2016年01月28日

新約聖書の本と時期

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新約聖書は大きく「福音書(4冊)」「使徒の働き(1冊)」「書簡(22冊)」の三部構成、合計27冊でできています。

最初の4冊の「福音書」にはイエスの生涯の記録が書かれており、それはイエスの十字架死と復活で終わります。

続く「使徒の働き」はイエスの復活からスタートし、イエスが天に戻って後、初期の教会がどのように形成されていったかの記録です。つまり「福音書」の「続編」的な位置づけです。

最後の22冊の「書簡(手紙)」は主に使徒たちが、これら形成されたばかりの初期の教会や関係者に書き送った手紙の集合です。

このように書くと新約聖書の編集は全体がわかりやすい「時系列の進行」となっていることがわかります。実際にこれを頭に入れて読み進めれば「使徒の働き」の中には22冊の「書簡(手紙)」の宛先となっている教会や地名が登場しますから理解をかなり助けます。

この記事でお伝えしたいのは新約聖書の各本が記述された順序です。実はこれら27冊の本が書かれた順序は、「福音書」>「使徒の働き」>「書簡(手紙)」ではなく、「書簡(手紙)」>「福音書」>「使徒の働き」なのです。



1世紀の出来事

イエスの誕生はいまから約2000年前、紀元前の5年か6年です。西暦を表す「A.D.」は「Anno Domini」、ラテン語で「in the year of the Lord(主の年)」、つまり「イエスが誕生した年」を意味します。6世紀のローマの神学者がイエスの生誕年を算出する際に使った聖書解釈の根拠が今日の解釈とずれているので、イエスの誕生がぴったり西暦ゼロ年になっていません。(ちなみに紀元前を表す「B.C.」は英語で「Before Christ(救世主の前)」、つまり「イエスが来る前」の意味です。)

そしてイエスの十字架死~復活は西暦30年頃。それから40年が経ってエルサレムがローマ帝国により破壊されたのが西暦70年です。エルサレムの周辺で1世紀に何が起こったのかを簡単に書くと下のようになります (注:各出来事の年には諸説あります)

イエスの十字架死~復活の後、西暦35年頃に使徒パウロがダマスコ郊外でイエスと出会う改宗があり、その後パウロは三度に渡り異邦人(ユダヤ人から見た外国人)に福音を伝える伝道の旅を行います。パウロは59年頃に捕らえられ、その後にローマに送られてローマで処刑されます。この過程で多数の書簡を記述しました。

  • -6~-5年: イエスの誕生
  • -4年: ヘロデ大王没
  • 14年: ティベリウスがローマ皇帝に(アウグストゥスを継ぐ)
  • 26年: ピラトが総督に
  • 26~27年: イエスが伝道活動を開始
  • 30年: イエスの十字架死~復活
  • 35年: ステパノの殉死とパウロの改宗
  • 44年: ヤコブの殉死とペテロの逮捕
  • 46~48年: パウロの伝道の旅その1(小アジア=現在のトルコ共和国アナトリア地方。往路:Antioch>Cyprus>Perga>Antioch of Pisidia>Iconium>Lystra>Derbe。復路:Derbe>Lystra>Iconium>Antioch of Pisidia>Perga>Antioch)
  • 50年: エルサレムでの会議
  • 50~52年: パウロの伝道の旅その2(小アジアからギリシアへ。往路:Antioch>Tarsus>Derbe>Lystra>Iconium>Antioch of Pisidia>Troas>Neapolis>Philippi>Amphipolis>Apollonia>Thessalonica>Berea>Athens>Corinth。復路:Corinth>Ephesus>Caesarea>Jerusalem)
  • 53~57年: パウロの伝道の旅その3(小アジアからギリシアへ。往路:Antioch>Tarsus>Derbe>Lystra>Iconium>Antioch of Pisidia>Laodicea>Ephesus>Smyrna>Pergamum>Troas>Neapolis>Philippi>Amphipolis>Apollonia>Thessalonica>Berea>Athens>Corinth。復路:Corinth>Berea>Thessalonica>Apollonia>Amphipolis>Philippi>Neapolis>Troas>Assos>Mitylene>Miletus>Patara>Tyre>Ptolemais>Caesarea>Jerusalem)
  • 54年: ネロがローマ皇帝に(クラウディウスを継ぐ)
  • 57~59年: パウロが捕らえられ、Caesarea (カイザリア)にて監禁状態
  • 59年: パウロがローマへ護送される
  • 62年: パウロが一時監禁状態を解かれる
  • 67年: このころパウロが殉死
  • 70年: ローマ帝国によるエルサレムと寺院の破壊



1世紀の出来事+新約聖書各本の記述年

ここに新約聖書の各本の記述年を挟み込むと次のようになります。各本の記述者や記述年には諸説あるのですがここでは代表的な解釈を書いています。

「福音書(4冊)」は「福音書」(記述者/記述した年)の青字で、「使徒の働き(1冊)」と「書簡(22冊)」は「書簡(手紙)」(記述者/記述した年/記述した場所)の赤字で表しています。

