コリント人への手紙第1:第2章コリント人への手紙第1第1章第1節~第17節:パウロからのあいさつ、パウロが神さまに感謝を捧げる、教会の分裂

2015年06月30日

コリント人への手紙第1第1章第18節~第31節:神さまの知恵

コリント人への手紙第1 第1章



(英語は[NLT]、日本語は私の拙訳です。)


The Wisdom of God

神さまの知恵


18 The message of the cross is foolish to those who are headed for destruction! But we who are being saved know it is the very power of God.

18 十字架の言葉は滅びに向かう人々には馬鹿げています。しかし救われている私たちはそれこそが神さまの力だと知っています。

19 As the Scriptures say, “I will destroy the wisdom of the wise and discard the intelligence of the intelligent.”

19 聖書が言うとおりです。「私は賢い者の知恵を破壊し、利口者の知恵を捨て去る。」

20 So where does this leave the philosophers, the scholars, and the world’s brilliant debaters? God has made the wisdom of this world look foolish.

20 それではこれで、哲学者は、学者は、世界の才気あふれる論客はどこに行くのでしょうか。神さまはこの世の知恵を馬鹿げたものにしたのです。

21 Since God in his wisdom saw to it that the world would never know him through human wisdom, he has used our foolish preaching to save those who believe.

21 神さまはその知恵によって、世が人の知恵によって神さまを知ることのないように計らったのです。神さまは信じる者を救うために私たちの馬鹿げた伝道活動を使ったのです。

22 It is foolish to the Jews, who ask for signs from heaven. And it is foolish to the Greeks, who seek human wisdom.

22 伝道は天からのしるしを求めるユダヤ人には馬鹿げています。そして伝道は人の知恵を探求するギリシヤ人には馬鹿げています。

23 So when we preach that Christ was crucified, the Jews are offended and the Gentiles say it’s all nonsense.

23 だから私たちがキリストが十字架にかけられたと伝えるとき、ユダヤ人は腹を立て、異邦人はまったくのたわごとだと言うのです。

24 But to those called by God to salvation, both Jews and Gentiles, Christ is the power of God and the wisdom of God.

24 しかし救いのために神さまから呼ばれた人たちには、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、キリストは神さまの力であり、神さまの知恵なのです。

25 This foolish plan of God is wiser than the wisest of human plans, and God’s weakness is stronger than the greatest of human strength.

25 この神さまの馬鹿げた計画は最も賢い人の計画よりも賢く、神さまの弱さはもっとも偉大な人の強さよりも強いのです。

26 Remember, dear brothers and sisters, that few of you were wise in the world’s eyes or powerful or wealthy when God called you.

26 思い出してください、親愛なる兄弟たち、姉妹たち、神さまがあなた方を呼んだとき、世の中の視点では、あなた方の中に賢い者、権力のある者、富を持つ者はほとんどいません。

27 Instead, God chose things the world considers foolish in order to shame those who think they are wise. And he chose things that are powerless to shame those who are powerful.

27 代わりに神さまは、自分が賢いと思う人たちをはずかしめるために、この世が馬鹿げていると思うものを選んだのです。神さまは権力のある人たちをはずかしめるために力のないものを選んだのです。

28 God chose things despised by the world, things counted as nothing at all, and used them to bring to nothing what the world considers important.

28 神さまは世が軽蔑するもの、まったく取るに足りないものを選び、それを使って世がまったく重要と思わないものへと運ばせたのです。

29 As a result, no one can ever boast in the presence of God.

29 結果として神さまの前では誰も誇ることはできません。

30 God has united you with Christ Jesus. For our benefit God made him to be wisdom itself. Christ made us right with God; he made us pure and holy, and he freed us from sin.

30 神さまはあなた方をイエス・キリストとひとつにしました。私たちのために神さまはイエスさまを知恵そのものとしました。キリストは神さまから見て私たちを正しくし、私たちを潔白で神聖にしました。神さまは私たちを罪から解き放ちました。

31 Therefore, as the Scriptures say, “If you want to boast, boast only about the Lord.”

31 だから聖書は言うのです。「もしあなた方が誇りたければ、主だけを誇りなさい。」



ミニミニ解説

「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」の第1章です。

パウロは二回目の伝道旅行で一年半に渡ってコリントに滞在し、ユダヤ人と異邦人に福音を伝えました。パウロがコリントを去った後、コリントの教会では様々な問題が発生しました。 三回目の伝道旅行の途上でパウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぐことにしました。これはパウロがコリントの教会へ宛てた指導の手紙です。

第1章の前半ではコリントの教会が、パウロ派、アポロ派、ペテロ派、イエス派の派閥に分裂していることが書かれていました。パウロは教会に、一つの心で、考えと目的を一つにするようにとお願いします。

前回の最後、第17節には「キリストは洗礼を授けさせるためではなく、良い知らせを伝道するために私を遣わしたからです。それもキリストの十字架がその力を失わないよう、利口なスピーチよらずにです。」([拙訳])と書いてありました。 今回はこの言葉の後半部分、キリストの十字架がその力を失わないよう、利口なスピーチによらずに福音を伝道するという部分についてです。

