テサロニケ人への手紙第1:第3章テサロニケ人への手紙第1:第2章

2015年04月29日

テサロニケ人への手紙第1第2章第1節~第20節:パウロが訪問のことを思い出す、教会についてのテモテの良い知らせ

テサロニケ人への手紙第1 第2章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul Remembers His Visit

パウロが訪問のことを思い出す


1 You yourselves know, dear brothers and sisters, that our visit to you was not a failure.

1 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、あなた方自身が知っているとおり、私たちがあなた方を訪れたのは失敗ではありませんでした。

2 You know how badly we had been treated at Philippi just before we came to you and how much we suffered there. Yet our God gave us the courage to declare his Good News to you boldly, in spite of great opposition.

2 あなた方は、私たちがあなた方のところへ行く直前に私たちがピリピでどれほど酷い扱いを受け、私たちがどれほどそこで苦しんだかを知っています。しかし私たちの神さまは、大きな妨害があっても神さまの福音をあなた方に大胆に語るようにと私たちに勇気をくださいました。

3 So you can see we were not preaching with any deceit or impure motives or trickery.

3 それであなた方は、私たちが策略や不純な動機やぺてんをもって説教していないことがわかるのです。

4 For we speak as messengers approved by God to be entrusted with the Good News. Our purpose is to please God, not people. He alone examines the motives of our hearts.

4 私たちは福音を委ねることについて神さまの承認を受けた使者として話します。私たちの目的は人ではなく神さまを喜ばせることです。神さまだけが私たちの心の真意を調べます。

5 Never once did we try to win you with flattery, as you well know. And God is our witness that we were not pretending to be your friends just to get your money!

5 あなた方がよく知っているとおり、私たちはお世辞を言ってあなた方を勝ち取ろうとしたことは一度もありません。そして私たちが、ただあなた方のお金を得るためにあなた方の友人をふりをしていたのではないことについては神さまがその証人です。

6 As for human praise, we have never sought it from you or anyone else.

6 人から賞賛については、私たちはあなた方からも他の誰からもそれを求めたことはありません。

7 As apostles of Christ we certainly had a right to make some demands of you, but instead we were like children among you. Or we were like a mother feeding and caring for her own children.

7 キリストの使徒として私たちには確かにあなた方からいくらかの要求をする権利はありました。しかしその代わりに私たちはあなた方の中では子供のようでした。あるいは私たちは自分の子供に食べ物を与え世話を焼く母親のようでした。

8 We loved you so much that we shared with you not only God’s Good News but our own lives, too.

8 私たちはあなた方を愛するあまり、神さまの福音だけでなく、私たちのいのちをもあなた方と分かち合いました。

9 Don’t you remember, dear brothers and sisters, how hard we worked among you? Night and day we toiled to earn a living so that we would not be a burden to any of you as we preached God’s Good News to you.

9 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、あなた方は私たちがあなた方の中でどれほど懸命に働いたかを覚えていませんか。私たちがあなた方の誰にも負担にならないように、私たちはあなた方に神さまの福音を伝えながら、昼も夜も生計を得るために骨を折りました。

10 You yourselves are our witnesses -- and so is God -- that we were devout and honest and faultless toward all of you believers.

10 私たちがあなた方信者に対して熱心であり誠実であり過失がなかったことについては、あなた方自身と神さまが私たちの証人です。

11 And you know that we treated each of you as a father treats his own children.

11 そしてあなた方は私たちがあなた方ひとりひとりを父親が自分の子供にするように扱ったことを知っています。

12 We pleaded with you, encouraged you, and urged you to live your lives in a way that God would consider worthy. For he called you to share in his Kingdom and glory.

12 私たちはあなた方が神さまがふさわしいと思うような生き方をするようにと、あなた方に嘆願し、勇気づけ、勧めました。それは神さまがその王国と栄光を分かち合う目的であなた方を呼んだからです。

13 Therefore, we never stop thanking God that when you received his message from us, you didn’t think of our words as mere human ideas. You accepted what we said as the very word of God -- which, of course, it is. And this word continues to work in you who believe.

13 ですからあなた方が神さまのメッセージを私たちから受け取ったとき、私たちは神さまへの感謝をやめることはありません。あなた方は私たちの言葉を単なる人間の考えだとは思いませんでした。あなた方は私たちの言ったことをまさしく神さまの言葉として受け取ったのです。そしてもちろんそれはそのとおりです。そしてこの言葉は信じるあなた方の中で働き続けます。

14 And then, dear brothers and sisters, you suffered persecution from your own countrymen. In this way, you imitated the believers in God’s churches in Judea who, because of their belief in Christ Jesus, suffered from their own people, the Jews.