  • -6~-5年: イエスの誕生
  • -4年: ヘロデ大王没
  • 14年: ティベリウスがローマ皇帝に(アウグストゥスを継ぐ)
  • 26年: ピラトが総督に。
  • 26~27年: イエスが伝道活動を開始
  • 30年: イエスの十字架死~復活
  • 35年: ステパノの殉死とパウロの改宗
  • 44年: ヤコブの殉死とペテロが逮捕
  • 46~48年: パウロの伝道の旅その1(小アジア=現在のトルコ共和国アナトリア地方。往路:Antioch>Cyprus>Perga>Antioch of Pisidia>Iconium>Lystra>Derbe。復路:Derbe>Lystra>Iconium>Antioch of Pisidia>Perga>Antioch)
  • 「Galatians」(パウロ/49年頃/Antiochにて)。「James」(ヤコブ:イエスの弟/49年頃)。
  • 50年: エルサレムでの会議
  • 50~52年: パウロの伝道の旅その2(小アジアからギリシアへ。往路:Antioch>Tarsus>Derbe>Lystra>Iconium>Antioch of Pisidia>Troas>Neapolis>Philippi>Amphipolis>Apollonia>Thessalonica>Berea>Athens>Corinth。復路:Corinth>Ephesus>Caesarea>Jerusalem)
  • 「1 Thessalonians」「2 Thessalonians」(パウロ/51年頃/Corinthにて)。
  • 53~57年: パウロの伝道の旅その3(小アジアからギリシアへ。往路:Antioch>Tarsus>Derbe>Lystra>Iconium>Antioch of Pisidia>Laodicea>Ephesus>Smyrna>Pergamum>Troas>Neapolis>Philippi>Amphipolis>Apollonia>Thessalonica>Berea>Athens>Corinth。復路:Corinth>Berea>Thessalonica>Apollonia>Amphipolis>Philippi>Neapolis>Troas>Assos>Mitylene>Miletus>Patara>Tyre>Ptolemais>Caesarea>Jerusalem)
  • 「1 Corinthians」(パウロ/55年頃/Ephesusにて)。「Philippians」「Philemon」(パウロ/Ephesusの獄中で)。「2 Corinthians」(パウロ/55~57年頃)。「Romans」(パウロ/57年頃/Corinthにて)。
  • 54年: ネロがローマ皇帝に(クラウディウスを継ぐ)
  • 57~59年: パウロが捕らえられ、Caesarea (カイザリア)にて監禁状態
  • 59年: パウロがローマへ護送される
  • 「Mark」(マルコ/55~65年頃)。「Luke」(ルカ/60年頃)。「Matthew」(マタイ/60~65年頃)。「Ephesians」「Colossians」(パウロ/60年頃/ローマにて)。
  • 62年: パウロが一時監禁状態を解かれる
  • 「1 Peter」(ペテロ/62~64年頃/恐らくローマにて)。「1 Timothy」「Titus」(パウロ/64年頃/恐らくローマにて)。「2 Timothy」(パウロ/66~67年頃/ローマにて)。「Jude」(ユダ:イエスの弟/65年頃)。「Acts」(ルカ/63~70年頃)。
  • 67年: このころパウロが殉死
  • 「2 Peter」(ペテロ/67年頃/恐らくローマにて)。「Hebrews」(記述者不明/70年頃)。
  • 70年: ローマ帝国によるエルサレムと寺院の破壊
  • 「John」(ヨハネ/85~90年頃)。「1 John」「2 John」「3 John」(ヨハネ/85~90年頃/Ephesusにて)。「Revelation」(ヨハネ/95年頃/Patmosにて)。



最初の信者たちが分かち合っていた情報

つまり西暦49~60年頃の間に最初に書簡が流布され始め、各地の信者はこれを書き写してみなで回し読みしました。ここには「Galatians」「James」「1 Corinthians」「Romans」が含まれています。イエスの十字架死~復活から約20年が経って当時の信者がまず最初に書面で何を読んでいたかがここからわかります。

これらの書簡を読めば、その内容から当時の最初の信者たちが何を聞き何を語り合っていたかも類推することもできます。これら書簡に書かれていたことの他にイエスがイスラエルで行った奇跡の数々やイエスが話した言葉も同時に語られていたはずで、それらは熱狂と興奮をもって迎えられていたことでしょう。さらにそれらの奇跡や言葉、行動、事の顛末が、どのように旧約聖書の預言の数々とひとつひとつ、きっちり符合しているのかも驚きと興奮と共に話されていたことでしょう。

そのイエスの生涯を綴った「Matthew」「Mark」「Luke」の三つの福音書が記述されたのが60年前後のことです。これはイエスの十字架死~復活から約30年後、つまりイスラエルで実際にイエスの奇跡を目撃した人がまだ生きている間です。ためしにいまから30年前の出来事を思い出してみて下さい。それはまだまだ記憶に新しく、「伝説」になるには早すぎます。書簡はこの間も書き続けられますが、主要な教義の元になる書簡は49~60年の初期に成立を終えています。

イエスの十字架死~復活後、初期の教会の成り立ちの過程をルカが歴史書の形にまとめた「Acts」」が書かれたのは65年頃。この中にも当時の信者が何を知り、何を信じ、何を語り合っていたかが多数書かれています。そして70年にエルサレムが崩壊してクリスチャンへの迫害は強まり、最後にヨハネが福音書の「John」、三つの書簡、「Revelation」を書くのは1世紀も終わりを迎える85~90年頃のことです。





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四つの福音書

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どうして四つあるのか

「Gospel(福音書)」はイエスの生涯と教えを記述した本です。新約聖書には「Gospel of Matthew(マタイの福音書)」「Gospel of Mark(マルコの福音書)」「Gospel of Luke(ルカの福音書)」「Gospel of John(ヨハネの福音書)」の四つの福音書が収録されています。どうして四つもあるのでしょうか。

四つの福音書のうち、「Matthew(マタイ)」「Mark(マルコ)」「Luke(ルカ)」の三つを特に「Synoptic Gospels(共観福音書)」と呼びます。この三つの福音書には共通する記述が多く同じような表現が随所に見られます。聖書学の研究過程で三つの福音書を相互比較し、どのくらいの共通点があるか一覧表に整理したものを「Synopsis(共観表)」と言い、ここからこの三つを共観福音書と呼ぶようになりました。

残る一冊の「John(ヨハネ)」だけは三つとスタイルがまったく異なるのですが、少なくとも共通点の多い三つの福音書は恐らく最初に書かれたものを後の記述者が参照して、他の情報で補いながら書かれたのだろうと考えられています。

どうして福音書が四つ存在するのか。それぞれの福音書の特徴を見てみましょう。




Gospel of Matthew(マタイの福音書)

