福音を伝え、福音を信じる人たちへの奉仕を最優先で考える、信者のしもべであると伝えます。

第6節には、旧約聖書の最初の「Genesis(創世記)」で「闇の中に光があれ」と言って天地を創造された神さまが、パウロの心の中に光を輝かせ、イエスさまに映る神さまの栄光を知ることができるようにしてくださった、と書かれています。これは「Acts 9(使徒の働き第9章)」に書かれている、エルサレムからダマスコへ向かう途上で、パウロに起こったイエスさまとの遭遇のことを言っているのでしょう。このとき神さまがパウロにイエスさまが誰であるかを教えてくれたのです。

第7節、パウロは神さまから啓示を受け、福音の真実を知りました。パウロはそれを「心の中に輝く光」「偉大な宝」と呼びますが、それを知るパウロ自身は「壊れやすい陶器の壺」なのだと言います。これはパウロが一人の人間であり、ときには怪我をして傷つき、病に陥り、やがて死んで行く肉体の持ち主だと言うことでしょう。どうして神さまは福音という「偉大な宝」をパウロという「壊れやすい陶器の壺」に納めたのでしょうか。それは福音という「偉大な宝」は、パウロというひとりの人間が考え出したり思いついたものではなく、それが神さまから来ていることを明らかにするためだと言います。

第8節~第9節、パウロはその生涯に於いて、あらゆる方向から数々の問題を押しつけられ、途方に暮れ、迫害され、追い詰められますが、決してあきらめません。決して絶望することなく、愛と希望と信仰を説き続けます。

その理由は第10節、パウロ自身がイエスさまの死を信者たちの前に体現し、それによってイエスさまのいのちを示すためだと書かれています。裏切られ、ユダヤの指導者に引き渡され、宗教裁判で有罪を宣告され、むち打たれ、十字架を背負わされ、そこに掛けられて殺されたイエスさまにはその後で何が起こったでしょうか。イエスさまは三日後に神さまによって復活したのです。

パウロが、どれほど迫害されようとも福音を伝えることをやめないのはどうしてなのでしょうか。それは自分がやはり、イエスさまのように復活することを知っているからなのです。神さまの人類救済計画の成就であり、永遠のいのちにつながる福音をなんとしても、人々に伝えたいのです。たとえ自分が必ず復活すると知っていても、傷を負えば同じように痛いし、病に陥れば闘病は辛いのです。しかしパウロは、神さまを100%信じて十字架から逃げなかったイエスさまが選んだのと同じ道をたどります。それが使徒に課せられた使命だからです。そうやって福音が真実であることを人々に示すのです。

第11節、パウロが絶え間ない死の危険にさらされて生きるのは、パウロがイエスさまに仕えるしもべからであり、そうやってイエスさまのいのちがパウロたち使徒の身体に体現されるためなのです。

第12節、パウロたち使徒が死に直面して伝道の活動をすることが、信者の永遠のいのちにつながるのです。

第13節、パウロは自分が伝道活動を続けるのは、詩編の記述者が「私は神さまを信じた。だから私は語った」と書いたのと同じ種類の信仰を持つからだと言います。詩編は神さまを信じ、神さまを褒め称えて賛美する詩の連続です。自分はどんなときにも神さまを信じると、力強く叫ぶ詩も多くあります。自分は神さまを信じる、だからそれを声高に語る、というのが詩編の記述者の信仰なのです。今回の最後のところに「Psalm 116(詩編第116章)」の全体を引用して載せておきます。

第14節、パウロはイエスさまをよみがえらせた神さまが、自分をよみがえらせ、コリントの信者たちと一緒にイエスさまに会わせてくれることを知っている、と言います。信者が復活する様子は「1 Corinthians(コリント人への手紙第1)」の第15章に詳しく書かれていて、私たち信者に強い希望を与えてくれます。

第15節、神さまはコリントの信者のみならず、地球上の、歴史上のあらゆる信者をよみがえらせます。そして神さまは復活したすべての信者から賛美を受け、さらなる栄光を受けるのです。

第16節、復活を知るパウロは決してあきらめません。私たちの肉体は日々、死への道を歩みますが、「私たちの霊」と書かれた内なる自分は、その間に聖霊の助けを得て日々新しくされ、日々神さまの目に正しい姿へと近づいていきます。

第17節、信者が地上に生きる間に受ける苦しみは、復活と永遠を視野に入れれば小さく、また時間的にも短いものです。しかし聖霊が教えてくれる私たちの将来に待ち受ける栄光は、その小さな問題をはるかにしのぐ大きさを持ち、イエスさまの再来以降、永遠に続くのです。

第18節、なのでパウロは「いま見える問題」には目もくれません。それよりも「見えないもの」に視線を向けると書かれています。いま地上で私たちに見えているものは「終わりの日」が来ればすべて消え失せます。そして私たちには想像も及ばない希望の栄光を持つ、いまは「見えないもの」が現れれば、それが永遠に続くからです。

Psalm 116(詩編第116章)の引用です。

「1 私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。2 主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。3 死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。4 そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」 5 主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。6 主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。7 私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。8 まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。9 私は、生ける者の地で、主の御前を歩き進もう。10 「私は大いに悩んだ」と言ったときも、私は信じた。11 私はあわてて「すべての人は偽りを言う者だ」と言った。12 主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。13 私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。14 私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。15 主の聖徒たちの死は主の目に尊い。16 ああ、主よ。私はまことにあなたのしもべです。私は、あなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたは私のかせを解かれました。17 私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。18 私は自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。19 主の家の大庭で。エルサレムよ。あなたの真ん中で。ハレルヤ。」([新改訳])。

ハレルヤ。






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