コリント人への手紙第1第7章第17節~第24節:結婚についての教え(続き)コリント人への手紙第1:第7章

2015年06月24日

コリント人への手紙第1第7章第1節~第16節:結婚についての教え

コリント人への手紙第1 第7章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Instruction on Marriage

結婚についての教え


1 Now regarding the questions you asked in your letter. Yes, it is good to abstain from sexual relations.

1 さてあなた方が手紙でたずねた質問についてです。はい、性的な関係を慎むのは良いことです。

2 But because there is so much sexual immorality, each man should have his own wife, and each woman should have her own husband.

2 しかし性的な不品行はたくさんあるので、男性は各々自分の妻を、女性は各々自分の夫を持つべきです。

3 The husband should fulfill his wife’s sexual needs, and the wife should fulfill her husband’s needs.

3 夫は妻の性的な必要を満たし、妻は夫の必要を満たすべきです。

4 The wife gives authority over her body to her husband, and the husband gives authority over his body to his wife.

4 妻は自分の身体に対する権限を夫に渡し、夫は自分の身体に対する権限を妻に渡します。

5 Do not deprive each other of sexual relations, unless you both agree to refrain from sexual intimacy for a limited time so you can give yourselves more completely to prayer. Afterward, you should come together again so that Satan won’t be able to tempt you because of your lack of self-control.

5 双方が、限られた期間、自分自身をより完全に祈りに捧げられるよう、性的な関係を控えようと合意するのでない限り、互いに性的関係を拒んではいけません。後に二人は再び一緒になるべきです、そうすれば二人が自制心を欠くときも、サタンは二人を誘惑することはできません。

6 I say this as a concession, not as a command.

6 私はこれを容認として言っているのであって、命令ではありません。

7 But I wish everyone were single, just as I am. Yet each person has a special gift from God, of one kind or another.

7 私は全員が私のように独身であることを望みます。しかし一人ひとりは神さまからそれぞれ特別な贈り物を受けています。

8 So I say to those who aren’t married and to widows -- it’s better to stay unmarried, just as I am.

8 それで私は結婚していない人及びやもめの人に言います。私のように結婚しないでいる方が良いのです。

9 But if they can’t control themselves, they should go ahead and marry. It’s better to marry than to burn with lust.

9 しかしもし自制できないのなら結婚しなさい。肉欲に燃えるより結婚するほうが良いのです。

10 But for those who are married, I have a command that comes not from me, but from the Lord. A wife must not leave her husband.

10 結婚している人に対しては、私からではなく、主からの命令があります。妻は夫と別れてはいけません。

11 But if she does leave him, let her remain single or else be reconciled to him. And the husband must not leave his wife.

11 しかしもし別れるのなら、独身のままでいるか、あるいは夫と和解しなさい。そして夫は妻と別れてはいけません。

12 Now, I will speak to the rest of you, though I do not have a direct command from the Lord. If a fellow believer has a wife who is not a believer and she is willing to continue living with him, he must not leave her.

12 さて私はあなた方の残りの人たちに言います。これは主からの直接の命令ではありません。もし仲間の信者に信者ではない妻がいて、その妻がその信者と一緒に暮らすことを望んでいる場合は、妻と別れてはいけません。

13 And if a believing woman has a husband who is not a believer and he is willing to continue living with her, she must not leave him.

13 もし信者の女性が信者でない夫を持ち、その夫がその信者と一緒に暮らすことを望んでいる場合、夫と別れてはいけません。

14 For the believing wife brings holiness to her marriage, and the believing husband brings holiness to his marriage. Otherwise, your children would not be holy, but now they are holy.

14 なぜなら信者の妻は結婚に神聖さをもたらしており、また信者の夫は結婚に神聖さをもたらしているからです。さもなければあなた方の子供たちは神聖ではありませんが、いま子供たちは神聖です。

15 (But if the husband or wife who isn’t a believer insists on leaving, let them go. In such cases the believing husband or wife is no longer bound to the other, for God has called you to live in peace.)

15 (しかしもし信者でない夫や妻が別れると言い張るのなら行かせなさい。そのような場合は信者の夫や妻は縛られることはありません。なぜなら神さまはあなた方が平安のうちに生きるようにあなた方を呼んだのですから。)

16 Don’t you wives realize that your husbands might be saved because of you? And don’t you husbands realize that your wives might be saved because of you?