記述者

記述者は十二使徒のひとり、Matthew Levi(マタイ・レビ)とされます。

マタイはもともと徴税人でイエスから着いて来るようにと呼ばれて弟子となり、後に十二使徒に選ばれました。ヘブライ語で「マタイ」は「主の贈り物」を意味します。

マタイはガリラヤ湖北岸の町、カペナウム周辺で徴税人をして働いていました。イエスの時代には土地と人頭に課せられる税金は直接ローマの役人が徴収しましたが、商品の移動に関わる税金の徴収は支配する国の中から徴税人を任命して任せていました。マタイはその仕事をしていた人です。

一般的にこれらの徴税人とローマ帝国との契約は、ある期間に集める予定の税金をローマに対して前払いして、自分自身の徴税人としての儲けはその後で自国民から搾り取る税金が多ければ多いほど増えるという仕組みでした。

ユダヤの人々はこれらの徴税人を大変嫌っていました。それはローマ帝国へ収める税額を上回る徴税を行って私腹を肥やし、徴税人の周辺では汚職が絶えず、そうやって自分たちを支配する敵国の手先となって働いていたからです。人々の間では徴税人は殺人犯や強盗と同じように忌み嫌わていて、ユダヤ人は徴税人に対してだけは律法で禁じられた「嘘をつくこと」さえ容認されていました。徴税人に対する人々の意識は聖書の中にも多数記述されていて、売春婦や異邦人と同格に扱われ、いつも「罪深い」存在として扱われます。ローマ帝国はこうやって人々の怒りや不満の矛先を自国の徴税人に向けさせることで帝国内の秩序を上手にコントロールしていたのです。

人々から忌み嫌われる徴税人のマタイが新約聖書の冒頭を飾るのは、血筋や伝統を重んじ汚れを嫌うユダヤ社会では大変異例で衝撃的なことです。逆に言えば新訳聖書の最初をマタイから始めることがユダヤ社会に投げかける衝撃は最初から意図されていたと考えるべきです。


本の目的

「Matthew(マタイの福音書)」は新約聖書の最初の本で聖書全体の中では旧約聖書から新約聖書への導入部にあたります。

内容はイエスが語った教えを中心に最も系統立てて書かれた本で、教会では信徒を教育するための教科書としてこの本をよく使いました。

この本はユダヤ人の読者に向けて、イエスが旧約聖書で預言され待望されて来た救世主その人であると納得させるために書かれたと思われる部分がたくさんあります。たとえば記述者はユダヤ語やユダヤの慣習をわざわざ説明していませんし、旧約聖書からの引用が多数見られます。またイエス自身が旧約聖書中で最も偉大とされる三人の人物、アブラハム、モーゼ、ダビデの血筋上のまた精神上の後継者であることを記述している点です。

本の冒頭ではイエスの血筋が示されます。イエスからアブラハムまでさかのぼる家系図です。山上の説教の場面ではイエスはまるで高貴な先生のように話し、その権威はユダヤ人に律法を授けたモーゼを上回ります。そしてイエスはイスラエル史上最高の王として慕われるダビデ本人が望んだイスラエルの最高の王となるために到来したことが語られます。イエスは本の中で何度か「ダビデの子」と呼ばれますが、実際のイエスはダビデ本人が「主」と呼びかけた方だったのです。


共観福音書

「Matthew(マタイの福音書)」はイエスの行動を中心に記録した「Mark(マルコの福音書)」をマタイが読んで、上のような目的のため、そこに「イエスの話した教え」を追加して作られたのではないかと考えることができます。

この「イエスの教え」部分は独立した文献としては見つかっていないのですが、当時はそういう資料が存在したのではないかという憶測があり、この資料を「Q」と呼んでいます。Qはドイツ語で「資料」を意味する「Quelle」の頭文字です。「Q」はたとえば「イエスの教え集」で、イエスが伝道活動中に話した教えをひとつひとつ書き留めたものだったのではないかと考えられています。





Gospel of Mark(マルコの福音書)

記述者

記述者とされるマルコはJohn Mark(「マルコと呼ばれるヨハネ」などと訳される)として知られており、使徒のペテロやパウロの助手として聖書に何度か登場します。

マルコの母のマリアはエルサレムに住む裕福な女性だったようで、複数の従者を抱えて大きな屋敷を所有していました。イエスが天に戻られた後、初期の教会はマルコの母のマリアの屋敷に集まって会合を開いていました。

またパウロとバルナバ(パウロの伝道活動のパートナー)はあるときエルサレムからマルコを連れて活動拠点のアンテオケへ戻って来て、その後三人は第1回目の異邦人(ユダヤ人から見た外国人)への伝道の旅に出発します。マルコは二人の助手としておそらく旅程や食べ物、宿舎などの準備を手伝っていたと思われます。ところが一行がペルガという町まで来たときにマルコは旅を途中でやめて一人で戻って来てしまうのです。この理由は明らかにされておらず、このマルコの離脱が後にパウロとバルナバの仲違いを招きます。つまり2回目の伝道の旅でパウロはマルコを連れて行くことを嫌い、一方のバルナバはどうやら自身の従弟でもあるらしいマルコを同行することを主張して二組はバラバラに出発するのです。

この仲違い事件は西暦49~50年頃のことですが、次にマルコが聖書に登場するのはそれからおよそ10年後、マルコを嫌ったはずのパウロによる記述ですが、ここではマルコは一転して好感を持って書かれています(Colossians 4:10/ガラテヤ人への手紙第4章第10節や、Philemon 24/ピレモンへの手紙第24節)。またパウロがローマで牢に入れられるとパウロはテモテに依頼してマルコを一緒にローマへ連れてくるようにと告げます(2 Timothy 4:11/テモテへの手紙第2の第4章第11節)。