14 そして親愛なる兄弟たち、姉妹たち、あなた方はあなた方自身の同郷の人たちからの迫害に遭いました。そのようにしてあなた方は、イエス・キリストへの信仰によって同郷のユダヤ人から苦められたユダヤの神さまの教会の信者たちにならったのです。

15 For some of the Jews killed the prophets, and some even killed the Lord Jesus. Now they have persecuted us, too. They fail to please God and work against all humanity

15 ユダヤ人の中には預言者を殺した者がおり、主イエスさままで殺した者もいたのです。いまやユダヤ人は私たちをも迫害しています。彼らは神さまを喜ばすことなく、すべての人間に逆らって行動しています。

16 as they try to keep us from preaching the Good News of salvation to the Gentiles. By doing this, they continue to pile up their sins. But the anger of God has caught up with them at last.

16 というのは彼らは私たちが異邦人に救済の福音を伝えることを妨げているからです。これを行うことで彼らは自分の罪を山のように積み上げています。しかし神さまの怒りはついに彼らに追いつきました。



Timothy’s Good Report about the Church

教会についてのテモテの良い知らせ


17 Dear brothers and sisters, after we were separated from you for a little while (though our hearts never left you), we tried very hard to come back because of our intense longing to see you again.

17 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、私たちがしばらくの期間あなた方から離れてから(とは言っても私たちの心はあなた方を離れたことはありませんが)、私たちは熱烈にあなた方に再び会いたいと望み、戻るために大変努力をしました。

18 We wanted very much to come to you, and I, Paul, tried again and again, but Satan prevented us.

18 私たちはあなた方のところへどうしても行きたいと欲し、私パウロは何度も繰り返し努力しました。しかしサタンが私たちを妨げました。

19 After all, what gives us hope and joy, and what will be our proud reward and crown as we stand before our Lord Jesus when he returns? It is you!

19 結局のところ、何が私たちに希望と喜びを与えると思いますか。そして私たちの主イエスさまが戻られるとき、私たちがその前に立って、私たちが誇りを持つ報酬であり王冠であるのは何だと思いますか。それはあなた方です。

20 Yes, you are our pride and joy.

20 そうです。あなた方が私たちの誇りであり、喜びなのです。




ミニミニ解説

「1 Thessalonians(テサロニケ人への手紙第1) 」の第2章です。

第1章では、テサロニケの教会の信者たちがギリシヤ中で模範となっていると書かれていました。第2章ではパウロがテサロニケに滞在したときの様子を思い出して書いています。

第1節~第2節、パウロはピリピで酷い目に遭ったと書いていますが、これはActs 16(使徒の働き第16章)に書かれています。Acts 16:11-25(使徒の働き第16章第11節~第25節)を引用します。

「11 そこで、私たちはトロアスから船に乗り、サモトラケに直航して、翌日ネアポリスに着いた。12 それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。13 安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。14 テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。15 そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊まりください」と言って頼み、強いてそうさせた。16 私たちが祈り場に行く途中、占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させている者であった。17 彼女はパウロと私たちのあとについて来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えている人たちです」と叫び続けた。18 幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と言った。すると即座に、霊は出て行った。19 彼女の主人たちは、もうける望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、役人たちに訴えるため広場へ引き立てて行った。20 そして、ふたりを長官たちの前に引き出してこう言った。「この者たちはユダヤ人でありまして、私たちの町をかき乱し、21 ローマ人である私たちが、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しております。」 22 群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむちで打つように命じ、23 何度もむちで打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。24 この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。」([新改訳])。

パウロとシラスはピリピで捕らえられると、公式な裁判抜きで公衆の面前で裸にされてむちで打たれ投獄されています。パウロはそのような苦難にも負けることなく、次の町、大都市のテサロニケで再び大胆に福音を語りました。

第3節~第6節、パウロは自分の伝える福音に嘘や偽りがないことがわかるのは、どのような試練に遭ってもひるむことなく福音を伝える自分の姿勢に現れていると言います。これは神さまに励まされて行っていることであり、パウロは自分が人に福音を伝える仕事を神さまから委ねられた使徒だと言います。パウロの動機は人を喜ばせることではなく、ただひとつ神さまを喜ばせることにあります。だから人に世辞を言ったり褒めるようなことを言って、人の好意を買おうとすることがありません。人からどれほど褒められたり好かれたとしても、パウロはそこに価値を認めないのです。

第7節~第8節、パウロは自分は福音を伝える使徒なのだと言って偉そうに振るまい、信者からそれなりの待遇を要求することもできたのだけれど、パウロはテサロニケでは小さな子供が滞在しているかのように世話を受け、また母親が子供に接するように信者たちに福音を与え、その世話を焼きました。第8節の愛するあまりに福音だけでなく、いのちまでもを分かち合った、という文章にパウロの持つ「愛」の気持ちがよく表れています。

