コリント人への手紙第1:第14章コリント人への手紙第1:第13章

2015年06月18日

コリント人への手紙第1第13章第1節~第13節:愛が最も偉大

コリント人への手紙第1 第13章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Love Is the Greatest

愛が最も偉大


1 If I could speak all the languages of earth and of angels, but didn’t love others, I would only be a noisy gong or a clanging cymbal.

1 たとえ私が地上のすべての言語と天使の言語が話せたとしても、他者を愛さないなら、私はただのうるさいどらか、ガランガラン鳴るシンバルです。

2 If I had the gift of prophecy, and if I understood all of God’s secret plans and possessed all knowledge, and if I had such faith that I could move mountains, but didn’t love others, I would be nothing.

2 たとえ私が預言の賜物を持ち、神さまの秘密の計画のすべてを理解し、あらゆる知識を持ち、山を動かすほどの信仰を持っていたとしても、他者を愛さないなら、私はつまらない人間です。

3 If I gave everything I have to the poor and even sacrificed my body, I could boast about it; but if I didn’t love others, I would have gained nothing.

3 たとえ私が持っている物すべてを貧しい人たちに与え、私の身体を犠牲にまでしても、私はそれを自慢できても、他者を愛さないなら、私は何も得ないでしょう。

4 Love is patient and kind. Love is not jealous or boastful or proud

4 愛は忍耐強く、親切です。愛はねたまず、自慢せず、いばりません。

5 or rude. It does not demand its own way. It is not irritable, and it keeps no record of being wronged.

5 また不作法をしません。愛は自分の道を要求しません。愛は怒らず、愛は人にされた悪事を記憶にとどめません。

6 It does not rejoice about injustice but rejoices whenever the truth wins out.

6 愛は不正を喜ばず、真実が勝利するときにはいつも喜びます。

7 Love never gives up, never loses faith, is always hopeful, and endures through every circumstance.

7 愛はあきらめず、信仰を失わず、いつも希望に満ち、あらゆる状況を耐え抜きます。

8 Prophecy and speaking in unknown languages and special knowledge will become useless. But love will last forever!

8 預言と未知の言語で話すことと特別な知識は無用になりますが、愛は永遠に続きます。

9 Now our knowledge is partial and incomplete, and even the gift of prophecy reveals only part of the whole picture!

9 いま私たちの知識は部分的で不完全です。預言の賜物さえ全体の絵の一部だけしか明かしません。

10 But when the time of perfection comes, these partial things will become useless.

10 しかし完全の時代が来ると、これらの不完全なものは無用になるのです。

11 When I was a child, I spoke and thought and reasoned as a child. But when I grew up, I put away childish things.

11 私が子供だったとき、私は子供として話し、考え、推論しました。しかし私が育つと、私は子供じみたことは捨てました。

12 Now we see things imperfectly, like puzzling reflections in a mirror, but then we will see everything with perfect clarity. All that I know now is partial and incomplete, but then I will know everything completely, just as God now knows me completely.

12 いま私たちは物事を不完全に見ています。鏡に映る困惑させる影のようです。しかし私たちはすべてを完全な明快さの下に見るのです。私がいま知ることのすべては部分的で不完全ですが、そのとき私はすべてを完全に知るのです。ちょうどいま神さまが私を完全に知っているのと同じです。

13 Three things will last forever -- faith, hope, and love -- and the greatest of these is love.

13 三つのものが永遠に存続します。信仰、希望、愛です。これらの中で最も偉大なのは愛です。




ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第13章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。これはパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙です。

前章の第12章は霊的な賜物を説明する章でした。様々な賜物の種類が説明され、それらの賜物についてパウロは、すべて源は同じ聖霊であり、賜物を用いた奉仕はすべてイエスさまのためであり、人に対して働きかけているのは同じひとりの神さまで、すべての賜物は信者が互いに助け合うためにあると書きました。またパウロは教会での協調の大切さについて身体の部分を例に挙げて書き、イエスさまの福音を信じる者は、集合体として実際にイエスさまの身体を形成しているのだと書きました。

第13章は愛についてです。第13章は本当に素晴らしい章で、「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」で最初のクライマックスを迎えます(最大のクライマックスは第15章です)。

最初に第8節を見ます。ここには「預言と未知の言語で話すことと、特別な知識は無用になりますが、愛は永遠に続きます。」と書かれています。 ここに出てくる「預言」、「未知の言語で話すこと」、つまり異言、そして「特別な知識」は、前章に登場した聖霊の賜物です。ここにはこれらは将来のある日、無用になるが、愛は永遠に続くのだ、と書かれています。と言うことは、この章に書かれている「愛」もまた、聖霊の賜物なのです。パウロは一般的な愛についての話をしているのではなく、イエスさまの福音を信じて受け入れ、聖霊を宿した信者だけが持つ、特別な愛の賜物についての話をしているのです。 預言、異言、特別な知識の賜物はある日無用になるが、愛の賜物は永遠に続くと言っているのです。

これを念頭に置いて最初から見ていきましょう。

第1節は、「たとえ地上のすべての言語と天使の言語が話せても」と始まりますが、これは異言についての比喩です。異言の中には一度も習ったことのない外国語を話すケースと、どこの国の言葉とも想像できないような奇怪な音声のような言葉があったようで、後者を天使の言葉と呼んでいたようです。第1節はたとえ卓越した異言の賜物を授かり、あらゆる外国語と天使の言葉が話せるようになっても、もし愛がなければ、自分の語る言葉はどらやシンバルをやかましく叩く騒音のように、ただうるさいだけだと言います。