マルコが最後に登場するのはやはりローマに滞在していたペテロによる記述で、マルコを親しみを込めて「自分の息子」と書いています(1 Peter 5:13/ペテロの手紙第1の第5章第13節)。つまりマルコは一度はパウロに嫌われたものの、後年はローマで献身的にパウロとペテロと共に働きパウロとの関係は良好になったようです。

後年の文献によるとマルコはローマでペテロを手伝って翻訳や通訳をしていたらしく、このときにペテロから聞き知った情報に基づいて「Mark(マルコの福音書)」を書いたと思われます。さらにマルコはその後に最初の巡回説教者としてエジプトへ赴き、アレクサンドリアでいくつか教会を設立したとも伝えられます。


本の目的

「Mark(マルコの福音書)」は新約聖書の2番目の本で、四つの福音書のうち一番最初に書かれた福音書とされています。四つの福音書の中では一番短い本です。

内容は「イエスが語ったこと」よりも「イエスが行ったこと」を記述し、イエスの奇跡や活動に重点を置いてイエスがどのように自分の言葉を行動で裏付けたかを描いています。生き生きとまた直接的に物語を読み聞かせるような記述が特徴で、イエスの周辺で起こった出来事を知るのに最適な本です。

初期の頃の教会の文献ではこの本の著者をペテロの通訳をしているマルコであると記述し、またマルコはイエスの伝道活動そのものには参加していなかったものの、後日にペテロの回想録を記述して書いたとしています。このような経緯からか回想は必ずしも物事が起こった時系列の順には記述されていません。

「Mark(マルコの福音書)」にはペテロの目を通して書かれたと解釈する方が自然な部分があるので、ペテロを手伝っていたマルコが書いたのだという解釈を支持します。またイエスの伝道活動に参加しておらず使徒でもなかったマルコがこの福音書を単独で記述したのだとすると、その本を正式な福音書として採用するのは当時の教会としては不自然なことで、ペテロの口述をマルコが記録したことが知られていたからこそ初期の教会でも認められていたのだろうと考えます。

「Mark(マルコの福音書)」は異邦人(ユダヤ人から見た外国人)のため、特にローマ人を読者として書かれた本と考えられます。それはアラム語やヘブライ語、ラテン語をギリシア語に訳して書き直している部分がたくさんあることからそのように類推されています。また異邦人であるローマ人を中立的ときには好意的に描いている部分もあります。イエスの苦難についての記述はローマ皇帝の迫害に苦しむローマの信徒たちを力づけようとして描かれたのかも知れません。


共観福音書

「Mark(マルコの福音書)」は共観福音書三冊のうち一番最初に書かれた福音書と考えられていて、つまりマタイもルカも「Mark(マルコの福音書)」を読んでから自分の目的に沿った福音書を記述したのだろうということです。

「Mark(マルコの福音書)」が書かれるまでの間、初期の信徒たちが回し読みをしていたのはイエスに関する単発の話やイエスが話したたとえ話集(「Q」と呼ばれる)、あるいはイエスの苦難を記述した長めの物語(「Passion」と呼ばれる)と考えられています。

マルコはこれらを「Mark(マルコの福音書)」として最初にまとめ上げ、イエスの生涯と十字架死~復活の意味を一冊の本として確立させたということです。なんと画期的なプロジェクトでしょうか。





Gospel of Luke(ルカの福音書)

記述者

記述者のルカはパウロを手伝って共に福音を伝える伝道の旅をしたことと、「Gospel of Luke(ルカの福音書)」と「Acts(使徒の働き)」の二つの本を書いたことで知られています。「Gospel of Luke(ルカの福音書)」と「Acts(使徒の働き)」はイエスの十字架死~復活までの話と、イエスが復活して天へ戻った後の話の連続した書き物になっていて、前編・後編という感じで展開します。

ルカの職業は医者です(Colossians 4:14/コロサイ人への手紙第4章第14節に記述あり)。福音を伝えるためにルカがパウロと共に献身的に働いたことはパウロの書簡に記述されています。研究によるとルカはシリアのアンテオケの出身の異邦人(ユダヤ人から見た外国人)で、新約聖書の著者の中ではルカだけが異邦人です。一節によるとルカはTitus(テトス)の兄弟だったとする節もありますがこれは憶測の域を出ません。

ルカはパウロの第2回、第3回、及び最後にパウロがローマへ護送された旅に同行しました。「Acts(使徒の働き)」を読んでいると、あるところから突然書き口が「私たちは・・・」と一人称に変化する部分が三カ所あり、この部分からルカがパウロ一向に同行したのだろうと考えられています。

パウロがローマへ送られる前にカイザリアで二年間牢に入れられていた期間があり、おそらくこの間にルカはパウロのそばにいて後日の記述のための材料を集めたと思われます。

ルカが記述した文書の量は二つの本を合わせると、新約聖書全体の1/4を越えます。職業が医者ということもあり、記述は大変客観的で冷静に行われていて、自分自身のことを記述する部分は一カ所もありません。また記述内容を見るとギリシア語に精通していたことがよくわかり、他の新約聖書の著者よりも視野が広く洗練された印象を与えます。


本の目的

「Gospel of Luke(ルカの福音書)」は新約聖書に収められた三番目の福音書です。ルカは福音の教えそのものよりも苦難に遭う人々のことを重点的に書いています。大変上手な書き手で、文学上の品質としては四つの福音書の中では最高と言われます。このため読者の興味を最もかき立てる福音書です。またルカは医者であり歴史家でもあるので、イエスの周辺で起こった出来事を正確に世界史の中に位置づけて記述しました(たとえば個々の出来事がローマ帝国のどの皇帝の何年目の年の出来事であったかなど)。

ルカは福音書の中で自分を紹介していませんが、冒頭の書き出しなどからこれをルカが記述したと知ることは容易です。またルカは必ずしも最初から最後までのすべての出来事を自分の目で見たわけではありませんが、綿密な取材と研究に基づく客観的な書き口で出来事を時系列順(発生順)に記述しています。

