コリント人への手紙第1:第4章コリント人への手紙第1:第3章

2015年06月28日

コリント人への手紙第1第3章第1節~第23節:パウロとアポロ、キリストのしもべ

コリント人への手紙第1 第3章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


Paul and Apollos, Servants of Christ

パウロとアポロ、キリストのしもべ


1 Dear brothers and sisters, when I was with you I couldn’t talk to you as I would to spiritual people. I had to talk as though you belonged to this world or as though you were infants in Christ.

1 親愛なる兄弟たち、姉妹たち、私があなた方と共にいたとき、私はあなた方に対して霊的な人たちに話すようには話せませんでした。私はあなた方がまるでこの世に属するか、あるいはあなた方がキリストについて幼児であるかのように話さなければなりませんでした。

2 I had to feed you with milk, not with solid food, because you weren’t ready for anything stronger. And you still aren’t ready,

2 私はあなた方に、堅い食べ物ではなくて乳を与えなければなりませんでした。それはあなた方が、それより強いものに対して準備ができていなかったからです。そしてあなた方はまだ準備ができていません。

3 for you are still controlled by your sinful nature. You are jealous of one another and quarrel with each other. Doesn’t that prove you are controlled by your sinful nature? Aren’t you living like people of the world?

3 それはあなた方が、まだ罪深い本質に支配されているからです。あなた方は互いにねたみ合い、口論をしています。これはあなた方が罪深い本質に支配されていることを証明しませんか。あなた方は世の中の人たちのように生きているのですか。

4 When one of you says, “I am a follower of Paul,” and another says, “I follow Apollos,” aren’t you acting just like people of the world?

4 あなた方のひとりが「私はパウロの弟子だ」と言うと、別のひとりは「私はアポロに従う」と言います。あなた方は世の中の人たちのように振る舞っていませんか。

5 After all, who is Apollos? Who is Paul? We are only God’s servants through whom you believed the Good News. Each of us did the work the Lord gave us.

5 結局ところ、アポロとは誰ですか。パウロとは誰ですか。私たちは単にあなた方が信仰に入るときに用いた神さまのしもべです。私たちの一人ひとりが主が私たちに与えた仕事をしたのです。

6 I planted the seed in your hearts, and Apollos watered it, but it was God who made it grow.

6 私があなた方の心に種を植えて、アポロがそれに水をやりました。しかしそれを成長させたのは神さまです。

7 It’s not important who does the planting, or who does the watering. What’s important is that God makes the seed grow.

7 誰が植えるか、誰が水をやるかは重要ではありません。重要なのは神さまが種を育てるということです。

8 The one who plants and the one who waters work together with the same purpose. And both will be rewarded for their own hard work.

8 植える人と水をやる人は同じ目的で共に働きます。そして両者がそれぞれの熱心な働きに対して報酬を受けるのです。

9 For we are both God’s workers. And you are God’s field. You are God’s building.

9 なぜなら私たちは共に神さまの働き手だからです。そしてあなた方は神さまの畑です。あなた方は神さまの建物です。

10 Because of God’s grace to me, I have laid the foundation like an expert builder. Now others are building on it. But whoever is building on this foundation must be very careful.

10 私に与えられた神さまの恵みによって、私は熟練した建築家のように土台を据えました。そしていま他の人たちがその上に家を建てています。しかしこの土台の上に建てる人は、とても注意深くあらねばなりません。

11 For no one can lay any foundation other than the one we already have -- Jesus Christ.

11 それは私たちがすでに持っている土台、イエス・キリストの他には、誰もどんな土台も据えることができないからです。

12 Anyone who builds on that foundation may use a variety of materials -- gold, silver, jewels, wood, hay, or straw.

12 この土台の上に建てる者は誰でもさまざまな材料を使うことができます。金、銀、宝石、木、干し草、わらなどです。

13 But on the judgment day, fire will reveal what kind of work each builder has done. The fire will show if a person’s work has any value.

13 しかし裁きの日に、それぞれの建築家がどのような働きを行ったか、火がそれを明らかにします。ある人の働きに価値があるかどうか、火が示すのです。

14 If the work survives, that builder will receive a reward.

14 その仕事が生き残れば、その建築家は報酬を受け取ります。

15 But if the work is burned up, the builder will suffer great loss. The builder will be saved, but like someone barely escaping through a wall of flames.

15 ですがその仕事が燃えてしまえば、建築家は大きな損失を被ります。それでも建築家は炎の壁をかろうじてくぐり抜けた人のように救われるでしょう。

16 Don’t you realize that all of you together are the temple of God and that the Spirit of God lives in you?

16 あなた方は、あなた方全員が一緒になって神さまの寺院なのであり、神さまの霊があなた方の中に住んでいることがわからないのですか。

17 God will destroy anyone who destroys this temple. For God’s temple is holy, and you are that temple.

17 この寺院を破壊する者は誰でも神さまが滅ぼします。それは神さまの寺院は神聖であり、あなた方がその寺院だからです。

18 Stop deceiving yourselves. If you think you are wise by this world’s standards, you need to become a fool to be truly wise.

