コリント人への手紙第1:第1章ローマ人への手紙:全体目次

2015年06月30日

コリント人への手紙第1:はじめに

コリント人への手紙第1


はじめに
第01章 第02章 第03章 第04章 第05章
第06章 第07章 第08章 第09章 第10章
第11章 第12章 第13章 第14章 第15章
第16章
全体目次




新約聖書の「Acts(使徒の働き)」は、イエスさまが十字架死から復活後に天に戻られた後、使徒たちがどのように福音を広めていったかを書いた本なのですが、その後半は特にパウロの活動を詳しく取り扱っています。

「Acts(使徒の働き)」の中で、パウロは伝道の旅を三回行った後、エルサレムでローマ帝国軍に拘束され、最後にローマへ護送されています。新約聖書にはパウロがこれらの伝道の旅の途中で自分が開いた、あるい自分が関与した教会の信者たちに宛てて送った手紙がいくつか収められています。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」もそのひとつです。コリント人(びと)への手紙には、第1と第2がありますが、これはその一つ目です。

手紙はパウロから「コリントの教会」へ宛てられています。

第二回目の伝道の旅で、パウロは小アジアの西の端、エーゲ海に面したトロアスの港に来たところで幻を見ます。幻の中ではギリシヤ北部のマケドニヤ人が、マケドニヤに来て私たちを助けてください、とパウロを招きました。おおざっぱに現ギリシヤの北部がローマ帝国支配下のマケドニヤ州で、南部がアカヤ州です。

パウロはこの招きに応じます。一行はサモトラケ島(サモトラキ島)経由でマケドニヤのネアポリスに上陸し、すぐ近くのピリピへ到着すると、ピリピにしばらく滞在します。ピリピではパウロと同行者のシラスが逮捕され、棒で打たれて投獄されてしまいます。翌日釈放されると、ふたりはマケドニヤ州の州都テサロニケ(テッサロニキ)へ向かいました。

テサロニケではパウロとシラスに嫉妬を抱くユダヤ人が現れ、暴動が起こります。難を逃れたふたりは次の町、ベレヤに向かいました。ところがテサロニケのユダヤ人はふたりをベレヤまで追いかけて来るのです。パウロはシラスとテモテ(ルステラの町で旅に加わった信者です)を残して町を脱出し、半島を南下してアカヤ州のアテネに至りました。

アテネではパウロはギリシヤの高等議会「アレオパゴス」で、エピクロス派やストア派の哲学者たちの前で福音を話す機会を得ます。議員の多くはパウロの話を聞いて笑いましたが、中には福音を受け入れて信者になった人もいました。

それからパウロはアテネの西、100キロほどのところにあるコリントへ移動します。コリントは現代の地図上では「コリントス」と表記されています。地図を見ると、ギリシヤの南端にペロポニソス半島がありますが、この半島はほとんど島のような半島で、ギリシヤ本土とはものすごく細い土地でつながっているのがわかります。コリントはその細い地峡部分にあります。

ペロポニソス半島は広大な半島ですし、コリントは地峡の南北に港を配していたので、町が交易の中心として栄えたであろうことは容易に想像できます。wikipediaで調べると、古代ギリシアではアテネやスパルタと並ぶ主要な都市国家(ポリス)のひとつで、ローマ帝国支配下ではアカヤ州の州都だったと書かれています。

パウロはコリントでイタリヤからクラウディス帝の迫害を逃れてきたアクラとプリスキラのユダヤ人夫婦と出会い、おそらく資金繰りのために彼らと共に労働を余儀なくされます。やがてベレヤに残してきたシラスとテモテが、これもおそらくこれまでパウロの伝道で信者となった人たちから集めてきた活動資金を携えて合流しました。パウロはそれから一年半という長期にわたってコリントに滞在し、人々に神さまの言葉を伝えました。

コリントは大きな町でしたのでイスラエル国外に暮らす、いわゆるディアスポラ系のユダヤ人も多くが生活しており、ということはユダヤ人の会堂があります。パウロはいつものように会堂でユダヤ人に福音を伝えるところからスタートしますが、ユダヤ人はパウロを受け入れようとしません。

そこでパウロは活動拠点を会堂の隣にあるテテオ・ユストという異邦人の家に移し、そこで異邦人に福音を伝え始めます。多くの異邦人がパウロのメッセージを受け入れて信者となりますが、注目すべきはクリスポというユダヤ人の会堂管理者が信者となっている点です。会堂管理者は地域のユダヤ人の尊敬を集める人物ですので、そういう人が信者となっていると言うことは、少なからずユダヤ人の信者もいたと想像できます。

ガリオという人がコリントの地方総督であったときに、パウロを憎むユダヤ人たちがパウロを訴えますが、ガリオはユダヤ人の問題は裁かないと言って受け入れません。

一年半の滞在後、パウロはプリスキラとアクラを連れてコリントを去ると、船でエーゲ海を横切り、小アジアのエペソに上陸します。ここでパウロは、おそらく教会開拓の目的でプリスキラとアクラの夫婦をエペソに残し、自分はカイザリヤ経由でエルサレムに入り、それから出発地であるシリヤのアンテオケへ戻ります。

しばらくするとパウロは第三回目の伝道旅行に出発します。第三回目の旅程は第二回目の旅程と同様に陸路を辿りますが、ピシデヤのアンテオケからはそのまま西へ進んで、ラオデキヤ経由でエペソに至ります。

この間、コリントの教会では様々な問題が発生していました。まずコリントが大きな町であるが故に、そこにはアポロを始めとして様々なタイプの伝道者が訪れて伝道活動を行ったようです。これによって信者たちが分断されて派閥が形成されてしまいます。また信仰生活上でも多くの問題や疑問が発生してきます。

パウロがエペソに滞在していると聞きつけたコリントの教会は、ステパナ、ポルトナト、アカイコの三名を代表として送り、パウロに指導を仰ぎます。「1 Corinthians(コリント人への手紙第1) 」は、このような状況のコリントの教会に向けて書かれた指導書的な手紙ですが、文面を読むと手紙を書く前にテモテがコリントへ派遣されていることがわかります。

さてパウロはどのような指導を行うのでしょうか。






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