ルカはおそらく高度の教育を受けた人で、新約聖書の著者の中では最もギリシア語に精通しています。ルカ自身が異邦人(ユダヤ人から見た外国人)であることから異邦人に焦点を当てた記述が目立ち、逆に純粋にユダヤのことに関わる出来事はあまり記述されていません。

この福音書が書かれたのはおそらく西暦60~70年頃です。50~60年頃からローマ帝国のクリスチャンに対する迫害は大変厳しくなり、ルカは影響力の強いローマ人に対してクリスチャンとは何かを正しく客観的に伝えようとしたのだと思われます。記述の中ではクリスチャンが反政府的な扇動の容疑を受けながら最終的には無罪との判断が下される場面が多数記述されています。

ときにキリスト教は悪意のある迷信で、気づかれないように秘密裏に勢力を拡大したとの批判を受ける場合がありますが、ルカはイエスがあらゆる地位や階級の人々と触れ合い福音が民衆の前で公然と述べ伝えられたことを書いています。


共観福音書

「Luke(ルカの福音書)」はイエスの行動を中心に記録した「Mark(マルコの福音書)」をルカが読んで、上のような目的のため、そこに自分が行った独自の調査や研究の成果を追加して作られたのではないかと考えることができます。





Gospel of John(ヨハネの福音書)

記述者

記述者とされるヨハネは十二使徒の一人で、やはり十二使徒であるヤコブ(James)の兄弟です。二人はゼベダイの息子と呼ばれています。イエスさまに着いてくるようにと呼ばれるまではガリラヤ湖で父と兄と漁師をしていました。つまり漁師の書いた福音書です。

ヨハネは「The Gospel of John(ヨハネの福音書)」の他に、「1 John(ヨハネの手紙第1)」「2 John(ヨハネの手紙第2)」「3 John(ヨハネの手紙第3)」、そして「Revelation(ヨハネの黙示録)」、合わせて5冊の本を記述しています。

母親はおそらく「サロメ(Salome)」であるとされていて、サロメはイエスさまの母親マリアの姉妹という説があります。だとするとヤコブとヨハネの兄弟はイエスから見れば従兄弟にあたることになります。聖書にはサロメが二人の息子を特別に取り立ててくれるようにとイエスに頼む記述があり、もし二人がイエスの従兄弟なのであればこれが理由なののかも知れません。

ヨハネの父親ゼベダイの一家はイスラエル北部のガリラヤ湖北岸にある町カペナウムに住んでいて、どうやら裕福な家だったようです。聖書には船や召し使いを所有していたという記述があります。またサロメはイエスのためにいろいろと支援も行っています。

ヨハネとヤコブのどちらが兄でどちらが弟かについては明確な記述はありませんが、ヨハネは弟であるとの考え方が支配的です。これは福音書の中でヨハネがいつもヤコブの後に記述されていることに基づいています。

ヨハネとヤコブがイエスに呼ばれたのはイエス自身が洗礼を受けたあとで、やはりカペナウムで漁師をしていたシモン・ペテロとアンデレの兄弟を呼んだ直後です。この四人の中からペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人は最もイエスさまに近い使徒となり、三人はイエスがヤイロの娘を死からよみがえらせるところに立ち会ったり、イエスが山上で変貌する様子を目撃したり、逮捕の直前、ゲッセマネでのイエスの苦悩の際にも共にいました。

ヤコブとヨハネの兄弟はイエスの一行の中では強気で頑固な一派だったようで、イエスからは「雷の息子たち」(Sons of Thunder)のニックネームで呼ばれています。あるサマリヤの村がイエスを受け入れるのを拒んだとき二人はイエスに天から火を降らして村を滅ぼすことを提案しました。

イエスが十字架死から復活して天に戻った後、初期の教会でリーダー的な役割を果たしたのは十二使徒のヨハネとペテロ、イエスの弟のヤコブ(使徒のヤコブとは別人でエルサレムの教会で牧師を務めた人)、それからパウロです。ヨハネはEphesus(エフェソ)の教会の牧師を務めました。後にローマ帝国のドミティアヌス帝の迫害にあってパトモス島に流され、そこで記述したのが新約聖書最後の本の「Revelation(ヨハネの黙示録)」です。


本の目的

「The Gospel of John(ヨハネの福音書)」は四つの福音書の中の最後の福音書で、書かれた年代も他の福音書やパウロの手紙などに比べるとずっと後のことです。つまりヨハネが福音書を書いた頃にはパウロのたくさんの手紙や三つの福音書が信者の間を広く流布されて各地の教会ではテキストになっていました。ヨハネはこれらすべてに目を通した上で、それまでに書かれなかったこと、これだけは書かれなければいけないこと、つまり「福音の核心部分」を書いたように思われます。

「John(ヨハネの福音書)」は四つの福音書の中では最も神学的で、ヨハネはイエスを通じて知った「神とは何か」を記述しました。他の三つの福音書がすでにイエスの行動や教えを書いたので、ヨハネはそれらの背景にある創造者である神さまの視点による意味付けを書きました。行動や教えの記述を最小にとどめて、それらを話のきっかけにして救世主イエスに関する真実や、イエスが誰なのか、どうしたら人は神さまを知ることができるのかを記述します。

この福音書が誰に宛てて書かれたのかを言うのは大変難しいです。明確な宛名もなく福音書の中にはユダヤ的な思想もギリシア的な思想も見られます。イエスとユダヤ指導層との対立は他の福音書よりも激しく描かれています。イエスが語る言葉が対象としている相手はどこかひとつの国家や民族に宛ててというよりも、人類全体に向けられているように見えます。一世紀も終盤にさしかかった頃、福音は遠くの地域にまで伝えられ、だからこそヨハネは可能な限りの広範な読者を想定して書いたのではないかと思われます。