16 あなた方妻は、自分の夫があなた方によって救われるかもしれないと思いませんか。あなた方夫は、自分の妻があなた方によって救われるかもしれないと思いませんか。




ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第7章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。これはパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙です。

第7章はコリントの教会が手紙に書いてたずねてきたことについてパウロが解答しています。

最初の第1節~第16節は、結婚と性生活についてです。

第1節でパウロは「はい、性的な関係を慎むのは良いことです」と書いていますから、手紙には「男女間の性的な関係を慎むのは良いことでしょうか」という趣旨のことが質問されていたと想像できます。前章まで性的な不品行が問題とされていましたが、このような状況下で教会内では極端に反対側の思想へ進んで、男女は性的な関係を一切持たないのが正しい、と主張する人たちが出て来ていたのかも知れません。キリスト教の発展過程ではこのような禁欲思想はあちこちに現れます。

パウロの解答は大変現実的です。注目すべきはいまから2000年前、女性の権利が確立するよりはるか昔の時代に、男女が並列で同じ立場に書かれているところです。

パウロの話を要約すると、男女は結婚してお互いの性的な必要を満たすのが良い、この際には自分の身体に対する権限は互いに配偶者に渡すと言う考えに立つ。つまり求められたら応じる、と言うことです(第2節~第4節)。夫婦が合意して「祈り」に集中するために一時的に性的な営みを避けるのは良いが、期間が過ぎたら元に戻すこと。必要以上に性生活を避けていると、サタンがつけ込む隙を生むことにもなりかねない(第5節)。以上は命令として全員が結婚しなさいと言っているのではなく、自分は結婚のケースも容認すると言っているに過ぎない(第6節)。

パウロは独身です。パウロは全員が自分のように独身であれば良いと望みますが、信者の一人ひとりに対して、神さまは特別な計画を用意されているので、一人ひとりがその計画に従って歩むのが良いのです(第7節)。パウロのように独身を指向するのは良いですが、肉欲に苦しむ人は独身にこだわらず、結婚した方が良いのです(第8節~第9節)。

第10節以降は結婚している夫婦へのアドバイスになります。第10節にはこれが「私からではなく、主からの命令」だと断った上で、結婚した男女は別れてはいけないと言います。パウロがこれを主からの命令だとしたのは福音書に以下の記述があるからだと思われます。Mark 10:1-9(マルコの福音書第10章第1節~第9節)です。

「1 イエスは、そこを立って、ユダヤ地方とヨルダンの向こうに行かれた。すると、群衆がまたもみもとに集まって来たので、またいつものように彼らを教えられた。2 すると、パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。イエスをためそうとしたのである。3 イエスは答えて言われた。「モーセはあなたがたに、何と命じていますか。」 4 彼らは言った。「モーセは、離婚状を書いて妻を離別することを許しました。」 5 イエスは言われた。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。6 しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。7 それゆえ、人はその父と母を離れ、{その妻に結びついて、} 8 ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。9 こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」([新改訳])。

福音書としての成立年はパウロの手紙よりも後かも知れませんが、イエスさまの語録集はすでに広く流布されていたでしょうから、パウロはイエスさまのこの話を知っていたのではないかと思います。第11節ではそれにも関わらず離婚が発生した場合のことについても書いていて、「しかしもし別れるのなら、独身のままでいるか、あるいは夫と和解しなさい」と言っています。この部分は既婚女性に言われていますが、既婚男性についても同じでしょう。

第12節以降は、「これは主からの直接の命令ではありません」と断ってから書かれていますので、ここからは流布されているイエスさまの語録集からではなく、パウロの考えと言うことです。信者の結婚相手が信者ではない場合、非信者の配偶者が信者と供に暮らすことを望むのであれば、非信者の配偶者の意思を尊重し、信者であるかないかを理由に離婚してはいけない、(第12節~第13節)。信者の配偶者が非信者という状況は、世界中の教会で日常的に見られると思います。パウロの判断の原則は、「これは主からの直接の命令ではありません」と断ってはいるものの、やはり「人は神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」と言う旧約聖書とイエスさまの言葉でしょう。それは第14節からうかがえます。パウロの考えによれば、信者の結婚はたとえ相手が信者でなくてもその結婚は神聖なものとなり、さらには二人の子供をも神聖化するのです。

第15節、パウロはこのように結婚は神聖であると力強い口調で言っても、それを命令として強要するのではなく、非信者が離婚を望むのであれば、離婚に応じなさいと言います。そのような不和を抱えたまま夫婦を続け、人が苦しみの中に生きることを神さまは望んでいないからです。

第16節は、[NLT]を訳すと、いま信者ではない自分の配偶者が、自分の信仰をきっかけにして将来信者になるかも知れない、そういう希望的な可能性のことを言っているようになりますが、[KJV]の書き口は少し違います。For what knowest thou, O wife, whether thou shalt save thy husband? or how knowest thou, O man, whether thou shalt save thy wife?(拙訳:妻よ、あなたにはわかるのか、あなたがあなたの夫を救うかどうか。あるいは夫よ、どうやって知るのか、あなたがあなたの妻を救うかどうか。) こちらの文意は、将来自分が配偶者を救えるかどうかどうしてわかるのか、わからないでしょう、と疑問を投げかけるような否定的なニュアンスになっていて、第15節で「非信者の配偶者が離婚を望むなら応じなさい」とした後で、「だって自分が将来非信者の配偶者を救えるなどと言っても、それがどうしてわかるのですか、わからないでしょう」と、こちらの方がすんなりとつながります。






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コリント人への手紙第1第7章第17節~第24節:結婚についての教え(続き)コリント人への手紙第1:第7章