第9節~第10節で、第9節を読むとパウロがテサロニケで働いていたことがわかります。Acts 18:1-3(使徒の働き第18章第1節~第3節)にはパウロがコリントに着いたときの様子が書かれています。ここには「1 その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。2 ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、3 自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。」([新改訳])と書かれていて、つまりパウロは自分が天幕(テント)作りの職人だったから、アクラとプリスキラのユダヤ人夫婦と一緒に働いたと言うのです。

これは驚くべきことです。パウロは福音を伝える伝道旅行をしながら、大きな町では自分の生活費を稼ぐために仕事をしていたのです。しかも第9節には昼も夜も懸命に働いたと書かれています。異邦人にイエスさまの福音を伝えるために町から町へと旅をして、保守派のユダヤ人や現地の商人から激しく迫害を受け、追いかけ回され、ときにはムチや石で打たれたり投獄もされます。それでも勇気を持って伝道の活動を続けるにですが、その過程で自分の生活費は自分で働いて稼いでいるのです。それも昼も夜も働いて稼ぐのです。なんという信念と行動力の人なのでしょうか。

第11節~第12節、パウロは父親が自身の子供に接するように信者と接しますが、そのゴールは信者が「神さまがふさわしいと思う生き方」をすることにあります。パウロは信者にどうしてもそうして欲しいので、信者にそうするようにと懇願し、勇気づけ、勧めたとあります。私は果たして自分がパウロがこれほど熱心に伝えた「神さまがふさわしいと思う生き方」ができているだろうか、と考えます。私は日頃から「神さまの目に正しく映る」ことを指向していて、このフレーズをお祈りでもメルマガでも多用していますが、今回の「神さまがふさわしいと思う生き方」というフレーズには心を掴まれました。なんと言うか、「神さまの目に正しく映る」と言うと自分の取るひとつひとつの行動をいちいち神さまの尺度と照らし合わせる感じがしますが、「神さまがふさわしいと思う生き方」と言うと、それは自分の一日24時間の過ごし方、一年365日の送り方、自分に与えられた地球上での一生涯という限られた時間の使い方の全体を問われているように感じるからです。パウロは苦難の連続の伝道の旅を続け、くじけずあきらめずに人々に福音を伝え続け、昼夜を通して働いて自分の生計を自分で立てています。自分が「熱心であり誠実であり過失がなかった」ことについては神さまがその証人だと言っています。これがパウロが考えた自分自身の「神さまがふさわしいと思う生き方」なのだと思います。「ふさわしい」に充てられた単語は[NLT]でも[KJV]でも「worthy」です。日本語では「値する」「ふさわしい」「価値がある」などと訳されます。私たちは神さまが「worthy」だと思うような生き方を指向しなければいけないのです。果たして自分についてはどうなのでしょうか。

第13節、福音は神さまの言葉であり、それを信じて受け取った人の中で、その言葉が働き続けると書かれています。まったくそのとおりです。「言葉」はなんと不思議なものなのか、と思います。

第14節、テサロニケの信者たちは同郷のギリシヤ人から何かしらの迫害を受けたようです。ですが彼らはそれにくじけずに信仰を保ちました。福音を信じるものが迫害を受けるのはイスラエル国内でも国外でも同じことだと書かれています。

第15節~第16節、パウロは福音を伝える人たちを迫害する保守的なユダヤ人を痛烈に批判します。数々の預言者を殺し、最後にイエスさまを十字架に掛けたのもユダヤ人だと言います。その生き方は「神さまがふさわしいと思う生き方」とはまったく逆です。何しろ福音を伝える人たちの活動を妨げると言うことは、福音を知り、それを信じて受け入れることで神さまとの関係を修復できる人たちのチャンスを奪っていることになるからです。これは神さまの怒りを買うことは必至です。第16節に「神さまの怒りはついに彼らに追いつきました」とあるのは、この手紙が書かれた当時のイスラエルとローマ帝国の関係か、何か具体的な出来事に言及しているのかも知れません。西暦70年のエルサレム陥落に向けて、イスラエルとローマ帝国の関係は劣悪な敵対関係となり、60年代からは戦争に突入するからです。

第17節~第18節、パウロはテサロニケの信者の噂を聞き、本当にもう一度テサロニケを訪問して信者と時間を共有したいと願ったようです。しかしこの手紙の時点までそれは実現していません。パウロはそれを、サタンによって妨げられたとしていますから、パウロの旅行を邪魔する具体的な出来事が何かあったのかも知れません。

第19節~第20節、パウロはテサロニケの信者たちを称して、自分の誇りであり王冠であると言っています。そしてそれを再来するイエスさまの前で誇らしげに見せることができるのだと言います。これはクリスチャンの聞く最大の賛辞でしょう。






english1982 at 22:00│テサロニケ人への手紙第1 
テサロニケ人への手紙第1:第3章テサロニケ人への手紙第1:第2章