一方この福音書を書いた目的は、福音書の中に明確に書かれています。「しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(John 20:31/ヨハネの福音書第20章第31節)。

「John(ヨハネの福音書)」には「信じる」「愛」「真実」「世界」「光」「闇」「上」「下」「名前」「目撃の証」「罪」「裁き」「永遠の命」「栄光」「パン」「水」「時間」などの象徴的なキーワードが多用されます。他の福音書で記述されたイエスによる「たとえ話」はひとつも登場しません。それよりもヨハネは自分が見た実際の出来事を記述します。たとえばファリサイ派議員のニコデモとの遭遇の場面、サマリアの井戸にいた女性の話、ラザロが死からよみがえる話、イエスが使徒の足を洗う話などです。ヨハネはこれらの象徴的な言葉や出来事から始めて救世主としてのイエスの姿を明らかにしていきます。

結果として「The Gospel of John(ヨハネの福音書)」は他の福音書とはまったく異なる救世主イエスの姿を描き出し、人々の心を深く揺り動かすような言葉でつづられた福音書になりました。これが何世紀もの間、クリスチャンの間で「最も読まれ、最も愛された福音書」となった理由です。








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使徒の働きと書簡

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Acts(使徒の働き)

「Acts(使徒の働き)」は新約聖書の中の5番目の本で、四つの福音書と多数の書簡(手紙)の間に位置するユニークな本です。イエスが十字架死~復活を経て天に戻った後、イエスの直弟子の使徒たちをリーダーとして初期の教会がどのように形成されていったか、その様子を綴っています。

「Acts(使徒の働き)」を記述したのはルカで、「Gospel of Luke(ルカの福音書)」と「Acts(使徒の働き)」の二冊は前編と後編の関係にあります。つまり前編の「Luke(ルカの福音書)」がイエスについて十字架死~復活までを書き、後編の「Acts(使徒の働き)」は復活したイエスが天へ戻った後の出来事を書いています。

ルカがどういう人物であったのか聖書の中に詳しい記述はありませんが、ルカの文章は自然体で読みやすく、同時に十分な知識に裏付けされたギリシア語で記述されています。「Luke(ルカ)」という名前はギリシア名で、ルカは異邦人(ユダヤ人から見た外国人)でした。ルカは福音書の中でも「Acts(使徒の働き)」の中でも、出来事を記述する際にはそのときの皇帝や総督、大祭司などの名前を記して世界史との関連が客観的にわかるように配慮しています。

ルカはパウロの伝道の旅に同行したことで知られていますが、旅程の記述にあたっても福音書のイエスの誕生の場面でマリアとヨセフには泊まる宿がなかったという記述から始まって、イエスやパウロの一行が滞在した場所を事細かに書くなど歴史の記述者としての手腕を発揮しています。

「Acts(使徒の働き)」のテーマはいくつかありますが、代表的なテーマとしてはもともとイスラエル国内に住んでいてヘブライ語(アラム語)を話すユダヤ人による教会と、イスラエル国外に住みヘブライ語に加えてギリシア語を話すユダヤ人の教会の関係が挙げられます。この二つの教会がそれぞれ何にこだわりどのように和解したのか、この初期の教会の形成期に明らかになった「こだわり」は今日のクリスチャンの間でも「信仰」に関するテーマとしてしばしば挙げられます。

ですが「Acts(使徒の働き)」の最大のテーマはイエスが天に戻った後の信者たちがどのようにイエスに関する真実を伝えたか、どのように苦難に立ち向かい勝利を収めたかです。イエスに関する福音は地理的にも民族的にも次々と壁を越えて拡がっていきます。そして信者による福音の拡大を助けた「聖霊(Holy Spirit)」についても、その訪れから始まり、様々な働きが各所に描かれています。




Epistles(書簡)

「Epistles(書簡)」は「Letters(手紙)」のことです。「書簡」を辞書で引くと「『手紙』の意の漢語的表現」と書かれていて(新明解国語辞典)、なんだか形式張った堅苦しい雰囲気がありますが、英単語の「Epistles」も「Letters」に比べると形式張った印象を与えます。

新約聖書には22冊の「Epistles(書簡)」が収められていて、記述者と合わせて一覧にすると次のようになります。

Epistles(書簡)記述者誰?
1Romans(ローマ人への手紙)パウロ後の使徒
21 Corinthians(コリント人への手紙第1)パウロ後の使徒
32 Corinthians(コリント人への手紙第2)パウロ後の使徒
4Galatians(ガラテヤ人への手紙)パウロ後の使徒
5Ephesians(エペソ人への手紙)パウロ後の使徒
6Philippians(ピリピ人への手紙)パウロ後の使徒
7Colossians(コロサイ人への手紙)パウロ後の使徒
81 Thessalonians(テサロニケ人への手紙第1)パウロ後の使徒
92 Thessalonians(テサロニケ人への手紙第2)パウロ後の使徒
101 Timothy(テモテへの手紙第1)パウロ後の使徒
112 Timothy(テモテへの手紙第2)パウロ後の使徒
12Titus(テトスへの手紙)パウロ後の使徒
13Philemon(ピレモンへの手紙)パウロ後の使徒
14Hebrews(ヘブル人への手紙)不明-
15James(ヤコブの手紙)ヤコブイエスの弟
161 Peter(ペテロの手紙第1)ペテロ十二使徒
172 Peter(ペテロの手紙第2)ペテロ十二使徒
181 John(ヨハネの手紙第1)ヨハネ十二使徒
192 John(ヨハネの手紙第2)ヨハネ十二使徒
203 John(ヨハネの手紙第3)ヨハネ十二使徒
21Jude(ユダの手紙)ユダイエスの弟
22Revelation(ヨハネの黙示録)ヨハネ十二使徒
Epistles(書簡)記述者誰?