第18節、パウロは「十字架の言葉は滅びに向かう人々には馬鹿げている」と言います。「滅びに向かう人々」と言うのは福音を信じないで最終的に火の池へ投げ込まれてしまう人たちのことです。私たちが人々に福音を伝えると、多くの人たちが「馬鹿げている」と考え、受け入れようとしません。 パウロは「しかし救われている私たちはそれこそが神さまの力だと知っている」と言います。クリスチャンはたった一人で全人類の罪を背負って身代わりとなった「イエスさまの十字架」こそが、神さまの力だと知っています。

第19節で引用されている旧約聖書の言葉は、Isaiah 29:13-14(イザヤ書第29章第13節~第14節)です。

「13 そこで主は仰せられた。「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に再び不思議なこと、驚き怪しむべきことをする。この民の知恵ある者の知恵は滅び、悟りある者の悟りは隠される。」([新改訳])。

ユダヤ人は伝えられ教えられるままに神さまを崇拝してはいるが、心は神さまの方を向いていない、神さまはこの状況を嘆き、怒ります。そして知恵ある者の知恵が滅び、悟りある者の悟りが隠されるように呪いをかけます。 ユダヤ人の間で代々守り伝えられてきたもの、それはユダヤ人の知恵や英知の集大成です。私たちも自分の学んだこと、気付いたことを他の人や後の代に伝えようと知恵を絞ります。そういう「知恵」のことです。 そんな風に人間が知恵を絞って何かを作り上げたところで、それが表面的な情報の伝達にとどまり、そこに心が伴わなければ、真の意味での理解に至らなければ意味がありません。だから神さまは呪いをかけたのです。

第20節、それで哲学者、学者、論客などと言う、世の中で頭の良いとされる人たちの知恵は、何の役にも立たないことにされてしまいました。

第21節、その結果、世の中は人の知恵では神さまに到達できない状態になりました。どれだけ自分で一生懸命探求しても、人間の英知や科学を結集しても、人はそれで神さまを知ることはできないのです。 ではどうやって人は神さまを知ることができるのか。神さまが選んだ手段は「馬鹿げた伝道活動」です。人が人へと伝える地味で地道な伝道の活動です。なんて非科学的で、非効率な方法でしょうか。

第22節、イエスさまの十字架を伝える伝道は、救世主をイスラエルを窮地から救い出す英雄に位置づけるユダヤ人には馬鹿げています。十字架にかかって殺されてしまう救世主などばかばかしくて受け入れられません。 同様にイエスさまの十字架を伝える伝道は、幅広く哲学を行い、人とは何か、人生とは何かを探求し続けるギリシヤ人にも馬鹿げています。ひとりの人間の十字架での死が、神さまと永遠のいのちへ至る唯一の道であるなどという考えは、まったくのナンセンスです。

第23節、だから十字架の福音が伝えられるとき、ユダヤ人は腹を立て、異邦人は戯れ言だと言うのです。

第24節、パウロはここで福音を信じて受け入れた人を「神さまから呼ばれた人たち」と読んでいます。つまりクリスチャンは自分で神さまを選んだ人ではなく、神さまに選ばれ、呼び出された人たちということになります。 そういう神さまに呼ばれた人たちにとっては、ユダヤ人もギリシヤ人も関係なく、イエスさまの十字架こそが神さまの力であり、神さまの崇高で偉大な計画、神さまの知恵そのものです。

第25節、パウロは「この神さまの計画は最も賢い人の計画よりも賢い」と言います。世の中で最も頭が良いとされる人たちは、その賢さが障壁となって福音を受け入れることができないでしょう。神さまの知恵は世の知恵よりも勝っているのです。 またパウロは「神さまの弱さはもっとも偉大な人の強さよりも強い」と言います。イエス・キリストというひとりの人間が、裏切られ、捕らえられ、むち打たれ、十字架にかけられて殺されてしまう、そういう「弱さ」によって貫かれたイベントの成就が全人類を救うのです。この「弱さ」は世の中のあらゆる「強さ」に勝っているのです。

第26節、パウロは自分たち信者の教会の中に、賢い者、権力のある者、富を持つ者がほとんどいないことを思い起こさせます。

第27節、それはどうしてなのか。それは最後の最後に、自分が賢いと自負する人たちをはずかしめるため、自分には富や権力があると自負する人たちをはずかしめるためだと言います。そのためにわざわざ馬鹿な者、弱い者、貧しい者を選んだと言うことです。

第28節、神さまは世の中で蔑視されている者、軽視されている者を選んで信者とし、その信者を使って福音のメッセージを、これまた世の中でまったく重要とされていない人たちへと、伝道という馬鹿げた手段を使って運ばせるのです。

第29節、それはなぜか。そうすればクリスチャンが神さまの前に立つとき、そこでは誰も自分の知恵や権力や富を誇ることができません。

第30節、神さまは私たちの考える知恵の代わりに、イエス・キリストの十字架を知恵そのものにしたのです。イエスさまの十字架が私たちを神さまから見て正しくし、私たちの罪の汚れを洗い流して清廉で神聖な状態とし、神さまは私たちを罪の呪縛から解放したのです。

第31節の聖書の引用は、Jeremiah 9:23-24(エレミヤ書第9章第23節~第24節)です。

「23 主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。24 誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。--主の御告げ--」([新改訳])。

誇る者はただこれを誇れ、悟りを得て神さまを知っていることを、です。神さまはそれを喜ばれます。






english1982 at 21:00│コリント人への手紙第1 
コリント人への手紙第1:第2章コリント人への手紙第1第1章第1節~第17節:パウロからのあいさつ、パウロが神さまに感謝を捧げる、教会の分裂