第2節は、預言の賜物と、特別な知識の賜物、卓越した信仰についてです。そういう賜物を授かり、神さまの秘密をすべて理解して、山を動かせるほどの奇跡のわざを行えるようになったとしても、もし愛がなければ、それはつまらない人間だと言います。

第3節は、「喜捨(きしゃ)」と呼ばれる寄付や施しものの賜物です。たとえ自分の持ち物をすべて寄付しても、自分の身体を犠牲にまでしても、もし愛がなければ、何も得られないと言います。

では「もし愛がなければ」「もし愛がなければ」と連呼する、その愛とはどのような賜物のことなのでしょうか。パウロは第4節から愛の賜物について説明していきます。

第4節、愛とは、他者の言動に対して辛抱強く、また他者に親切であることです。他者をねたまず、自慢せず、高慢になることもありません。

第5節、愛とは、他者に無礼を働かず、自分のやり方を押し通すことをしません。愛とは、他者に対して短気でイライラすることなく、他者から何か悪いことをされても、それを記憶にとどめずに忘れてしまいます。

第6節、愛とは、不正な行為、邪悪な行為を喜ばず、真実の実現を喜びます。

第7節、愛とは、決してあきらめず、信仰を失わず、いつも希望に満ち、そうやってあらゆる状況を耐え抜きます。

果たして世の中にこれほどの愛を示せる人がいるのでしょうか。少なくともこういう愛の実行は、聖霊の賜物として授かり、神さまの支援を受けなければ決して実行できないでしょう。

またここに書かれた愛は、人がある日クリスチャンになったからと言って、信者がその日から完全に実行できると言うものでもなく、神さまがひとりひとりに用意した計画に沿って、ときには試練を経ながら、こういう形へと少しずつ変えられていく愛の完成形、最終形でしょう。

第8節、預言、異言、特別な知識の賜物は、ある日無用になりますが、愛の賜物は永遠に続く賜物なのです。

第9節からは時代が「完全な時代」が来る前と後に分けられます。この書簡はイエスさまの十字架死と復活を経て、イエスさまを信じて身体に聖霊を受けたパウロが書いています。聖書に記述されている、その後に来る大きなイベントは、イエスさまの再来からスタートする神さまの王国の到来です。つまり完全な時代とは神さまの王国の到来のことでしょう。

第9節、完全な時代が来るまでの間は、どれほど卓越した預言や異言や特別な知識を持っていたとしても、そこから得られる情報は部分的で不完全なのです。

第10節、しかし完全な時代が来ると、預言や異言や特別な知識は無用になります。私たちの目の前に神さまの王国が到来して物理的に実現しているのですから、それがどのようなものかを預言や異言や特別な知識の賜物の力を借りて語る必要はもうないのです。

第11節、子供だったときには子供として話したり考えたりするが、大人になると子供じみたことは捨てる、とあります。これは完全な時代が到来すれば、それまでの間に預言や異言や特別な知識の賜物を通じて明かされた部分的な情報はすべて無用になるのですから、それを知れば、自ずと語り方を考えるようになる、ということでしょう。これはコリントの教会で預言や異言や特別な知識の賜物を誇り、高慢になっている人たちが、どれほど幼稚なことをしているか、批判して言っているのだと思います。

第12節、パウロがいま見えているものを「鏡に映る困惑させる影」と呼ぶのは、当時の鏡は私たちが使う鏡と異なり、金属の表面を磨いて作ったものだったので、鏡に自分の姿を映しても、そこに映る姿の鮮明度には限界があったからです。だから鏡に映る影が不鮮明で不明瞭なものにたとえられているのです。しかし完全な時代が来れば、神さまの王国が到来すれば、私たちはその様子を自分たちの目で、すべてを完全に明晰に見ることができるようになります。

第13節でパウロは、三つのものが永遠に存続すると言います。これは預言や異言や特別な知識などの賜物が無用なものとなって失われても、三つの賜物は永遠に存続するという意味だと思います。その三つとは信仰、希望、愛です。なんと言う説得力なのだろうと私は思います。信仰と希望と愛は、すべて聖霊がクリスチャンに授ける賜物なのです。

上で愛について書いたのと同じように、信仰も希望も、聖霊から賜物として授からなければ決して人が抱くことのないものでしょう。そしてクリスチャンになったからと言って、信者がその日から完成された信仰や、揺るがぬ希望を持つわけでもありません。神さまはひとりひとりの信者について個別に育成の計画を持っていて、ときには試練を、ときには機会を与えながら、ひとりひとりの持つ信仰や希望を、あるべき信仰、あるべき希望の姿へと育てて行くのです。

そして信仰、希望、愛と言う、どれも素晴らしい賜物の中で、最も偉大なのは愛なのです。第13章では、その愛について、完成形の姿がどのようなものかをパウロが教えてくれました。大変、勉強になり、私は何度でも確認したくなります。

ちなみに[KJV]で「愛」に充てられている単語は「love」ではなくて「charity」です。この単語は「チャリティ」として日本語にもなっていて、「慈善」とか「施し」の意味で使われますが、「charity」には「慈愛、思いやり、博愛、慈善心、寛容」などの、広く他者に向けられた親切心や同胞愛的な愛の意味もあります。






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