 
パウロの書簡(13通)

22の書簡のうち最初の13通はパウロの手紙です。

パウロを「後の使徒」と書いたのはペテロとヨハネがイエスが最初に選んだ12人の使徒に含まれていたのに対し、パウロはただ一人イエスから後に呼ばれた使徒だからです。パウロはイエスが復活して天に戻った後、最初は初期の教会を迫害していた側です。ファリサイ派の急先鋒として教会を襲い、信者を逮捕しては投獄するという攻撃を繰り返し、教会から恐れられていました。同じ目的で現シリアのダマスカスの教会を次の標的に定めての旅行中、パウロは復活したイエスと遭遇し、「異邦人へ福音を伝える器」としてイエスから使徒として呼ばれます。

パウロの手紙の内容を記述された順に簡単に説明します(記述年の解釈は様々ですが代表的なものを採用しています)。各本の名前の前に書かれている番号は上の表中の番号です。


46~48年がパウロの第1回目の伝道の旅です。小アジア、現在のトルコ南部を回りました。

4). Galatians(ガラテヤ人への手紙) :49年頃。パウロが第1回目の伝道の旅(46~48年)で訪れたガラテヤ地方南部(現在のトルコ共和国南部)の教会に宛てた手紙。パウロが去った後、同地を訪れたユダヤ主義者が「異邦人がイエスによる福音を受け入れるためには、ユダヤの律法に従わねばならない(たとえば割礼を受けなければならない)」と教えたが、それは誤りだと証明するための手紙。


50年、パウロの第1回目と第2回目の伝道の旅の間にエルサレムで会議が開かれています。この会議でエルサレムのユダヤ人の教会とパウロの伝道で発展した異邦人の教会が和解しました。

その後、50~52年がパウロの第2回目の伝道の旅です。トルコ南部からギリシアへ回りました。

8). 1 Thessalonians(テサロニケ人への手紙第1) :51年頃。パウロがテサロニケの教会に宛てた手紙。信仰を強めイエスは必ず再来すると教えるための手紙。

9). 2 Thessalonians(テサロニケ人への手紙第2) :51~52年頃。パウロがテサロニケの教会に宛てた手紙。イエスの再来の理解について正しく整理して教えるための手紙。


53~57年がパウロの第3回目の伝道の旅です。トルコ南部からギリシアへ回りました。

2). 1 Corinthians(コリント人への手紙第1) :55年頃、パウロの第3回目の伝道の旅(53~57)の終盤に訪れたエペソで記述。宛て先はパウロが第2回目の伝道の旅(50~52年)の途中に設立したコリントの町の教会。コリントは当時の大きな港町。商業の中心地でもあり、偶像崇拝や道徳の乱れも顕著だった様子。異邦人が中心のコリントの教会内部ではパウロが去った後に様々な問題が発生しており、パウロはこの手紙の中でそれらの問題点を明確にし、それぞれどのように解決すればよいかを示唆している。またクリスチャン全般に対して俗な世の中で生きていく方法を教えている。この手紙は実際はパウロがコリントへ宛てた手紙の二通目にあたる(一通目は見つかっていない)。

3). 2 Corinthians(コリント人への手紙第2) :55~57年頃、パウロの第3回目の伝道の旅(53~57)の終盤にマケドニア地方のどこかで記述。パウロは前回の手紙では強い口調でコリントの信者を教え諭した。信者の大半はこれを前向きに受け止めたが中にはパウロの立場を疑う者もいた。これらの批判や疑惑に対しパウロは自身の伝道活動の趣旨について改めて説明し、自身の使徒としての権威を証明すると共に、福音に反する教えを行う偽の教師の誤りを指摘している。

1). Romans(ローマ人への手紙) :57年頃、パウロの第3回目の伝道の旅(53~57)の終盤、コリントにてエルサレムへ向かう準備をしているときに記述。宛て先はローマにいる信者たち。パウロはこの時点では帝国の首都ローマを訪れていないが明らかに次の目的地として心を決めている様子で、手紙の中では自身を紹介すると共にパウロがローマに着いたら伝えたいこと、つまり自分が日頃伝えている福音と信仰に関するメッセージをひととおり説明する内容になっている。読み手のローマの教会の構成員はほとんどがユダヤ人だが異邦人も多数含まれていた。


57~59年、パウロは捕らえられてCaesarea(カイザリア)で監禁状態に置かれます。皇帝への上訴が認められたパウロは59年にローマへ護送されます。皇帝との謁見を待つ間、パウロは引き続きローマで監禁されます。

5). Ephesians(エペソ人への手紙) :60年頃、ローマにて投獄中にパウロからエペソの教会に宛てた手紙。パウロは第2回(50~52)及び第3回(53~57)の伝道の旅でエペソを訪れており、延べ三年以上滞在していることからエペソの教会には特別の思い入れがあるらしい。この手紙は「教会」を救世主イエスの体として位置づけ、教会の性質や目的を説明してエペソの教会を勇気づける内容になっている。

7). Colossians(コロサイ人への手紙) :60年頃、ローマにて投獄中にパウロからコロサイの教会に宛てた手紙。コロサイは小アジアでエペソから300kmほど東にある町でパウロは一度も訪れたことがない。が、コロサイの教会設立の中心になったエパフラス他はパウロの伝道の旅で福音を知った人たち。教会にはキリスト教と異なる教えを説く偽の教師が入り込み、キリスト教に異教や世俗の哲学を融合させようとして教義上の危機を迎えている。パウロは手紙の中でイエスの福音だけが神さまとの関係を修復するために必要かつ十分な条件であると説明する。

13). Philemon(ピレモンへの手紙) :60年頃、ローマにて投獄中にパウロからコロサイの町に住むピレモン個人に宛てた手紙。ピレモンの元から逃げてきた奴隷のオネシモについて、オネシモを許し同じ信仰を持つ兄弟として迎えるようにと伝える手紙。当時ローマ帝国支配下の社会では裕福な市民が奴隷を持つことは一般的だった。パウロは奴隷制度を否定するのではなく、奴隷であるオネシモに兄弟として接することを伝えている。