18 自分自身を欺むくのはやめなさい。もしあなた方が自分がこの世の基準で賢いと思うのなら、真に賢くなるためにばか者になる必要があります。

19 For the wisdom of this world is foolishness to God. As the Scriptures say, “He traps the wise in the snare of their own cleverness.”

19 なぜならこの世の知恵は神さまには愚かなことだからです。聖書は言っています。「神さまは知恵者を、彼ら自身の賢さのわなで捕らえる。」

20 And again, “The Lord knows the thoughts of the wise; he knows they are worthless.”

20 そしてさらにあります。「主は知恵者の考えを知っている。神さまはそれに価値がないと知っている。」

21 So don’t boast about following a particular human leader. For everything belongs to you -- 

21 ですから特定の指導者に従っていることを自慢してはいけません。すべてはあなた方のものです。

22 whether Paul or Apollos or Peter, or the world, or life and death, or the present and the future. Everything belongs to you,

22 パウロであれ、アポロであれ、ペテロであれ、世界であれ、生死であれ、現在であれ未来であれ、すべてはあなた方のものです。

23 and you belong to Christ, and Christ belongs to God.

23 そしてあなた方はキリストのものであり、キリストは神さまのものです。




ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第3章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。これはパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙です。

第1章の前半にはコリントの教会が、パウロ派、アポロ派、ペテロ派、イエス派の派閥に分裂していることが書かれていましたが、第3章はこれについて特にパウロ派とアポロ派を用いて詳しく説明しています。 また第2章では「人の知恵」と「神さまの知恵」が対比されていました。最初にコリントの地を訪れたパウロは、聖霊にたより、できるだけ平易な言葉でイエスさまの十字架だけを伝えたと書いてありました。 後からコリントを訪れたアポロは、Acts 18:24(使徒の働き第18章第24節)に「さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。」([新改訳])と伝えられていますから、おそらくパウロとは対照的に、弁舌を駆使して言葉巧みに福音を伝えたのでしょう。想像するに、この状況から「アポロはパウロよりも優れている」などと主張する人たちが現れて、教会内が派閥に分裂したのでしょう。

第1節ではパウロがコリントにいたときのことを回想して、自分がコリントの信者たちに話をしたときには、「この世に属する人」か、「幼児」に話すかのように話さなければならなかった、と言います。 パウロによると信者は「この世に属する人」から明確に区別されており、さらに信者は成熟した信者と、幼児のような信者にわけられています。信者は幼児のような段階から、段階を経て成熟するということです。

第2節、コリントの信者がまだ幼児のような未熟な状態だったから、パウロは何を与えるかに注意したと書かれています。堅い食べ物とミルクが比喩として用いられています。これがパウロの伝道が、アポロのように言葉巧みではなかったことの理由です。

第3節、パウロはコリントの信者が未だに未熟であると言い、それはコリントの信者たちが互いに嫉妬したり、口論したりしていることで証明される、と言います。これはパウロが重視する他者への愛の欠如した状態、罪深い本質に支配された状態であり、それでは「この世に属する人」と何も変わらないのです。

第4節、パウロは再び、コリントの教会がアポロ派とパウロ派に分裂していることを言います。

第5節、パウロはここからパウロとアポロが誰なのかを説明して行きます。まずパウロもアポロも、神さまが仕事を与えた神さまのしもべです。コリントの人たちはパウロを通じて、あるいはアポロを通じて神さまを信じるようになったのです。パウロもアポロも、コリントの人たちに福音のメッセージを運んだ神さまの道具です。

第6節、最初にコリントを訪れたパウロはコリントの人々の心に種を蒔き、後からコリントを訪れたアポロはそこに水をやりました。しかし人々を呼び、人々を導いたのは神さまご自身です。

第7節、誰が植えるか、誰が水をやるかの過程は重要ではなく、重要であり褒め称えるべきは、人を呼び、信者にして育てる神さまだけなのです。

第8節、最初に植える人も、後から育てる人も、神さまのために働く、人々に福音を届けるという目的は同じです。そして第8節には、その働き手が、それぞれの働きに応じて報酬を受け取ると書いてあります。

第9節、神さまのために福音を伝える働き手がいて、信者は働き手が労働する神さまの畑であり、神さまの建物なのです。

第10節、パウロは自分の伝道活動の力は神さまの恵みにより与えられたとし、つまり自分の活動について自身を誇らず、神さまを褒め称えます。そして神さまから得たその力によって、パウロは最初に建築の基礎となる土台を据えました。後から来るアポロのような人たちは、パウロが据えた土台の上に家を建てます。 比喩が畑に対する「種蒔き」と「水やり」から、地面に対する「土台の設置」と「建物の建築」へと移っています。