6). Philippians(ピリピ人への手紙) :61年頃、ローマにて投獄中にパウロからピリピの教会に宛てた手紙。ピリピの教会はパウロがアジアからヨーロッパに入って最初に設立した教会で、第2回目の伝道の旅(50~52)の途上で設立した。ピリピの教会は投獄中のパウロへの贈り物を教会のメンバーに託して届けた。パウロは手紙の中で感謝の意を示すと共にイエスを信仰することの喜びを伝えて励ましている。


62年、パウロが一時監禁状態を解かれます。

10). 1 Timothy(テモテへの手紙第1) :64年頃、ローマかあるいはマケドニアのどこか(恐らくピリピ)から若いリーダーのテモテ個人へ宛てた手紙。パウロは一時期投獄を解かれたようで、この手紙は最後の投獄前に書かれている。テモテはパウロと常に行動を共にした側近の一人。パウロはエペソの教会で誤った教えを説く偽の教師に対抗させるためテモテを派遣し、テモテは恐らくエペソの教会でしばらくの間リーダーとして過ごしていたところ。パウロはテモテを訪ねたいと願っていたが訪問に先立ってこの手紙をしたためた。手紙の中でパウロはテモテを励ますと共に先生として教えている。

12). Titus(テトスへの手紙) :64年頃、ローマかあるいはマケドニアのどこか(恐らくピリピ)からテトス個人へ宛てた手紙。テトスはパウロの伝道に触れてイエスを信じるようになったギリシア人。パウロはクレテ島へテトスを派遣して当地で教会を設立し、その後の面倒を見させようとした。手紙の中ではその方法が示されている。


パウロは再度ローマにて監禁されます。

11). 2 Timothy(テモテへの手紙第2) :66~67年頃、ローマにて最後の投獄中にパウロからエペソの教会にいるテモテ個人へ宛てた手紙。パウロの最後の手紙で、この手紙の直後パウロはローマ皇帝ネロによって処刑されたと思われる。このとき皇帝ネロの迫害を受けてローマで投獄中のパウロに付き添っているのはルカだけになっていた。パウロは自分の後継者としてテモテを指名するような書き口でテモテを励まし、伝道活動のバトンを次世代の若いリーダーへ託している。またパウロは身の回りの持ち物を持ってきてくれるようにとテモテに頼んでいる。


67年頃、パウロは処刑されて殉死します。



Hebrews(ヘブル人への手紙)

14). Hebrews(ヘブル人への手紙) :「Hebrews(ヘブル人への手紙)」は記述者が不明の手紙です。憶測は諸説あります。個人的には内容からの推理ではパウロが最も有力ですが書き口が他の手紙とあまりにも異なります。とすると書き口の観点からはアポロが有力なのかも知れないとも思いますが、何しろ他にアポロの本がないので比べようがありません。でも実は誰が記述者であるかは問題ではなくて、とにかく「ヘブル人への手紙」は卓越した本です。記述されたのはエルサレムが崩壊した西暦70年の前あたり。宛て先は恐らくユダヤの律法主義からイエス信仰へと改宗したが、ユダヤ人とローマ帝国の双方からの激しい迫害を受けて、再びユダヤ主義へ戻ろうかとグラグラしているユダヤ人たちではないかと思われます。記述者はこの人たちに向けてイエスが聖書が約束した救世主であり、イエスを通じた救済の計画がどれほど論理的に聖書に基づいているかを説明しています。「ヘブル人への手紙」とタイトルされていますが内容的には説教です。



イエスの弟による手紙(2通)

15). James(ヤコブの手紙) :49年頃(50年に開かれたエルサレム会議の前)、イエスの弟でエルサレムの教会のリーダーを務めていたヤコブから、イスラエル国外に住んでいてイエス信仰へと改宗したユダヤ人に宛てた手紙。表面的かつ偽善的な慣習を批判し、真のクリスチャンのあるべき姿を伝えています。

21). Jude(ユダの手紙) :恐らく65年頃、イエスの弟のユダからイエス信仰へと改宗したユダヤ人に宛てた手紙。信仰を正しく堅く守り異端を排除するようにと警戒を促す手紙。教会は一世紀にスタートした直後から異端や誤った教えの脅威にさらされていました。



ペテロの手紙(2通)

16). 1 Peter(ペテロの手紙第1) :62~64年頃、ペテロから迫害でエルサレムを追われ小アジアに散り散りになった信者に宛てた励ましの手紙。恐らくローマにて記述。この頃ローマ皇帝ネロの迫害が激しくなり、ローマ帝国内のあちこちでクリスチャンは拷問にかけられ殺されていきます。エルサレムにいた信者たちは次々とパレスチナの外へ脱出しました。ちなみにペテロも最終的にこの迫害の中で処刑されました。

17). 2 Peter(ペテロの手紙第2) :67年頃(「ペテロの手紙第1」の三年後)、ペテロからすべての教会とすべてのクリスチャンに宛てて、異端を警戒せよ、信仰を育みイエスに関する知識を備えなさいと伝える手紙。本当にペテロが書いた手紙なのかについて最後まで議論され、結果として新約聖書に最後に加わった手紙です。



ヨハネの手紙(4通)

18). 1 John(ヨハネの手紙第1) :85~90年頃、エペソの教会でリーダーを務めていたヨハネが記述した手紙。特別に宛て先は書かれておらず、牧師のヨハネがいくつかの異邦人のグループへ宛てて信仰を正しく守り異端を警戒せよと書き送った手紙。ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれ、この手紙は最初から最後まで愛で貫かれている。また「ヨハネの福音書」を想起させる部分も多い。

19). 2 John(ヨハネの手紙第2):後で書きます。

20). 3 John(ヨハネの手紙第3):後で書きます。

22). Revelation(ヨハネの黙示録):後で書きます。

 




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