第11節、ここで注意しなければいけないのはパウロが据えた土台の重要さです。どのような家を建てるにせよ、イエス・キリスト以外の土台は存在しません。

第12節、イエス・キリストという土台の上に建てるならば、家はどのような材料で作ってもかまいません。材料の例として、金、銀、宝石、木、干し草、わらが挙げられています。建てられる家は信者なのですから、建てる人によって金の信者、銀の信者、木の信者、などが生まれることになります。 具体的にこれらの素材が何を意味するのか、これは想像の域を出ません。

第13節、ただし「裁きの日」が来ると、火が働き手の仕事を評価します。火は木や干し草やわらを燃やし尽くすでしょう。金や銀や宝石で建てた家は生き残るのかも知れません。 家は信者のたとえなのですから、「裁きの日」に行われる最後の裁きで、有罪とされて天国には入れない人は燃え尽きてしまった信者ということになります。これはパウロの書簡に沿うと、最後の裁きの場で「信仰による救い」が剥奪されるという意味ではなく、その人が最初から信者でなかったことがそこで明らかにされたということでしょう。

第14節、もし建てた家が生き残れば、つまり信者が天国入りを許されれば、建築家としての働き手は報酬を受け取るのです。

第15節、ですが建てた家が燃えてしまえば、つまり働き手として自分が育てたと信じた人たちが誰も天国に入れなければ、働き手としての建築家は、自分が熱心に行ったつもりの労働がすべて無になってしまうのですから、大変な損失です。 しかし建築家本人はそれでもかろうじて救われる、と書かれています。これはイエス・キリストを土台として正しく福音を伝えている限りは、たとえその人を通じて天国に入る人がひとりもいなくても、報酬は受け取れないにせよ、その人自身は天国に入れるという意味だと思います。これは福音を人に伝えない、福音の受け手としての一般のクリスチャンと同じです。

第16節、ここで少し論調が変わり、コリントの教会は、所属員の全員が一緒になって神さまの寺院だとパウロは言います。 エルサレムにあるユダヤの寺院は神さまが降臨する唯一の場所だったのですが、いま信者の集合体としての教会が新たに神さまの寺院であると言うことは、地上で神さまの存在する場所がエルサレムの寺院の他に宣言されたことになります。 そして神さまの寺院を構成する信者には、聖霊がその中に住んでいるのです。

第17節、この寺院、つまり神さまの教会を破壊しようとする者は、神さまが滅ぼすと言います。それは神さまの寺院は誰も犯すことが許されない神聖な聖域だからです。そして教会の構成員である信者たちが、その神聖なる聖域なのです。 第16節と第17節は、文脈上、ここだけ別のことを言っているようにも受け取れますが、パウロは教会の分裂を批判して来ているのですから、もし教会の中に分裂を推し進める者がいれば、それはすなわち聖域である神さまの教会を内部から破壊しようとする者であり、そういう者は神さまから滅ぼされることになると警告しているのでしょう。

第18節、パウロはこの節の最初に「自分自身を欺むくのはやめなさい」と言いますが、これを次に言い換えて、もし自分が賢いと思うのならそれは間違いだと諭します。そして真に賢くなるためにばか者になる必要があると謎のようなことを言います。

第19節、その理由は神さまは人の知恵を嫌うからです。人の知恵とは創造主である神さまを無視して、人が自分で何とかできる、自分自身で答えを出せると考える、つまり人の高慢やうぬぼれです。これは全知全能の神さまには愚かな行動としか映りません。 聖書の引用は珍しく旧約聖書の「Job 5:12-13(ヨブ記第5章第12節~第13節)」からです。

「12 神は悪賢い者のたくらみを打ちこわす。それで彼らの手は、何の効果ももたらさない。13 神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。」([新改訳])。

第20節、ここの引用は「Psalm 94:8-12(詩編第94章第8節~第12節)」の中の第11節です。

「8 気づけ。民のうちのまぬけ者ども。愚か者ども。おまえらは、いつになったら、わかるのか。9 耳を植えつけられた方が、お聞きにならないだろうか。目を造られた方が、ご覧にならないだろうか。10 国々を戒める方が、お責めにならないだろうか。人に知識を教えるその方が。11 主は、人の思い計ることがいかにむなしいかを、知っておられる。12 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。」([新改訳])。

第21節、だから自分が誰に従っているであるとか、自分の師は優れているなどと、自慢することには意味がないのです。

第22節、パウロであれ、アポロであれ、ペテロであれ、誰に教え育てられようとそれは重要ではなく、神さまを信じ、神さまを褒め称える人が神さまの財産なのです。

第23節、クリスチャンはイエスさまのものであり、イエスさまは神さまのものです。






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